丞相様、その一行で札を書き換えないでくださいませんか?
劉明珠でございます。
前回、小箱の底にあった文を読みました。
亡き母君が、文烈様へ残された文です。
亡き方の文ほど、返事に困るものはございません。
生きている方なら、困ります、と申し上げられます。
少しは手加減してください、と恨み言の一つも言えます。
けれど亡き方は、黙っておられます。
黙ったまま、こちらの胸へ重いものを置いていかれます。
その文には、曹肇様と曹纂様のことが書かれておりました。
母がいなかったとは言わないでください。
私はおりました。
抱きました。
名を呼びました。
そして、いつか後に来る方がいるなら、その方を私の代わりにしないでください、と……
私を盾にして、その方を傷つけないでください、と……
たいへん困ります。
私は、亡き母君を消さないつもりでおりました。
ところが亡き母君の方も、後に来る誰かを守ろうとしておられたのです。
その誰かが、どうやら今は私らしいのですから、皮肉の返し先がございません。
曹肇様は、母上は明珠殿を怒っていないのか、とお尋ねになりました。
私のことを書かれた文ではない、と申し上げました。
けれど曹肇様は、こう仰いました。
でも、今は明珠殿だ、と……
幼い若君というものは、時々、大人の逃げ道を正面から塞いでまいります。
私はその場で、曹肇様からもう一つ頼まれました。
いつか曹纂様に母君の話をする時、一緒にいてほしい、と……
簡単に頷けることではございません。
けれど、私は断れませんでした。
曹纂様は眠ったまま私の袖をつかみ、曹肇様は起きたまま私の袖に触れておられました。
同じ袖でも、意味が違います。
そして私は、その違いをもう分かってしまっております。
たいへん不本意です。
今回は、その続きです。
亡き母君の文をようやく折り直したところへ、また文が届きました。
丞相様からです。
文烈様からではございません。
文烈様は、丞相様に従って西へ向かっておられます。
その丞相様から、急ぎの文が来る。
これほど開けたくない文も、なかなかございません。
父上――
あなたの娘は、敵地で文ばかり読まされております。
文烈様の文。
亡き母君の文。
そして今度は、丞相様の文。
曹休家は、どうやら文まで強いようでございます。
私はまだ、一つ目の重さも置き場を決められておりません。
それなのに、次の文が戸の外で待っているのです。
急ぎの文というものは、たいてい急いで開けたくない内容をしております。
たいへん困ります。
ゆっくり開けたい文ほど急ぎと書かれ、急がなくてよい文ほど穏やかな顔で届くのです。
世の中は、どうしてこうも人の都合を聞いてくれないのでしょうか?
小箱の底には、亡き母君の文があります。
私の片袖には、眠ったままの曹纂様の手があります。
もう片方の袖には、曹肇様の手があります。
そして戸の外には、丞相様より届いた急ぎの文。
これ以上、どこを塞がれればよいのでしょう。
「姉上」
玉珠が小さな声で言いました。
「文烈様じゃないの?」
侍女は先ほど、文烈様よりではないと申しました。
その一言で、部屋の空気は冷えました。
丞相様からの文。
文烈様が従っておられる方からの文。
けれど、文烈様からではない文。
並べるだけで、人の胸を嫌な形に締めつけます。
「まだ中を見ておりません」
私は答えました。
「見たら分かる?」
「見なければ分かりません」
「見るの、怖い?」
やめなさい……
今それを真っ直ぐ聞くのは、やめなさい。
玉珠は悪気がない分、時々たいへん鋭い刃物になります。
「怖くはありません」
「じゃあ、嫌?」
「……少し」
曹肇様が、私の袖をつかむ手に力を込めました。
「父上は」
声が硬い。
「父上に何かあったのか?」
「そうとは限りません」
「でも、丞相様からだ」
「はい」
「父上からではない」
「はい」
「なら、なぜ?」
その問いに、私はすぐ答えられませんでした。
曹肇様の目が、私を見ています。
父上を失いたくない子どもの目でした。
先ほどまで、亡き母君の文を読んでいたのです。
母を失った子のそばで、父の安否が分からぬ文を開く。
順番が悪すぎます。
いえ――
この世は、いつも順番など考えてくれません。
私は亡き母君の文をそっと小箱へ戻しました。
まだ置き場所を決められなかったはずなのに、今はそうするほかありません。
「こちらへ」
私が告げると、戸が静かに開かれました。
侍女が膝をついたまま、文を差し出します。
封には、丞相府の印がありました。
重い。
紙が重い。
鍵も文も、なぜこうも小さいくせに重いのでしょうか。
玉珠が小さく息を吸いました。
曹肇様は黙っています。
曹纂様は眠っています。
この幼い方だけが、まだ何も知らずにいられます。
私は封を切りました。
文面は短いものでした。
短い文は、たいてい怖い。
余計な慰めがないからです。
私は最初の一行を見て、まず息を吐きました。
曹休は健在である。
その一文だけで、私の指から力が抜けかけました。
いけません。
まだ途中です。
安堵したところを、次の文で刺されることもございます。
世の中は油断なりません。
「文烈様は」
曹肇様が身を乗り出しました。
「ご無事です」
私がそう言うと、曹肇様は目を閉じました。
ほんの一瞬です。
泣きはしません。
けれど、その一瞬だけ、子どもの顔になりました。
玉珠もほっとしたように肩を下げました。
「よかった」
「ええ」
本当に……
そこだけは、よかった。
私は続きを読みました。
軍中にて私信を禁じている。
曹休は、屋敷へ無事を知らせたがっていた。
ゆえに、余が代わって知らせる。
余計な心配で屋敷を乱すな。
この方は、安堵させる文にすら命令を混ぜてこられます。
たいへん丞相様らしい。
文烈様なら、まず詫びるでしょう。
私を困らせてすまぬ、と……
丞相様は違います。
無事を知らせる。
乱すな。
以上。
山を動かすような方は、文も岩のようでございます。
「父上は、無事なのか?」
曹肇様がもう一度尋ねました。
「はい。丞相様が、そう書いておられます」
「父上は、文を書けないのか?」
「軍中で私信を禁じているそうです」
「父上は、書きたかったのか?」
そこを聞きますか……
この若君も、父君に似て逃げ道を塞いでまいります。
「そのようです」
私が答えると、曹肇様の顔が少しだけ緩みました。
「そうか」
小さな声でした。
その声に、寂しさと嬉しさが同じだけ入っていました。
私は文へ視線を戻しました。
そこで終わっていれば、まだよかったのです。
けれど、丞相様の文がそれだけで終わるはずもありません。
西方にて別の報も入った。
劉備玄徳、劉璋に招かれ、益州へ入る。
その名を見た瞬間、胸の奥が冷えました。
劉備玄徳――
父上。
私を長坂に置いていった方。
弟を抱かれて英雄譚の中へ戻った方。
そして今も、遠くで戦と縁を拾いながら、生きておられる方。
益州――
また西です。
文烈様は丞相様に従い、西へ向かっています。
父上もまた、別の西へ入る。
私は曹休家の奥で、亡き母君の文と、幼い若君方の手に囲まれている。
たいへん不思議です。
いえ――
不思議などという柔らかい言葉では足りません。
人生とは、時々、笑うしかないほど意地が悪い。
「姉上?」
玉珠が私の顔を覗き込みました。
「顔が、変です」
「変ではありません」
「でも、変です」
「言い直しても同じです」
「父上の名前があった?」
私は返事をしませんでした。
玉珠は、こういう時だけ本当に鋭い。
曹肇様も私を見ています。
父上という言葉に反応したのでしょう。
曹肇様にとって父上は文烈様です。
玉珠にとって父上は劉備玄徳です。
私にとっても、そうです。
そうであることを、消すことはできません。
つい先ほど、私は曹肇様に言いました。
母君を忘れなくてよい、と。
いなかったことにしなくてよい、と。
それなら、私もまた、父をいなかったことにはできないのでしょう。
なんと厄介なことを、自分で言ってしまったのでしょうか?
「父上は」
私はゆっくり言いました。
「益州へ入られたそうです」
玉珠は首を傾げました。
「益州?」
「遠いところです」
「父上は、迎えに来るの?」
その問いは、幼い声でした。
幼いからこそ、余計に痛い。
迎えに来る――
その言葉を、私はいつから心の中で避けるようになったのでしょう。
「今は、違います」
私は答えました。
「父上は、益州へ招かれて向かわれたのです」
「玉珠たちのところじゃないの?」
「違います」
玉珠は少し黙りました。
お菓子の話ならすぐ次の言葉が出る妹が、すぐには何も言いませんでした。
それだけで、私の胸はまた少し痛みました。
曹肇様が、私の袖をつかんだまま言いました。
「心配なのか?」
「敵方の動きです」
「父だろう?」
私は曹肇様を見ました。
幼い顔です。
けれど、先ほどよりもずっとこちらを見ています。
逃げる先を塞ぐ目でした。
「父です」
私は認めました。
言ってしまえば、あまりに簡単です。
父です。
劉備玄徳は、私の父です。
仁君と呼ばれる方。
漢室の血を引くと称される方。
そして、私と玉珠を取り戻しに来なかった方。
全部、同じ人です。
「なら」
曹肇様は少し考えてから言いました。
「心配してもよいのではないか?」
私は言葉を失いました。
曹肇様は、さらに続けます。
「明珠殿は言った。母上を忘れなくてよいと。いなかったことにしなくてよいと」
たいへん困ります。
幼い若君というものは、教えたことをすぐこちらへ返してきます。
しかも、こちらが逃げたい時に限って、正確に返してきます。
「父上も、いなかったことにしなくてよいのではないか?」
胸が詰まりました。
亡き母君の文。
文烈様の文。
丞相様の文。
そして、曹肇様の言葉。
今日は、いったい何本の矢を胸に受ければよいのでしょう……
「曹肇様」
「何だ」
「それは、たいへん扱いに困るお言葉です」
曹肇様は少しだけ首を傾げました。
「そうか」
「はい」
「でも、明珠殿が私に言ったことだ」
返す言葉がございません。
本当にございません。
玉珠が小さく言いました。
「父上は父上だよ」
「玉珠」
「文烈様は文烈様で、父上は父上で、姉上は姉上だよ」
それは、先ほど亡き母君の文で読んだことに少し似ています。
私は私です。
その方は、その方です。
母君は母君。
私は私。
父上は父上。
文烈様は文烈様。
何もかもを分けて考えるのは、簡単ではありません。
けれど、混ぜてしまえば、もっと苦しくなる。
玉珠は難しいことを考えていない顔で、とても難しいことを言います。
本当に困った妹です。
私は文の続きを読みました。
劉備の名により、屋敷の者が動揺することもあろう。
そなたの出自を口にする者も出る。
曹休家の奥を乱すな。
若い者の耳に、軽い噂を入れるな。
必要なら、そなたの口で告げよ。
そこまで読んで、私は思わず笑いそうになりました。
笑える内容ではございません。
ですが、丞相様は丞相様です。
私の胸が痛むかどうかなど、文面にはございません。
そこを考えぬ方ではないでしょう。
考えた上で、まず屋敷を乱すなと書いてこられるのです。
たいへん政治的です。
たいへん冷静です。
たいへん腹立たしい。
けれど、正しい。
噂は人を殺します。
刃でなくとも、口は人を裂きます。
私が劉備玄徳の娘であることを、面白がって囁く者が出るかもしれません。
父が益州へ入ったと聞けば、私の顔を見に来る者もいるでしょう。
憐れむ者。
疑う者。
試す者。
そして、それを曹肇様と曹纂様の耳に入れる者。
それだけは、いけません。
私は文を畳みました。
「家令を」
侍女が顔を上げました。
「はい」
「すぐに呼びなさい」
曹肇様が、私を見ています。
私は続けました。
「屋敷の者へ伝えます。丞相様からの文について、廊下で噂をしてはならぬ。文烈様はご無事です。それ以上の話を若君方の前ですることは許しません」
「はい」
「劉備玄徳の名を、面白半分に口にする者があれば、私へ知らせなさい」
自分で言って、少し不思議な気分になりました。
劉備玄徳の娘である私が、劉備玄徳の名を取り締まろうとしております。
人生とは、本当に皮肉の材料に困りません。
「姉上」
玉珠が小さく言いました。
「父上の名前、言っちゃだめなの?」
「駄目ではありません」
「じゃあ、どうして?」
「軽く扱わせないためです」
玉珠は少し考えました。
「父上は、軽くない?」
「軽くありません」
私の中では、重すぎるほどです。
玉珠は頷きました。
「じゃあ、玉珠も軽く言わない」
「お願いします」
「でも、父上は父上だよ」
「……はい」
それは否定できません。
曹肇様が、まだ私を見ていました。
「明珠殿」
「はい」
「父上のことを心配しても、ここにいるのか?」
問いの意味は分かりました。
劉備玄徳を父として心配しても、曹休家から心が出ていくわけではないのか?
そう聞いているのです。
曹肇様にとって、それは大事なことなのでしょう。
母上を忘れないことと、明珠を受け入れることが同時にできるのか?
その問いが、形を変えて私に返ってきています。
「おります」
私は答えました。
「父上の名を聞いても、私はここにおります。文烈様が戻られるまで、この屋敷を乱しません。曹肇様と曹纂様のそばにもおります」
曹肇様の手が、少しだけ力を抜きました。
安心したのでしょう。
その顔を見て、私はまた困りました。
信じられるというものは、やはり重い。
「玉珠もいるよ」
「あなたは、まず静かにしていなさい」
「今は静かです」
「今は、ですね」
玉珠は真剣に頷きました。
「丞相様の文は怖いから」
そこは正直でよろしい。
私はもう一度、丞相様の文へ目を落としました。
末尾に、まだ一行ありました。
返書を寄こせ――
曹休家の奥を預かる者の言葉で。
私はしばらく、その一行を見つめました。
劉備玄徳の娘としてではなく。
曹休家へ置かれた捕虜としてでもなく。
文烈様を待つだけの女としてでもなく。
曹休家の奥を預かる者の言葉で。
丞相様――
あなたまで、私の札を書き換えに来られるのですか。
たいへん困ります。
捕虜から妻へ。
妻から留守居へ。
留守居から子守へ。
子守から、今度は何でしょう。
曹休家の奥を預かる者。
その札は、あまりに重いです。
私は顔を上げました。
戸の外では、家令を呼びに行く足音が遠ざかっています。
小箱の底には、亡き母君の文。
手元には、丞相様の文。
袖には、曹肇様と曹纂様の手。
玉珠は、音を立てないお菓子について考えている顔をしています。
たいへん困ります。
この屋敷は、文と手と妹で、私の逃げ道をすべて塞いでくるようでございます。
私は丞相様へ返書を書かねばなりません。
しかも、曹休家の奥を預かる者として。
文烈様――
あなたが戻られるまでに、私の立場はあといくつ増えるのでしょうか?
劉玉珠です。
今回は、丞相様からの急ぎの文を読みました。
正しく言うと、姉上が読みました。
玉珠は聞いていました。
今回も静かにしていました。
たぶん、ちゃんと静かでした。
お菓子は持っていました。
でも、食べてはいません。
丞相様の文は怖そうだったからです。
怖い文の前で音を立てると、もっと怖くなる気がします。
玉珠は、そういうところは分かります。
たぶん――
丞相様の文は、短かったです。
短い文は怖いそうです。
姉上がそう言っていました。
たしかに、短い文は怖いです。
お菓子が少ない時も怖いです。
でも、丞相様の文は、お菓子が少ない時より怖かったです。
最初に書いてあったのは、文烈様はご無事だということでした。
玉珠は、ほっとしました。
曹肇も、ほっとしていました。
でも曹肇は泣きません。
目を閉じただけです。
少しだけ、子どもの顔になっていました。
曹肇は、いつも子どもなのに、時々子どもではない顔をします。
でも、父上が無事だと分かった時は、ちゃんと子どもの顔でした。
玉珠は、それでよいと思います。
文烈様は、屋敷へ無事を知らせたかったそうです。
でも、軍中では私信を禁じているので、丞相様が代わりに知らせてくださいました。
それだけ聞くと、丞相様は優しい人みたいです。
でも、文には、余計な心配で屋敷を乱すな、とも書いてありました。
優しいのでしょうか?
怖いのでしょうか?
たぶん、両方です。
姉上は、たいへん丞相様らしい顔をしていました。
文烈様なら、困らせてすまぬ、と言うそうです。
丞相様は、無事を知らせる。
乱すな。
以上。
姉上はそう言っていました。
玉珠は、少し分かりました。
丞相様の文は、飴ではありません。
石です。
でも、その石の中に、ちゃんと文烈様は無事だということが入っていました。
石の中にお菓子が入っていることは、普通ありません。
だから丞相様の文は、不思議です。
文には、父上のことも書いてありました。
玉珠たちの父上です。
劉備玄徳です。
父上は、益州へ入ったそうです。
玉珠は、益州がどこか分かりません。
遠いところだそうです。
遠いところなら、玉珠たちのところではありません。
玉珠は、姉上に聞きました。
父上は、迎えに来るの?と。
姉上は、今は違います、と言いました。
玉珠たちのところじゃないの?と聞いたら、違います、と言いました。
姉上は、とても静かに答えました。
静かな声は、時々、大きな声より痛いです。
玉珠は少しだけ分かりました。
父上は父上です。
でも、父上は玉珠たちのところへ来るのではありません。
遠いところへ行くのです。
父上は生きています。
でも、迎えには来ません。
これは、とても変です。
とても変なのに、本当です。
姉上は、父上のことを敵方の動きだと言いました。
でも曹肇は、父だろう、と言いました。
曹肇は、時々まっすぐです。
まっすぐすぎて、姉上に刺さります。
姉上は、父です、と言いました。
劉備玄徳は、姉上の父です。
仁君と呼ばれる方です。
漢室の血を引くと称される方です。
そして、姉上と玉珠を取り戻しに来なかった方です。
姉上は、全部同じ人だと言いました。
玉珠には、少し難しいです。
でも、たぶんそうです。
良いところだけの人も、悪いところだけの人も、あまりいないのだと思います。
父上は父上です。
文烈様は文烈様です。
姉上は姉上です。
曹肇も、姉上に言いました。
父上も、いなかったことにしなくてよいのではないか、と。
それは、姉上が前に曹肇へ言ったことです。
母君を忘れなくてよい。
いなかったことにしなくてよい。
姉上が曹肇に言った言葉が、今度は曹肇から姉上に返ってきました。
玉珠は、すごいと思いました。
言葉は、投げたら戻ってくることがあるのですね。
お菓子は投げたら戻ってきません。
落ちます。
拾って食べると怒られます。
でも言葉は、戻ってきます。
しかも、胸に当たります。
姉上は、とても困った顔をしていました。
でも、怒りませんでした。
曹肇は、姉上の言葉をちゃんと覚えていたのだと思います。
それを、姉上のために使いました。
曹肇は、少しずつ姉上のそばに来ています。
近くないと言いながら、近いです。
玉珠は見ています。
ちゃんと見ています。
姉上は、丞相様の文を読んでから、屋敷の者へ伝えるよう命じました。
丞相様からの文について、廊下で噂をしてはならない。
文烈様はご無事。
それ以上の話を若君方の前ですることは許さない。
劉備玄徳の名を面白半分に口にする者があれば、姉上へ知らせる。
姉上は、そう言いました。
玉珠は少し驚きました。
姉上は、困りますと言いながら、ちゃんと命じます。
たいへん困りますと言いながら、逃げません。
父上の名を聞いても、ここにおります、と言いました。
文烈様が戻られるまで、この屋敷を乱しません、と言いました。
曹肇と曹纂様のそばにもおります、と言いました。
曹肇は、少し安心していました。
玉珠も安心しました。
姉上は、父上の娘です。
でも、ここにいます。
文烈様の妻でもあります。
曹肇と曹纂様のそばにいる人でもあります。
玉珠の姉上でもあります。
姉上は一人なのに、札がたくさんあります。
札が多いと大変そうです。
お菓子の札なら嬉しいです。
でも、姉上の札は重そうです。
最後に、丞相様の文には、返書を寄こせと書いてありました。
曹休家の奥を預かる者の言葉で、と。
玉珠は、よく分かりませんでした。
でも、姉上の顔を見て、重い言葉なのだと分かりました。
劉備玄徳の娘としてではなく。
捕虜としてでもなく。
文烈様を待つだけの人としてでもなく。
曹休家の奥を預かる者として。
姉上は、返事を書かないといけないそうです。
丞相様は怖いです。
一行で、姉上の札を増やしました。
文烈様も文で姉上を困らせます。
亡き母上も文で姉上を困らせます。
丞相様も文で姉上を困らせます。
曹休家は文が強いです。
でも、丞相様の文も強いです。
文の強い人が多すぎます。
玉珠は、お菓子の強い人の方が好きです。
次回は、姉上が返書を書くのでしょうか。
丞相様へ返す文です。
とても怖そうです。
姉上は、きっとまた困った顔をします。
でも、書くのだと思います。
姉上は逃げないからです。
曹肇も、たぶんそばにいます。
曹纂様も、たぶん袖をつかみます。
玉珠もいます。
静かにしています。
たぶん、静かにします。
でも、返書を書く時は長くなりそうなので、お菓子は少し必要だと思います。
音を立てないお菓子を、もっと探しておこうと思います。




