開花
本編は彼女は牡丹君は椿①②③の番外編です。
②で語られる過去の回想シーンとかぶる場面が
澤田さんの視点から書かれています。
澤田暎
大根を食べながら、焼酎を片手に赤い顔で、それなのに、原稿を目の前にすると目がきりりとする。さすがベテランで、読む速度が違う。途中までばっさばっさとめくっていたのが、途中から速度が落ちた。わりと丁寧に読んでいる。
自分が試されているくらいどきどきした。
「これ、誰?」
「俺の目にかけているやつが書いたんですけど。」
「目にかけてるって?」
「大学時代からの友人です。」
正直に話した。
「ふうん。」
「先輩から見てどうですか?」
「お前はどう思ってんだよ。」
そう言ってにやにやされた。なかなか食えない。海千山千の大人って。
「そりゃいい物持ってると思うから、先輩にも見せてるわけで。」
「そうだなぁ~。」
そう言っていったん目をつぶると、目が疲れてでもいるのか指先で軽くもんでいる。
「開花前」
「かいか?じゃ、開けば物になりますか?」
俺が嬉しそうな顔をすると、先輩はちらりとこちらを見た。
「お前、相当入れ込んでんだな。なに?親友かなにかか?」
「ええっと。」
親父もう一杯と言ってお代わりを頼んで、先輩はその酒をぐいっと半分ほどあけた。
「なぁ、澤田」
「はい。」
「開花まであと少し何かが足りない。そういう状態で……」
「はい。」
「それがそのままずっと続いて死ぬ人もいるよ。」
冷や水を浴びせかけられた。
「才能の開花なんてそんなもんだよ。開花前の人なんてごろごろいる。でも、その中の一握りが本当に開くんだ。」
「……」
「酷な世界だよ。」
蒼生の顔が浮かんだ。
「一番苦しいのは本人。お前も入れ込むのはいいけど、逃げ道はちゃんと与えてやれよ。」
「逃げ道?」
「続けるのも止めるのもきめるのは本人。追い込むやつにはなるなよ。」
「じゃ、全然だめってことですか?見込みないですか?」
はははと笑われた。
「俺の今の話聞いてたか?」
その後、ちょっとため息ついてから、先輩は続けた。俺の押しに負けたかのように。
「そうだなあ。」
しょうがないという顔でしぶしぶ話す。
「俺はこのくらい書けるやつはいっぱい見てきたな。あと少しで何かつかみそうな人たちをな。悪くはないと思うよ。お前が入れ込むのも分かる。」
「ですよね?」
「おい、話は最後まで聞けよ。」
勢いごんで、制された。
「俺も若い頃は、こういう人に会うたびにお前みたいに興奮したさ。それで、そのあと一歩を越せない人たちをいっぱい見てきたんだよ。」
「……」
「一番つらいのは本人。でもね、近くで見てるのもつらかったさ。」
少し遠い目になった。
「酷な世界なんだよ。」
そう言って、まぁ、お前も飲めと言われた。
それで、少し飲んだ。
「お前はさ、そうはいっても若いからね。勢いごむのも分かるし、止める気はないけどさ。先輩としてひとつ言っておいてやろう。追い込むやつにはなるなよ。本人が一番つらいんだから。」
少し神妙にまた飲んだ。その顔を先輩がほほ笑みながら見てる。
「追い込むやつにはなりません。」
俺は先輩に誓った。
「だから、教えてください。先輩から見て足りないのは何ですか?」
しばらく俺の顔をじっと見た後に言った。
「お前、変なふうにたきつけるなよ。本人に。」
「はい。」
「強いて言うなら、色かな?」
「色?」
「まぁ、恋愛ね。恋愛。色っぽさが足りない。」
「……」
「お前と同じくらいの年齢なんだろ?この人はまだ、我を忘れて溺れるような恋愛をしたことがないんじゃない?」
「彼女とかはいたみたいですけど。」
「芸術家の恋愛っていうのはそういうのじゃないさ。」
笑われた。
「こういう情感深い人はさ、きっと一度恋に落ちると、見違えるように変わるよ。」
「恋ですか。」
「だから、そんな探して見つかるようなものじゃないよ。あてがうなよ。恋は落ちるものであって、落とされるものではないからな。」
釘をさされた。
***
「恋愛かぁ……」
「なに?なんの話?」
横を向く。あかりちゃんがキラキラした目で覗き込んでいる。
「なに?澤田さん。恋愛したいの?」
「いや。俺じゃない。」
「相手したげるわよ。わたし、今、フリー。」
じっと見る。
「俺、蒼生と兄弟なるのはやだ。」
「え?澤田さん知ってるの?日野君とのこと。本人が話したの?」
きょとんとしてる。
「え?だって。あかりちゃん蒼生のうちに入り浸ってるじゃん。そりゃ当然することしてんでしょ?子供じゃあるまいし。」
あかりちゃんが水割り作る手を止めてじっとこっちを見る。
「別に信じてくれなくてもいいけど、何もしてない。大人なってからは。」
「……」
何か、今、変なことを耳にした気がする。
「それは、いい年齢した男と女が……」
「うん。」
「しかも、あかりちゃんみたいな女つかまえて……」
「うん。」
「え?だって、酔っぱらって家しょっちゅう、押しかけてるじゃん。」
「そうなのよ。もう、失礼というかなんというか。」
「……」
作ってもらった水割りを口に運びながら、いや、違う。そこじゃない。もっとなんか変なこと聞いた。脳みそがフル回転し始める。
「大人になってからはってどういう意味よ。」
「え?」
かわいい顔して、揺れるピアスをお店の灯にきらきらさせながら、自分も水割り飲みながらあかりちゃんが上目遣いに俺を見る。
「あ、えーと。」
言いよどんだ。怪しい。
「日野君に言わない?」
「言わない。」
「ああ、でも、これ言ったら日野君、すっごい怒ると思うんだよなぁ。」
新しい氷をこつこつ入れて、お酒入れながら言い渋ってる。珍しい。あかりちゃんってうかつに口軽い子。この子がここまで言い渋るなんて。
「ボトル、もう一本入れるから。」
「え?」
何か重要な秘密の気がする。
「ドンペリ入れてもいい?」
「僕の給料知ってる?」
あきらめて、今飲んでるのと同じボトルにしてくれた。
「昔、あったの。そういうことが。」
「昔って、いつ?」
「高校生のとき。」
「え~!」
周りのテーブルの人たちに一斉に見られた。
ちょっと声、大きいわよ。と軽くこづかれた。
「つきあってたの?」
「ああ、すみません。そういうのじゃない。わたし、ほら、いい加減な女だからさ。」
その時、ちょっとだけ悲しそうな、寂しそうな顔をした。
「いろんな子と遊んでたの。そんなかの一人。」
ショックで言葉が出なかった。
「ちょっと、そこまでひかないでよ。澤田さんってそんな硬い人だったっけ?」
「違う。あかりちゃんにひいてるんじゃない。」
「どういうこと?」
「あの、蒼生が……」
あの暗い男、高校生のうちにこんな美人と……。ちらりとあかりちゃんを見る。きょとんとこっち見てる。いや、高校生の頃もっときれいだっただろうなぁ。
意外と隅に置けない。
ん?待てよ。
「でも、なんで?」
「なにが?」
「いや、昔、そういうことした仲ならなおさら、なんで今は手、出さないわけ?」
「そんなん、知らないわよ。」
その横顔を見る。ちょっと怒ってる。
このお姉さん、美人なんだけどね。超がつく遊び人でさ。まぁ、本人言わせると全部本気らしいけど。だから、蒼生んとこときどき転がり込んでたけど、まぁ、お互い適当な気持ちで大人の関係なのかなと思ってた。
逆立ちしても彼氏彼女ではない。ていうか、あかりちゃんはころころと男いたし。
蒼生のところに転がり込むのは、決まって失恋したときで……。
自分も男だからわかる。
男が女に手を出さないのは……。
「なに?急に黙り込んじゃって。」
「あ、いや別に。」
その女に興味がない場合もあるけれど、反対に……、大切にしたいとき。
「ね、あかりちゃんってさ。蒼生のこととかどう思う?」
「どうって?」
「男として。」
「ああ、あっちのほうも結構よかったし、悪くないんじゃない?」
飲みかけの酒をふきこぼし、咳きこんだ。
「なに?大丈夫?しっかりして、澤田さん。」
背中なでられた。
「ちょっと、もう、中学生とかじゃないんだから、これしきのことでそこまで動揺しないでよ。」
「いや、そう言われましても……」
蒼生のそういう話はできれば聞きたくなかったな。ていうか、それ……。
「ん?大丈夫?」
高校生の頃によかったってことか?
にこにこしてるあかりちゃん見ながら、これ以上つっこむのはやめとこうと思う。
「あ、でも、日野君はだめだめ。」
「なんで?」
「だって、高校のときにこっぴどく振られたし、ほら、今だって頑として受け入れてもらえないしさ。」
「振られた?」
はははと笑った。さばさばとした笑顔だった。
「当時はそれなりにショックだったんだよ。ま、本気だったわけじゃないけどさ。いろんな人と適当に遊んでたから。あの頃はちょっと、ね、いろいろあってさ。」
「蒼生が振ったの?あかりちゃんを?」
「軽蔑されたの。」
彼女はそう言って、そっと目を伏せた。
「そして、今もきっと軽蔑してる。だから、どんなに纏わりついても、汚いものには手は出さないのよ。昔も今も日野君は。」
そう言って、まっすぐに僕を見た。
本当にそうだろうか?とすぐさま思った。
蒼生は、一件冷たくそっけなく見えるけど、でも、本当はとても温かいやつ。
あかりちゃんはたしかにちょっと困った子だけど、人を傷つけたり陥れたりするような卑怯さを持ってる子ではない。ただ、愚かなだけ。
蒼生はむしろ、この子をほっとけないのじゃないかと思う。
愚かだというだけで、蒼生は人を軽蔑したりしない。
そこにあるのは軽蔑ではなくて、もっと別の感情なのではないかと思う。
「あかりちゃんはどんな男がタイプなの?」
「なに、急に。」
「セックスの話はもういいからさ、体とかじゃなくて、それ以外。」
「え~。」
ちょっと嫌がってから、考える。
「わたしを愛してくれる人。」
「なんだ、そりゃ。」
タイプじゃないじゃないか。
「そんな簡単な条件?」
彼女は目をみはってこっちを見た。
「なに言ってるの?澤田さん。わかってないなぁ。これが最も難しい条件だよ。」
「え?」
「本当に自分を愛してくれる人なんて、そんな簡単に見つからないって。」
そう言ったときに見てしまった。いつも冗談ばっか飛ばして、美人のくせにどぎつい下ネタ話すからこの子。ひたすら明るい人。それなのに、その時一瞬とても悲しい瞳の色をしていた。
この人は本当は、とても傷ついた人なのかもしれない。
まぁ、銀座で水商売やってる人なんて、みんな同じようなものなのかもしれないけど。
「もう、わたしには無理かな。」
ぽつりとそんな事を言った。
「そんなことないでしょ。」
「いやぁ、わたしはもう汚れちゃってるからさ。」
そう言って寂しそうに笑った。その後、あ、ごめんごめん。しんみりしちゃったねと言って、いつもの彼女に戻った。
***
そんなことがあって、それから、俺は蒼生を、蒼生とあかりちゃんを注意深く見るようになった。先輩に言われたことが常に頭の中にあって、たきつけるなと。
余計なことは言わない、しないと自分に言いつけながら。俺はただ、蒼生に開いてほしかったわけで。
そのための起爆剤に、あかりちゃんがなるのかと、そう思って静かに見ていた。
あの頃、俺は定期的に蒼生の家へ顔を見に行ってた。編集としてというのもあったけど、やはり、友人としてなんだろうか。
そしてごくたまにだけど、月島嬢が酔いつぶれて寝ている。蒼生の部屋で。
「お邪魔だったな。帰るわ。」
「別に。」
いつもの顔。不機嫌そうな。いつもだったらそう言われても出直すことにして帰るのだけど、その日は部屋に上がった。
「お前とあかりちゃんってそういう仲じゃないの?」
「そういうって?」
「ええっと……」
蒼生はため息をついた。
「お前が、俺の家をあかりに教えるからいけないんだ。」
「じゃあ、引っ越す?」
「金がない。」
でも、そう言ってる顔。長いつきあいだからわかる。そこまで怒ってない。
「誰かいい男を紹介して、この女を片付けろ。」
「それで、お前はいいの?」
「いいに決まってる。」
そう言って、もう一度ため息をついて傍らですやすや眠るあかりちゃんを見る。
顔は仏頂面で、でも、こいつの仏頂面に騙されてはいけない。これはこいつの標準仕様だから。
目が優しかった。
「叩き出せばいいじゃん。」
「女の酔っ払い、こんな時間に叩き出せるかよ。」
そういうところが優しい。蒼生は優しい。
こいつは自分でまだ気がついていないのかもしれない。でも、自分の懐の中にもうあかりちゃんを入れている。そして、あかりちゃんも結局、蒼生の懐の中が居心地がいいんだ。
だから、傷つくたびにちょくちょくここに来て、あんなかわいい顔で寝ている。
この2人は時間の問題なのかもしれないと、その時、思った。
そして、蒼生はデビュー作になる作品を書いた。それは、本当に綺麗な話だった。
あの仏頂面の裏にどうして蒼生はこんなに純粋で深い愛情を持っているのだろうかと、あいつのことをよく知ってるつもりだった俺が改めて驚かされた。
1人の男がただ純粋に1人の女を愛する話なのだけれど、その男の鼓動がひとつひとつ手に取るように伝わってくる。読んでいるものにその物語の中にいるものの心のたてるかすかな一つ一つの音が聞こえてくるようなそんな作品だった。
そしてその音はすべて綺麗で悲しく美しい。
人として生きて誰かを愛するということは、こういうことなのかと改めて思った。そして、悟った。俺はまだ人生で誰かを愛したことがない。
誰もが人生で誰かを愛し、愛されて生きていくものではないのかもしれない。
本当の愛。簡単なことば。
ああ、あかりちゃん、一本取られたな。
君より頭がいいと思ってた俺を許してください。
俺は馬鹿だった。
確かに本当の愛、ことばは簡単だけどそれはなんて難しいのだろうか。
蒼生は何も言わなかった。言わなくてもわかると思っていたのだと思う。
その中に出てくる女はあかりちゃんだった。
あかりちゃんと蒼生を直に知っている人全てが気がつくことはないかもしれない。
でも、もちろん俺にはわかった。
原稿を社に持ち込んで、とんとん拍子に話が進んだ。
蒼生の花がとうとう開いた。
小説家、火野蒼生が誕生した。
一作目にして本は売れたし、映画になることも決まった。俺の社での評価もうなぎのぼりだった。
それなのに、念願の作家になったというのに、蒼生はどこか他人事のような顔をして、そして、元気がなかった。
俺にはわかっていた。たぶん、その原因はあかりちゃんなのだろう。
俺は忙しくてご無沙汰になっていた店に蒼生を引っ張っていった。
久しぶりに会ったあかりちゃんはとても元気がなくて、そして、少しよそよそしかった。
俺は日を改めて、1人であかりちゃんに会いに行った。
「最近は蒼生んち、転がり込んでないの?」
「……」
別人のように元気も覇気もない。
「あんな凄いラブレターもらっといて……」
「え?」
「蒼生の処女作。あかりちゃんへの想いを綴ってあった。」
「……」
「読んだ?」
「……」
取り付く島がない。
「なんでそんなに元気ないの?」
「……」
おいおい、こんなに話さないホステス初めてだよ。心の中で苦笑する。
「あかりちゃんの好みのタイプは自分を愛してくれる男だったよね。」
「うん。」
「蒼生は君を愛してるよ。」
彼女はうつむいた顔をあげた。
「あんなに純粋な愛情、初めて見た。」
「日野君はわたしのこと、ずっと軽蔑してるんだと思ってたのに。」
「うん。」
「びっくりした。」
「受け入れられない?」
「え?」
「蒼生のことはいやか。」
「よくわからないけど……」
「けど?」
彼女は困った様子でこちらを見た。
「よくわからない。」
子供みたいだ。少し笑った。
「男が怖いなんてタマじゃないでしょ?あかりちゃんは。」
「はい。」
いや、ほんと別人みたいだよね。人ってこんなに短期間で変わるものか?それこそ百戦錬磨のはずなのに。
「わからないなら、会って確かめてきたら?1人でもんもんと悩んでて答えが出るものなの?」
「……」
その数日後に彼女は僕のアドバイスに従ったみたいだった。
花は時に一生開かない。蕾のままに一生を過ごし枯れてしまうことだってあるんだ。
一体、蒼生にとってあかりちゃんとの出会いと再会は、幸福なことだったのかと今でもときおり思う。
なぜなら、蒼生はあかりちゃんを手に入れたことで、彼女を失うという最大の不幸をもまた、手にすることになってしまったのだから。
ただ、これだけは言える。
もし、蒼生があかりちゃんと出会わなければ、火野蒼生は誕生することはなかった。




