子桓様、息子の婚礼に本当にいらっしゃるのですか?
劉明珠でございます。
息子が結婚いたします。
ただそれだけのはずなのですが、寿春を出る頃には護衛が出征並みに増え、洛陽では平原王がお見えになり、挙げ句の果てには陛下まで列席なさるそうです。
婚礼とは、いつから朝廷総出で見届けるものになったのでしょう。
私は母として息子を祝いたいだけで、魏の威信まで背負わせた覚えはございません。
なお、玉珠からは、
『今日は鼻をほじらないようにします』
と頼んでもいない誓約書が届きました。
皇帝の御臨席より、そちらの方が信用できません。
さて――
息子の門出でございます。
どうか玉珠の小指だけは、歴史に名を残しませんように……
息子の結婚式へ向かうだけなのに、どう見ても出征前の行列でございました。
寿春を出る前から騎兵が道を確かめ、私たちの車の前後にも護衛がつき、その外側をさらに兵が固めております。
「文烈様」
「何だ?」
「肇は洛陽で誰かと戦う予定でもあるのでしょうか?」
「婚礼だ」
「存じております。では、なぜこれほど兵がいるのです?」
文烈様は、何を当たり前のことを聞くのだという顔をしました。
「俺が揚州を離れる。お前たちも一緒だ。何かあってからでは遅い」
正論でございます。
最近、この方の正論には何度腹を立てさせられたことでしょう。
揚州の政務は牧府の長史へ預け、各地には留守中の指示まで残してあります。
そこまで済ませて、ようやく息子の婚礼へ出発できたのです。
結婚式へ向かう父親の準備とは思えませんね。
「母上」
寧珠が車の中から顔を覗かせました。
今年で数え十二。
少しずつ妹たちの面倒を見るようになり、以前よりずいぶんお姉さんらしくなりましたが、こういう珍しい旅ではまだ目を輝かせます。
「兵隊さん、みんな洛陽まで行くの?」
「行くのでしょうね」
「肇兄上の結婚って、そんなにたいへんなの?」
「婚礼がたいへんなのではございません。あなたの父上が偉くなりすぎたのです」
「聞こえているぞ」
前から文烈様が振り返りました。
耳までよろしいことで。
その横から環珠も身を乗り出しました。
こちらは数え十。
もう幼子と言い切るには大きくなりましたが、右手だけはあまり成長しておりません。
「母上」
「何です?」
「へいたいさんも、はなほじる?」
「なぜ最初にそこを確認するのです」
「いっぱい、いるから」
人数が増えれば仲間も見つかると思ったのでしょうか……
必要ございません。
「兵の方々を鼻で分類してはいけません」
「父上は?」
「もっと分類してはいけません」
文烈様がこちらを見ます。
「俺はほじらん」
「存じております」
夫の鼻孔について、護衛兵の前で公式見解を出す日が来るとは思いませんでした。
数え四つの和珠は、そんな会話には興味がないらしく、窓の外ばかり見ています。
「あれ、なに?」
「馬だよ」
寧珠が答えます。
「こっち」
「それも馬」
今度は環珠が得意そうに言いました。
「環珠、それくらいは和珠も分かっていると思いますよ」
教育係としての将来が少々不安になってまいりました。
それでも旅は穏やかでした。
何より、今回は戦へ向かっているのではありません。
文烈様は私たちと一緒におり、向かう先の洛陽では肇と纂が待っています。
そして、その肇がこれから妻を迎えるのです。
長坂で捕らえられた十三歳の私が、いつか魏の重臣の妻となり、息子の婚礼へこれほど大げさな護衛付きで向かうことになるなど、誰が想像したでしょう。
少なくとも私は想像しておりません。
「明珠」
「はい?」
「また妙なことを考えている顔だ」
「失礼ですね。少し幸せだと思っていただけでございます」
文烈様は一瞬だけ黙り、
「そうか」
と答えました。
「最近、そればかり仰いますね」
「悪いか?」
「いいえ」
困りますね。
こちらが皮肉を返しにくいではございませんか。
洛陽へ入ると、曹纂が迎えに来ておりました。
「父上、母上、お待ちしておりました」
成人して洛陽で暮らすようになってから、顔を見る機会は以前より減っています。
そのせいでしょう。
私は挨拶より先に、
「纂、きちんと食べておりますか?」
と尋ねてしまいました。
「母上」
「何です?」
「私はもう子供ではありません」
「存じております」
「でしたら、最初に食事を聞かなくても」
「大人は食事をしなくても生きられるのですか?」
纂が黙りました。
「……食べております」
「なら結構です」
文烈様が横で笑っています。
たいへん失礼な父子ですね。
その向こうから、肇が歩いてきました。
婚礼を控えた息子は、いつもよりきちんとした身なりをしております。
当たり前なのですが、妙に落ち着きません。
「父上、母上、遠いところをありがとうございます」
「肇」
「はい」
「息子の婚礼に母が来て、何か特別なことでもございますか?」
肇は一瞬きょとんとしたあと、笑いました。
「ございません」
「では、そのように他人行儀になさらないでくださいませ」
「はい、母上」
よろしい。
それでこそ私の息子です。
ところが、私が婚礼の準備を手伝おうとすると、
「母上は座っていてください」
と止められました。
「まだ動けますよ」
「知っています」
「では」
「寿春から着いたばかりでしょう?」
いつの間に、この子は私へ命令するほど大きくなったのでしょうね。
文烈様を見ると、明らかに楽しんでいます。
「文烈様」
「何だ?」
「助けてくださいませ」
「肇の言う通りだ」
敵が増えました。
そして婚礼前日、肇からさらに信じがたい話を聞かされました。
「……子桓様がお見えになる?」
「はい」
私は聞き間違えたのかと思いました。
「祝いを下さる、ではなく?」
「陛下ご自身がお見えになります」
今度は文烈様を見ました。
「文烈様」
「何だ?」
「皇帝陛下が息子の婚礼へいらっしゃるそうですが?」
「聞いている」
「なぜそんなに平然としておられるのです?」
文烈様には、やはり当然のことらしい。
子桓様と文烈様は、若い頃から同じところで過ごしてきた間柄です。
魏王様は文烈様を一門の子として非常に可愛がり、子桓様もまた、文烈様をただの臣下として扱ってはおりませんでした。
文烈様が軍へ赴く時には、ご自身で見送り、手を取って別れたことすらあります。
ですから、その長男である肇の婚礼も、子桓様にとっては単なる「揚州牧の息子が結婚する」という話ではないのでしょう。
分かります。
理屈では……
「それでも皇帝でございますよ?」
「皇帝になる前からの付き合いだ」
文烈様はそれで説明を終えました。
たいへん強い言葉ですね。
皇帝になっても、昔からの付き合いは昔からの付き合いだそうです。
「それから、元仲様もいらっしゃいます」
肇が続けました。
「そちらはもう驚きません」
「本当ですか?」
「少ししか」
元仲様――平原王曹叡様は、肇と以前から親しくしております。
こちらは文烈様と子桓様のような父世代の縁ではなく、肇本人との縁です。
どうやら今回は、文烈様との昔からの縁で皇帝陛下がいらっしゃり、肇自身との縁でその御子までいらっしゃるそうです。
私はただ息子を一人結婚させたいだけなのですが、なぜ父子二代の交友関係まで総動員されているのでしょう……
「明珠」
「何です?」
「お前が一番緊張していないか?」
「しておりません」
「そうか」
「皇帝陛下と平原王が息子の婚礼へいらっしゃるだけでございます」
「十分しているな」
黙ってくださいませ。
婚礼の日には、玉珠も夫君と娘を連れて現れました。
数え二十四になった妹は、遠目に見れば相変わらず麗しい夫人でございます。
口を開くまでは。
「姉上!」
嬉しそうに手を振る玉珠の横には夫君がおり、その間には見覚えのない幼い女の子が立っていました。
三つほどでしょうか。
和珠より一つ下に見えます。
私は目を細めました。
「玉珠」
「はい?」
「その子は?」
玉珠も娘を見ました。
それから私を見ます。
「わたしの娘です」
聞いておりません。
「……いつ生まれたのです?」
「前です」
「それは見れば分かります」
夫君が深いため息をつきました。
「出産した時に、姉上へ知らせろとは言った」
「言いましたっけ?」
「言った」
「わたし、書いたような気がしてました」
「届いておりません!」
周囲がこちらを見ました。
息子の婚礼で、妹の出産忘れを初めて知る姉など、そう多くはないでしょう。
玉珠は少し考えてから、
「次はちゃんと教えます」
と申しました。
「その言葉、覚えておきますからね」
「はい」
この顔は忘れますね。
間違いなく忘れます。
娘本人には何の罪もありませんので、しゃがんで挨拶すると、母親の後ろへ少し隠れました。
たいへん可愛らしい子です。
どうか右手だけは母親を見習わないでくださいませ。
やがて婚礼の場が整い、まず元仲様がお見えになりました。
肇を見る表情には、平原王としての儀礼より昔からの親しさが先に出ています。
「肇、ようやくか」
「元仲様までそのようなことを仰るのですか?」
「皆、思っていた」
息子が平原王にまで婚期を心配されていたことを、母は今日初めて知りました。
その後――場の空気が一度だけ明らかに変わりました。
子桓様がお見えになったからです。
当然でしょう。
皇帝陛下でございます。
皆が礼を取る中、私は改めて思いました。
本当に来られましたね。
祝いの品だけ送れば十分ではございませんでしたか?
ところが子桓様は、文烈様を見るなり、
「文烈」
と昔と変わらぬ調子で呼びました。
「息子の婚礼だというのに、ずいぶん難しい顔をしているな?」
「いつも通りです」
「そうだったな」
そこで子桓様は、私が何とも言えない顔をしているのに気づかれたようです。
「明珠、何か言いたそうだな?」
「滅相もございません」
「顔に出ている」
この一族は、なぜ皆それを言うのでしょう。
私は諦めました。
「子桓様、本当にお越しになるとは思っておりませんでした」
すると子桓様は、不思議そうな顔をなさいました。
「文烈の息子の婚礼だろう」
「はい」
「なら、私が祝いに来て何がおかしい?」
私は黙りました。
昨日、肇へ、
『息子の婚礼に母が来て何が特別なのです』
と申し上げたばかりです。
同じ理屈を皇帝から返されました。
反論できません。
たいへん困ります。
「……何もおかしくございません」
「そうだろう」
子桓様は満足そうでした。
隣で文烈様が笑っています。
あとで覚えておいてくださいませ。
婚礼が始まると、寧珠は花嫁の衣装を真剣に見つめ、環珠も今日ばかりは右手を膝へ置いていました。
数え四つの和珠は、数え三つの玉珠の娘と並んで座っています。
その後ろでは、玉珠の夫君が妻の右手を警戒していました。
姉妹そろって麗しい夫人と見られているのでしょうが、一人は娘の鼻を警戒し、もう一人は夫に鼻を警戒されています。
見た目だけなら、たいへん華やかな姉妹でございます。
口を開くと両方おかしいことは、ここでは伏せておきましょう。
「姉上」
玉珠が小声で呼びました。
「何です?」
「今日はまだ」
「最後まで言わなくて結構です」
肇は新しい妻となる女性と並んでおります。
その姿を見ていると、胸の奥が妙に熱くなりました。
私が産んだ子ではありません。
ですが、そんなことは今さら何の意味もありません。
病になれば心配し、文が遅れれば気になり、婚姻が決まれば寿春から洛陽まで駆けつける。
それを母と呼ばずに、何と呼べばよいのでしょう?
「泣くのか?」
隣の文烈様が小声で尋ねます。
「泣きません」
「そうか」
「……まだ」
文烈様がこちらを見ました。
「環珠みたいなことを言うな」
失礼ですね……
ですが、肇がこちらを見て笑った瞬間だけは、少々危険でした。
婚礼が終わり、祝いの言葉も一段落した頃――
肇が妻を伴って、私たちの前へやってきました。
私は姿勢を正します。
今になって妙に緊張してまいりました。
息子の妻であり、これから家族になる方なのですから、余計なことを言ってはいけません。
皮肉も、本日くらいは控えた方がよいでしょう。
たぶん……
彼女は私の前まで来ると、丁寧に頭を下げました。
そして顔を上げます。
「母上」
私は固まりました。
その呼び方をする人間が、また一人増えました。
「これから、どうぞよろしくお願いいたします」
私はしばらく返事ができませんでした。
父上――
あなた様の娘は、長坂で置いていかれました。
けれど十六年後、その娘は洛陽で息子の婚礼を見届け、新しい娘から母と呼ばれております。
人生とは、本当に分からないものですね。
ようやく返事をしようとした、その時でした。
背後から環珠の声がしました。
「母上」
嫌な予感がしました。
「おばさまが、はな――」
「環珠!」
玉珠の夫君と私の声が、見事に重なりました。
劉玉珠でございます。
肇が無事に結婚いたしました。
陛下までいらっしゃる立派な婚礼でしたので、わたしも今日は鼻をほじらないと決めていたのです。
本当に……
夫にも何度も、
「右手を上げるな」
と言われました。
ですから、かなり頑張りました。
婚礼が終わるまでは……
「玉珠」
「はい?」
「今、何をしている?」
夫がたいへん疲れた顔をしております。
「もう終わりましたので」
「婚礼が終わったら解禁なのか?」
違うのでしょうか?
姉上も環珠もこちらを見ています。
どうやら、わたしだけ知らない決まりがあったようです。
次の婚礼では気をつけます。
……誰の婚礼かは、まだ決まっておりませんけれど。
あ……
小指は、もう入りました。




