父上、その方はまだ生きておられますよ?
劉明珠でございます。
肇から文が届きました。
蜀では、山陽公が魏に殺されたという噂が広まっているそうです。
……生きておられますよ?
念のため文烈様にも確認しました。
「山陽公は生きておられますよね?」
「ああ」
では父上は、なぜ喪を発して諡まで贈っておられるのでしょう?
洛陽の玉珠からも、
『生きている人のお葬式には、本人も出るのですか?』
と聞かれました。
出ません。
出たらたいへん気まずいです。
その下には、
『今日は鼻をほじっていません』
とありました。
玉珠……
そちらは生死の確認より確実ですね。
さて父上。
漢帝だった方は生きておられますが、漢はもうありません。
この状況で――
今度は何になられるおつもりですか?
肇から届いた文を読んで、私はしばらく動けませんでした。
『母上、蜀では山陽公が、魏に殺されたとの話が広まっているようです』
私はもう一度読み、それから文烈様を見ました。
「生きておられますよね?」
「ああ」
「山陽公は」
「ああ」
「では、これは何です?」
文烈様は私の手にある文を見ました。
「噂だろう」
「噂で人を殺さないでくださいませ」
つい先日、漢が終わったと聞きました。
漢帝だった方は山陽公となり、命も身分も保たれているとも聞きました。
ですので私は、国がなくなったからといって人まで死ななければならないわけではないのだと、少し安心したのです。
その翌年――
父上のいる蜀では、その生きている方が亡くなったことになっておりました。
歴史というものは、本人の生死くらい確認してから動いていただけませんか?
「父上は、この話を信じておられるのでしょうか?」
「蜀まで正確な情報が届くとは限らん」
「それは分かりますけれど」
分かります。
魏と蜀は仲良く文を交換する間柄ではございませんし、山陽公が朝餉を召し上がったかどうかを成都まで毎日知らせる者もおりません。
分かっておりますが、困るものは困ります。
私は生きている方の訃報を読まされているのです。
しかも、続きがございました。
『玄徳殿は喪を発し、漢帝だった方へ孝愍皇帝と諡したとのことです』
「文烈様」
「何だ?」
「山陽公は生きておられますよね?」
「さっきも聞いた」
「確認でございます」
「生きている」
そうですか。
では父上。
生きている方へ、勝手に諡を贈らないでくださいませ。
ご本人が聞いたら、どのようなお顔をなさるのでしょう?
元皇帝として国を失い、山陽公になっただけでも十分に大変でしょうに、そのうえ西の方では自分の喪まで始まっております。
私は頭を抱えました。
「父上は昔から、こういうところだけ妙に仕事がお早いのですよね」
「親に向かってひどい言い草だな?」
「亡くなっていない方を亡くなったことにするよりは軽いと思います」
文烈様は何も言いませんでした。
反論がないので、今回は私の勝ちということにしておきます。
数日後、洛陽の玉珠からも文が届きました。
『姉上、山陽公様は亡くなったのですか?』
私は安心しました。
玉珠でも、そこは疑問に思うのですね。
続きを読むと、
『夫は生きていると言っています。でも父上はお葬式をしたそうです。生きている人のお葬式は、本人も出るのですか?』
玉珠……
本人が出たら、たいへん気まずいと思います。
さらに下には、
『今日は鼻をほじっていません。少しかゆいです』
とありました。
山陽公の生死より、そちらの方が夫君には切実かもしれませんね……
私は返事を書きます。
『山陽公は生きておられます。お葬式にも出ません。あなたは鼻にも触らないでください』
それからしばらくして返事が来ました。
『分かりました。では、父上はどうしてお葬式をしたのですか?』
それを私に聞かないでくださいませ……
私も知りたいのです。
やがて、肇から次の文が届きました。
今度は山陽公の生死ではありません。
『母上、蜀では玄徳殿に帝位に即くよう、群臣が勧めているとのことです』
私は文を置きました。
来ましたね。
前に感じた嫌な予感が、たいへん元気な姿でやってまいりました。
漢はすでになく、漢帝だった方は生きているのに、蜀では亡くなったことになっております。
そして父上は漢中王。
ここまで揃えば、次に何が起きるかくらい、私にも分かります。
「文烈様」
「今度は何だ?」
「父上が皇帝になるそうです」
「まだなっていないだろう?」
「時間の問題では?」
文烈様は少し考えてから、否定しませんでした。
最近、この方は私が父上について嫌な予想をすると、あまり否定してくださらなくなりました。
信用があるのかないのか、よく分かりません。
「漢がなくなったから、父上が漢を継ぐのでしょうか?」
「そういう理屈にはなる」
「山陽公は生きておられますけれど?」
「それもさっきから何度も聞いた」
「大事なところですので」
父上――
漢室再興とは、そういう意味でございましたか?
漢室がなくなったところへ、元の皇帝が生きているまま、ご自分が皇帝になる。
随分と思い切った再興ですね。
建物が焼けたから、新しい店を開いて同じ看板を掛けるようなものでしょうか?
いえ、店主はまだ生きておりますね。
ますます説明が難しくなりました。
寧珠が私の膝へ寄ってきました。
「母上、またお手紙?」
「ええ、お祖父様のお話です」
「おじいさま、なにするの?」
「皇帝になられるかもしれません」
寧珠は首を傾げました。
「子桓様みたいに?」
「……そうですね」
「おじいさまも、いらないって言うの?」
私は黙りました。
文烈様が顔を背けました。
「笑っておりますね?」
「笑っていない」
「ではこちらを向いてくださいませ」
向きませんでした。
寧珠はまだ私を見ています。
「おじいさまも、ほんとはほしいの?」
「寧珠」
「なに?」
「その質問は、お祖父様へ直接お願いいたします」
私には荷が重すぎます。
そこへ環珠もやってきました。
「おじいさま、こうてい?」
「まだです」
「なる?」
「おそらく」
「じゃあ、ははうえもえらくなる?」
私は瞬きをしました。
「なりません」
「なんで?」
「私は文烈様に嫁いでおりますので」
環珠は少し考え、鼻へ指を持っていきました。
私はその手をつかみます。
「考える時に鼻へ行くのをおやめなさい」
「まだ、はいってない」
またそれですか……
あなたは本当に、言うことは私に似ているのに、どうして右手だけ玉珠なのでしょう。
それからしばらくして、話は本当に決まりました。
父上が成都で皇帝の位に即かれたのです。
国号は漢、年号は章武。
文を読んだ私は、思ったより長く黙っていたようです。
「明珠」
文烈様に呼ばれて、ようやく顔を上げました。
父上が皇帝になった。
あの父上が。
徐州を失い、小沛を失い、何度も逃げ、何度も人のもとへ身を寄せ、それでも兵を集め、荊州へ行き、益州を取り、漢中を取り、とうとう皇帝になったのです。
すごい方だと思います。
本当に……
だから困るのですよね。
父上がただの無能な方なら、私はこんなに何度も腹を立てずに済んだでしょう。
長坂で娘を荷車に残した方が、十三年後には皇帝です。
たいへんな出世でございますね。
おめでとうございます、父上。
あなた様が置いていった荷車の娘は、魏の征東将軍の妻として寿春で即位の知らせを読んでおります。
随分と遠くまで来てしまいました。
「嬉しくないのか?」
文烈様に聞かれました。
「嬉しくないわけではございません」
父が皇帝になったのです。
誇らしい気持ちがないと言えば、嘘になります。
父上は、何度倒れても立ち上がってきた方です。
人を惹きつけ、居場所を失っても次の居場所を作り、とうとう国まで作りました。
けれど同時に、十三歳の私はまだ荷車におります。
父上が高いところへ上がるたび、あの日の荷車が少しずつ遠くなるのです。
「ただ……」
「ただ?」
「皇帝になられる前に、一度くらい山陽公が生きていることを確認していただきたかったですね」
文烈様が吹き出しました。
笑いましたね?
今度は見逃しませんよ。
それから何日かして、玉珠からも文が届きました。
『姉上、父上が皇帝になったそうです』
そこまでは普通でした。
『では、わたしたちは皇帝の娘ですか?』
私は筆を止めました。
そうですね。
今さらですが、そういうことになりますね。
『何か変わりますか?』
変わりません。
少なくとも、あなたの鼻は……
案の定、その下には、
『皇帝の娘なら、少しくらい鼻をほじってもよいでしょうか?』
とありました。
私はすぐ返事を書きました。
『よくありません』
父上が皇帝になっても、玉珠の鼻に恩赦はありません。
やがて春が過ぎ、暑さが増してきました。
父上が皇帝になったという話にも、ようやく少し慣れ始めた頃です。
私は寿春で、文烈様と娘たちのいる日々へ戻りつつありました。
漢が終わり、魏が立ち、父上まで皇帝になったのです。
これ以上、しばらく大きなことは起きなくてもよいでしょう。
そう思った日のことです。
肇から、また文が届きました。
私は何気なく開きました。
最初の一行を読むまでは。
『母上、張飛将軍が――』
そこで、私の手が止まりました。
益徳叔父上――
劉玉珠です。
父上が皇帝になられました。
では、わたしたちは皇帝の娘なのでしょうか?
姉上に聞いたら、
『そういうことになります』
と返ってきました。
何か変わるのかと思って、
『皇帝の娘なら、少しくらい鼻をほじってもよいですか?』
と尋ねました。
『よくありません』
すぐに返ってきました。
皇帝の娘でも駄目なのですね。
たいへん厳しいです。
夫にも、
「父上が皇帝になった」
と申しましたら、
「だから鼻は関係ない」
と言われました。
まだ何も聞いていません。
ところで、姉上から今度は別の文が届きました。
益徳叔父上のお名前が書いてあります。
姉上――
どうして、その先がないのですか?




