エメラルダ
この作品は彼女は牡丹君は椿の番外編です。
エメラルダ
2020.09.09
ピンポーン
とあるマンションの1室のチャイムがなる。
「はーい」
30前後の女性が、スタスタと歩いて玄関のドアを開ける。
「え?」
「あ、澤田さん、いらっしゃい。」
彼女は下駄箱から客用のスリッパを出して置いた。
「あがって。蒼生、ちょっとでてるけど。澤田さん来たら、待たせといてって言ってたから。」
そう言って、先に上がって振り向いても、女性と同年代のスーツ姿の男性は玄関のドアを片手で押さえたまま、ぽかんとしてる。
「どうしたの?」
女性は怪訝な顔をした。
「いや、それはこっちのセリフ。」
「どういうこと?」
「なんか、別人。あかりちゃん。」
「え?そお?」
彼女は玄関にある姿見を見ながら、顔や体、自分で自分をぺたぺた触る。
「そんな変?前の方がよかった?」
「いや、そんなことはないけど……。」
そして、やっと靴を脱いで部屋に上がる。
「それにしても、旦那の留守に男、部屋あげていいの?」
「旦那がいいって言ってんだからいいんでしょ?」
澤田さんがにやにやしている。
「それに、厳密にいったら、2人っきりじゃないわよ。」
「だれかいるの?」
ニャー
部屋の奥から猫の鳴き声が聞こえる。
「え?ネコ?」
「へへへ……」
スタスタ歩いてドアを開けるとヒョイっと抱き上げて振り向いた。緑の目の黒猫。
「うわ、エドガーアランポーの小説みたい。」
「え?なに?」
「いや。なんでもない。」
あかりさんは有名な小説を知らないみたい。
「名前なんていうの?」
「エメラルダ」
「え?ドじゃなくて?」
彼女はにっこり笑った。
「アンドロメダとかけたの。」
「なに?ギリシャ神話好きなの?」
「え?ギリシャ神話の人なの?綺麗なお姫様の話だよね?」
「母親のせいで怪物の生贄にされるお姫様。」
「それで王子様に助けられるんだよね?」
「そう。ペルセウスにね。」
「それで、2人は結婚するんだよね。」
澤田さんは猫を撫でながら幸せそうなあかりさんをじっと見る。
「どう?王子様に助けられた気分は?」
「え?なに?蒼生が王子様なの?」
「違うの?」
「え〜。」
あかりさんは笑いながら答えない。
「毎日、何してんの?」
「ひましてるー。」
「似合わないね。あかりちゃんに暇って。」
「そお?」
「働きたいとかないの?」
「うーん。しばらくはいいかな……。」
「じゃ、働くとかでなくてもやりたいこととかないの?」
「ある!」
「なに?」
「今まで酷い目に合わせた男どもに、ざまみろ結婚してやったぞって手紙をだな……」
「……」
「なーんてね。」
「え?しないの?」
「なによ。澤田さんの中ではわたしってそういう女?」
「いや……」
ニャー
ネコがなく。あかりさんはエメラルダを床におろしてやる。エメラルダは、うんと一回身体を伸ばした後でスタスタとどこかへ行く。
「せっかく拾ってもらえたのに、蒼生が嫌がりそうなことしないわよ。」
「なに?そんな偉そうなの?蒼生。」
「そんなことないわよ。」
あかりさんはぼんやりと天井の辺りを眺める。
「……優しいよ。」
「……」
「なんで何も言わないの?」
「いや。ごちそうさまです……。」
へへへとあかりさんが素直に笑う。
澤田さんが驚いた顔をする。
「ほんと変わったね。あかりちゃん。ちょっとの間に。」
「ああ、洋服とか、メークとか?」
「それもあるけど、笑い方まで違う。」
「ええ?自分じゃわかんない。」
お茶でもいれようかと座ってたソファーから立ち上がったあかりさん。キッチンに向かう彼女に立ち上がってついてく澤田さん。
「こういう感じ、だめ?前の方がいい?」
「いや、どっちも素敵だと……。でも、俺より蒼生の好みでしょ?蒼生の好きな感じってこういうのなの?」
そこで今日会って初めてしかめつらした。あかりさん。
「違うの。」
「は?」
薬缶を火にかけながら唇をとんがらしてる。
「わたしってさ、ほら、付き合う男に合わせて服とかメークとか変える女なの。もはや、儀式みたいなもんでさ。」
「うん。」
「で、蒼生にも買い物ひっぱってって、こう洋服、体あてて、こっち、それとも、こっち?どっち?ってやるじゃない。」
ぱたぱた棚を開け閉めしてカップやポットを並べて紅茶の缶を取り出す。
「そうしたら、こうじっと顔を見つめられてさ。」
ティースプーン握ったままで顔の前で両手を交えて彼女はその時のご主人の様子を再現しようとする。
「君は本当はどんな自分が好きで、どんな自分になりたいの?って言われて。」
お湯が沸いた。ふと我に返ったように、また作業に戻る彼女。
「わたしね、とっさにこう答えたのよ。」
「うん。」
「あなたの好きなわたし。」
澤田さんが笑った。あかりさんも一緒に笑顔になった。
「ね。これって女の本質じゃない。好きな人に好かれる自分になりたい。これ以上でも以下でもない。」
「あかりちゃんらしい。」
部屋に紅茶のいい香りが漂いだす。あかりさんはトレイに載せてそれらを運ぶ。
「わたし的にはそれで議論は終わりだって思ってたの。それなのに蒼生ったら……」
彼女のその時した思い出し笑いを、その薔薇の花が咲き誇って花弁が勢い余ってはらりと散るような艶やかな顔を、澤田さんは何年も忘れることができない。ほんの短い時間であかりちゃんは本気で蒼生に惚れたんだなとわかった。あんなに恋多き女。出会うたびに運命の出会いだってはしゃぐ時にだって彼女は笑ってた。でも、その顔にお茶を飲む手を止めて見惚れるほどの何かはなかった。
「なんて言われたの?」
「僕が君を好きなのはそういう表面的なことでは変わらないから、自分のために、自分の好きな自分を探してごらんって。」
「へ〜」
「そんなの、考えたことがないからわからないって言ったら、ゆっくりでいいからひとつひとつ試しながら探していけばいいって。」
「……そりゃまた、蒼生らしい。」
「ほんと変わってる。変な人。」
「それで今、試し中なの?」
「そう。どうせなら、今までと全然違うのと思って、今こんな感じ。」
ガチャリ
ニャー
玄関の方で音がするとエメラルダがなく。
「おかえり」
「ただいま」
主人が戻る。スーパーかなんかのビニール袋を持っている。
「いらっしゃい。」
自分の担当編集者に軽く挨拶する。
「買ってきてくれた?」
「よくわかんないから適当に。」
あかりさんが袋から食パンやら牛乳を出して、チェックしながら冷蔵庫に入れてく。
「うわ〜。今をときめく火野蒼生が奥さんに顎で使われてんの見ちゃった。」
澤田さんがからかうと、火野先生、むっとした。
「買いたい本があったついでだ。別に顎で使われてない。」
「またまた。お前にもこういう一面あったんだな。」
無表情にじっと澤田さんを睨む火野先生。
つと横にいるあかりさんの方を向く。
「あかり、次から僕の留守中にこいつが来たら、出直させろ。」
「え?あ、はい。」
「え?なに?俺、格下げ?」
眉間にシワ寄せた顔で先生がこっち向く。
「口は災いの元」
「なんだよ。たいしたこと言ってないじゃん。沸点の低い男だな。」
「また余計なことを」
「なんだよ。お前、誰のおかげで作家になれたと思ってる?」
「恩着せがましいな。」
ニャー
エメラルダがなく。この子の名前の由来を、奥さんは旦那さんに言うのを忘れてた。




