反撃
アレスの命令で殆どの近衛騎士が動きを止めた。
それを見たキースが怒りの声を上げる。
「お前達! 神官長の命令に逆らうのか?」
近衛兵の大半は神官長ではなく王家に忠誠を誓っている者達だ。その為キースの言葉にただ困惑の表情を浮かべている。
近衛騎士の責任者と思われる人物が前に進み出てキースに言った。
「神官長は王太子殿下が幻覚を見ているとおっしゃっていたがそうは思えない。王太子殿下はいつもと変わらずに見える。そうで有れば殿下を拘束する様な不敬な真似を我々は出来ない」
「神官長の意に背いて許されると思っているのか?」
「神官長?……キース殿何を言っているのだ? 我々はサリア王家を守る騎士だ。神官長の命令に従う者ではない」
はっきりと言い切る騎士の言葉に、キースは忌々しそうに歯軋りした。
けれど多勢に無勢だと分かっているからか、援護を求める様に玉座の国王とガルダを振り返った。
静かな怒りを纏ったガルダが国王に何か耳打ちする。直後国王は頷き口を開こうとした。けれどそれより先に、アレスの凛とした声が広間に響いた。
「神官長ガルダ・カーナ! 国王をそれ以上の篭絡することは許さない! その場から離れろ」
その声に皆が一様に息を飲み広間はシンと静まり返った。
国王が誰より信を置いている国内最大の大貴族である神官長。しかも王太子妃の父親で有るガルダに対してそんな口を効くなんて誰もが予想していなかったのだろう。
エレナもはっきりと宣戦布告をしたアレスに驚きを隠せなかった。アレスを信じて口を挟まない様にと心がけているけれど、この状況はどうしても不安だった。
しばらくの沈黙の後、ガルダがゆっくりと口を開いた。
「篭絡とは随分ないい様ですな。私はただ神官長として陛下の相談に乗り力になっているだけ。王太子に責められる謂れは有りません」
ガルダの口調は淡々としているけれど、底知れない恐さも有った。
アレスは嘲笑を浮かべながら応える。
「今、国王を操り俺を失脚させようとしたばかりだろう? これまでもそうやって自分の意に沿わない者を排除してきたはずだ。後が無いからとは言えあまりに浅はかな行動だったな。こんな茶番で排除されるほど俺は力無い存在ではない」
ガルダの目が苛立たしそうに細くなる。何かを口にしようとしたけれど、何を思ったのか周囲に視線を巡らせた。
高位貴族の戸惑った顔。近衛騎士の嫌悪が滲んだ顔。こうやって観察すると初めの印象とは違って周りはアレスの敵ばかりと言う訳ではない様に思えた。国王と王太子の対峙にただどうして良いか分からず動けない人達が殆どなのかもしれない。
自分の味方が少ない事に気付いたのか、ガルダは射抜く様な目でアレスを睨んでから国王に再び何かを告げた。
国王は何度も深く頷いて、それからゆっくりと玉座から立ち上がった。誰も声を発する事も出来ずに見守る中、国王はアレスを見据えていた。
しばらくすると、国王が掠れた声を発した。
「王太子アレス、カーナ家への名誉毀損並びに王宮に混乱を招いた罪で謹慎を……」
「陛下、神官長の言いなりになるのはお止め下さい!」
国王の言葉を遮りアレスが声を張り上げ訴える。その真摯さに動揺したのか、玉座の前に立つ国王の身体が揺らぎ口を閉ざした。
アレスは間を置くこと無く、今度は神官長に向けて言った。
「神官長ガルダ。俺の罪を問う前に、自らの罪を償え」
「私の罪?」
ガルダの表情が固くなる。押えきれない怒りが漏れて来ている様な不快な表情だ。アレスは気にする様子もなくガルダを追い詰める様に訴える。
「今までの俺への暗殺行為だ。あらゆる手を使い俺を廃除しようとして来たな」
(今までの暗殺高位?)
アレスの言葉はエレナにとって酷く襲撃的だった。
“今までの暗殺行為“を言う事は、アレスは何度も危ない目に有ったという事だ。エレナの知らないところで。身体が思わずぶるりと震える。
神官長はアレスを憎悪の目で睨んできた。
「言いがかりも甚だしい。私が王太子の暗殺を企んだだと? 証拠も無いのに個人的な恨みで犯人扱いされるなどこれ以上の侮辱はない」
「心配しなくても証拠は揃っている」
アレスの自信を持った返事に、ガルダの表情が強張った。
「ではその証拠とは何かをお聞かせ願おう」
その言葉を受けてアレスが右手を上る。合図を送っているようだ。
(誰に送っているの?)
この謁見の間にアレスの側近はいないはずだけれど。
しばらくすると謁見の間の扉が音を立てて開き、アレスの側近ライが一人の男を引き連れて現れた。
「王太子殿下、ご命令通り参りました」
ライは跪いてアレスに言う。
「ご苦労だったな」
アレスはライを労うと、ガルダに向けて言った。
「この者は先月王家直轄領の湖で襲撃して来た者だ。神官長ならばよく見知っているだろう」
アレスの言葉に驚いてエレナはライの連れた男をまじまじと見た。湖での襲撃者は全員が黒ずくめの衣装でとても恐ろしかった。けれど今目の前にいる青年は平凡な薄青色の衣を纏っている。王宮内では良くみかける衣装だった。その為か別人の様な印象を受ける。
「その様な者、私は知らぬ」
神官長は男を蔑みの目で眺めて言う。
「湖での襲撃を命じたのは神官長だとこの男は言っている」
「下らない! 証拠も無しに賊の自供だけでカーナ家へ不名誉な疑惑を立てる事などたとえ王太子相手でも許せる事はない!」
ガルダは怒りまかせて怒鳴る。
激高する神官長を見るのは初めてなのか、元から部屋に居た貴族達の間に動揺が広がる。
アレスは周囲の様子に目を遣りそれから跪く男に目を向けて言った。
「神官長はこの男を見た事も無いと言うのか?」
「……その通りだ。カーナ家とは何の縁も無い者だ」
周囲の反応で冷静さを取り戻したのか、ガルダが声を落として答える。けれどアレスは追及の手を緩めなかった。
「それはおかしな話だ。この男はカーナ家へ出入りし神官長とも目どおりしたと言っているが」
「賊の言う事など証拠にはならない。そもそも証言自体が王太子の作り話かもしれぬ」
すっかり落ち着いたガルダが薄笑いで言う。証拠などあるはずが無い。そう思っている事がありありと分かる自信に溢れた態度だった。けれどアレスはガルダ以上に余裕の笑みを口元にだけ浮かべた。
「この男はカーナ家で神官長に目通りした際、つい間が差して禁じられた屋敷の奥に足を踏み入れたそうだ。剣の腕は目立ったところは無いが、盗みの腕はサリアでも並ぶ者がいないと自負しているそうだ」
アレスの言葉に神官長の笑顔が凍りつく。
「この男は盗賊としての好奇心から気配を消してカーナ家の屋敷……特に守りの固い北へ進んで行った。カーナ屋敷の北に小さな独立した建物を見つけた。何が有るのかと様子を窺っていると思いがけないものを目にしたそうだ。それは……」
「……黙れ」
流暢なアレスの言葉をガルダが遮る。それはまるで呪いの言葉の様に低く、冷え冷えとしていて皆を不安に陥れる。
そんな中アレスだけがガルダに挑む様な視線を向けていた。
「この男が見たものは、若い娘だ。顔はなぜかよく覚えていないが豊かに背中に垂らした長い黒髪とふくよかな身体が印象に残っているそうだ。彼女は男に気付くとゆっくりと近付いて来て言った。元来た道を戻り門へ向かえ、そして見たもの全てを忘れろと」
背中に垂らした長い黒髪。若い娘。エレナの脳裏にその特徴で思い浮かぶのはただ一人だった。
カーナ屋敷に黒髪の若い女官は沢山いるけれど、皆髪は邪魔にならない様に纏めている。
それに北の建物とは恐らく神殿の事。その場に居て許される存在はセーラ姫しかいない。
(この人はセーラ姫に会っていた!)
ただ不思議な点も有った。ふくよかだという印象。
セーラ姫はエレナよりも細く小さく華奢な体型だったはずだ。どういう事なのだろう。
「娘の言葉通り、しばらくはその出来事を忘れていたそうだ。だが湖での襲撃が失敗に終わり囚われの身となり王宮の牢獄で過ごしていたある日、不意に記憶が蘇った……これが何を意味するか神官長ならば分かるだろう」
「……」
ガルダはアレスの問いには答えずに、微動だにせず立ち尽くしている。
「この男は明らかに強い暗示にかかっていた。それはカーナ家に伝わる秘術の力だ」
アレスの宣言に謁見の間に集められた人々がざわめき始める。ガルダが国王を使いアレスを失脚させる為に集めた観客が、反対に自身を追い詰める証人と変わって行く。ガルダは蒼白の面でアレスに告げる。
「そんな話を信じる者がいると思うのか? 全て証拠にもならないつまらない話だ。そこの賊が真実を語っていると証明など出来ないだろう」
「お前のその反応こそがこの話が真実だと語っている。それにこの男は暗示にかけられた瞬間を、何をされたのかを覚えている……陛下に聞いてみるか? 同じ事を神官長にされた事が無かったのかと」
ガルダが大きく目を見開く。そのまま玉座へ身体を向けると国王の姿を目にして凍った様に動きを止めた。
国王の目にはそれまでの虚ろさは消え、僅かに残っていた意思の光が浮かんでいたから。




