子方伯父上、雲長叔父上を置いていったのですか?
劉明珠でございます。
雲長叔父上の背後には、子方伯父上がおられます。
血のつながった伯父上ですから、私は安心しておりました。
長坂までは、優しい伯父上だったのです。
ところが、その子方伯父上が孫仲謀殿へ降ったそうです。
……どうしてですか?
玉珠にも知らせましたところ、
「子方伯父上が、雲長叔父上を置いていったのですか?」
と返ってまいりました。
玉珠……
その言い方は、私に少々効きます。
しかも今回は鼻をほじらず、
「子仲伯父上は大丈夫ですか?」
と心配しておりました。
あなたが鼻を我慢するほどですか……
ええ、私も同じくらい心配です。
さて、子方伯父上――
十一年前の優しい伯父上と、今のあなた様を、私はどうやって同じ人だと思えばよいのでしょうか?
そして雲長叔父上。
帰る場所は――まだ、残っておりますか?
安心というものは、ずいぶん簡単に壊れるのですね。
前の日まで私は、雲長叔父上の背後には父上の身内がいるのだから大丈夫だと思っておりました。
糜子方伯父上――血のつながった、本当の伯父上です。
少なくとも私が長坂で父上とはぐれるまで、子方伯父上は優しい方でした。
子仲伯父上は別格で、私も玉珠も昔から大好きでしたが、その弟である子方伯父上も、私たち姉妹を可愛がってくださったのです。
ですから、肇がその名前を口にした時、私は意味が分かりませんでした。
「母上」
その日の肇は、いつものように元仲様のところから戻ってきたのに、なかなか話を始めませんでした。
最近の私は、この子が黙っているだけで嫌な予感がするようになっております。
元仲様のところへ通うのも、仲がよろしいのも結構です。
ただし、毎回のように母親の心臓へ悪い知らせを持ち帰るのは、そろそろおやめいただきたい。
「どうしたのです?」
「……荊州のことです」
やはり駄目でした。
「雲長叔父上に、何かございましたか?」
「呉が動きました」
「呉が?」
「孫仲謀殿の軍が荊州へ入ったそうです」
私は茶碗を置きました。
雲長叔父上は北を向き、樊城を攻めております。
その背後へ呉が入ったのであれば、私にだって何が危ないのかくらい分かります。
「では、子方伯父上たちは?」
肇が黙りました。
その沈黙だけで、胸のあたりが冷たくなりました。
「肇?」
「……士仁殿は降ったそうです」
私は息を呑みました。
「子方伯父上は?」
もう一度聞くと、肇は私から目を逸らしました。
「糜芳殿も……江陵を明け渡し、孫仲謀殿に降ったと」
しばらく、何も言えませんでした。
聞こえなかったわけではございません。
意味も分かります。
ただ、頭が受け入れませんでした。
「……子方伯父上が?」
「はい」
「孫仲謀殿に?」
「はい」
「雲長叔父上が北にいる、この時に?」
「……はい」
何度尋ねても答えは変わりません。
たいへん困ります。
私は今すぐ、子方伯父上を昔から嫌いだったことにしてしまいたくなりました。
薄情で信用できず、いつか何かすると思っていた――そうだったことにできれば、ずいぶん楽でしょう。
ですが、できません。
長坂より前、まだ私が父上の娘として暮らし、子仲伯父上も子方伯父上も近くにいた頃、あの方は確かに優しい伯父上だったのです。
その記憶まで、今の出来事に合わせて書き換えることはできません。
「何かの間違いでは?」
自分でも情けないことを聞きました。
肇は答えませんでした。
答えないことが答えでした。
その日の夕方、文烈様からもう少し詳しい話を聞きました。
「関羽と糜芳殿たちは、以前からうまくいっていなかったらしい」
「雲長叔父上と?」
「ああ、兵糧や軍需のことで関羽が怒り、戻れば処罰するという話もあったようだ」
「それで、子方伯父上は恐れたのですか?」
「それもあるだろう」
「だから降った?」
「それだけではない」
「では何です?」
「本人でなければ分からん」
たいへん正しい答えですね。
そして、たいへん腹が立ちます。
「私が知っている子方伯父上は、こんなことをなさる方ではありませんでした」
「十一年経っている」
「分かっております」
そうなのです。
十一年――
私は十三歳の娘ではなくなりました。
曹純様のもとで暮らし、その後は文烈様の妻となり、子供たちの母になりました。
父上は流浪の将から漢中王になり、雲長叔父上は魏王様に都の移転まで考えさせるほどの将になった。
ならば、子方伯父上だけが十一年前のままでいるはずはございません。
「分かっていることと、納得できることは別でございます」
「そうだな」
文烈様は、それ以上何も言いませんでした。
ありがたいことです。
こういう時に正論を追加されると、夫婦でも少しくらい嫌いになるところでした。
「それで、雲長叔父上は?」
「まだ北にいる。だが、江陵を失えば戻る場所がなくなる」
私は目を閉じました。
ほんの少し前まで、樊城を囲み、文則殿を降し、令明殿を討ち、中原を震わせていた方です。
その背後が消えた。
敵に正面から破られたのではありません。
味方だった人々が門を開いた。
その一人が、私の伯父上でした。
「……最悪ですね」
「そうだな」
「父上の身内だから安心だと思っていたのですよ?」
「聞いた」
「笑わないでくださいませ」
「笑っていない」
本当に笑っておりませんでした。
それが余計につらい。
私は玉珠にも知らせました。
正直に申しますと、今回はいつものように鼻の話へ逸れてほしい気持ちがございました。
人間、あまりにつらい話を聞くと、鼻でも何でもよいから別の話が欲しくなるものですね。
『子方伯父上が、孫仲謀殿へ降ったそうです』
返事は翌日に届きました。
『本当ですか?』
短い文でした。
続いて、
『子方伯父上が、雲長叔父上を置いていったのですか?』
とございました。
私は、その一文で手を止めました。
置いていった。
玉珠は、おそらく深く考えて選んだ言葉ではないでしょう。
ですが、私には少々効きすぎました。
置いていかれる。
私は、その言葉をよく知っております。
『そういうことになります』
と返しました。
すると次の手紙には、
『子仲伯父上は大丈夫ですか?』
とございました。
やはり玉珠も、そこへ行きました。
私も同じです。
子方伯父上への驚きの次に頭へ浮かんだのは、子仲伯父上でした。
「あの方は……」
思わず声に出すと、文烈様が振り向きました。
「糜竺殿か?」
「はい」
「心配か?」
「当たり前でしょう」
少し強く言ってしまいました。
子仲伯父上は、私たち姉妹にとって本当に優しい伯父上だったのです。
父上が何度負けても、土地を失っても、あの方は支え続けました。
私たち姉妹にも穏やかに接してくださり、玉珠など幼い頃には、子仲伯父上を見つけるとすぐ近寄っていったものです。
その弟が、よりによって父上が漢中王となったこの年に、荊州で呉へ降った。
子仲伯父上が何も感じないはずがございません。
「子仲伯父上は、何もしておられませんよね?」
「そうだ」
「子方伯父上がなさったことでしょう?」
「ああ」
「でしたら、子仲伯父上まで何か言われる筋合いはございません」
文烈様は私を見ました。
「俺に言うな」
「分かっております」
分かっておりますけれど、誰かに言わなければ腹に溜まるのです。
家族の誰かが何かをしたせいで、別の家族まで苦しむ。
私は、そういう話が嫌いです。
理由は申し上げるまでもございませんね。
玉珠からは、その日のうちにもう一通届きました。
『子仲伯父上、悲しんでいませんか?』
私にも分かりません。
ですが、悲しんでいないはずがありません。
その下に、
『今日は鼻をほじらないようにします』
とございました。
私は二度読みました。
玉珠、あなたが?
『子仲伯父上が悲しんでいるかもしれないので、今日は我慢します』
そこまでですか。
いえ、昔から大好きでしたね。
さらに続きます。
『夫に、珍しいなと言われました』
夫君……
そこは素直に褒めて差し上げてください。
『でも鼻はむずむずします』
台無しですね……
私は思わず笑ってしまいました。
こんな時に笑うのは不謹慎かもしれません。
ですが、少しだけ助かりました。
子方伯父上がなぜ降ったのか、今の私には分かりません。
雲長叔父上を恐れたのかもしれませんし、長年の不和が耐えられないところまで来ていたのかもしれません。
あるいは、孫仲謀殿から示された道に、生き残れる可能性を見たのでしょう。
どれが正しいのかは、子方伯父上ご本人にしか分かりません。
ただ、私には昔の優しい伯父上と、今の子方伯父上がどうしても一人につながりませんでした。
そして、私が納得できようができまいが、戦は進みます。
呉軍は荊州へ入り、雲長叔父上の兵たちは、自分たちの家族が無事だと知るにつれて少しずつ離れていったそうです。
北ではあれほど強かった軍が、帰る場所を失った途端に崩れていく。
私は軍のことなど詳しくありません。
ですが、帰る場所がなくなる怖さなら知っております。
「雲長叔父上は、戻れるのですか?」
文烈様に尋ねました。
返事まで少し間がありました。
「難しい」
それだけで十分でした。
少し前まで魏王様の都を動かしかけた方が、今度はご自分の帰る場所を失っている。
あまりにも急です。
「父上は?」
「遠い」
「益徳叔父上は?」
「すぐには間に合わん」
私は西と南の方角を思い浮かべました。
昔はいつも一緒だった三人なのに。
今では父上は益州におり、益徳叔父上も離れ、雲長叔父上だけが荊州で取り残されようとしている。
家族というものは、どうしてこんな時に限って遠いのでしょうね。
その夜、肇がまたやって来ました。
姿を見た瞬間、私は立ち上がりました。
「何です?」
「母上……」
「雲長叔父上ですか?」
肇が頷きます。
「荊州を失い、兵も散っているそうです。関羽殿は退いて――麦城へ」
私は何も言えませんでした。
ほんの少し前まで、中原を震わせていた雲長叔父上。
その方が今は、小さな城へ追い込まれている。
そして、その背後を崩した一人が――
私が長坂まで、優しい伯父上だと信じていた人でした。
それでも私は、まだ思っていたのです。
雲長叔父上なら、きっと何とかする。
あの方は強いのだから、と。
翌朝――
肇が、また私の前に立ちました。
私はすぐに声をかけようとして、やめました。
今度の肇は――
私と目を合わせようとしなかったのです。
劉玉珠です。
子方伯父上が、孫仲謀殿へ降ったそうです。
昔は優しい伯父上でしたので、どうしてなのか、わたしにはよく分かりません。
姉上に、「子方伯父上が、雲長叔父上を置いていったのですか?」と聞いたら、少し返事が遅くなりました。
何かまずい言い方だったのでしょうか?
それより、子仲伯父上が心配です。
きっと、とても悲しんでおられます。
ですので今日は、鼻をほじるのを我慢しました。
夫には、 「そこまでなのか?」 と言われました。
そこまでです。
少しむずむずしますけれど、我慢できます。
ところで姉上―― 雲長叔父上は麦城へ退かれたそうですね。
あの方は、とてもお強いのですから……
ちゃんと帰ってこられますよね?




