父上、三人目の孫より東の方が大事でございますか?
劉明珠でございます。
父上が帰るより先に、三人目の子が生まれそうです。
こちらは呼んでいないのに来るのですね。
父上にも、少し見習っていただきたいものです。
文烈様へ伝えたところ、戦場へ出る時より素早く医者を呼びました。
……文烈様。
そんなに慌てておられない顔をなさらなくても、床板が全部教えておりますよ?
洛陽の玉珠にも知らせました。
『赤ちゃんが生まれたら、鼻をほじるか教えてください』
なぜ最初に確認することが鼻なのですか?
玉珠……
生まれたばかりの赤子と張り合わないでくださいませ。
さて父上――
三人目の孫が、もうこちらへ来ようとしております。
あなた様は、まだ東へ行かれるのですか?
父上が帰るより先に、腹の子が出てくることになりました。
まったく……
父上には、これ以上遠くへ行かないでくださいませとお願いしたばかりなのですが、こちらの子は反対に、ずいぶん急いで私のところへ来るようです。
朝から腹の具合がおかしいとは思っておりました。
三人目ですから、さすがに私にも覚えがございます。
寧珠の時とも、環珠の時とも少し違いますが、これは医者を呼んでおいた方がよいでしょう。
そう文烈様へ伝えたところ、返事をするより先に人を走らせました。
「文烈様」
「何だ?」
「まだ生まれると決まったわけではございませんよ?」
「だから医者を呼んだ」
「ずいぶん素早いですね」
「遅いよりいい」
反論のしようがございませんが、戦場へ出る時より動きが速く見えるのは気のせいでしょうか?
寧珠と環珠は、朝から屋敷の空気が違うことに気づいたらしく、いつもより大人しくしておりました。
もっとも、いつもより大人しいというだけで、完全に大人しいとは申しておりません。
「母上、あかちゃん、きょうでるの?」
環珠が私の腹を見ながら尋ねます。
「たぶん、そうなりそうですね」
「どこから?」
「環珠」
私より先に文烈様が止めました。
ありがとうございます。
母親として説明すべきなのでしょうが、今はもう少し体力を温存させてくださいませ。
寧珠はそんな妹の横で、真剣な顔をしております。
「母上、いたい?」
「少しずつですね」
「じゃあ、あかちゃんに、ゆっくりって言ったら?」
「昨日までそう申していたのですが、聞いてくれなかったようです」
寧珠は私の腹へ顔を近づけました。
「ゆっくりでいいよ」
やはり、この家で一番素直に人の話を聞くのは寧珠かもしれません。
少なくとも父上よりは……
もっとも、腹の子が寧珠の説得を聞いた様子はなく、それから痛みは少しずつ強くなっていきました。
さすがに三人目ともなれば、出産というものがどういうものかは分かっております。
分かっているから楽になるとは、誰も申しませんでしたが……
文烈様は邪魔にならないところへ下がりましたが、いなくなったわけではございません。
戸の向こうを何度も人が行き来する気配がしますので、あれはたぶん侍女ではないでしょう。
「文烈様」
少し声を張ると、すぐ返事がありました。
「何だ?」
「そこを何度往復なさるおつもりですか?」
しばらく沈黙がありました。
「歩いていない」
「では床板が勝手に鳴いているのでしょうか?」
また沈黙しました。
文烈様……
隠すなら、もう少し上手になさってくださいませ。
普段は戦場で兵を率いておられる方が、妻の出産になると廊下を往復しております。
曹家の方々が見たら、何と申すでしょうね。
私は少し笑いました。
その直後、笑ったことを後悔するほど腹が痛みました。
やはり今は、文烈様をからかっている場合ではなさそうです。
それからどれほど経ったでしょう。
痛みの間隔を数える余裕もなくなり、周囲の声も遠くなった頃、ようやく小さな泣き声が聞こえました。
三人目も、娘でした。
私は息を整えながら、その声を聞いておりました。
無事に生まれてくれた、その事実だけで十分でした。
父上がどこまで東へ進み、孫仲謀殿がどう応じたのか、あれほど気にしていた戦の行方さえ、その時ばかりは遠い話に思えます。
今は、この子が生きている。
それだけでよいのです。
しばらくして、文烈様が入ってきました。
いつもと変わらぬ顔をしております。
本人はそのつもりなのでしょう。
「文烈様」
「何だ?」
「安心なさいましたね?」
「……ああ」
珍しく素直です。
「顔にも出ておりますよ」
「出ていない」
「では私の目が産後でおかしくなったのでしょうか?」
「休め」
逃げましたね。
侍女から赤子を受け取り、文烈様がしばらくその顔を見つめます。
「小さいな」
「寧珠も環珠も最初は小さかったですよ」
「そうだったか?」
「覚えておられないのですか?」
「覚えている」
どちらなのでしょう……
私は横になったまま赤子の顔を見ました。
生まれたばかりですから、まだ顔立ちなど分かりません。
寧珠も環珠も、今では文烈様によく似ています。
二人とも目元や鼻筋はほとんど父親譲りで、私に似ているのは輪郭くらいでしょう。
しかも私自身が父上より母上――糜夫人に似ておりますから、ここまで父上の面影はほぼ行方不明です。
現在、二対〇。
「文烈様」
「何だ?」
「この子は、まだ判定できませんね」
「何をだ?」
「遺伝の勝敗でございます」
文烈様は赤子から私へ視線を移しました。
「生まれた直後に見ることがそれか?」
「大事な問題でございます」
「大事ではない」
父上――
文烈様はこう申しておりますが、私はまだ諦めておりませんよ。
三人目で一矢報いる可能性は残っております。
ただ、生まれたばかりの顔を見て勝敗を決めるほど、私も横暴ではございません。
しばらく保留といたしましょう。
名前は、和珠としました。
寧珠と環珠が並んで妹を覗き込みます。
「ちいさいね」
寧珠が言い、環珠も頷きました。
「はな、ちいさい」
そこを見るのですか?
環珠はさらに身を乗り出したので、私は警戒しました。
「環珠」
「なに?」
「妹の鼻に指を入れてはいけませんよ」
「いれないよ」
「自分の鼻にも入れないでくださいませ」
環珠は一瞬だけ右手を止めました。
危ないところでしたね。
あなたは今、妹を見ながら自分の鼻をほじろうとしましたよ。
三人目が生まれたその日のうちに、我が家ではもう鼻の防衛戦が始まっております。
元譲様、そちらから見えておりますか?
あなた様が最後まで果たせなかった戦いは、次の世代にまで続いております。
数日して、洛陽の玉珠へ和珠が生まれたことを知らせました。
返事は思ったより早く届きます。
『姉上、おめでとうございます。女の子なのですね』
そこまでは驚くほど普通でしたので、珍しいと思いながら続きを読みました。
『和珠は、もう鼻をほじりますか?』
やはり玉珠でした。
なぜ生まれたばかりの姪について、最初に確認することが鼻なのです?
私は、
『まだほじりません』
と返しました。
当然です。
むしろ玉珠、あなたも和珠を見習ってくださいませ。
するとさらに返事が来ました。
『赤ちゃんに負けるのは悔しいので、今日はまだほじっていません』
競争ではございません。
しかも「今日はまだ」と書いている時点で、夕方以降がたいへん不安です。
玉珠の夫君、どうか監視をお願いいたします。
和珠が生まれてから、屋敷の中は少し騒がしくなりました。
寧珠が妹の世話をしたがるものですから、環珠まで泣き声のたびに寄ってきます。
文烈様もそれにつられたのか、本人は否定するでしょうが、以前より早く部屋へ戻るようになりました。
「和珠が泣いておりますよ」
そう言うと、
「聞こえている」
と返しながら、すぐこちらへ来ます。
「ずいぶん早いですね」
「近くにいただけだ」
「毎回ですか?」
「たまたまだ」
たいへん都合よく、毎回たまたま近くにいらっしゃるのですね。
私は追及しませんでした。
格好をつけたいのでしたら、つけさせておきましょう。
そんなふうに、寿春では一人増えた暮らしが始まりました。
私が和珠をあやしている横では、環珠の右手まで油断なく見張らなければなりません。
父上の戦が続いていても、日々の暮らしまで戦場になる必要はありません。
少なくとも、そう思っておりました。
年が変わるまでは。
新しい年を迎えて間もなく、肇からまた文が届きました。
和珠を抱いたまま開くと、そこには父上の軍が再び動き始めたと書かれております。
冬の間、秭帰に留まっていた父上は、ついにさらに東へ兵を進めたそうです。
私は眠っている和珠へ目を落としました。
この子が生まれてから、まだそれほど経っておりません。
父上には知らせを送りましたが、返事が来るには時間がかかるでしょう。
孫娘が一人増えたことを知るより先に、父上はまた進んでしまったのかもしれません。
「どこへ向かった?」
文烈様が尋ねます。
私は肇の文へ目を戻しました。
そこに書かれていた地名を見て、しばらく声が出ませんでした。
父上――
こちらでは、あなた様の三人目の孫が無事に生まれましたよ。
いつか抱いていただければと思っております。
ですから、今度こそ――
帰ってきてくださいませ。
肇の文に書かれていた地名は、
夷陵でした。
劉玉珠です。
姉上に、三人目の女の子が生まれました。
和珠というそうです。
おめでたいので、
『もう鼻をほじりますか?』
と聞いたら、
『まだです』
と返ってきました。
赤ちゃんに負けました……
今日は、わたしもまだほじっておりません。
夫がずっとこちらを見ておりますので、たぶん大丈夫です。
でも、夜までは分かりません。
姉上には、
『競争ではありません』
と言われました。
そうなのでしょうか?
ところで、父上はまだ帰らず、今度は夷陵というところへ向かわれたそうです。
姉上の子は、ちゃんと生まれてきたのに……
父上――
どうして、あなた様だけ反対へ行くのですか?
今度こそ、本当に帰るんですよね?




