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12/24

文烈様、出立前に抱きしめるのは反則ではありませんか?

劉明珠でございます。


前回より、玉珠が本邸へ通う日が増えました。

曹肇様は、もう逃げません。

たいへん大きな進歩でございます。

ただし、玉珠を待っている時でも、なぜか少し不機嫌そうな顔をしています。

嬉しいなら嬉しい顔をすればよいと思うのですが、若君にも若君なりの事情があるようです。

曹纂様も、玉珠に懐いております。

玉珠の袖をつかみ、髪飾りをつかみ、お菓子もつかみます。

小さな手は、思ったより忙しゅうございます。

文烈様のお屋敷では、幼い若君たちと玉珠と菓子皿が、たいへん複雑な外交を繰り広げております。


私は本邸へ移ることになりました。

文烈様が西へ向かわれるためです。

玉珠と私の守りを固めるため。

曹肇様と曹纂様の近くにいるため。

理由は分かります。

分かりますが、理由が正しいことと、心が素直に納得することは、まったく別でございます。

文烈様は、相変わらず困った方です。

戸の外で声をかける。

約束を破らない。

こちらが警戒している理由を否定しない。

そして、守ると言いながら、守るものまで私へ手渡してくる。

曹肇様と曹纂様を頼む、と仰いました。

私は捕らえられた娘で、守られる側であったはずなのですが、いつの間にか若君たちを頼まれる側になっております。

たいへん困ります。

人の立ち位置というものは、本人の許可なく変わるようです。


今回は、文烈様が出立される朝のお話です。

馬超、韓遂、関中。

私には、まだ遠い名ばかりです。

けれど、その遠い名が、文烈様をこの屋敷から連れていこうとしております。

私は静かに見送るつもりでした。

文烈様の妻として。

留守を預かる者として。

きちんと頭を下げて、お気をつけて、と申し上げるつもりでした。


ええ――


つもりだけなら、人はたいへん立派に生きられます。

なお、玉珠は今回も玉珠です。

姉がそれなりに大事な場面にいる横で、妹は妹なりにたいへん真剣なことをしております。

真剣であることと、正しいことは、やはり別でございます。


父上――


あなたの娘たちは、敵地でそれぞれ忙しく生きております。

一人は、敵であったはずの方を待つ女になりかけております。

もう一人は、たぶん今日も、お菓子の心配をしております。

文烈様が西へ向かわれる朝、屋敷は夜明け前から動いておりました。

馬の嘶き。

革具の鳴る音。

兵たちの足音。

下男や侍女の慌ただしい気配。

どれも、これまで何度も聞いたことのある音ではありません。

それでも私は、すぐに分かりました。

これは、誰かが出ていく音です。

たいへん嫌な音でございます。

出ていく音というものは、戻ってくる音よりずっと大きいのです。

戻ってくる時は、まだかまだかと耳を澄ませなければ聞こえません。

出ていく時だけは、こちらが聞きたくなくても勝手に耳へ入ってきます。

世の中は、そういうところだけ律儀です。

私はすでに本邸へ移っておりました。

文烈様が不在の間、玉珠と私の守りを固めるため。

曹肇様と曹纂様の近くにいるため。

理由は分かっております。

分かっておりますが、自分の荷が本邸の部屋へ運ばれていくのを見ると、妙な気持ちになりました。

守られているのか。

預けられているのか。

それとも、文烈様の家の内側へ、また一歩入れられているのか。

たぶん、全部です。

たいへん困ります。

一つの出来事に意味が多すぎると、文句をつける箇所が散ってしまいます。

玉珠は朝から元気でした。

「姉上、今日は文烈様がお出かけですか?」

「そうです」

「遠いところ?」

「西だそうです」

「西には、お菓子がありますか?」

「存じません」

「では、文烈様は何を食べるのですか?」

「兵糧でしょう」

玉珠は眉を寄せました。

「兵糧は、お菓子ではありませんよね?」

「お菓子ではありません」

「かわいそうです」

西へ征く武人への感想が、それでよいのでしょうか。

父上――

あなたの娘は、敵将の食生活を心配しております。

内容は、菓子不足です。

戦局には何の影響もございません。

曹肇様は、いつもより口数が少なくなっておりました。

木馬は持っていません。

代わりに、きちんとした衣を着て、背筋を伸ばしています。

子どもが無理に大人の顔をしている姿は、見ていて少し苦しくなります。

「肇様」

私が声をかけると、曹肇様はすぐこちらを見ました。

「父上は戻る」

自分に言い聞かせているような声でした。

「はい、戻られます」

「泣かない」

「それは立派でございます」

「纂は泣く」

「曹纂様はまだ幼いですから」

「玉珠は?」

玉珠は、隣で首を傾げました。

「玉珠は泣くの?」

「自分のことを私に聞かないでください」

「文烈様が帰ってくるなら泣かないです」

「戻る」

曹肇様が即座に言いました。

玉珠はにこりと笑いました。

「じゃあ、泣きません」

単純です。

けれど、その単純さが少しだけ羨ましくもありました。

戻るなら泣かない。

戻らないかもしれないから怖い。

私は、そちら側を考えてしまいます。

曹纂様は乳母に抱かれたまま、すでに泣きそうな顔をしておりました。

何が起きるか、すべてを分かっているわけではないのでしょう。

けれど、屋敷の空気が違うことくらいは感じ取っているようです。

小さな手が、宙をつかみます。

玉珠がその手に菓子を渡そうとしました。

「玉珠」

私はすぐに止めました。

「今ではありません」

「でも曹纂様、泣きそうです」

「出立の場で菓子を握らせると、後で乳母が困ります」

「じゃあ、帰ってきた時?」

「それならよろしいでしょう」

玉珠は真剣に頷きました。

「帰ってきた時のお菓子を用意します」

帰ってきた時――

その言葉に、胸の奥が少し痛みました。

誰かが帰ってくる前提で、菓子を用意する。

玉珠にとっては、それが一番自然な願い方なのです。

門前には、すでに馬が整えられていました。

文烈様は鎧姿でした。

いつもの穏やかな衣とは違います。

背筋は伸び、腰には剣があり、兵たちがその周囲に控えています。

文烈様は、屋敷の主であり、父であり、私に戸の外から声をかけてくださる方です。

そして、武人でした。

当たり前のことです。

けれど、その当たり前が鎧の形をして目の前に立つと、私は言葉を失いました。

文烈様がこちらを見ました。

「明珠殿」

いつもの声でした。

出立の朝だというのに、こちらを慌てさせない声です。

たいへん困ります。

ここで少しでも乱暴な声を出してくだされば、私はいつものように警戒できるのです。

優しくされると、怒りの支えが折れます。

「お気をつけて」

それだけ言うつもりでした。

きちんと頭を下げて、文烈様の妻として、留守を預かる者として、静かに見送るつもりでした。

ええ――

つもりは立派でした。

つもりだけなら、人はたいへん立派に生きられます。

文烈様は曹肇様の前に膝を折りました。

「肇、纂を頼む」

「はい」

曹肇様の声は少し震えていました。

文烈様はその頭に手を置きます。

「明珠殿と玉珠殿の言うことをよく聞け」

「玉珠の言うことも?」

そこは疑問なのですね。

玉珠が胸を張りました。

「玉珠は良いことを言います」

「菓子の話ばかりだ」

「菓子は大事です」

「父上、玉珠の言うことは、選んで聞きます」

文烈様の口元がかすかに緩みました。

「それでよい」

よいのですか……

玉珠の言葉を選別して聞く若君。

たいへん賢明です。

人の成長は、時に菓子皿から始まるようでございます。

次に文烈様は、乳母に抱かれた曹纂様の頬へ手を伸ばしました。

曹纂様は泣きました。

遠慮のない泣き声です。

文烈様は困ったように笑い、額をそっと撫でました。

「戻る」

曹纂様に言っているのか。

ご自分に言っているのか。

私には分かりませんでした。

最後に、文烈様は私の前へ来ました。

「明珠殿」

「はい」

「肇と纂を頼む」

「承知しております」

「玉珠殿も」

「そちらは、できる限り回収いたします」

「回収?」

「主に菓子皿の周囲で発生します」

文烈様は少し笑いました。

こんな時に笑わないでいただきたい……

こちらは笑われると、ますます困るのです。

「そなた自身も、無理をするな」

「無理をするほど、何かができる立場でもございません」

「そなたは、できる」

その一言で、胸の奥がまた熱くなりました。

この方は、私を弱いまま置いておいてくれません。

捕らえられた娘としてだけ扱ってくれません。

守ると言いながら、守るものまで手渡してくる。

卑怯です。

たいへん卑怯です。

優しさに重さを混ぜて渡してくる方など、扱いに困ります。

文烈様が馬へ向かいました。

その背を見た瞬間、足が動きました。

誰の足かと思いました。

私の足でした。

持ち主の許可を得ずに動くとは、足というものも案外不忠でございます。

「文烈様……」

声が出ました。

か細い声でした。

文烈様が振り向きます。

振り向かないでください。

いえ、振り向いてください。

どちらなのか、自分でも分かりません。

私は駆け寄っておりました。

侍女が息を呑みました。

曹肇様が目を見開きました。

曹纂様は泣いております。

そして玉珠は、たいへん真剣な顔で鼻をほじっておりました。

姉の人生が一歩進んでいる横で、妹の指もまた、別の方向へ進んでおります。

しかも、その指を口へ運ぼうとしていました。

「玉珠」

私は文烈様の前で足を止めたまま、声を落として呼びました。

「はい?」

「それは、食べ物ではありません」

玉珠は指を止めました。

「違うの?」

「違います」

「でも、取れたよ?」

「報告しなくて結構です」

文烈様の肩が、わずかに震えました。

笑わないでいただけますか。

今、私はそれなりに大事な場面にいるはずなのです。

恋なのか、別れなのか、願いなのか、自分でもよく分からないものを抱えて、必死に立っているはずなのです。

その横で妹が鼻をほじり、さらに食べ物かどうかを確認している。

これが劉備玄徳の娘二人でございます。

父上――

ご覧になっていないことを、心より幸いに存じます。

私は息を吸いました。

何を言えばよいのでしょう。

行かないでください。

それは言えません。

文烈様は丞相様に従って西へ向かわれる方です。

私一人の不安で、馬の向きが変わるはずもありません。

ご武運を――

それは正しい言葉です。

けれど、今の私には少し遠すぎます。

帰ってきてください。

それはもう言いました。

言葉が足りなくなった私は、ただ文烈様の腕をつかみました。

文烈様の目が揺れます。

人前でした。

門前でした。

兵も、侍女も、子どもたちも見ております。

それでも文烈様は、私を退けませんでした。

ゆっくりと手が伸び、私の背に回ります。

抱き寄せられました。

昨夜、文烈様に抱き寄せられた時とは違い、部屋の中ではありません。

戸の外の声でもありません。

朝の光の中です。

出立の場です。

それでも、その腕はやはり強く、閉じ込めるものではありませんでした。

「戻る」

文烈様が、低い声で仰いました。

「戻るために戦う」

私は頷きました。

声は出ません。

出せば、何か余計なものまで出てしまいそうでした。

文烈様の鎧は冷たく、衣はいつもの香ではなく、革と鉄の匂いがしました。

この方は本当に戦へ行くのだと、そこでようやく実感しました。

たいへん遅い理解でございます。

私は、父上の軍の荷車に乗っていた娘です。

戦の中で落ちた娘です。

なのに、今さら戦へ行く男の匂いに怯えております。

人は、自分が失うかもしれないものを持ってから、ようやく戦を怖がるのかもしれません。

文烈様は私を離しました。

すぐに離すのではなく、ほんの少しだけ、名残を残すように……

そのわずかな遅れに、胸が締めつけられました。

たいへん困ります。

遅れて離すくらいなら、いっそもっと乱暴に離してくださればよいのです。

そうすれば、私は怒れます。

怒れば、寂しさの置き場所ができます。

けれど文烈様は、怒る場所を作ってくださいません。

「明珠殿」

「はい」

「待っていてくれ」

それは、命令ではありませんでした。

願いでした。

私は、先に願った側です。

帰ってきてください、と……

今度は、文烈様が願う。

待っていてくれ、と……

ずるい方です。

そんなことを言われて、待たないでいられる女がいるのでしょうか。

「お待ちしております」

私は、そう答えました。

文烈様は一度だけ頷き、馬に乗りました。

曹肇様は唇を強く結んでいます。

曹纂様は泣いています。

玉珠は、鼻をほじった指を侍女に拭かれております。

たいへんな見送りです。

文烈様は門を出ていきました。

馬の蹄の音が、少しずつ遠ざかります。

出ていく音です。

戻ってくる音ではありません。

それでも、私は耳を澄ませました。

今はまだ聞こえない、戻ってくる日の音を、勝手に探しておりました。

玉珠が袖を引きました。

「姉上」

「何です?」

「文烈様、帰ってきたらお菓子食べる?」

「食べるかもしれませんね」

「では、取っておく?」

「腐ります」

「じゃあ、新しいのを用意します」

「それがよろしいでしょう」

玉珠は真面目に頷きました。

「文烈様が帰ってくる日のお菓子です」

帰ってくる日――

その言葉だけで、私は少しだけ息ができました。

曹肇様が小さく言いました。

「父上は戻る」

「はい」

私は答えました。

「戻られます」

本当にそうかは分かりません。

戦に出る方について、必ずなどとは軽く言えません。

文烈様もそう仰いました。

けれど、言わなければ立っていられない言葉もございます。

私は曹肇様の頭に手を置きました。

曹纂様はまだ泣いております。

玉珠は、すでに帰還祝いの菓子について考え始めております。

そして私は、門の向こうを見つめておりました。

文烈様は、西へ向かわれました。

馬超、韓遂、関中。

私には遠い名ばかりです。

けれど、その遠い名が、私の待つ人を連れていったのです。

その日から私は、戻ってくる音を待つことになりました。

たいへん困ります。

敵であったはずの方を待つ女になるなど、長坂の荷車にいた頃の私は、まったく考えておりませんでした。

劉玉珠です。


今回は、文烈様が西へ行きました。

西です。

馬超、韓遂、関中です。

玉珠には、まだよく分かりません。

馬超という方は、馬に乗るのが上手そうです。

韓遂という方は、韓というところの方かもしれません。

あれ?

前にも言ったかも……

関中というところには、関さんが、たくさんいるのだと思います。

でも、分かることもあります。

文烈様は、お出かけしました。

戦へ行くそうです。

戦は、ただのお出かけではありません。

姉上の顔が、とても静かだったからです。

姉上が静かな時は、心の中が静かではない時です。

玉珠は、少し分かります。

曹肇は、泣かないと言いました。

曹肇はえらいです。

でも、少しだけ声が震えていました。

泣かないと言っている人は、泣きたい時があるのかもしれません。

曹纂様は泣きました。

小さいので、それでよいと思います。

泣きたい時に泣けるのは、たぶんよいことです。

曹肇は泣きませんでした。

曹纂様は泣きました。

姉上は泣きませんでした。

でも、姉上は泣くより難しい顔をしていました。

文烈様は、姉上に曹肇と曹纂様を頼みました。

それから、玉珠のことも頼みました。

玉珠は、頼まれるものなのでしょうか。

少し不思議です。

玉珠はちゃんとしています。

たぶん――

お菓子の場所も覚えています。

曹肇の木馬の音も覚えています。

曹纂様が袖をつかむ力も覚えています。

だから、たぶんちゃんとしています。


姉上は、文烈様を見送るつもりだったそうです。

静かに。

きちんと。

文烈様の妻として。

留守を預かる方として。

でも、姉上は走りました。

玉珠はびっくりしました。

姉上は、走るのが遅いので、あまり走りません。

しかも走る前に、だいたい皮肉を言います。

でも今回は、皮肉より先に足が動いたようです。

姉上の足は、姉上より正直なのかもしれません。

姉上は文烈様の腕をつかみ、文烈様は、姉上を抱きしめました。

玉珠は、それを見ていました。

たぶん、大事な場面だったのだと思います。

曹肇も目を丸くしていました。

侍女たちも静かになりました。

曹纂様は泣いていました。

玉珠は、鼻が少しかゆかったです。

だから、少しだけ触りました。

でも、姉上に見つかりました。

姉上は、文烈様の腕の中にいるのに、玉珠を叱りました。

姉上はすごいです。

文烈様と抱き合っていても、玉珠の指を見ています。

姉上の目は、たぶん二つより多いのだと思います。

「それは、食べ物ではありません」

姉上はそう言いました。

食べ物ではないそうです。

取れたのに……

でも姉上が言うなら、食べ物ではありません。

侍女に拭かれました。

文烈様は、少し笑っていました。

笑っていない顔をしていましたが、肩が揺れていました。

文烈様は、笑うのを我慢するのが上手です。

でも姉上には、たぶん見つかっていました。

姉上は、文烈様に帰ってきてほしいのだと思います。

前にも言っていました。

今回も、言葉ではなくても、そう思っていたと思います。

文烈様は、戻ると言いました。

戻るために戦う、と言いました。

玉珠は、その言葉を覚えておきます。

戻るために戦う。

少し怖い言葉です。

でも、少し安心する言葉でもあります。

文烈様が帰ってきたら、お菓子を用意します。

今日のお菓子を取っておこうかと思いましたが、姉上に腐ると言われました。

腐るのは困ります。

だから、新しいお菓子にします。

曹肇も待っています。

曹纂様も待っています。

姉上も待っています。

玉珠も待っています。

待つ人が多いので、文烈様はきっと帰ってくると思います。

帰ってきたら、姉上はまた困る顔をするのでしょうか。

文烈様が来ても困る。

文烈様が来なくても困る。

文烈様が出かけても困る。

文烈様が帰ってきても、たぶん困る。

姉上の困ることは、増えている気がします。

でも、玉珠は知っています。

姉上が困る時は、嫌いな時だけではありません。

好きな時も、たぶん困るのです。


次回は、文烈様がいないお屋敷のお話でしょうか。

姉上が本邸で曹肇と曹纂様を見るお話でしょうか。

玉珠は、姉上のお手伝いをします。


たぶん――


まずは、帰ってきた時のお菓子を考えます。

甘いものがよいと思います。

文烈様が帰ってきたら、姉上も少し甘い顔をするかもしれません。

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