剣を置いた少女
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
公爵家へ戻る馬車の中。
エリナは一言も喋らなかった。
窓の外には森が流れ、町が流れ、人が流れていく。
だが何も目に入らない。
膝の上には一枚のカード。
ベルが最後に投げて寄越したもの。
屋敷へ戻ると、公爵は何も言わなかった。
いや、言えなかった。
エリナの服に染みた血。
剣の欠け。
そして隣にいるはずの青年がいない。
それだけで十分だった。
その日からエリナは部屋に籠もった。
窓も開けない。
剣も持たない。
朝も昼も夜も。
ただ椅子に座り、ぼんやりと庭を眺める。
食事も少ししか喉を通らない。
数日後。
机の上のカードが静かに声を発した。
(……いつまでそうしている)
「……」
いまのエリナには“意味”が分かる。
だからこそ、返せない。
(黙っていても、死者は戻らない)
「……分かってる」
声は掠れていた。
「でも……怖いの」
拳を握る。
「あの時、私が止まっていれば。引き返していれば。ベルは死ななかった」
(そうだ)
即答。
エリナは顔を上げる。
(あれはお前の未熟さだ)
「……っ」
(敵を知らず、自分を知らず、勝てると思い込んだ)
「……やめて」
(事実だ)
「やめてよ……!」
涙が落ちる。
(お前は、ベルを死なせた)
「――ッ!」
その言葉は刃だった。
エリナは机に伏し、嗚咽を漏らした。
しばらくして。
泣き疲れた頃。
(だが、それで終わるのか)
「……え?」
(失敗した。未熟だった。ベルを死なせた。なら、その先は二つだ)
(逃げるか。背負うか)
長い沈黙。
やがて、絞り出すように呟く。
「……私、冒険者なんて無理」
血の匂い。
ベルが崩れた瞬間。
思い出すだけで息が詰まる。
「人が死ぬの、怖い……」
(そうだろうな)
「もう嫌」
(当然だ)
「……剣なんて、持ちたくない」
カードは少しだけ黙った。
(なら、捨てろ)
「……え?」
(剣を捨てろ。冒険者も諦めろ。安全な屋敷で、一生守られて生きろ。それも一つの生き方だ)
エリナは唇を噛む。
胸の奥がざわつく。
それで終わっていいのか。
ベルは何のために庇ったのか。
最後にカードを託したのはなぜか。
カードが、静かに光る。
するとエリナの頭の中へ何かが流れ込んだ。
足運び。
重心移動。
剣の握り方。
受け流し。
斬撃。
知らないはずなのに、知っている。
「……なに、これ」
(剣術の“型”だ。ベルが持っていた技術の一部が、カードに残っている)
「……残ってる……」
(使えるかは別だがな)
エリナはゆっくり立ち上がった。
部屋の隅。
放置していた木剣がある。
持つ。
重い。
怖い。
だが、不思議と握り方は分かった。
一振り。
空気を裂く。
二振り。
三振り。
その度に、頭の奥でベルの動きが重なる。
「……っ」
涙がまた落ちる。
「ずるい……」
ベルはもういない。
なのに、まだ隣にいる。
(死んでもなお、お前を守っている)
エリナは木剣を強く握った。
まだ、冒険者には戻れない。
森へ行く勇気もない。
夜になれば、あの日の夢を見る。
だが。
完全に剣を置くことだけは、できなかった。




