元譲様、玉珠の鼻で軍議を開かれるのですか?
劉明珠でございます。
文烈様が、夏侯家へ向かわれました。
出征でございます。
ただし、行き先は江東ではありません。
夏侯家です。
敵は呉軍ではありません。
玉珠の鼻でございます。
たいへん結構でございます。
曹魏の重鎮方は、今日も天下国家のためにお忙しいようです。
益州も漢中も荊州もまだ落ち着かぬこの世で、なぜか我が妹の鼻先に、元譲様と文烈様がそろっておられます。
父上――
あなたが置いていった娘は、嫁ぎ先で軍議の議題になりました。
なお、私は産後でございますので、出席しておりません。
出席したくもございません。
環珠を産んだばかりの身で、夏侯家まで出向き、「妹の手がなぜ鼻へ向かうのか」などという会議に同席するほど、私はまだ曹魏に忠義を尽くしておりません。
褒めておりません。
玉珠は、黙っていれば美しい娘です。
本当です。
髪を整え、衣を着せ、手を膝に置かせておけば、夏侯家の女として十分に見栄えがするでしょう。
ただし、手を膝に置かせ続けると、玉珠が玉珠でなくなるようです。
たいへん困ります。
鼻へ行けば叱られる。
鼻へ行かなければ元気がなくなる。
菓子を減らせば不満を申し立てる。
菓子を与えれば安心して鼻へ行く。
どう扱えばよいのでしょう?
知りません。
姉である私も、十四年ほど見張ってまいりましたが、正解にはたどり着いておりません。
未遂なら勝ち。
失敗ならため息。
その程度でございます。
ところが元譲様は、諦めの悪い方です。
そして文烈様は、私を読むついでに、妹の鼻まで読もうとなさいます。
夫婦とは恐ろしいものです。
妻の心を読んでいただけならまだしも、その妹の鼻の動きまで読むようになるのですから……
今回は、玉珠が夏侯家で正しい娘になろうとするお話でございます。
正しく座り、正しく菓子を見て、正しく鼻を見ないようにして、だんだん元気をなくしていく妹を、元譲様と文烈様が真面目に見つめます。
そして、たいへん恐ろしい結論にたどり着きます。
無理に直さぬ。
ただし、見張りは続ける。
父上――
あなたの娘は、こうして夏侯家に受け入れられました。
鼻ごと。
そのままの方が長生きするそうでございます。
この時の私は、まだ笑っておりました。
けれど後に、その言葉が冗談では済まなくなる日が来ます。
そして元譲様が、最後の最後まで、玉珠の鼻を気にかけることになるとは――
この時の私は、まだ知りませんでした。
玉珠は、その朝、たいへん正しい娘でございました。
まず、朝餉の席で背筋を伸ばしました。
手は膝の上です。
粥を見る。
菓子を見る。
元譲様を見る。
鼻は見ません。
たいへん立派です。
立派すぎて、背中が痛くなりました。
「どうした?」
元譲様が、片目で玉珠をご覧になりました。
「正しい玉珠です」
「気味が悪い」
ひどいです……
玉珠は正しくしているのに、気味が悪いと言われました。
では、正しくない玉珠の方がよいのでしょうか?
そう思って手が少し上へ行きかけましたが、今日はやめました。
文烈様が来るからです。
文烈様――
姉上の夫です。
戦場へ行って、帰ってきて、鍵もなくさず、産屋の外で待つことのできる方です。
怒鳴る方ではありません。
そこが怖いのです。
怒鳴る方は、怒鳴っている間だけ怖いです。
けれど静かな方は、こちらが何をしたのか、何をしていないのか、何をしそうなのかまで見ている気がします。
しかも姉上を困らせる方です。
姉上はたいへん困るのが上手な方ですが、その姉上をさらに困らせるのですから、文烈様は相当危険な方に違いありません。
玉珠は粥を食べました。
粥は逃げません。
菓子は逃げます。
主に元譲様の手によって、皿から遠ざけられます。
「菓子は?」
「朝は一つだ」
「昨日より少ないです」
「嫁いだからだ」
嫁ぐとは、たいへん便利な言葉です。
衣が重いのも、菓子が減るのも、鼻へ行けないのも、全部嫁いだからになります。
玉珠は思いました。
嫁ぐとは、少し不利な契約なのではないでしょうか?
「何を考えている?」
「嫁入りについてです」
「鼻へ行くな」
「まだ行っていません」
「行く顔だ」
顔で分かるのは、少し困ります。
姉上も、元譲様も、文烈様も、人の顔を読みすぎです。
父上はきっと、人の顔を読んで逃げ道を探したのでしょう。
玉珠にはそこまでできません。
玉珠は、ただ鼻の近くに道を見つけるだけです。
やがて、文烈様が夏侯家へ来られました。
玉珠は立ち上がろうとして、衣の裾を少し踏みました。
転びませんでした。
これは大きな勝利です。
元譲様も、文烈様も、こちらを見ました。
二人とも武将です。
二人とも曹魏の大事な方です。
その二人が、玉珠の裾と手と鼻を見ております。
玉珠は思いました。
曹魏は広い国のはずです。
その広い国の偉い方々が、なぜ玉珠の鼻先へ集まるのでしょう?
「玉珠殿」
文烈様が、静かにおっしゃいました。
「はい」
「明珠は産後ゆえ、今日は来られぬ」
「姉上は大丈夫ですか?」
「ああ、環珠も寧珠も変わりない」
玉珠は、少し安心しました。
安心したので、手が上へ行きかけました。
元譲様に止められました。
「今のは安心です」
「知っている」
知っていて止めるのです。
元譲様は恐ろしい方です。
文烈様は、玉珠をしばらく見ておられました。
「元気がないように見える」
玉珠は驚きました。
「玉珠は正しい玉珠です」
「そうか」
「はい……手は膝です。菓子は一つです。鼻は見ません」
文烈様は、元譲様を見ました。
元譲様は少しだけ眉を動かしました。
玉珠は不安になりました。
正しくしているのに、なぜ空気が重くなるのでしょう?
「昨日の失敗についてだ」
元譲様が口を開かれました。
失敗――
その字が出た瞬間、玉珠の背筋がさらに伸びました。
伸びすぎて、少し戻らなくなりそうです。
「玉珠の手は、菓子を減らすと上がる」
元譲様は、たいへん真面目なお顔でした。
「泣く前にも上がる。安心した時も上がる。褒められた時も危ない。考え込むと、ほぼ上がる」
「元譲様」
「何だ?」
「玉珠の鼻は、そんなに忙しいのですか」
「忙しい」
断言されました。
たいへん傷つきます。
文烈様は黙って聞いておられました。
「姉上も知っていますか?」
「知っているだろう」
「では、姉上はなぜ玉珠を嫁がせたのでしょう?」
「玉珠殿ごと、夏侯家へ迎えられるからだ」
文烈様はそうおっしゃいました。
玉珠ごと――
それは以前、元譲様にも言われました。
鼻だけではなく、玉珠ごと。
でも、玉珠ごと迎えられたのなら、鼻も少しはついてきてしまいます。
置いていけるなら置いてきたかったのですが、鼻は顔の真ん中にあります。たいへん移しにくい場所です。
「まず試す」
元譲様が言いました。
何をでしょう?
玉珠は逃げ道を探しましたが、ありませんでした。
夏侯家は広いのに、こういう時だけ壁が近いです。
「手は膝」
「はい」
「菓子は見てもすぐ取らぬ」
「はい」
「泣きそうな時は、先に言え」
「何をですか?」
「泣きそうだと」
「泣く前に言うのですか?」
「そうだ」
「泣く時は忙しいのに?」
「鼻へ行くよりはよい」
それは何度も聞きました。
玉珠は手を膝に置きました。
菓子が出されました。
丸くて、小さくて、たいへんよい菓子です。
玉珠は手を伸ばしませんでした。
元譲様を見ます。
文烈様を見ます。
菓子を見ます。
また元譲様を見ます。
菓子は逃げませんでした。
けれど、玉珠の気持ちが少し逃げました。
「食べてよい」
元譲様が言いました。
玉珠は菓子を取りました。
でも、すぐには口へ入れませんでした。
手を動かすと、鼻へ行くと思われるかもしれないからです。
口へ入れるのも手です。
鼻へ行くのも手です。
同じ手なのが、たいへん困ります。
玉珠は慎重に菓子を食べました。
慎重すぎて、味が少し遠くなりました。
「おいしいか?」
文烈様が問いました。
「……たぶん」
「たぶん?」
「正しく食べると、味が少し後ろへ行きます」
文烈様は、元譲様を見ました。
元譲様は、今度ははっきり眉を寄せました。
「もう一つ食べるか?」
元譲様が言いました。
玉珠は驚きました。
「嫁いだから、控えるのでは?」
「今は食べろ」
大人は難しいです。
控えろと言ったり、食べろと言ったりします。
玉珠が鼻へ行くと怒るのに、鼻へ行かないよう正しくしていると、今度は菓子を増やします。
玉珠は二つ目の菓子を見ました。
食べたいです。
でも、食べてよいのか分かりません。
手を伸ばしてよいのかも分かりません。
玉珠は、膝の上の手を見ました。
手は困っていました。
鼻も、たぶん困っていました。
玉珠は、少しだけ息が詰まりました。
「玉珠殿」
文烈様の声がしました。
「はい」
「鼻へ逃げているのではありませんか?」
玉珠は目を瞬きました。
「逃げる?」
「困った時、泣く前、安心した時、言葉になる前に手が動く。明珠は皮肉へ逃げる。玉珠殿は、鼻へ逃げるのではないか?」
姉上は皮肉……
玉珠は鼻……
たいへん嫌な姉妹の似方です。
でも、少し分かる気もしました。
長坂で怖かった時も、姉上の袖を握りながら、手が鼻へ行きそうになりました。
曹休家で寧珠が生まれた時も、嬉しくて泣きそうで、やはり手が上へ行きました。
夏侯家へ預けられた日も、捨てられるのかと聞いた時、鼻へ逃げかけました。
玉珠は、鼻をほじりたいのではなく、心がどこへ置かれたらよいのか分からない時、手が先に場所を探すのかもしれません。
その場所が鼻なのは、少し困ります。
とても困ります。
「では、玉珠はどうすればよいのでしょう?」
自分で聞いたのに、声が少し小さくなりました。
元譲様は、しばらく黙って玉珠を見ておられました。
怖い片目です。
でも、今日は少し違いました。
怒っているというより、考えている顔でした。
「よくないな」
元譲様がおっしゃいました。
玉珠は慌てました。
「玉珠がですか?」
「やり方だ」
元譲様が、ご自分の方へ向けて言いました。
玉珠は、驚きました。
元譲様は、玉珠を叱る方です。
けれど今は、玉珠ではなく、玉珠の扱い方を叱っているようでした。
「無理に止めると、縮む」
「玉珠は縮みますか?」
「今、縮んでいる」
「背がですか?」
「違う」
何が縮んでいるのでしょう。
玉珠には分かりません。
けれど、菓子の味が遠くなり、手の置き場ばかり気になり、鼻を見ないようにするだけで頭がいっぱいになるのは、あまりよいことではない気がしました。
文烈様が、静かにおっしゃいました。
「無理に直さぬ方がよいのではありませんか?」
元譲様は、すぐには答えませんでした。
部屋が静かになりました。
玉珠は膝の上の手を見ました。
手は、まだおとなしくしております。
たいへん立派です。
でも、少し元気がありません。
やがて元譲様が、たいへん不服そうに息を吐かれました。
「……そのままの方が、長生きしそうだ」
長生き――
玉珠は顔を上げました。
「玉珠は長生きしますか?」
「そのままならな」
「鼻ごとですか?」
「鼻ごとだ」
玉珠は、少しだけ安心しました。
安心したので、手が上へ行きかけました。
元譲様に止められました。
「ただし、見張りは続ける」
安心は、鼻の手前で止まりました。
「直さないのに、見張るのですか?」
「直さぬとは言っておらぬ。無理には直さぬだけだ」
「難しいです」
「覚えろ」
「嫁いだからですか?」
「嫁いだからだ」
玉珠は思いました。
嫁ぐとは、やはりたいへん不利な契約です。
けれど、菓子をもう一ついただけました。
味は、今度は少し前へ戻ってきました。
その日の夕刻、文烈様は曹休家へ戻られました。
ここから先は、姉上が聞いたお話でございます――
私は産後のため、夏侯家で開かれた妹の鼻に関する軍議へは出席できませんでした。
出席したくもございませんが……
けれど文烈様は、たいへん真面目なお顔で顛末を聞かせてくださいました。
「結論としては、無理に直さぬ」
「結局、何も直っていないではありませんか?」
「健康を優先した」
私は、しばらく文烈様を見ました。
「文烈様」
「何だ?」
「妹の鼻と健康を、同じ帳面に載せないでくださいませ」
「元譲殿も同じ判断だ」
「なお悪うございます」
文烈様は少しも冗談の顔をなさいませんでした。
「玉珠殿は、あのままの方が長生きしそうだ」
長生き――
その言葉に、私は笑いかけて、少しだけ止まりました。
玉珠は長坂で私の手を握って生き延びました。
曹休家で鼻を見張られながら生き、夏侯家へ嫁ぎ、元譲様に叱られ、菓子を食べ、また鼻へ向かうのでしょう。
たいへん結構なことです。
腹立たしいほど、結構です。
「では、見張りは終わりですか?」
「続く」
「文烈様」
「何だ?」
「曹魏の重鎮方は、本当にお暇なのですか?」
「必要なことだ」
「妹の鼻が?」
「ああ」
私は深く息を吐きました。
父上――
あなたが置いていった娘は、夏侯家で鼻を直されかけ、直されず、見張られ続けることになりました。
そのままの方が長生きするそうです。
たいへん結構でございます。
その時の私は、まだ知りませんでした。
その言葉が、笑い話だけでは終わらなくなる日が来ることを……
そして元譲様が、いつか本当に、妹の鼻を心残りにして旅立たれることを……
劉玉珠です。
玉珠は今日、鼻ごと生きてよいと言われました。
違います。
鼻をほじってよいと言われたわけではありません。
そこは元譲様に何度も確認されました。
「よいとは言っておらぬ」
だそうです。
難しいです。
よいわけではない。
でも、無理に直さなくてもよい。
ただし、見張りは続く。
玉珠は思いました。
これは、許されたのでしょうか?
それとも、もっと長い戦が始まったのでしょうか?
たぶん、後の方です。
元譲様は、たいへん諦めの悪い方です。
玉珠が菓子を隠しても見つけます。
玉珠が鼻へ行く前の顔も見つけます。
玉珠が何もしていない時でも、なぜか「今、考えたな」とおっしゃいます。
たいへん怖いです。
考えることまで見張られると、玉珠はどこへ逃げればよいのでしょう。
菓子でしょうか。
鼻でしょうか。
どちらも元譲様の片目の中にあります。
今日は、文烈様も来られました。
文烈様は、玉珠の鼻を見に来たのではないと思います。
たぶん、姉上の代わりに玉珠を見に来てくださいました。
でも、結局、鼻の話になりました。
姉上の夫婦仲は、どうして玉珠の鼻にまで届くのでしょうか?
夫婦とは、たいへん遠くまで届くものなのですね。
文烈様は言いました。
姉上は皮肉へ逃げる。
玉珠は鼻へ逃げる。
玉珠は、その時、たいへん嫌な気持ちになりました。
姉上と似ているのは嬉しいです。
でも、似ている場所が皮肉と鼻なのは、少し困ります。
姉妹とは、もっと綺麗なところが似るものではないのでしょうか?
目元とか。
髪とか。
笑い方とか。
どうして姉上は皮肉で、玉珠は鼻なのでしょう。
父上の血でしょうか?
だとしたら、父上には一度、鼻を見せていただきたいです。
でも、少し分かりました。
玉珠は、鼻をほじりたいだけではないのかもしれません。
怖い時。
泣きそうな時。
安心した時。
何を言えばよいか分からない時。
手が先に場所を探します。
その場所が、たまたま鼻なのです。
たまたまです。
本当に、たまたまです。
元譲様は信じていない顔でした。
文烈様も、少し困った顔でした。
ひどいです……
今日は、正しい玉珠にもなってみました。
手を膝に置いて、菓子をすぐ取らず、鼻を見ないようにしました。
たいへん立派でした。
でも、菓子の味が遠くなりました。
手が困りました。
胸も少し狭くなりました。
元譲様は、それを見て「よくない」とおっしゃいました。
玉珠がよくないのかと思ったら、やり方がよくないそうです。
玉珠は驚きました。
元譲様は、いつも玉珠を叱ります。
でも今日は、玉珠ではなく、玉珠の扱い方を叱っていました。
少し変な気持ちでした。
少しだけ、嬉しい気もしました。
元譲様は、玉珠を直そうとしているのではなく、玉珠が弱らないように見ているのかもしれません。
それなら、やはり怖いです。
怖いですが、嫌ではありません。
最後に、元譲様は言いました。
そのままの方が、長生きしそうだ、と。
玉珠は長生きするそうです。
鼻ごと。
これは、たいへん大事なことです。
長生きするなら、菓子もたくさん食べられます。
姉上にもたくさん会えます。
寧珠や環珠が大きくなるところも見られます。
元譲様に長く叱られることにもなります。
そこは少し困ります。
でも、長生きは悪くありません。
たぶん……
ただし、見張りは続くそうです。
元譲様は言いました。
無理には直さぬ。
だが、見張る。
玉珠は思いました。
鼻は、嫁いでも見張られます。
曹休家でも見張られました。
夏侯家でも見張られます。
きっと、この先も見張られます。
もしかすると、玉珠の鼻は、玉珠より有名になるかもしれません。
それは少し困ります。
父上――
玉珠は、まだ生きています。
夏侯家で、鼻ごと受け入れられました。
ただし、鼻だけはまだ受け入れられていないようです。
姉上――
玉珠は、正しい玉珠になるのを少しやめました。
正しくなりすぎると、菓子の味が遠くなるからです。
元譲様――
今のは鼻ではありません。
長生きについて考えていただけです。
でも、玉珠は少しだけ気になります。
そのままの方が長生きするなら――
元譲様は、玉珠が長生きする間、ずっと見張ってくださるのでしょうか?
そう聞こうとしたら、手が少し上へ行きました。
元譲様が、すぐに止めました。
やはり、戦は終わっていないようです。




