体重計
21 体重計
2020.11.3
作品の説明書き
この短編はある意味イレギュラーな番外編でして、
と申しますのは、本編がまだこの世に存在しておりません。私の頭の中に大まかなプロットはあります。
書く予定もあります。でも、本編と一緒にその先の話もくっきり浮かんでしまい、今書かないと忘れるなと思いしたためました。
ある意味本編へのイントロダクションとでもいうのでしょうか?
短編中に含まれる謎については本編に続く伏線として楽しんでいただけたらと思います。
2020.11.03
帰宅途中の車中より
汪海妹
片瀬大生
「ねぇ、ひろ君。新作のケーキってもうできたの?」
休みの日の朝、朝寝坊して起きると昨日の夜から泊まってる彼女に聞かれる。
「また、それ?暎万の頭の中は食べ物のことしかないのか?」
「ない」
即答だな。おい。
「全然ないの?食べ物のこと以外は」
しつこく聞くと、少し考える。
「少し、は、ある」
その少しの中に俺も入ってるわけだ。
「ね、できたの?」
目がキラキラしている。
「その前に約束は?」
「え〜!」
「いいから、ほら」
部屋の隅のそれを指差す。
「ね、服脱いでいい?」
「え?なに?朝からそんな気分なの?いいよ。つきあってあげても」
次の瞬間……
「いたっ」
「もういい、服着たままで」
「お前、手加減しろよ。彼氏のことなんだと思ってるの?」
無視された。やれやれ。
「踵あげるなよ。まっすぐ立ってろよ」
「厳しいなぁ」
そっと目盛りを覗く。
「2キロオーバーだ」
「この服は2キロある」
「いやせいぜいあっても1キロだ」
「えー。いいじゃん。1キロくらい」
「だめ。約束は約束だから」
暎万がしかめつらをしている。
「いいか、お前の今の体重は、身長から見て過体重だ。最低でも標準はキープするって約束だろ?」
「ふん」
ちょっとカチンときた。
「お前、冗談じゃなく3ヶ月連続でこういう状態だったら、俺、別れるよ」
「いいもん。別に」
即答だな。おい……
今のは、ちょっと心臓にきたわ。ぐさっと。
いや、でもがんばれ、俺。こいつがこういうやつなのは今に始まったことではない。
「俺、別れたら、お前にだけは絶対俺が作ったケーキ、売らないから」
途端に暎万が、真剣な顔になる。
「うそ?脅迫?」
「お前んちの、じーちゃんとばーちゃんとにいちゃんの顔も覚えてんかんな。売らない」
若干自分たちが小学生レベルに思えたが、背に腹はかえられない。
「お父さんとお母さんは?」
「……」
会ったことがありません。
「いや、でも、お前んちの父ちゃんと母ちゃんは仕事忙しくてケーキ買いに来る暇なんてないだろ?」
「……」
暎万がつまらなさそうな顔でこっち見てる。
***
「ジムでデートなんて聞いたことないよー」
「これはデートではない。そんなことよりちゃんと真面目にやれよ。わざわざ付き合ってやってんだから。俺は別に過体重でもなんでもないんだぞ」
「そういえば、なんでひろ君って毎日甘いもの作ってるのに太らないの?」
「あのね。売り物のケーキ作りながら食べてるわけないし。味見はしても、さ。それにパティシエって結構な肉体労働なんだよ」
「え?そうなの?」
ふざけてんのかと思って顔見たら、すで驚いてる。
「売れ残りのケーキ、バリバリ食べたりしないの?」
「特別な場合を除いてうちは基本廃棄」
ものすごいショックな顔をした。
「何時に廃棄するの?」
「もらいに来ようとかするなよ。オーナーの言うところのケジメ。社員割はあってもお金出して買う。ただではダメ。お金出すほど欲しくないものは、それだけのもの。売れ残りには意味がある。捨てられる悔しさがないと職人が育たないって」
「厳しい……」
「仕事だからね」
小1時間ほど身体動かしたあと、シャワー浴びてからジムを出る。
「お昼までまだ時間あるね。どうする?」
「井の頭公園でもいく?」
睨まれた。
「また、どうせあれでしょ?ボートでも乗ろうって言うんでしょ?」
「いいじゃん。ボート。天気いいし」
「そんなこと言って、この前、さんざんこがされたし」
「いや、交代で漕いだでしょ?」
「普通はああいうものは、男の人が全部漕ぐの。どうせまたわたしに運動させようとしてるだけでしょ?」
「……」
ばれたか。
しょうがないから街をぶらぶらする。2人とも特に買う気のないものをのんびり丁寧に見て歩く。手をつなぎながら。
「そういえばひろ君って、どうしてパティシエになったの?」
「そんなん簡単じゃん」
聞くまでもない。暎万は知ってるはずだ。
「お家がパン屋だから?」
「そう。親父が喜ぶから。別に他にやりたいものもなかったし」
そう言うと、暎万はこっちを向いて優しく笑った。
「わたし、ひろ君のそういうところ好き」
「え?そういうところって?」
「家族思いのところ」
「こんなん、普通じゃない?」
「あのね」
暎万は真面目な顔をした。
「自分にとって普通なことが、みんなにとっても普通であるとは限らないんだよ」
ときどき妙に哲学的なことを言う。
「ケーキ以外にも好きなとこあったんだ」
「当たり前じゃん。好きなとこなきゃつき合わないよ」
めったにこういうこと言ってくれないのに、いう時はさらりと言っちゃうんだよな。
「なに?」
「ああ、お昼なに食べたい?」
さっきの録音しときたかったなぁ。
「ラーメン」
「却下」
腕ばしりと叩かれた。
「却下するなら聞くなよ」
「お前、仕事でラーメンなんか死ぬほど食う機会あるだろ?俺はお前の身体の心配をしてやってんの。休肝日ならぬ休胃日を作れ」
きゅういびっていいにくいじゃん。
「わたしの胃はゴールデンストマックなのに?」
「……」
誰が決めた?そんなこと。
「フォーならいいよ。フォーなら」
「なんで、フォー?」
「あれはラーメンのように油でギトギトじゃないだろ」
ブツブツ言う暎万に生春巻きも一緒に食わせて(それでもラーメンよりはまし)、帰り道、とある角で手を引っ張る。
「あれ?なんでこっち」
「いいから。おいで」
「もしかして、お店行くの?なんで?お休みでしょ?今日」
「いいからさ」
定休日のお店、借りてた鍵で開ける。
「ちょっと待っててね」
店のイートインのカフェスペースに彼女を座らせる。
「え?もしかして、もうできたの?」
背中で彼女の声を聞きながら、冷蔵庫を開ける。昨日のうちにできてた試作品。もともと今日食べさせるつもりだった。冷やしておいたムースの上に飾りをつけた。
「はい、どうぞ」
「いいの?体重、オーバーしてたけど」
「今日ちゃんと運動したし、ラーメン我慢したでしょ?」
暎万が笑った。この人が一番いい笑顔を見せる時はおいしいものを前にした時で、そして、それは僕のケーキなんです。僕が作った新作のケーキ。新しい味。
「今回は苺なの?」
「うん、下のムースが二層になってて、上にソースがかかってるから、三つの味が混ざってる」
「全部一気に食べたほうがいいの?」
「うん。そうだね」
彼女が子供のように目をきらきらさせるのを見るのが好きだ。この顔を見るために生きているんじゃないかと思うくらいで。僕は彼女ほどおいしそうに物を食べる人を他に知らない。
「今まで全然食べたことない味」
「ああ……。まずい?」
「いや。おいしい。後味が好き。普通はこういうのって一気に駆け抜けるもんだと思ってた。じんわりと始まるのにちゃんと存在感がある」
「うまいこと言うなー」
「ね、どうやってこんなの作んの?ひろ君、天才」
始まった。暎万のベタ褒め。どうしてケーキばっかりいっつも……。
「あのね、学校でちゃんと作り方習ってるし、仕事でも毎日、そりゃ山のように作ってるし、味もみてるの。毎日まじめにやっていれば、これをこのくらい入れればこういう味になるって、経験が教えてくれるの。このくらいできる人はいっぱいいるんだって」
「え〜!でも、わたし、子供の頃から、山のようにいろんなお店のケーキ食べてきたし、今も食べ続けてるけど、ひろ君みたいな味のケーキ、ないよ」
「大袈裟だなぁ」
「作ってる本人が理解してない。世界で一番ひろ君のケーキを理解して、愛しているのはわたしだね」
その今言ったセリフの、『のケーキ』を省略して言ってくれたほうが嬉しいんだけどなぁ。それでつい聞かんでもいいことを聞いてしまった。
「ね、俺としてる時と今とどっちが幸せ?」
「へ?」
スプーン口つっこんだまま、何聞かれたのか最初わからずぽかんとした。その後……
「ああ、今」
瞬殺されました。
なんとなーく、聞く前からわかってたはずなのに、どうして聞いてしまったんだろう。
「え?どうしたの?」
「すげえ、落ち込んだ。生まれてきてから今までで10本の指に入る」
「え?なんで?別にひどいこと言ってないよね?」
「暎万は、俺のケーキ以外はあってもなくてもどうでもいいんだよね?」
「そんなこと言ってないよね?ただひろ君はケーキが素晴らしすぎるだけ。花丸なんだよ」
「じゃ、あっちは?」
「へ?」
「なにまる?」
しばらく考えた。暎万。
「まる」
そして、完膚なきまでに叩きのめされました。
「二重丸ですらないんだ……」
「いや、三角やばつじゃないんだからいいじゃん」
どこの世界に付き合ってる彼氏にお前は三角だとか罰だとかいう彼女がいるんだ。つまりはいただける評価の中で一番低いものをいただいてるわけで……。
「そんなん別にそっちも花丸だって答えときゃいいじゃん。減るもんじゃなし」
「だって……」
暎万はしかめ面をした。
「評価というものは比較対象があってはじめて成り立つもので、比較対象がないからよくわかんない」
「いや、こんなんそんな真面目にやる必要ないし」
まだしかめ面してる。
「でも、仕事ではおいしい店ランキングとかつけてるわけで……」
「いや、仕事と関係ないし。つうか、この評価を気にするのは俺以外誰もいない」
「……」
「落ち込んだ」
テーブルに突っ伏しました。
「ね、ね、元気出して」
肩ぽんぽん叩かれて顔上げると、暎万がふわりと顔寄せてきて、キスされた。彼女の柔らかい唇の感触が僕の唇に残った。
「甘い」
「ああ、ムース食べてたから」
「俺の作った味がする」
「ははは」
さっぱりした顔で笑ってる。
「もうちょっとちょうだい」
今度は僕から抱き寄せてキスした。彼女がしたのよりもう少しだけ長く。
すみません。定休日とはいえ職場で。でも、誓ってそれ以上のことはしませんでしたから。
***
使った食器片付けて、鍵かけて帰る。手をつないで帰る帰り道聞いてみた。
「なんでさっきキスしてきたの?」
「え?別に……なんとなく」
横にいる彼女のことじっと見る。
「初めてだよね。暎万からキスしてきたの」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
しばらくそのままてくてく歩く。
「でもさ。ひろ君からしてもわたしからしても、することは同じだから、別に同じじゃない?」
「いや、違う」
「そう?」
「そこはぜんっぜん違うから」
「ふうん」
話が終わってしまいました。また、てくてく歩く。
「ねぇ、時々でいいからさ。またしてよ」
そういうと、無言でしばらく見つめられた。
「あんなことが嬉しいの?」
「はい」
「あんな些細なことが?」
「はい。嬉しいです」
「はぁ、じゃあ、ひろ君が落ち込んだ時には」
頭の中で反芻する。落ち込んだ時には。
「別に暎万が気分のいい時にはでいいんじゃないの?」
そっちのほうが頻度が高い気がする。それにそんなしょっちゅう落ちこまされるのも嫌です。すると真顔で見られた。
「あのね、ひろ君、紙幣というのはね」
いや、紙幣の話なんて今してないし。
「やたら、発行すると暴落するの」
「はぁ」
それで話が終わりました。いや、全然意味かわかりません。
「いや、今、紙幣の話なんかしてなかったよね?」
「だから、たまにあるから嬉しいんであって、ありふれてくると何も感じなくなるんだって。価値が暴落するの」
「……」
「ね、それより今晩の晩御飯、何にする?」
「……食欲ない」
「え〜!この歳からそんなんでどうすんの?」
「……」
ずっと冷たいなら、ずっと冷たければいいのに。時々無茶苦茶優しいから、期待してしまう。
そして、その直後にまた叩き落とされる。
もう期待するのはやめようと思うのに、ついまたしてしまう。この人、これ、わざとしてるのかな。
誰か教えてほしい。




