子和様、室とはお部屋のことでよろしいでしょうか?
劉明珠でございます。
前回、私たちは許昌にて皇帝陛下にお目通りいたしました。
皇帝陛下です。
父上の親戚筋です。
本来なら、たいへん頼もしいはずの御方です。
ですが、世の中には、頼もしい肩書きと、実際に頼れるかどうかという別問題がございます。
長坂でも学びました。
許昌でも学びました。
できれば、そろそろ授業料を返していただきたいところです。
さて――
丞相様が赤壁よりお戻りになり、私は子和様の室とされることになりました。
室――
文字だけ見れば、お部屋です。
玉珠はそう思っております。
八歳としては、たいへん正しい理解です。
問題は、大人たちが誰も、その理解を訂正しづらいということでございます。
今回は、子和様のお屋敷へ参ります。
なお、私はそろそろ車という乗り物に、個人的な恨みを抱き始めております。
子和様の屋敷へ向かうことになりました。
また車です。
長坂では荷車。
許昌までは護送の車。
そして今度は、子和様の屋敷へ向かう車。
私の人生は、なぜこうも車輪に支配されているのでしょうか?
そろそろ、どこかの偉い方にお尋ねしたいものです。
ただし、その偉い方が丞相様でしたら、たぶんまた別の場所へ運ばれるので、遠慮いたします。
隣では、玉珠が私の袖を握っておりました。
「姉上」
「何です」
「子和様のおうちに行くの?」
「そうです」
「室に行くの?」
「……そう言われております」
「室って、お部屋のこと?」
私は答えに詰まりました。
字だけなら、部屋です。
ですから、八歳の妹がそう思うのは当然です。
むしろ、字だけ見れば妹の方が正しい。
けれど大人たちは、あの場で誰も「はい、部屋です」とは言いませんでした。
子和様は目を伏せ、荀文若様は沈黙し、夏侯元譲様は言いかけてやめました。
つまり、これは部屋ではないのです。
たいへん困ります。
部屋でないものを室と呼ぶのは、言葉の方に問題があるのではありませんか?
「広い意味では、子和様のお屋敷の中に置かれるということです」
私は、できるだけ安全な答えを選びました。
玉珠は首をかしげます。
「じゃあ、やっぱりお部屋?」
「近いです」
「姉上のお部屋?」
「……そうですね」
「玉珠のお部屋もある?」
「あると思います」
「一緒?」
「一緒にしていただきます」
玉珠は、ぱっと顔を明るくしました。
「よかった」
よかった――
妹にとっては、それでよいのでしょう。
室の意味より、姉と同じ部屋かどうか?
命令の重さより、今夜一緒に眠れるかどうか?
八歳の世界は、たぶんそれくらいの広さです。
できれば、私もそのくらいの世界に戻りたい。
しばらくして、車が止まりました。
子和様の屋敷は、許昌の中でも静かな場所にありました。
門は立派です。
兵もおります。
使用人もおります。
ただ、丞相様のいる場所ほど、空気が張り詰めているわけではありません。
丞相様は小柄なのに、近くにいない時ほど影が伸びる方です。
その点、子和様の屋敷はまだ人間の住む場所に見えました。
もちろん、曹家の屋敷です。
油断すると、たぶん何かの帳に名を記されます。
門をくぐると、使用人たちが並んでおりました。
一人の侍女が私に向かって深く頭を下げます。
「奥方様」
私は足を止めました。
奥方様?
誰ですか?
どなたですか?
少なくとも、荷車から落ちて数日しか経っていない十三歳の私ではないと思いたいのですが……
玉珠が目を丸くしました。
「姉上、奥の方なの?」
違います。
私は今、かなり手前で立ち止まっております。
「その呼び方は、やめよ」
子和様の声がしました。
使用人たちが一斉に頭を下げます。
「この方を奥方とは呼ぶな」
子和様は、はっきり言いました。
「明珠殿、と呼べ」
殿――
奥方様ではなく、殿。
私はその一文字で、少しだけ息がしやすくなりました。
世の中には、下げられて安心する呼び名もあるようです。
「妹君は玉珠殿だ」
「はい」
使用人たちが答えました。
玉珠は自分の胸を指さしました。
「玉珠も殿?」
「そうなりますね」
「えらそう」
「偉くなったわけではありません」
「じゃあ、強そう?」
「強くもなっていません」
「じゃあ、殿ってなに?」
「……呼び方です」
「むずかしいね」
本当に……
許昌に来てから、呼び方だけが増えていきます。
娘、捕虜、漢室の血筋、明珠殿。
そして、曹純室――
人間の中身はそれほど変わっていないのに、周りの札ばかり増えていく。
私は荷物ではないはずですが、札だけ見るとだんだん荷に似てまいりました。
案内された離れは、きちんと整えられておりました。
寝台が二つ。
布団も二つ。
水差し。
小さな机。
衣を入れる箱。
窓の外には庭。
玉珠は部屋に入るなり、目を輝かせました。
「姉上、室だよ」
「……部屋ですね」
「子和様、ちゃんと室をくれたね」
侍女が小さく咳をしました。
私は何も聞かなかったことにしました。
「この室、姉上の?」
「おそらく」
「玉珠も使っていい?」
「もちろんです」
「じゃあ、玉珠も少し室?」
「……少し部屋の住人です」
「やった」
喜ばないでください。
あなたが喜ぶと、大人たちの気まずさが増します。
玉珠は布団をぽんぽんと叩きました。
「ふかふかだね」
「そうですね」
「荷車よりいいね」
「比べる相手が低すぎます」
「じゃあ、昨日の車よりいい?」
「それも低いです」
「じゃあ、丞相様より大きい?」
「玉珠」
「はい」
「布団と丞相様を比べてはいけません」
「でも、ふかふかは布団の勝ちだよ」
その評価は、本人の耳に入らないことを願います。
しばらくして、子和様が離れの前まで来られました。
中には入りません。
戸の外で足を止めました。
それだけで、私は少しだけ子和様を見直しました。
「不便はあるか?」
「今のところ、ございません」
「足りぬものは?」
「父上への帰路でしょうか」
言った後で、夏侯元譲様にも同じようなことを申し上げた気がしました。
曹家の方々は、足りぬものを聞くのがお好きなのでしょうか?
そして私は、帰路がないと分かっているのに答えるのが好きなのでしょうか?
子和様は、夏侯元譲様のようには即答しませんでした。
少し黙り、小さな声で言います。
「それは、ここにはない」
正直です。
許昌では、帰れないことだけは非常に明確です。
親戚よりも、皇帝陛下よりも、そこだけは確かでございます。
「妹君とは離さぬ」
子和様は続けました。
「曹公の命でもある。私の判断でもある。幼い妹を離せば、かえって乱れる」
乱れる。
情ではなく、管理の言葉です。
けれど、私はその言い方を嫌いにはなれませんでした。
優しいふりをされるよりは、ずっと分かりやすい。
「ありがとうございます」
「礼を言うことではない」
子和様は、わずかに目を伏せました。
前回、丞相様の前で見た顔です。
命じられた側の顔。
「明珠殿」
「はい」
「曹公の命は受けた。だが、そなたはまだ幼い」
幼い――
十三歳の私が、その言葉に傷つく余裕はありませんでした。
むしろ、今は大いに助かります。
どうぞ何度でも確認してください。
私は幼いです。
妹はもっと幼いです。
大人の都合に入れるには、たいへん幼いです。
「この屋敷では、そなたを客分として置く」
「客分、でございますか」
「表向きの名は別に要る。だが、そなたを辱めるつもりはない」
辱める。
その言葉で、私はようやく、子和様が何を避けようとしているのか理解しました。
玉珠だけが、きょとんとしています。
「姉上、客分ってなに?」
「お客様に近いものです」
「じゃあ、お菓子出る?」
子和様が一瞬、黙りました。
「……出させよう」
「子和様、いい人だね」
違います……
いえ、今のところ、悪い方ではありません。
ただし、玉珠の中では、子和様はお菓子を出すいい人になりました。
八歳の基準は、たいへん分かりやすいです。
「この屋敷で、そなたたちに無礼を働く者は許さぬ」
子和様は言いました。
「それは、丞相様のご命令ですか」
「私の屋敷の規律だ」
その言葉だけは、少し信じてもよい気がしました。
子和様は、私たちを捕らえた方です。
父上の敵です。
丞相様の一族であり、命令を受けた方です。
けれど、壊すために預かった方ではない。
そこは分かりました。
問題は、壊されなくても、人は自由とは限らないということです。
その後、若い男性が離れの近くまで来ました。
背が高く、身なりも整っており、子和様にどことなく似ています。
私より、明らかに年上です。
子和様が紹介しました。
「曹演だ。私の子だ」
曹演様。
子和様のご子息。
私より年上。
たいへん気まずい札が、また一枚増えました。
私は礼を取りました。
「劉明珠にございます」
曹演様も丁寧に頭を下げます。
「曹演です」
お互い、礼儀正しい。
礼儀正しすぎて、廊下がきしみそうでした。
玉珠が曹演様を見上げます。
「曹演様も、このおうちの人?」
「はい」
「曹演様のお部屋もある?」
「あります」
「姉上の室の近く?」
曹演様が固まりました。
子和様が目を閉じました。
私は、心の中で天井を見上げました。
玉珠――
あなたは本当に、部屋の話だけをしておりますね。
だからこそ、大人たちが全員、困るのです。
「玉珠」
「はい」
「曹演様のお部屋の場所は、今は聞かなくてよろしいです」
「どうして?」
「大人たちが困るからです」
「お部屋の場所を聞くと困るの?」
「この屋敷では、たぶん困ります」
「へんなおうちだね」
否定できません。
曹演様はたいへん気の毒そうな顔で私を見ました。
その顔はやめていただきたい。
気の毒なのは、主に私です。
「曹演」
子和様が言いました。
「はい、父上」
「この二人には無用な詮索をするな。屋敷の者にも言っておけ」
「承知しました」
「明珠殿は、曹公より預かった方だ。軽んじることは許さぬ」
曹公より預かった方。
それは守りの札でもありました。
同時に、檻の札でもありました。
私は劉備玄徳の娘です。
けれど今は、丞相様が子和様に預けた者でもある。
呼び名が変わるたび、行き先も変わる。
私は、いったい何者なのでしょうか?
玉珠は曹演様を見上げたまま、また首をかしげました。
「曹演様」
「はい」
「曹演様は、子和様の子で、このおうちの人なんだよね?」
「そうです」
「じゃあ、姉上は?」
曹演様が沈黙しました。
子和様も沈黙しました。
侍女まで沈黙しました。
この屋敷も、許昌と同じく沈黙の備蓄が豊富です。
「姉上は、姉上です」
私は先に答えました。
玉珠は、ぱちぱちと瞬きをします。
「そっか」
納得しました。
どうやら八歳には、それで足りるようです。
私も、それで足りればよかったのに……
その日の夜――
玉珠は、お菓子を一つもらって機嫌よく眠りました。
子和様は本当に出させました。
約束を守る方ではあるようです。
玉珠は布団の中で、眠る前に言いました。
「子和様のおうち、こわいけど、お菓子出たね」
「そうですね」
「室もふかふかだね」
「布団が、ですね」
「姉上もいるね」
「います」
「じゃあ、大丈夫だね」
「……そうですね」
私は嘘をつきました。
八歳の安心を、わざわざ壊す必要はありません。
玉珠はすぐに眠りました。
私は眠れませんでした。
戸の外で、足音がしました。
子和様です。
「起きているか?」
「はい」
「入らぬ。ここで話す」
その一言で、私は少しだけ肩の力を抜きました。
子和様は、戸の向こうで言いました。
「明日、帳に名を記す」
「帳に、ですか?」
「ああ、この屋敷で守るためには、名目がいる」
名目――
また大人の便利な言葉です。
「どのように記されるのでしょうか?」
少し間がありました。
「曹純室、劉氏」
私は目を閉じました。
妻として扱わない。
客分として置く。
辱めるつもりはない。
けれど帳には、そう記す。
守るため、管理するため、丞相様の命に従うため――
言葉が、私より先に私の居場所を決めていきます。
「承知いたしました」
私はそう答えました。
他に、何を言えばよかったのでしょう。
その時、玉珠が寝ぼけた声を出しました。
「姉上……室に、お名前書くの……?」
私は返事に迷いました。
子和様も、戸の向こうで黙っています。
「そうです」
私は小さく答えました。
「じゃあ、玉珠の名前も書く?」
「玉珠は、私のそばにいると書いていただきます」
「そっか……じゃあ、いいね……」
玉珠は、また眠りました。
いいね……
そう言って眠れる妹が、少し羨ましかったです。
戸の向こうで、子和様が低く言いました。
「恨むなら、私を恨め」
「それは違います」
私は静かに答えました。
「子和様だけを恨めるほど、話は簡単ではございません」
子和様は黙りました。
長坂からずっと、私の行き先は私以外の方が決めております。
父上が前へ進み、曹軍が後ろから来て、丞相様が都へ送り、皇帝陛下は何も決められず、子和様が帳に私の名を記す。
誰も、私に道を尋ねません。
それなのに私は、明日からこの屋敷の者として数えられるそうです。
たいへん便利ですね。
人は、本人の了承なしに、名簿の上で居場所を得ることができるようです。
その夜、私は初めて知りました。
手を出されないことと、自由であることは、まったく別の話なのだと。
劉玉珠です。
子和様のおうちに来ました。
また車に乗りました。
姉上は、車があまり好きではないみたいです。
玉珠も、荷車よりはふかふかのお布団の方が好きです。
子和様のおうちは、少しこわいけれど、きれいでした。
兵の人もいて、侍女の人もいて、門も大きかったです。
最初、侍女の人が姉上を奥方様と呼びました。
姉上は、奥の方ではないと思います。
ちゃんと玉珠の隣にいました。
子和様は、姉上を明珠殿と呼ぶように言いました。
玉珠も玉珠殿になりました。
殿って、少し強そうです。
でも、強くなったわけではないそうです。
むずかしいです……
姉上の室は、ちゃんとお部屋でした。
お布団が二つありました。
玉珠も一緒に使っていいそうです。
だから、少し安心しました。
子和様は、姉上を客分として置くと言いました。
客分は、お客様に近いものだそうです。
それなら、お菓子が出るのか聞いたら、子和様は出させると言いました。
本当に出ました。
子和様は、約束を守る方です。
曹演様にも会いました。
曹演様は子和様のお子様で、このおうちの人だそうです。
では姉上は何なのか聞いたら、姉上は姉上だと言われました。
そうだと思います。
姉上は、姉上です。
夜、子和様が戸の外からお話していました。
中には入りませんでした。
姉上のお名前を帳に書くそうです。
玉珠は、室の戸にお名前を書くのかと思いました。
玉珠の名前も書くのか聞いたら、姉上は、玉珠は姉上のそばにいると書いてもらうと言いました。
それなら、いいと思いました。
姉上のそばにいられるなら、玉珠は大丈夫です。
でも、姉上はなかなか眠りませんでした。
子和様は悪い人ではなさそうです。
お菓子も出してくれました。
それなのに、姉上は少し寒そうな顔をしていました。
お布団は、ふかふかなのに……




