孫仲謀殿、引っ越しが終わるまで待っていただけませんか?
劉明珠でございます。
元譲様の葬儀が終わったと思ったら、今度は文烈様が南へ行くことになりました。
鎮南将軍だそうです。
たいへん結構ですね。
人が亡くなるたび、その席へ次の人を座らせなければ世の中は回らないようです。
私は寧珠と環珠を連れて参ります。
肇と纂は洛陽に残します。
「残す」という言葉は、今でもあまり好きではございません。
ですが今回は、行き先も理由も伝えます。
顔を見て別れます。
そして、帰るつもりでおります。
玉珠にも知らせましたところ、
「姉上、鼻は南でもほじれますか?」
と聞かれました。
知りません。
できれば洛陽でもおやめくださいませ。
さて、寿春へ参ります。
孫仲謀殿――
せめて荷ほどきが終わるまでは、静かにしていてくださいませんか?
元譲様の葬儀が終わって、まだ玉珠が「今日はほじっていません」と毎日のように報告してくる頃、文烈様が子桓様に呼ばれました。
戻ってきた文烈様の顔を見て、私は嫌な予感がしました。
最近、嫌な予感ばかり当たります。
もう少し役に立たない才能であってほしいものです。
「何が決まりました?」
私が尋ねると、文烈様は座るなり答えました。
「鎮南将軍を命じられた」
私はしばらく黙りました。
「……南、でございますか?」
「ああ……仮節を受け、諸軍を督する」
元譲様が亡くなられたあと、南方の軍をまとめる者が必要になることは分かっておりました。
ですが、人が亡くなった途端、その人が座っていた場所へ誰を座らせるか考えなければならないのが世の中というものらしいですね。
喪に服している者へまで容赦がございません。
「いつ発たれます?」
「そう遠くない」
「では、支度をいたします」
文烈様がこちらを見ました。
「明珠」
「はい」
「俺が行くんだぞ?」
「存じております」
「お前まで戦に出る必要はない」
「私がいつ槍を持つと申しました?」
「……言っていないな」
「でしたら問題ございません。私は寧珠と環珠を連れて参ります」
文烈様は少し考えてから、息を吐きました。
「肇と纂は?」
「洛陽へ残します」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が少しだけざらつきました。
残す――
十一年前なら、その一語だけで息が詰まっていたでしょう。
ですが、肇も纂も、荷車の上で何も知らされずに取り残される子供ではありません。
私たちは行き先も理由も伝えますし、二人には戻る家もあります。
何より、私は二人の顔を見て別れを告げることができます。
長坂のあの日、私が欲しかったものは、案外それだけだったのかもしれません。
その夜、肇と纂を呼びました。
「文烈様が南方へ赴任なさいます。私と寧珠、環珠も一緒に参ります」
肇は驚きましたが、すぐに事情を察したようです。
「俺と纂は?」
「洛陽に残ってくださいませ」
「母上は、それでいいのですか?」
「何がです?」
「俺たちを残していくこと」
この子は、余計なところまでよく見ております。
たぶん元仲様のそばへ毎日のように出入りしているせいです。
王府の空気を読むようになる前に、母親の顔まで読むようにならなくて結構なのですよ。
「置いていくのではございません」
私はそう答えました。
「あなた方には、こちらですることがございます。肇は元仲様のところへ通っておりますし、纂ももう幼子ではありません。ですから、この屋敷をお願いいたします」
肇は少し黙ってから笑いました。
「母上、私たちに留守番を頼んでいるのですか?」
「そういうことにしておきましょう」
「分かりました」
纂も頷きます。
「母上たちはいつ戻ります?」
「文烈様に聞いてくださいませ」
二人の視線が一斉に父親へ向きました。
文烈様は平然と答えます。
「終わったら帰る」
「何が終わったらです?」
私が尋ねると、
「南の仕事が」
と返ってきました。
たいへん便利な言葉ですね。
終わる時期がまったく分かりません。
翌日には玉珠までやってきました。
もちろん夫君も一緒です。
「姉上、本当に南へ行くのですか?」
「参ります」
「寧珠と環珠も?」
「まだ幼いですから、私と一緒です」
玉珠は神妙な顔で頷きました。
その右手が鼻へ向かいます。
夫君が止めました。
「……義父上に治すと約束しただろう?」
「少しかゆかっただけです」
「昨日も聞いた」
元譲様……
ご子息は、きちんと戦っております。
戦況は芳しくないようですが……
「玉珠」
「はい」
「肇と纂をお願いいたしますね」
「分かりました。鼻もほじりません」
「そこまで一緒に頼んでおりません」
「でも義父上との約束です」
「でしたら守ってくださいませ」
玉珠は胸を張りました。
「明日も頑張ります」
なぜ毎日一日更新なのですか?
寧珠が横から、
「叔母上、ずっと頑張ればいいのでは?」
と申しました。
私もそう思います。
玉珠だけが難しい顔をしておりました。
出立の日、子桓様はわざわざ文烈様を見送りに来られました。
魏王自らです。
文烈様がここまで大切にされていることは知っておりましたが、子桓様は車から降りると、文烈様の手を取られました。
「文烈、南を頼む」
「必ず」
「無理はするな」
最近、文烈様はそればかり言われておりますね。
元譲様にも同じことを言われていましたが、本人にまるで効果がないのが困ったところです。
子桓様はしばらく文烈様の手を離されませんでした。
お気持ちは分かります。
分かりますが、その方は私の夫でございます。
さすがに口には出しませんでした。
玉珠ではございませんので……
肇と纂にも別れを告げました。
寧珠は兄たちへ何度も手を振り、環珠も私の膝の上から真似をして小さな手を振っています。
「にいさま、またね」
「またな」
肇が笑って答えました。
私は寧珠と環珠を同じ車へ乗せ、その間に座りました。
文烈様は馬に乗り、私たちの車のすぐ傍らを進んでいます。
その光景を眺めているうちに、昔の旅を思い出しました。
長坂から許へ護送された時のことです。
あの時、私の隣にいたのは玉珠でした。
私は十三歳、玉珠は八歳。
どこへ連れていかれるのかは聞かされても、その先でどうなるのかなど分かりませんでした。
帰れるのかも、父上が迎えに来るのかも分かりません。
私も玉珠も、捕虜でした。
今は違います。
私の右には寧珠がおり、左には環珠がいます。
車のすぐ外には文烈様がおります。
行き先は寿春。
私は捕虜ではありませんし、娘たちも捕虜ではありません。
自分で決めて、この道を進んでおります。
あの時の私は、誰かに決められた道を進むしかありませんでした。
けれど今は、娘たちの着替えを何枚持たせるか、どの寝具を積むか、途中で何を食べさせるかまで、私が決められます。
自由とは、もっと大層なものだと思っておりました。
案外、荷造りの中にも転がっているものなのですね。
「どうした?」
車の傍らから文烈様が尋ねました。
「昔を思い出しておりました」
「許へ行った時か?」
「はい」
文烈様はそれ以上聞きませんでした。
そういうところが好きです。
全部聞けばよいというものではございません。
しばらく進んだところで、私の隣に座っていた寧珠が尋ねました。
「母上、寿春は遠いのですか?」
「かなり遠いですね」
「着いたら父上もずっと一緒ですか?」
私は車の外へ目を向けました。
文烈様が馬上から答えます。
「ずっとではない」
寧珠が不満そうな顔をしました。
「どうしてですか?」
「父は仕事があるからだ」
私の膝へ寄りかかっていた環珠まで、
「おしごと、きら〜い」
と申しました。
私も時々そう思います。
何日も過ぎ、寿春へ着いた時には、娘たちはすっかり疲れておりました。
軍の拠点だけあって、人も馬も多く、洛陽とは空気が違います。
ここが、これから私たちの家になります。
私はまず娘たちを部屋へ入れました。
寧珠には横になるよう言い、環珠はすでに私の腕の中で眠りかけています。
荷ほどきなど後でよいのです。
子供が先です。
長坂のあと、私たちは荷物と同じように運ばれました。
だからでしょうか?
今では、荷物と娘のどちらを先にするかで迷うことがありません。
ようやく二人を休ませ、荷を運び入れ、少しだけ落ち着いた頃、私は庭へ出ました。
文烈様が立っています。
「どうです?」
「悪くない」
「それは家の感想ですか、それとも守りやすさの感想ですか?」
「両方だ」
この方に家を見せると、まず攻められた時のことを考えるのでしょうね。
私は隣へ立ちました。
「文烈様」
「ん?」
「ここから、さらに南へ行かれるのでしょう?」
「ああ」
「その時は、いつものお願いをいたします」
文烈様がこちらを見ました。
「帰ってきてくださいませ」
「ああ、帰る」
短い返事でした。
ですが私は、それで十分です。
父上には言えなかった言葉を、私はこの人には何度でも言えます。
そして、この人は何度でも帰ると答えてくれます。
そう思っていたところへ、軍吏が慌ただしく入ってきました。
「将軍!」
文烈様の顔が変わります。
「何だ?」
「孫仲謀軍が動きました。歴陽に兵が入ったとの報せです」
私は黙って、まだ半分も片づいていない荷物を見ました。
文烈様も私を見ます。
「……行ってくる」
「文烈様」
「何だ?」
「私たち、今日着いたばかりでございますよ?」
「ああ」
「娘たちはようやく眠ったところです」
「ああ」
「荷ほどきも終わっておりません」
「ああ」
「それでも行かれるのですか?」
「敵に言ってくれ」
なるほど――
孫仲謀殿、せめて引っ越しが終わるまで、戦を待っていただけませんか?
劉玉珠です。
姉上たちは、寿春へ行ってしまいました。
寧珠と環珠も一緒です。
肇と纂は洛陽に残りましたので、時々様子を見に行こうと思います。
姉上には、
「二人をお願いいたします」
と頼まれました。
もちろんです。
ついでに、
「鼻もほじりません」
と申しましたら、
「そこまでは頼んでおりません」
と言われました。
ひどいです。
義父上との約束なのに……
ところで、姉上たちは寿春へ着いたその日に、文烈様が戦へ出ることになったそうです。
まだ荷ほどきも終わっていないそうです。
孫仲謀殿。
それは少しひどすぎませんか?
せめて寧珠と環珠がお昼寝から起きるまで、待ってあげてください。
それから姉上――
文烈様は、ちゃんと帰ってきますよね?




