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6/18

子和様、何事もないとは大事件でございますか?

劉明珠でございます。


前回、私は子和様の屋敷へ移されました。


室――


文字だけ見れば、お部屋です。

玉珠はいまだにそう思っております。

たいへん幸せな理解です。

私も、できればそちら側にいたかったところでございます。


さて、子和様の屋敷での暮らしですが……


意外なほど、何も起きませんでした。

姉妹は離されず。

誰かが夜に部屋へ入ってくることもなく。

私は奥方様と呼ばれることもなく。

玉珠は時々、お菓子をいただいておりました。


長坂以来、何かが起きるたびにろくなことがありませんでしたので、何も起きないというのは、たいへんありがたいことでございます。

ただし、何も起きない日々にも、終わりは来ます。

今回は、子和様の屋敷で過ごした二年近くのお話です。


そして――


また、私の行き先が、私以外の方によって決められるお話でございます。

子和様の屋敷での日々は、意外なほど静かに過ぎました。

何も起きませんでした。

本当に、何も……

姉妹が離されることもなく、夜に誰かが部屋へ入ってくることもなく、玉珠がどこかへ連れて行かれることもなく、私が奥方様と呼ばれることもなく……

たいへん結構なことでございます。

長坂以来、私の身の回りでは、何かが起きるたびにろくなことがございませんでした。

荷車は崩れます。

曹軍には捕まります。

丞相様にはお目通りいたします。

皇帝陛下に会っても助かりません。

そのうえ子和様の室とされました。

ですので、何も起きない日々というものは、たいへんありがたい。

ありがたすぎて、逆に不安になります。

幸せに慣れていない人間は、静けさを罠か何かだと思うようです。

玉珠は、そうでもありませんでした。

「姉上、今日のお菓子は甘いね」

「そうですね」

「昨日のも甘かったね」

「お菓子ですから」

「子和様のおうちは、甘いものが出るね」

「玉珠の評価は、そこなのですね……」

「大事だよ?」

ええ――

八歳、いえ、もうじき十歳になる妹にとっては、大事なのでしょう。

子和様は、約束通り菓子を出させました。

毎日ではありません。

それでも、時々……

玉珠はそのたびに、子和様の評価を少しずつ上げていきました。

この世で人の印象を上げる方法は、武功でも血筋でもなく、菓子なのかもしれません。

父上――

次に娘へ何かしてくださる機会がございましたら、軍略より先に菓子をおすすめいたします。

子和様は、私たちの離れへ入ることはありませんでした。

用がある時は、戸の外で話します。

庭で会う時も、必ず侍女や家人が近くにおります。

言葉は短く、余計な情を見せません。

「不便はあるか?」

「ございません」

「学ぶ物は足りているか?」

「はい」

「妹君は?」

「菓子の種類を覚え始めております」

「……そうか」

子和様は、そのような方でした。

優しい方です、とは言いません。

私たちを捕らえた方です。

丞相様の命を受けた方です。

私を帳の上で「曹純室、劉氏」と記した方です。

けれど、壊さなかった方です。

その一点についてだけは、私は子和様を恨みきれませんでした。

人を恨むにも、もう少し分かりやすい悪人でいていただきたいものです。

曹演様は、父君の跡取りとして屋敷の中をよく行き来しておりました。

最初の頃は、私と会うたびに気まずそうに礼をしました。

こちらも礼を返します。

お互い丁寧です。

丁寧すぎて、廊下がそのうち礼儀で折れるのではないかと思いました。

玉珠だけが、いつも通りです。

「曹演様」

「はい」

「曹演様のお部屋は、まだあそこ?」

「ええ」

「姉上の室は、まだこっち?」

「……そうですね」

「遠いね」

「はい」

「よかったね」

「何がでしょう?」

「大人たちが困らないから」

曹演様は、少しだけ笑いました。

二年近くも経てば、気まずさにも慣れるようです。

慣れてよいものかどうかは、別問題ですが。

玉珠は背が伸びました。

相変わらず、年の割に大きいです。

父上に似たのでしょう。

父上――

娘二人が子和様の屋敷で背を伸ばしております。

そちらでは、阿斗もお元気でしょうか?

こちらは、おかげさまで、菓子と布団と名簿の中で育っております。

たいへん複雑な養育環境でございます。

私は十五になりました。

十三の時より、少しだけ背が伸びました。

髪も長くなりました。

鏡を見ると、自分の顔が少し変わっているのが分かります。

玉珠は時々、私を見て言いました。

「姉上、大人になってきたね」

「そうでしょうか?」

「うん、顔が前より姉上」

「それは、前から姉上です」

「もっと姉上」

意味は分かりません。

ただ、玉珠がそう言うなら、私は少しずつ変わっていたのでしょう。

変わっていないのは、私の行き先を私以外の方が決めることくらいです。

二年近く、何事もなく過ぎました。

何事もない――

そう思っておりました。

けれど、何事もない日々にも終わりは来ます。

子和様が病に倒れました。

最初は、屋敷の空気が少し変わっただけでした。

人の足音が速くなり、侍女たちの声が小さくなり、曹演様の顔から、いつもの困ったような穏やかさが消えました。

玉珠は首をかしげました。

「子和様、具合悪いの?」

「そのようです」

「お菓子食べたら治る?」

「病は、菓子では治りません」

「じゃあ、お粥?」

「お粥でも、難しい場合があります」

「じゃあ、何なら治るの?」

私は答えられませんでした。

玉珠の世界では、怖いことには、何か分かりやすい対処法があるのです。

寒ければ布団、腹が空けば菓子、不安なら姉の袖。

けれど、大人の世界では、袖を握っても人は逝きます。

子和様は、私たちを呼びませんでした。

いえ、呼べなかったのかもしれません。

ただ、亡くなる少し前、曹演様が離れへ来ました。

顔色が悪く、目の下に影がありました。

「父が、明珠殿と玉珠殿に、不自由はさせるなと申しておりました」

私は立ち上がり、礼を取りました。

「お気遣い、痛み入ります」

玉珠も慌てて頭を下げました。

「子和様に、お菓子ありがとうって言ってください」

曹演様の表情が、一瞬だけ崩れました。

笑ったようにも見えました。

泣きそうにも見えました。

「伝えます」

玉珠は真剣にうなずきました。

「あと、室をくれてありがとうも!」

曹演様は、今度こそ目を伏せました。

「はい……」

その夜、子和様は亡くなりました。

屋敷が泣きました。

使用人たちも、兵たちも、静かに頭を垂れておりました。

子和様は、怖い方でした。

短い言葉しか使わない方でした。

私たちを捕らえた方でした。

それでも、この屋敷の者たちにとっては、主でした。

玉珠は私の袖を握りました。

「姉上」

「何です?」

「子和様、もうお菓子出せないの?」

「そうですね」

「そっか……」

玉珠はしばらく黙っていました。

それから、小さく言いました。

「子和様、いい人だった?」

私はすぐに答えられませんでした。

いい人、悪い人、敵、保護者、捕らえた方、壊さなかった方。

どの言葉も、子和様の全部ではありません。

「悪い方では、ありませんでした」

私はようやく言いました。

玉珠はうなずきました。

「じゃあ、玉珠は、子和様のこと少し好きだったと思う」

少し――

玉珠らしい言い方でした。

全部ではない。

怖かった。

分からなかった。

でも、お菓子をくれて、姉上と離さず、戸の中に入らなかった。

だから、少し……

私はその言葉を否定しませんでした。

曹演様が後を継ぎました。

屋敷の者たちは、曹演様を新しい主として仰ぎます。

当然のことです。

父が亡くなれば、子が継ぐ。

家というものは、人が死んでも形だけは進んでいくようにできております。

私たちの立場は、また難しくなりました。

私は子和様の室として帳に記されております。

けれど子和様は亡くなりました。

私は妻として扱われていません。

けれど名目は残っています。

そして曹演様は、私より年上の、亡くなった子和様の子です。

たいへん気まずい……

気まずさに位階があるなら、これはかなり上位でしょう。

玉珠は相変わらず、部屋の話だと思っていました。

「姉上」

「何です?」

「曹演様が主になったら、室も曹演様のものになるの?」

その瞬間、侍女が水差しを落としそうになりました。

私は深く息を吸いました。

「部屋は、今まで通り使わせていただけると思います」

「よかった」

玉珠は安心しました。

侍女は安心していません。

私も安心しておりません。

曹演様は、私たちを丁重に扱いました。

父君の言葉を守ろうとしていたのだと思います。

ただ、丁重に扱えば扱うほど、屋敷の空気は妙に固くなります。

曹演様が私たちの離れへ近づく。

侍女が緊張する。

家人が目を伏せる。

私が礼を取る。

曹演様が礼を返す。

玉珠だけが、菓子の皿を持って聞きます。

「曹演様も食べる?」

曹演様は困った顔で笑いました。

「私は遠慮します」

「おいしいよ」

「存じています」

「じゃあ食べればいいのに」

玉珠の世界では、食べたい物は食べる。

食べたくないなら食べない。

遠慮という面倒なものは、まだありません。

羨ましい限りです。

そんな日々が少し続いた後、丞相様から使者が来ました。

またです。

丞相様という方は、ご本人が来なくても人を動かします。

本当に便利な方です。

できれば、その便利さを私たち以外にも使っていただきたい……

曹演様が使者を迎え、私たちも呼ばれました。

嫌な予感しかしません……

玉珠は小声で聞きました。

「姉上、またお引っ越し?」

「まだ分かりません」

「車?」

「もしそうなら、私は車輪に宣戦布告いたします」

「せんせんふこくって何?」

「とても怒っているという意味です」

「姉上、車に怒ってるもんね」

その通りです。

使者は丞相様の言葉を伝えました。

「劉氏明珠を、曹文烈殿のもとへ移す」

移す――

また、その言葉です。

荷でもないのに、私はよく移されます。

曹演様が顔を上げました。

「文烈殿へ、でございますか?」

「曹公のお考えである。曹子和殿亡き後、このまま曹演殿の屋敷に置くは、外聞にも差し障る。曹文烈殿ならば曹公の信も厚い。劉氏明珠を粗略には扱われまい」

外聞、差し障る、信が厚い、粗略には扱われない。

いろいろな言葉が並びます。

一つとして、私の希望ではありません。

玉珠が私の袖を握りました。

「姉上、曹文烈様って誰?」

「私も存じ上げません」

「お菓子出る?」

「そこはまだ分かりません」

玉珠は少し心配そうな顔をしました。

心配する場所がそこなのですね。

けれど、正直に申しますと、私も少し気になります。

丞相様は、気遣ってくださったのでしょう。

子和様亡き後、私を曹演様の屋敷に置き続ければ、互いに気まずい。

噂も立つ。

名目も面倒になる。

だから、文烈様のもとへ移す。

保護、管理、外聞、再嫁。

いろいろな札が、私の上に重なっていきます。

丞相様は、私を粗末には扱っておられません。

大切に扱ってくださっています。

ええ――

大切なものほど、持ち主の許可なく置き場所を変えられるようでございます。

「玉珠は?」

私は使者に尋ねました。

「妹君は、当面、明珠殿に従うようにとのこと」

当面――

また便利な言葉です。

今は、しばらくは、当面……

大人の優しさには、どうしてこうも期限が付いているのでしょうか。

玉珠は、そこだけ聞いて安心しました。

「玉珠も一緒?」

「はい」

「じゃあ、大丈夫」

大丈夫――

玉珠はそう言いました。

私が曹演様に目を向けますと、曹演様は深く頭を下げました。

「父の遺言を、十分に果たせず申し訳ありません」

「いいえ」

私は首を横に振りました。

「曹演様のせいではございません」

それは本心でした。

曹演様だけを責められるほど、話は簡単ではありません。

子和様だけを恨めなかったように……

丞相様だけを憎めないように……

父上だけを、まだ完全には憎みきれないように……

私の人生は、いつも誰か一人の悪意ではなく、大勢の都合で動かされます。

それが一番、厄介なのです。

玉珠が袖を引きました。

「姉上」

「何です?」

「今度の室も、ふかふかかな?」

私は少しだけ笑いました。

笑わなければ、たぶん泣いていたからです。

「そうだとよいですね」

「お菓子も出るかな?」

「それも、そうだとよいですね」

子和様の屋敷で、二年近く何事もなく過ぎました。

何事もないことが、こんなにもありがたいものだとは知りませんでした。

そして今、また何かが起きようとしております。

文烈様――

まだお会いしたことのない方。

丞相様が、私の次の行き先として選んだ方。

私はまた、車に乗るのでしょう。

長坂から、ずっとそうです。

誰も私に道を尋ねません。

けれど道だけは、いつも勝手に用意されております。

その道の先に、今度は文烈様がおられるそうです。

劉玉珠です。


子和様のおうちでは、何も起きませんでした。

姉上と離されませんでした。

夜に誰かが入ってくることもありませんでした。

お布団はふかふかでした。

時々、お菓子も出ました。

だから玉珠は、子和様のおうちは少しこわいけれど、悪いところではないと思っていました。

子和様はあまり笑いません。

声も明るくありません。

でも、約束したお菓子はちゃんと出してくれました。

だから、子和様は約束を守る方です。

でも、子和様は病になって、亡くなりました。

お菓子でも、お粥でも、治らない病だったそうです。

玉珠は、子和様のことを少し好きだったと思います。

たくさんではありません。

少しです……

こわかったけれど、姉上と離さなかったからです。

戸の中に入ってこなかったからです。

お菓子も出してくれたからです。


そのあと、曹演様が新しい主になりました。

曹演様はとても親切です。

でも、みんな少し困った顔をします。

玉珠が、室も曹演様のものになるのか聞いたら、侍女の人が水差しを落としそうになりました。

変なおうちです……

玉珠は、お部屋の話をしているだけなのに……


それから、丞相様から使者が来ました。

姉上は、曹文烈様のもとへ移るそうです。

文烈様は、まだ会ったことのない方です。

お菓子が出るかどうかも分かりません。

でも、玉珠も一緒に行っていいそうです。

それなら、少し安心です。

姉上は、また車に乗るのだと思います。

姉上は車が嫌いです。

今度のおうちも、姉上と一緒なら大丈夫だと思います。

でも姉上は、笑っていたのに、少し泣きそうな顔をしていました。

文烈様のおうちには、お菓子があるのでしょうか。


そして――


姉上の顔が、ちゃんと笑うおうちなのでしょうか?

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