魏王様、妹の指まで祝賀に参りましたが?
劉明珠でございます。
魏王様のご即位を祝いに、文烈様と肇、纂を連れて王府へ参りました。
寧珠と環珠は乳母にお願いしております。
幼子を二人連れて王への祝賀など、戦より難しいことはいたしません。
そして、夏侯家へ嫁いだ玉珠も参ります。
美しい衣をまとい、髪を整え、夫の隣に立てば、どこから見ても立派な若奥方でございます。
元譲様だけが、妹の右手を見張っておられました。
長年の経験とは恐ろしいものですね。
なお、魏王様になられたからといって、玉珠の鼻まで臣従したわけではございません。
この日の祝賀で、それが証明されます。
そして祝いが終われば、今度は南です。
王になっても、戦は終わらないようでございます。
魏王様のご即位を祝いに参った日、妹は鼻に指を入れました。
先に申し上げておきますが、事故ではございません。
朝から嫌な予感はしておりました。
寧珠と環珠はまだ幼く、乳母に預けました。
王への祝賀というものは、乳飲み子が泣いても待ってはくださいませんし、こちらも二人分の着物と機嫌と眠気を抱えて王府へ上がるほど勇ましくはございません。
夫の文烈様と、肇、纂、それから私で屋敷を出ました。
肇と纂は曹家の子ですから、こういう席では私よりよほど堂々としております。
私はと申しますと、八年前には父上の荷車に揺られていた身でございますので、魏王様への祝賀へ曹休の妻として参列する自分を、ときどき他人の話のように感じます。
人生というものは、荷車から王府まで運ばれる間に、ずいぶん道を間違えるものです。
「緊張しているのか?」
隣を歩く文烈様が尋ねました。
「いいえ、呼び名を間違えないよう気をつけているだけでございます」
「まだ気にしていたのか?」
「丞相様から魏公様へ、魏公様から魏王様へ……こちらが慣れるたびに変わるのです。次は何になられるおつもりなのでしょう?」
文烈様は笑いましたが、答えませんでした。
答えられても困ります。
王府へ入ると、当然ながら人が多く、ごった返しております。
曹氏、夏侯氏、文官、武官、その妻子まで、皆が今日ばかりは襟も背筋もきちんと伸ばしております。
魏王様が王になられたことで天下がすぐ静かになるわけではございませんが、少なくとも今日ここにいる人間の袖口だけは、いつもより整っておりました。
そこで、見覚えのある大きな背中を見つけました。
元譲様です。
その隣に妹婿殿がおり、さらにその横に、たいへん美しく着飾った若い女がおりました。
黙って立っていれば、どこへ出しても恥ずかしくない夏侯家の若奥方です。
黙って立っていれば……
「姉上」
玉珠が私を見つけ、嬉しそうに笑いました。
嫁いでからは別々に暮らしておりますから、こうして顔を合わせるのは久しぶりです。
少し背も伸びたように見え、髪も衣もきちんと整えられ、妹婿殿の隣に立つ姿には、幼かった頃とは違う落ち着きまでございました。
私は思わず目頭が熱く――
なる前に、元譲様が玉珠の右手首をつかみました。
「何をなさっているのですか?」
私が尋ねると、元譲様は真顔でした。
「見張っている」
「何を?」
「右手だ」
玉珠が不満そうに口を尖らせます。
「今日はまだ何もしておりません」
「だから見ている」
妹婿殿も深く頷きました。
夫婦の信頼というものを、私はもう少し美しい場面で見たかったと思います。
「玉珠」
「はい、姉上」
「本日は魏王様へお祝いを申し上げる日です」
「知っています」
「鼻は?」
「あります」
聞き方を間違えました。
文烈様が横で咳をしました。
笑ったのだと思います。
肇と纂はすでに事情を理解している顔で、元譲様の手元を見ています。
曹休家の子供たちにまで、叔母の鼻が警戒対象として認識されている事実に、私は教育というものの広がりを感じました。
やがて私たちの番が来ました。
魏王様は以前と同じお顔で座っておられます。
当たり前です。
王になったからといって、翌朝から背丈が伸びたり、額に「王」と浮かんだりはしません。
少なくとも、玉珠が気づくような変化はございませんでした。
それでも周囲の扱いは違いました。
文烈様が進み、私も続きます。
肇と纂も礼をしました。
魏王様は文烈様に声をかけ、二人の子にも目を向けられます。
「肇は大きくなったな」
「はい」
肇が答えました。
その少し向こうには曹丕様がおられ、その傍らに曹元仲様の姿もありました。
肇の視線がそちらへ向いたのを、私は見逃しませんでした。
向こうも肇を見ております。
子供同士というものは不思議です。
大人が席順と家格と礼法を並べている間に、目が合っただけで勝手に話を始める準備をします。
私たちが下がる頃には、肇はもう元仲様の近くにいました。
「何を話しているのでしょう?」
「放っておけ」
文烈様はそう言いました。
父親というものは大雑把です。
後で聞けば、何を話したのか肇自身もよく覚えておりませんでした。
ただ元仲様に「明日も来るか」と聞かれ、「参ります」と答えたそうです。
翌日、本当に行きました。
その翌日も行きました。
以後、肇は毎日のように元仲様のもとへ顔を出すようになります。
魏王様への祝賀に来たはずが、継子が新しい通い先を見つけて帰ることになりました。
纂はいつも通り帰ってくるのに、肇だけは朝になると当然のように出かけていきます。
最初のうちは文烈様も笑っておりましたが、三日、五日と続くうちに、とうとう「もう元仲様のところの子になったのではないか?」と申しました。
私は否定しませんでした。
本人がたいへん楽しそうでしたので。
曹家の子というものは、祝賀の席でも人脈を拾って帰るようです。
父上にも少し見習っていただきたかったものです。
娘は拾い忘れましたので。
祝賀の席が少し落ち着いた頃、曹子桓様が文烈様を呼び止めました。
「文烈、近頃は家にいるのか?」
「おりますが?」
「それなら顔を出せ。父上がお前を気にしている」
文烈様は礼をしました。
私は横で笑っておりましたが、胸の内ではまったく笑えませんでした。
気にかけられる男は呼ばれます。
呼ばれる男は任されます。
任される男は、だいたい家から遠ざかります。
魏王様になられた方の祝いの席で、夫の不在予定まで増えていくとは思いませんでした。
子桓様は私の顔を見て、少し笑いました。
「奥方は不満そうだな?」
「いいえ、夫が重く用いられることを、たいへん喜んでおります」
「顔が違うぞ?」
「妻の顔は、夫より正直なのでございます」
文烈様がまた咳をしました。
今日は皆様、よく咳をなさいます。
さて、肝心の玉珠ですが、ここまで何もしておりません。
元譲様の監視が効いていたのでしょう。
玉珠は妹婿殿と並び、きちんと礼をし、魏王様へ祝いの言葉まで申し上げました。
私は感心しました。
八年前、元譲様の失った目について遠慮なく尋ねていた幼女が、今では夏侯家の嫁として王の前に立っております。
人は育つものです――
そう思った私が愚かでした。
礼を終えて下がった玉珠が、私の方を見ました。
少し鼻を動かしました。
元譲様も気づきました。
妹婿殿も気づきました。
私も気づきました。
三人の視線が、玉珠の右手へ集まります。
「玉珠」
元譲様が呼びました。
「はい?」
返事をしながら、右手が上がりました。
元譲様が手を伸ばします。
妹婿殿も動きました。
私まで一歩出ました。
間に合いませんでした。
玉珠の小指は、見事に鼻へ入りました。
魏王即位の祝賀でございます。
文武百官も、一門の方々も、皆様たいへん立派なお召し物でございます。
その中央近くで、劉備の次女が鼻をほじっております。
「……玉珠」
元譲様の声には、戦場で聞いたことのない種類の疲労がございました。
「はい」
「なぜ入れた?」
玉珠は指を入れたまま考えました。
「かゆかったので……」
理由としては完璧です。
状況としては最悪です。
妹婿殿が目を閉じました。
文烈様は横を向いております。
肩が揺れているので、後で問い詰めることにしました。
魏王様までこちらをご覧になりました。
私はもう、長坂で曹軍に捕らえられた時より逃げたかったかもしれません。
ところが魏王様は怒りませんでした。
元譲様と玉珠を交互に見て、口元を緩めます。
「元譲」
「……は」
「まだ治らぬのか?」
元譲様の顔が固まりました。
玉珠はようやく指を抜き、たいへん不思議そうに元譲様を見上げます。
「何がですか?」
私はこの日、魏王様というお立場になられても、人は笑いを堪える時には同じ顔をするのだと知りました。
祝賀が終わり、屋敷へ戻る道で、私は玉珠に言いました。
「あなたは夏侯家へ嫁いだのですよ?」
「はい」
「もう少し夏侯家の名というものを背負ってください」
「背負っています」
「どこに?」
玉珠は背中を振り返ろうとしました。
そういう意味ではございません。
元譲様はとうとう一言も話さなくなりました。
妹婿殿が気の毒そうにその横を歩いております。
別れ際、玉珠が私の袖を引きました。
「姉上」
「何です?」
「魏王様、おめでとうございましたね」
「ええ」
「王になったら、もう戦わなくていいのですか?」
私は答えませんでした。
玉珠はたまに、鼻へ入れている指より深いところへ、何の前触れもなく入ってきます。
王になったから戦わなくてよいのなら、天下はとうに静かでしょう。
その日の夕刻、曹休家へ魏王府から使いが来ました。
文烈様が文を開き、しばらく黙っております。
私はその顔を見ただけで、祝賀の余韻が終わったことを知りました。
「どちらへ?」
尋ねると、文烈様は文を畳みました。
「南だ」
漢中ではありません。
父上でもありません。
今度は、孫権殿でした。
そして文の末には、見慣れない二文字がありました。
濡須――
魏王様の新しい衣が、まだ馴染みもしないうちのことでございます。
劉玉珠です。
孟徳様が、魏王になられました。
姉上に「王って偉いの?」と聞いたら、「ええ、とても。父上がお聞きになれば羨ましがる程度には」と、たいへん優しいお顔で教えてくださいました。
なので、わたしも考えました。
孟徳様が王になれるなら、そのうち父上も王になるのでしょうか?
そう尋ねたら、姉上はしばらく黙ったあと、「玉珠、それは父上が本当に王になられた時に、ご本人にお尋ねなさい」と申しました。
難しいですね……
とりあえず鼻がむずむずしたので、ほじっていたら義父上に手を叩かれました。
王になるより難しいことが、世の中にはあるようです。
ところで姉上?
父上が本当に王になったら、何王になるのでしょう?




