豚になろう
20 豚になろう
2020.11.01
この作品はいつも空を見ている②③の
2人の子供が中高生になり、
僕の幸せな結末までの2人の祖父母と
一緒に暮らしている番外編
幸せな日の中での連作短編になってます。
中條アンド上条二世帯住宅の一階リビングにて
「暎万、お前、最近痩せた?」
お兄ちゃんの春樹君に言われた暎万ちゃん、ギョッとした。
「嘘?」
「なんか顔ちっちゃくなったんじゃない?最近」
ソファに寝っ転がっていたの起き上がってバタバタと洗面所へ駆けて行った。しばらくして暗い顔で戻って来て、ソファーにちょこんと座った。
その様子を見ていた春樹君、怪訝な顔で問いかける。
「なんでそんな落ち込んでんだ?普通はお前くらいの年だったら、痩せたと言われたら喜ぶだろ?」
「いや、結局不本意な禁欲的生活の結果が、貧相な顔にしていると思って……」
そう言ってため息をついた。
「いや、別に今のレベルでちょうどいいだろ。お前は普段、ギリギリだぞ。ギリギリでぽっちゃり判定だ。つまりあとちょっとでデブだ」
虚ろな目で兄を見る暎万ちゃん。
「わたしはそういう世俗的な水準では生きてないから」
「は?」
意味がわからない。
「あ〜、もう。お母さんが仕事やめちゃってから、お菓子もケーキも思うように食べられないじゃん。痩せちゃったじゃん」
「いや、全然いいだろ。お前、ほんとそういう食べ放題の生活続けてると、将来間違いなく100人の男が通りすがっても、100人が振り返らないようなデブな女になって、いき遅れるぞ」
「別に結婚なんかできなくなったっていいもん」
でた。でたよ。妹の一生独身発言。
「あのさ、じゃあ、どうやって生活するの?」
こいつ、真面目に勉強とかして人生設計立てる人ではないですよ。
「どうにかなるよ」
「いや、どうにかなっても、間違いなく美味しいものは食べられなくなるぞ」
お兄ちゃんは知っている。妹とのコミュニケーションの方法を。
「肉も寿司も、この世の中の一流のものは全部高い。しっかり働くか、金持ちと結婚しないと口に入らないぞ」
少しガーンといった顔になったよね。
「じゃあ、金持ちと見合いで結婚する」
「あのな」
説教モード入った。
「どこの金持ちがデブと結婚するんだよ」
「中にはマニアックな人がいるんだよ」
「あのな。金持ちでかつマニアックな人とたまたま出会って、美味しいもの食べ放題の幸せ人生をお前が掴む可能性も0ではないが、確率としては低い」
じいっと兄弟で見つめ合う。
「夢がないね。お兄ちゃん」
「いや、お前に現実感覚がないだけだ」
暎万ちゃんふと、お兄ちゃんの方を見るのをやめて、時計を見る。
「あ、もうお昼近いじゃん」
そして、ふと思い出す。今日はうるさいお父さんいないじゃん。おじいちゃんはいる。
チャンスじゃないですか。痩せてしまった分と満たされない欲望を満たそうではないか。急に立ち上がると台所へと駆け込む。そこではおばあちゃんの夏美さんがお昼ご飯の下ごしらえをしている。
「おばあちゃん、ちょっとその料理、待って」
「へ?なに?暎万ちゃん」
「いいから、待って」
それだけ言うと、たたっと家の奥へと駆けていく。おじいちゃんの書斎を開ける。
「おじいちゃん」
清一さんは、パソコンの画面見ながら何かしていた。仕事ではないはずで、もう退職したので。でも、孫の暎万ちゃんにとってそれはどうでもいい。
「今日、お昼、焼肉食べに行こうよ。みんなで」
「え?」
一瞬、清一さんきょとんとする。
「夜なら、お父さんもお母さんも帰って来るんじゃないの?みんなで行ったほうがいいじゃない」
「それじゃ、牛兵衛になっちゃうもん。お父さん、最近けちだから。李園に行きたいの」
「……」
「もちろん、おじいちゃんのおごりで」
「ええっと……」
「なに?交換条件?わたしにできることならするよ。何でも言って」
目がすごい真剣です。暎万ちゃん。
「毎日仕事して疲れているお父さんとお母さんこそ焼肉食べて元気になったほうがいいんじゃないの?それを置いといて我々だけで行くと言うのは、ちょっと」
「でも、お父さんがいたら、普段の食費から出すって言って、絶対に李園には連れて行ってくれないもの。牛兵衛に行くなら、わたし、焼肉なんて食べないでいい」
一体、誰がこんなにグルメに育てたのか……
「それに、お父さんは仕事して疲れてるかもしれないけど、お母さんは自分の好きなことしてんじゃん。家に生活費も入れないで」
吠えました。
「もし、夜、どうしても行くと言うなら、お母さんは置いて行く」
血も涙も無いではないですか。
「さ、おじいちゃん。交換条件を言って。何をすればいい?」
「……」
急にそんなことを言われても、孫娘に対する要求?勉強真面目にしろ、か?間食しすぎるな?たまには家のお手伝いをしろ。うん。これがいいだろう。
「たまにはおばあちゃんのお手伝いを……」
「わかった。じゃあ、一週間食器洗いする。夕飯の」
素早い反応だ。焼肉おそるべし。
「他には?」
「ええっと……」
若者のテンポにはついていけんじゃん。
「とりあえずは、それでいい?」
話をまとめられてしまった。
「おじいちゃん、着替える?別にそのままでいいよね」
手を引っ張られて椅子から立たせられる。いや、待てよ。いつの間に焼肉に行くことになったんだ?いつのまにか行くことになってるじゃん。
「おばあちゃ〜ん、お昼は外になったから〜。お兄ちゃ〜ん。着替えるならさっさと着替えてね」
居間の方からえ〜っと言っている二人の声が聞こえる。孫の春樹はやたら口が上手くて、気づくと周りを丸め込んでいるんだけど、暎万はひたすら強引だな。一体誰に似たんだろう?
***
「せいちゃん、何がいい?」
「う〜ん」
よく考えれば自分は昼間から焼肉を食べたいような年齢ではありません。
「もずく酢とかないの?」
「あるわけないじゃん。居酒屋じゃないんだから」
夏美さんが呆れてます。
「じゃあ、冷麺でいい」
「他には?」
「みんなが頼んだの、ちょっと摘めば、それでいいや。あ、チャンジャが食べたいな。ついでにビール」
ふっと夏美さんが皮肉な顔で笑いました。
「お金出す人がそんなつまらないものばっか食べて」
「あ、それに、オイキムチが食べたい」
「わたしは壺カルビ」
残り三人がはしゃぐ暎万ちゃんを見ます。
「あとビビンバ」
「え、何?お前、それまさか一人で平らげるの?」
お兄ちゃんが引いている。
「だって、そのくらい食べなきゃ戻らないじゃん」
「いや、戻らんでいい」
「それと、こだわり厚切り牛タンとこの豚トロと……」
止まる所を知らない、暎万ちゃんの注文。
「いや、お前、いい加減にしろ。おじいちゃんとおばあちゃんはそんな食べられないし、十分だろ」
「え?そんな心配しなくても、あまりそうになったら全部わたしが食べるじゃん。今日食べだめしとかないと、次いつ来られるかわからないし」
「いや、食べだめなんて人間は普通できないから」
いくつか入れようとしていた注文を取りさげられましたが、それでもご機嫌の暎万ちゃん。
ところが……。お店の人気メニューのこだわり厚切り牛タンを口に入れた途端に顔が凍りついた。
「ちょっと、店長呼んでください」
「へ?」
お店の店員さんに声をかける。残りの三人がギョッとする。
「あ、いや、すみません。呼んでいただかなくて結構です。おい、暎万、なに言ってんの?」
春樹君が慌てて言うと、暎万ちゃん、お兄ちゃんをきっと睨みました。
「食べてわからないの?」
「ん?」
言われてもう一度牛タンを食べた。
「これが、何か?」
お兄ちゃん、全然妹の言おうとすることがわからない。
「いつもと柔らかさが全然ちがう。下処理する人、換えましたね」
そう言って店員さんをきっと見る。
「ええっと……」
「人は換えても、お店の方法をちゃんと引き継がないと、そう言うところから常連さんを逃してしまうんですよ」
三人ぽかんとして暎万ちゃんを見ます。この子、女子中学生。でも、この時だけは、なんか後光がさすぐらいに凛々しいと言うか、なんと言うか、かっこよかったよね。
店員さん、空のお盆を前に抱えて、ちょっと泣きそうになって、
「申し訳ありません。店長に伝えますっ」
と言うと、小走りに厨房の方へ行ってしまった。
そしてほどなく
「本当に申し訳ありませんでした」
店長と先ほどのバイトの店員がわざわざ女子中学生に頭を下げに、客席まで。
「きちんと確認してませんでした。教えた通りにやっていなくって。お客さんにご指摘いただかなかったら、このまままずい肉を出し続けてしまうところでした」
何事かと周りのお客さんもこちらを見ている。
「わかればいいんです」
なんか動じるどころかしゃあしゃあと言ってのけている、暎万ちゃん。
「これはほんのお詫びの徴に」
「あ、極上カルビだ」
「すごいですね。見ただけでわかるんですか?」
なんだろう、肉通?とでも言うのだろうか、店長と暎万ちゃん、にへらっとした顔で笑い合ってます。これは気持ちが通じ合った友情の笑みとでもいうのかもしれません。
「いや、そんな、悪いですから」
春樹君が遠慮しました。というか、妹のビビンバも半分とりましたし、さすがにもう入りません。
「でも、もう切ってしまいましたから」
「大丈夫だよ。お兄ちゃん。せっかくの気持ちだから、美味しくいただこう」
暎万ちゃんの目が本日で一番キラキラとしている。
「うっま〜い。一度は食べたいと思ってた」
メニューの中で最高部類に高いものなので、なんとなく頼んだことがなかったです。この極上カルビ。
「お前、女なんだから、美味しいといえよ」
「いいから、ほら、食べてみ。お兄ちゃんも。ほら、おじいちゃんも、おばあちゃんも」
せっかくだから、みんなもうお腹いっぱいですけど、一切れずついただく。
「ね、全然違うでしょ?」
「う〜ん」
美味しいです。でも、正直、そこまでさっき食べたカルビと違う?よくわからない。
「この脂の香りが違うんだって」
恍惚とした顔をしています。その顔を見て、思わず晴一さんがぶっと笑いました。
「暎万は本当に食べるのが好きだなぁ。将来、飲食系に進めばいいんじゃないの?天職じゃない」
「それって、レストランとかで働くってこと?」
暎万ちゃんがつまらなさそうな顔をする。
「嫌か」
「わたしはあくまで食べるのが好きなんであって、作るのは興味ない」
「これだけ味の違いとかわかるのに、それを生かさないの?」
孫娘はいやいやと首を横に振りました。
「じゃあ、あれだ。美食評論家みたいなのになればいいんじゃないか」
清一さんがぽろっとそうこぼした時に、夏美さんと春樹君がものすごい顔で一斉に清一さんを見た。それこそ、冷蔵庫を開けたら時限爆弾見つけましたみたいな顔だったよね。
え?俺、なんかまずいこと言った?
冷んやりとしたものを背筋に感じながら、そうっと視線を孫娘に滑らせる。
「それだ!それしかないじゃん。おじいちゃん。わたしの生きる道は。結婚なんかしなくても、美味しいもの食べまくれるじゃん」
目がキラキラしている。人生の目標を思いがけずに見つけた。とある日、焼肉ランチをしていて。今、暎万の人生の一ページがめくられた……。
夏美さんと春樹さんの言いたいことが、文字化されなくても伝わってきます。
こんなに単純で思い込みの強い人間に、そんなどうやればなれるのかわからないような曖昧な職業を提示するなんて……。そうでなくても現実逃避半端ない人なのに。
この女子はきっと、進路調査票に堂々と美食家と書くに違いない。
普段、この孫娘の世話は夏美さんとお兄ちゃんの春樹君がやっています。
いつもは何もしない清一さんが、たまにうっかりこういうことをしてしまう。
この後のフォローはどうすんだ、という無言の圧力を二人から感じる。
ああ、だからね。こういうことをしてしまうから、退職して家に毎日いるようになると、家族から疎まれるんだよなぁ。余計なことをするなってやつですよ。
「ああ、今日はほんっとうにいい日だなぁ。おじいちゃんありがとう」
「あ、いや。ははははは」
もう、笑うしかない。




