益徳叔父上、夫の帰り道を塞がないでいただけますか?
劉明珠でございます。
文烈様が濡須から戻られました。
ようやく荷を解き、これでしばらく家にいてくださるのだろうと思った三日後、また荷を詰めることになりました。
今度は西だそうです。
魏王様は、曹休家を宿屋か何かだと思っておられるのでしょうか?
しかも相手には、張飛益徳――
私の益徳叔父上がおります。
益徳叔父上と申せば、昔、たいへん美しい夏侯氏の方を奥方になさいました。
今では玉珠が夏侯家へ嫁いでおりますので、これで引き分けでしょうか?
玉珠に申しましたら、
「では、もう戦わなくてよいですね」
と返されました。
鼻をほじる妹に正論を言われる日が来るとは思いませんでした。
ところが益徳叔父上は、文烈様の帰り道へ回ります。
そして文烈様は――
それを聞いて、笑ったそうです。
文烈様が濡須から戻られた時、私はたいへん安心いたしました。
安心したので、まず荷を解きました。
そして三日後、また荷を詰めました。
魏王様は、我が家を何だとお思いなのでしょう?
「今度は西だ」
文烈様がそう申した時、私は手にしていた衣を静かに畳み直しました。
「存じております」
「誰から聞いた?」
「肇です」
文烈様が天井を見ました。
最近、この方は長男の情報源について考えると必ず天井をご覧になります。
何度見ても、そこに元仲様はおられません。
「またか?」
「元仲様のところへ毎日のように通っておりますので、王府の話が我が家へ届く方が、あなた様のお帰りより早いことがございます」
「それは父親としてどうなのだ?」
「私にお尋ねになられても困ります」
肇は今日も元仲様のもとです。
纂は家におります。
寧珠と環珠は乳母と遊んでおります。
そして私は、帰ってきたばかりの夫を再び戦へ送り出す準備をしております。
曹休家はたいへん平和です。
戦へ行く人間さえ除けば。
「今回は子廉殿の軍に加わる」
文烈様が言いました。
その名前を聞いて、私はほんの少しだけ安心しました。
子廉様が主将なら、文烈様はその下で働くのでしょう。
前へ出すぎず、無理をせず、命令された仕事だけをこなし、できれば後ろの方で安全に――
「ただし、魏王様からは俺が軍を見ろと言われた」
私の安心は短命でした……
「今、何と?」
「子廉殿を助けろと」
「その前に何かおっしゃいませんでしたか?」
「俺が軍を見ろと」
聞き間違いではありませんでした。
魏王様のご即位を祝った折、私は考えました。
気にかけられる男は呼ばれます。
信じられる男は任されます。
任される男は遠くへ行きます。
まさか、こんなに早く順番通りになるとは思いませんでした。
魏王様は人を見る目がおありなのでしょう。
たいへん迷惑でございます。
「喜ばないのか?」
文烈様が笑いました。
「喜んでおります」
「顔が怖いぞ?」
「妻の顔は正直なのでございます」
以前も似たようなことを申し上げた気がしますが、夫が何度も戦へ呼ばれるので仕方ありません。
「誰が相手なのです?」
分かっていて尋ねました。
文烈様が少し間を置きます。
「劉備軍だ」
「それは存じております」
「張飛益徳、馬超孟起、呉蘭らが下弁へ出ている」
やはり、その名でした。
張飛益徳――
私にとっては、益徳叔父上です。
父上と長く行動をともにし、豪快に笑い、大きな声を出し、酒を飲み、子供から見ればたいへん分かりやすく怖かった方です。
そして今、その益徳叔父上が、私の夫の敵になりました。
家族というものは、長く離れておりますと、再会の仕方まで変になるようです。
普通なら祝いの席や親族の集まりで顔を合わせるのでしょう。
我が家の場合は戦場です。
「明珠」
「何でしょう?」
「複雑か?」
「ええ、少々」
嘘です。
たいへん複雑です。
益徳叔父上を嫌いだったわけではありません。
幼い頃から知っております。
それに叔父上の奥方のことも覚えております。
とても綺麗な夏侯氏の方でした。
美しい方だったので、子供の私でもよく覚えております。
ただし、益徳叔父上があの方を奥方になさった経緯について、大人になってから聞いた話は、たいへん益徳叔父上らしいと申しますか、あまり他人様へお勧めできないものでございました。
夏侯家の娘が外へ出ていたところを見つけ、そのまま妻になさったそうです。
恋というものには色々な始まり方があるようです。
できれば本人同士が最初から同意している始まり方をお勧めいたします。
ところが今では、玉珠が夏侯家へ嫁いでおります。
益徳叔父上は夏侯家から奥方をいただいた。
夏侯家は劉備の娘を一人いただいた。
これで引き分けでしょうか?
何を争っているのかは、私にも分かりません。
その話を玉珠へ文で書いたところ、翌日には返事が来ました。
『姉上……では、わたしは取り返されたのですか?』
違います。
『益徳叔父上の奥方様が夏侯家から父上の方へ行って、わたしが父上の方から夏侯家へ来たなら、元に戻ったのではありませんか?』
人間を貸し借りの帳面のように数えないでください……
さらに、
『では、引き分けなら戦わなくてもよいですね』
と続いておりました。
それで済むなら天下はとっくに平和です。
最後には、
『義父上に聞いたら、額を押さえていました』
とありました。
元譲様、お気持ちは分かります。
私も同じところが痛くなりました。
出立の準備は進みます。
今回は南ではなく西。
荷の中身もまた変わります。
「増やすなよ?」
文烈様が先に言いました。
「まだ何もしておりません」
「これからする顔だ」
どこかで聞いた台詞です。
元譲様が玉珠に言っていたような気がします。
夫婦というものは、長く暮らすと互いの悪いところだけでなく、親族の言葉まで似るのでしょうか。
「今回は子廉様がおられるのでしょう?」
「ああ」
「でしたら、文烈様はあまり前へ出ず――」
「それは無理だな」
最後まで言わせてください。
「魏王様は俺に子廉殿を助けろと言われた。子廉殿も、そのつもりでおられる」
「つまり?」
「軍のことはかなり任されるだろう」
私は薬を一包増やしました。
文烈様が見ました。
さらに一包増やしました。
「明珠」
「心配の重さでございます」
「まだ何も言っていない」
「これからおっしゃるお顔でした」
言い返しました。
勝ちました。
たぶん……
出立の日、寧珠と環珠は今度こそ起きておりました。
二人とも父親の衣をつかみ、離そうとしません。
文烈様が困った顔をしています。
私は助けませんでした。
いつも私だけが送り出す苦労をする必要はございません。
「父上、いつ帰るの?」
寧珠が尋ねました。
「すぐだ」
またです。
この方は何度戦へ行っても、帰ることを簡単そうに申します。
環珠まで、
「すぐ?」
と聞きます。
「ああ、すぐだ」
二人は納得しました。
子供は父親を信じます。
妻も信じたいのです。
だから困るのです。
肇も珍しく家におりました。
「父上」
「元仲様のところへ行かなくていいのか?」
第一声がそれでした。
「今日は父上を見送ります」
「そうか」
文烈様は少し嬉しそうでした。
纂が横から、
「明日は行くそうです」
と申しました。
「纂」
肇が弟を見ます。
「昨日言ってた」
文烈様は再び天井を見ました。
最後まで締まりません。
肇が来たのは見送りのためなのか、元仲様のところへ向かう前に寄っただけなのか、私は確かめないことにしました。
親には知らない方が幸せなこともございます。
文烈様は、たいへん知りたそうでしたが……
軍が西へ向かってから、私は地図を見る時間が増えました。
下弁。
武都。
山。
道。
そして、その向こうには父上の勢力があります。
漢中を巡る寒さが、とうとう人を動かし始めました。
最初に見えたのは父上ではなく、益徳叔父上でした。
馬孟起殿もおります。
呉蘭殿もおります。
こちらには子廉様。
そして文烈様。
私は地図の上で敵味方を眺めました。
益徳叔父上の妻は夏侯氏。
玉珠は夏侯家の嫁。
私は曹休の妻。
父上は劉備。
こうして並べると、誰が誰と戦っているのか分からなくなってまいります。
玉珠ならきっと、
「皆で一度家へ帰ればよいのでは?」
と申すでしょう。
たいへん正しい。
そして、絶対に実現しません。
西から届く軍報には、益徳叔父上の動きが繰り返し現れました。
やがて、その名の横に「固山」の二字が加わります。
益徳叔父上が山へ入り、こちらの後ろを断つ構えを見せている。
その知らせを読んだ時、私は手を止めました。
文烈様たちの後ろ。
つまり、帰り道です。
「またですか……」
誰もいない部屋で、声が出ました。
父上に置いていかれた道については、もう十分考えました。
今度は益徳叔父上が、夫の帰り道に立っております。
劉家の方々は、どうして私の人生における「帰る」という言葉へ、こうも熱心に関わってくださるのでしょう。
その夜、玉珠から文が届きました。
『姉上、益徳叔父上と文烈様は、どちらが勝てばよいのですか?』
私はしばらく答えを書けませんでした。
続きがあります。
『わたしは、どちらも帰ってくればよいと思います』
鼻をほじる妹に、正解を出されました。
たいへん腹が立ちます。
そして最後に、
『義父上にそう言ったら、それが一番難しいと言われました』
元譲様……
私も同意いたします。
翌朝、さらに西から知らせが入りました。
益徳叔父上は固山にいる。
後方を断つという声を上げている。
子廉様の軍にも動揺がある。
そして文烈様は、その報せを聞いて――
笑ったそうです。
私は文を読み直しました。
笑った?
夫の帰り道を益徳叔父上が塞ごうとしているというのに?
その次の一文を読もうとした時、紙を持つ指が止まりました。
文烈様は、益徳叔父上ではなく――
別の敵を見ていたのです。
劉玉珠です。
益徳叔父上と文烈様が戦うそうです。
どちらを応援すればよいのか分からなかったので、姉上に「二人とも帰ってくればよいのでは?」と書きました。
義父上には、それが一番難しいと言われました。
戦というものは不便ですね。
ところで、益徳叔父上の奥方様は夏侯家の方で、わたしも夏侯家へ嫁いでおります。
姉上は「これで引き分け」と申しました。
では、もう戦わなくてもよいのでは?
そう考えながら鼻をほじっていたら、夫に手を叩かれました。
こちらはまだ引き分けではないようです。
それより姉上――
文烈様は、益徳叔父上を見ていなかったそうですね。
では――
誰を見ていたのでしょう?




