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13/18

若君方、懐く相手を間違えておりませんか?

劉明珠でございます。


前回、文烈様が西へ向かわれました。

私は静かに見送るつもりでした。

曹休家の妻として。

留守を預かる者として。

きちんと頭を下げて、お気をつけて、と申し上げるつもりでした。


ええ――

つもりだけなら、人はたいへん立派に生きられます。

実際には、足が勝手に動きました。

持ち主の許可なく動くとは、なかなか不忠な足でございます。

おかげで私は、人前で文烈様の腕をつかみ、抱き寄せられることになりました。

たいへん困ります。

その横で玉珠は、玉珠なりにたいへん真剣なことをしておりました。

姉の人生が一歩進んでいる横で、妹の指もまた別の方向へ進んでいたのです。

劉備玄徳の娘二人は、敵地でもそれぞれ忙しく生きております。

文烈様は、戻るために戦うと仰いました。

必ずとは軽く言わない方です。

だからこそ、その言葉は軽くありませんでした。

私は待つことになりました。

敵であったはずの方を待つ女になるなど、長坂の荷車にいた頃の私は考えてもおりません。

ですが、待つだけで済むと思っていたのは、少々甘かったようです。

文烈様は、出立の前に私へ曹肇様と曹纂様を頼むと仰いました。

玉珠も、ついでのように頼まれました。

ついでと言うには、なかなか手のかかる妹でございます。


今回は、文烈様がいない曹休家のお話です。

屋敷は静かになりました。

ですが、静かになっただけです。

戸の外から、入ってよいか、と尋ねる声はありません。

ないなら楽になるはずなのに、ないことばかり気になるのですから、人の心とはまことに面倒です。

そして、文烈様がいない屋敷で、最初に私を捕まえたのは、小さな手でした。

曹纂様です。

どうやら私は、文烈様を待つだけでは済まないようでございます。

若君方まで、私を困らせに来るのですから。


父上――

あなたの娘は、敵地でまた一つ、立場を増やされそうです。

文烈様がいない屋敷で、最初に私を捕まえたのは、小さな手でした。

たいへん困ります。

文烈様が西へ向かわれ、ようやく屋敷が静かになったと思ったのです。

静かになっただけでした。

落ち着いたわけではございません。

門の外から馬の音が消え、兵の声も遠ざかり、廊下を行き交う者たちの足音も少しずついつもの調子に戻りました。

けれど、いつもの声だけがありません。

戸の外で――

入ってよいか。

そう尋ねる声です。

ないならないで楽になるはずでした。

いちいち胸の内を整えなくてもよい。

返事をする前に、顔を作らなくてもよい。

約束を守られるたびに、こちらが悪人のような気持ちにならなくてもよい。

そのはずです。

ところが人の心とは、まことに面倒なものです。

ないと分かった途端、ないことばかり気になります。

戸は戸です。

戸以上のものではございません。

それなのに、私は朝から何度も戸を見ておりました。

すると、玉珠が床に座ったまま、丸い菓子を両手で持って私を見上げました。

「姉上、戸に何かいるの?」

「いません」

「でも、さっきから戸を見ています」

「見ていません」

「じゃあ、戸が姉上を見ているの?」

戸に罪を着せるのはやめていただきたい。

「玉珠、菓子を食べるなら、静かに食べなさい」

「はい」

玉珠は素直に頷き、菓子をかじりました。

素直です。

ただし、静かではありません。

ぽろぽろと粉が落ちます。

この妹は、静寂というものを菓子の屑で破壊する才があります。

文烈様が不在になって一日。

私はすでに本邸の一室に移されていました。

荷は多くありません。

もともと私は、持ち物ごと人生を運ばれてきた娘です。

長坂では荷車。

曹純様の屋敷へは車。

文烈様の屋敷へも車。

そして今度は本邸の奥です。

どうやら私の人生は、車輪と侍女の手によって進むようでございます。

自分の足で進んだのは、昨日、文烈様のもとへ駆け寄った時くらいかもしれません。

思い出した瞬間、顔が熱くなりました。

いけません。

あれは足の不忠です。

心の罪ではありません。

そういうことにしておきます。

「姉上、顔が赤いです」

「菓子を食べなさい」

「食べています」

「もっと集中して食べなさい」

「お菓子は、集中しなくても食べられます」

その通りです。

しかし今は、その正しさがたいへん邪魔です。

昼近くになって、乳母が慌てて来ました。

曹纂様が泣き止まないとのことでした。

玉珠はすぐ立ち上がりました。

「姉上、行きましょう」

「なぜ私も行くのです」

「文烈様が頼むって言いました」

こういう時だけ、妹は正面から逃げ道を塞いできます。

普段は室を部屋と間違え、関中に関さんがたくさんいると思っているのに、肝心なところでは妙に正しい。

たいへん困った天然です。

曹纂様の部屋へ向かうと、廊下の途中から泣き声が聞こえてきました。

小さな体のどこにそんな力があるのかと思うほど、遠慮のない泣き声です。

乳母の腕の中で、曹纂様は顔を真っ赤にしておりました。

「父上、父上」とまではっきり言えているわけではありません。

けれど、幼い声が求めているものは分かりました。

文烈様です。

昨日までそこにいた方が、今日はおりません。

幼子にとって、それは世界の柱が一本抜けるようなものなのでしょう。

私は戸口で足を止めました。

「私が行っても、泣き止むとは限りません」

「姉上」

玉珠が私の袖を引きました。

「文烈様が頼むって」

二度言わなくても聞こえております。

聞こえているから困るのです。

私は曹纂様のそばへ寄りました。

「曹纂様」

声をかけると、涙で濡れた目がこちらを向きました。

一瞬だけ泣き声が弱まります。

そして、小さな手が伸びました。

私の袖をつかみました。

逃げられません。

文烈様――

ご不在の間に、ご子息がたいへん見事な兵法を使っております。

これは袖を取る策でございます。

腕を取られるより、場合によっては厄介です。

「曹纂様。文烈様は、戻ると仰いました」

分かったかどうかは分かりません。

けれど、曹纂様は私の袖を握ったまま、ひくひくと息をしました。

泣き声が少し小さくなります。

乳母がほっとした顔をしました。

なぜそこで安心なさるのですか。

私はまだ何もしておりません。

袖を奪われただけです。

玉珠が横から覗き込みました。

「曹纂様、姉上をつかまえたの?」

曹纂様は返事をしません。

代わりに、もう片方の手も私の袖へ伸ばしました。

両袖です。

完全に捕縛されました。

「姉上、懐かれました」

「これは懐いたのではなく、身柄を拘束されたのです」

「同じでは?」

「違います」

違うはずです。

たぶん――

曹纂様を寝台に戻そうとすると、袖を離しません。

離そうとすると、泣きます。

近づくと、静かになります。

離れると、泣きます。

たいへん分かりやすい支配です。

幼子というものは、理屈を使わずに人を動かすのですね。

丞相様や文烈様とは別の意味で、末恐ろしゅうございます。

やむなく私は、寝台のそばに腰を下ろしました。

曹纂様はようやく落ち着き、小さな指で私の袖を握ったまま、まぶたを重そうにしました。

その時、廊下の端に気配がありました。

曹肇様です。

こちらを見ています。

けれど、近づいては来ません。

昨日、泣かないと言っていた若君です。

「曹肇様」

呼ぶと、曹肇様は少しだけ背筋を伸ばしました。

「見ていただけだ」

「そうでございますか」

「纂が泣くから」

「はい」

「父上がいないから」

「はい」

「私は泣かない」

「存じております」

曹肇様は唇を結びました。

泣かない子どもは、泣かない分だけ、どこか別の場所で痛むのかもしれません。

私は曹纂様に袖をつかまれたまま、少し横へ身をずらしました。

「こちらへおいでになりますか」

「行かない」

「承知いたしました」

曹肇様は動きません。

それで終わりかと思いました。

しかし、しばらくして一歩だけ近づきました。

行かないとは……

さらに一歩。

また一歩。

結局、曹肇様は私の近くまで来ました。

「座れとは言っていない」

「申しておりません」

「でも、座ってもよい」

「はい」

曹肇様は、私の隣に腰を下ろしました。

玉珠がにこにこと言いました。

「曹肇、来たね」

「来てない」

「いるよ」

「……いるだけだ」

「じゃあ、いていいよ」

曹肇様の耳が赤くなりました。

玉珠は満足そうです。

この妹は、城門を叩き割るように人の意地を壊します。

悪気がない分、守りにくい。

曹纂様は私の袖を握り、曹肇様は隣で黙って座り、玉珠は菓子の残りを眺めていました。

私はいったい何をしているのでしょう。

少し前まで、私は劉備玄徳の娘でした。

長坂で捕らえられ、曹純様の屋敷に置かれ、文烈様のもとへ移され、今は文烈様のご子息二人に挟まれております。

捕虜から妻へ。

妻から留守居へ。

留守居から子守へ。

人生とは、たいへん配置換えの早いものです。

文烈様――

あなたは西へ向かわれました。

そして私は、ご不在の屋敷でご子息方に包囲されております。

これは戦なのでしょうか。

でしたら、すでに私は敗色濃厚です。

曹肇様がぽつりと言いました。

「父上は、いつ戻る」

私はすぐには答えられませんでした。

必ず――

そう言ってしまいたかったのです。

けれど文烈様は、必ずとは軽く言いませんでした。

戻るために戦う、と仰いました。

だから私は、その言葉を借りるしかありません。

「文烈様は、戻るために戦っておられます」

曹肇様は黙りました。

それで納得したのかは分かりません。

やがて、小さな声が落ちました。

「では、戻るまで、ここにいるか」

「私が、ですか」

「そうだ」

「……おります」

「明日も?」

「おります」

「明後日も?」

「おります」

「父上が戻るまで?」

私は曹纂様の手を見ました。

袖を握る指は、眠りかけても離れません。

曹肇様は私を見ていました。

その目は、文烈様によく似ております。

逃げ道がありません。

親子とは、こういうところまで似るのでしょうか。

「はい」

私は静かに答えました。

「文烈様が戻られるまで、ここにおります」

曹肇様は、ほんの少しだけ息を吐きました。

「なら、よい」

よいそうです。

私は文烈様を待つ女になっただけでは足りず、文烈様が戻るまで曹肇様と曹纂様のそばにいる者にもなったようです。

たいへん困ります。

立場が増えすぎます。

玉珠が嬉しそうに言いました。

「姉上、若君たちに懐かれました」

「懐かれたのではありません」

「じゃあ?」

「配置されました」

「誰に?」

私は答えられませんでした。

文烈様に。

曹纂様の小さな手に。

曹肇様の不器用な問いに。

あるいは、この屋敷そのものに。

どれも正しい気がして、どれも認めたくありません。

その日の夕方、曹纂様は私の袖をつかんだまま眠りました。

曹肇様は部屋を出る前に、何度もこちらを見ました。

玉珠は帰ってきた時のお菓子の候補を三つに絞ったと言いました。

平和です。

たぶん、平和なのでしょう。

少なくとも、廊下の向こうから早足の音が聞こえるまでは、そう思っておりました。

侍女が戸の前で膝をつきます。

「明珠様」

その声は、少し緊張しておりました。

「文烈様より、お預かりしていた文がございます」

心臓が、一つ、変な打ち方をしました。

出立してまだ一日。

西から届いたはずがありません。

つまり、それは――

文烈様が、出立前から私に残しておいた文、ということになります。

私は袖を引かれました。

曹纂様は眠ったまま、まだ私を離しておりません。

曹肇様は廊下の向こうから、こちらを見ていました。

玉珠が小さく言います。

「姉上、文烈様から?」

私は、返事をしませんでした。

できませんでした。

侍女の手の上に、封じられた文が載っています。

そこに何が書かれているのか。

読む前から、なぜか分かる気がしました。

この方は、不在になってまで私を困らせるおつもりのようでございます。

劉玉珠です。


今回は、文烈様がいないお屋敷のお話でした。

文烈様はいません。

でも、姉上は何度も戸を見ていました。

戸には誰もいません。

玉珠も見ました。

やっぱり誰もいませんでした。

でも姉上は、見ていないと言いました。

姉上が見ていないと言う時は、だいたい見ています。

玉珠は、少し分かります。

戸の外から、入ってよいか、と聞く声がないから、姉上は気になるのだと思います。

声がないのに気になるのは、不思議です。

お菓子がないと気になるのと、同じでしょうか。

同じかもしれません。

でも、姉上に言うと怒られそうなので、言いませんでした。

玉珠は賢いです。

たぶん――


それから、曹纂様が泣きました。

とても泣きました。

曹纂様は小さいのに、声は大きいです。

小さい若君なのに、強いです。

姉上は、私が行っても泣き止むとは限りません、と言いました。

でも、文烈様が頼むって言っていました。

だから、姉上は行きました。

姉上は、頼まれると困った顔をします。

でも、ちゃんと行きます。

姉上は、逃げるのがあまり上手ではありません。

曹纂様は、姉上の袖をつかみました。

片方だけではありません。

両方です。

姉上は捕まりました。

曹纂様は、まだ小さいのに、姉上を捕まえるのが上手です。

玉珠は、懐かれたと思いました。

姉上は、懐かれたのではなく身柄を拘束されたのです、と言いました。

難しいです。

でも、曹纂様は姉上が近くにいると泣き止みました。

離れると泣きました。

だから、たぶん懐いたのだと思います。

姉上は認めませんでした。

姉上は、認めるのが遅いです。

曹肇も来ました。

最初は、見ていただけだと言いました。

でも、少しずつ近づいてきました。

行かないと言ったのに、来ました。

曹肇は時々、言葉と足が違うことをします。

姉上と少し似ています。

姉上も、文烈様を静かに見送ると言っていたのに、走りました。

曹肇も、行かないと言っていたのに、来ました。

たぶん、曹肇の足も正直なのだと思います。

曹肇は、姉上の隣に座りました。

座れとは言っていない、と言いました。

でも、座ってもよい、とも言いました。

玉珠には少し難しいです。

座りたいなら、座りたいと言えばよいと思います。

曹肇は、嬉しい顔も下手ですが、甘えるのも下手なのかもしれません。

でも、隣にいました。

だから、よいと思います。

曹肇は、父上はいつ戻る、と聞きました。

姉上は、すぐには答えませんでした。

文烈様は、戻るために戦うと言いました。

だから姉上も、そう言いました。

戻るために戦う。

やっぱり、少し怖い言葉です。

でも、曹肇は少しだけ安心したようでした。

曹肇は、父上が戻るまでここにいるか、と姉上に聞きました。

姉上は、おります、と言いました。

明日も。

明後日も。

文烈様が戻られるまで。

玉珠は、それを聞いて、少し嬉しくなりました。

姉上が本邸にいるなら、曹肇も曹纂様も安心です。

玉珠も安心です。

お菓子の場所も近いです。

とてもよいことです。

姉上は、また困った顔をしていました。

でも、玉珠は知っています。

姉上は、困った顔をしていても、ちゃんとそばにいてくれます。

曹纂様が袖をつかんでも、曹肇が隣に座っても、玉珠がお菓子の屑をこぼしても、姉上はだいたい逃げません。

少し文句は言います。

たくさん言う時もあります。

でも、逃げません。

だから曹纂様も曹肇も、姉上の近くに来たのだと思います。

最後に、文烈様から文が届きました。

届いたというより、預けてあったそうです。

出立して一日しか経っていないので、西から届いたわけではありません。

玉珠にも、それくらいは分かります。

文烈様は、出かける前から姉上に文を残していたのです。

姉上は、返事をしませんでした。

できなかったのだと思います。

姉上は、文烈様のことになると、時々、言葉が遅くなります。

皮肉は速いのに、不思議です。

文には、何が書いてあるのでしょうか。

玉珠は気になります。

曹肇も気になっていると思います。

曹纂様は眠っていました。

でも、姉上の袖は離していませんでした。

文烈様がいなくても、文烈様の文が来ます。

文烈様がいなくても、曹肇と曹纂様が姉上のそばに来ます。

文烈様がいなくても、姉上は困っています。

文烈様は、いないのにすごいです。

次回は、文烈様の文を読むのでしょうか。

玉珠も聞いてよいのでしょうか。

姉上は、たぶん聞かせてくれません。

でも、姉上の顔を見れば、少し分かるかもしれません。

姉上が困った顔をしたら、文烈様のせいです。

姉上が赤くなったら、たぶん文烈様のせいです。

姉上が皮肉を言い始めたら、きっと文烈様のせいです。

玉珠は、ちゃんと見ています。


それから、文烈様が帰ってきた時のお菓子は、まだ決まっていません。

三つまで絞りました。

でも、甘いものは全部大事なので、選ぶのは難しいです。

姉上も、甘い顔になるとよいと思います。


たぶん、また困ると思いますけれど。

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