夫と兄
「アレス様!」
エレナが反射的に立ち上がりアレスの名を呼ぶより早く、アレスは部屋の中に足を踏み入れあっと言う間にエレナの居る長椅子までやって来た。纏う空気に穏やかさは無い。神官長との言い争いで苛立っているだけには思えなかった。
(アレス様はお兄様にも怒っているみたい)
声をかける事が躊躇われる。メンデルも自らアレスに声かける気配は無かったから、自然とアレスが第一声を上げた。
「メンデル、これはどういう事だ? なぜここにいる?」
アレスは油断なくメンデルを見据えて言う。
「妹と話をしていただけで、王太子殿下に非難される謂れは有りません」
「エレナへの面会は誰であろうと禁止している。お前はそれを知りながらエレナに付いているカーナ家の家臣を使い、ここ迄来たはずだ」
追及するアレスにメンデルは感情を追いやった人形の様な顔をして頷いた。
「確かにカーナ家の関係者を使ってここ迄入り込みました。しかしそれは王太子の命令で扉が閉ざされていたからです。許可が下りるまで待ってなどいられないから確実に会う方法をとっただけの事」
「エレナに何の用だ」
「カーナ家の問題になるので詳細は容赦いただきたい」
メンデルの答えが気に障ったようだった。アレスは眉根を寄せイライラとした様子に見える。
「カーナ家の問題とは先ほど受けた神官長からの申し入れと同じ事か? だとしたら既に結論は出ている」
「エレナにも先ほどはっきりと拒絶されたばかりです。どうやら王太子殿下も離縁は認めない様子だ。だが父がすんなりと引き下がるとは思えない、離縁は避けられないでしょう」
「そうはさせない」
アレスははっきりと言うと、王の威厳を持ってメンデルに告げた。
「これ以上カーナ家の政治介入は許さない」
一発触発の雰囲気が部屋に満ちていく。
カーナ家へ宣戦布告の様な真似をしてアレスの立場は大丈夫なのだろうか?途中になってまったメンデルの話も気がかりだった。
(セーラ姫を襲ったのは誰なの? そうしてそんな事を?)
政治の表舞台に立っている訳でないセーラが狙われた理由は? カーナ家の姫だからといった理由だけではない気がする。
それが何かまでは分からないけれど。とても重要な事の様な気がする。
そもそもメンデルが過去を顧みる程衝撃を受けた出来事だったのだ。このまま曖昧にして言い訳が無い。
「アレス様」
近寄りがたい空気を纏うアレスに勇気を出して呼びかける。アレスはメンデルに対する警戒は解かないながらも、直ぐにエレナに視線を向けてくれた。
「どうした?」
メンデルへのそれとは比べものにならない程優しい視線を向けてくれたから、ほっとする。
「アレス様、お父様とお兄様の考えは違っています。離縁を望んでいるのはお父様でお兄様は賛成している訳ではないようです」
「メンデルはこれまで神官長の意を汲んで動いて来ていた。メンデルが離縁を望んでいないと感じているのならそれはお前を油断させる為の演技だろう」
アレスはエレナはメンデルにいいように騙されていると感じているのようだ。
「お兄様とお話してそうは感じませんでした。アレス様もお兄様の話を聞いてみて貰えませんか?」
「エレナ……」
アレスは困った様に顔を曇らせ、エレナの背後に控えるフィーアに視線を移した。
エレナを部屋に連れて帰る様に命令するのだと気付き、慌ててアレスに縋りついた。
「待ってくださいアレス様! お兄様はとても重要な事を話されていたと思うんです。昨夜セーラ姫が襲われたそうなんです、それでお兄様は考えが変わったと……」
訴えるエレナの言葉にアレスは小さく息を飲んだ。
それからエレナの二の腕を掴み頷いてみせる。言葉は無かったけれどエレナの言いたかった事が伝わったのだと思った。
直ぐにアレスの問い質す声が聞こえて来た。
「カーナ家が予想より早く行動を起こして来たのはセーラの事が原因だな」
アレスの厳しい声をメンデルは顔色を変えずに受けていたけれど、エレナは驚きアレスの横顔をまじまじと見つめていた。
(アレス様はこの事を分かっていたの?)
どうしてカーナ家の行動を予想出来たのだろう。
「その様子ではもうカーナ家の現状を把握しているようですね。当家に間者が入り込んでいるのは気付いていたが、そこまで調べられているとは想定外だ」
メンデルは諦めた様に疲れた息を吐く。
「相手だけが分からないままだったがそれも昨夜察しがついた、あとは証拠だけだったがそれは不要になった様だな」
「ああ……そうです」
メンデルは力を抜いた様に相槌を打つ。それを受けてアレスの纏っていた険しい空気が少し和らいだ気がした。
アレスとメンデルが何について話ているの分からなくて、エレナは隣に来ていたフィーアに目を向けた。フィーアはエレナを支える様にして立ちながらも、その視線は二人に向けられている。声は発しないけれど様子から二人の会話の意味を理解している様に見える。自分だけがこの状況を把握していない事に焦燥感が湧いて来る。不安な声を出すエレナにフィーアは気丈に言う。
「大丈夫ですよ」
エレナの落ち込みにアレスが気付くはずもなく、二人のやり取りは続いて行く。
「セーラを襲った者の予想はついているのだろう?」
メンデルはもうアレスに抵抗する気は無いのか、あっさりと頷いた。
「エザリア王女の命を受けた者かと」
(エザリア王女?)
エレナは一人驚愕に身体を固くする。世界一の大国エザリアの王女がセーラを狙うなんて信じられない。
「実行犯は捕らえたのか?」
「いや逃げられました。セーラを守るので精一杯だった。だが間違いは無いはずだ」
「カーナ家の守りは固いがそれは国内のいわば身内の者の目を欺く為の守りで、敵意を持った外的からの攻撃には脆弱だったようだな。カーナ家が今一番守りたいはずのセーラを危険にさらしてしまうとはな」
アレスの口調は皮肉めいているけれど、メンデルはそれを認める様に頷いた。
「私はその場にいながら役に立たなかった。セーラを守ったのは側仕えの侍女だった」
「……カヤと言う名の侍女だな?」
アレスが確信を持って言う。メンデルが乾いた笑いを漏らした。
「そこまで知られているとは。ならばカヤの正体も知っているという事か」
(……カヤの正体?)
ますます混乱してエレナは眉をひそめた。
「カヤはカーナ家の血を引く娘。恐らくメンデル、お前の娘だろう」
「……えっ?!」
それまで口を挟まない様に必死に黙っていたけれど、ついに耐え切れなくなった。
あまりの驚愕に思わず声を上げたエレナをアレスが振り返る。エレナの顔色が酷かったのか、アレスは心配そうに顔をしかめた。
「急な話で混乱してしまったな。お前は部屋に戻って休んでいろ。後で一から説明するから」
「え? で、でも……」
確かに混乱しているけれどこんな途中で蚊帳の外にされたくはない。
「エレナ」
アレスが宥める様に顔を覗きこんで来る。このままでは本当に強制的に部屋へ戻されそうだ。
「アレス様、私はここにいたいです。部屋に戻っても気になってしまって休めません」
「だが……」
「王太子殿下。無理に部屋に帰してもエレナ様は周りが見えなくなって勝手に部屋を抜け出してしまうかもしれません」
あんまりな言い様だと思ったけれど、フィーアはエレナが残れる様に助け舟を出してくれているのだと分かったから黙っておく。アレスはフィーアの言い分になぜか納得した様で渋々と言った様子でエレナを長椅子の端に座らせた。フィーアがエレナの隣に立つ。
アレスはもエレナと同じ椅子の中央に座り、メンデルには正面の椅子に座るように促した。
「エレナ。今は詳しい事を話す時間は無いから事実だけ言う。落ち着いて聞くんだ」
「はい」
アレスに言われエレナは背筋を伸ばした。
「今朝神官長からエレナをカーナ家に戻すと離縁の申し出が有った。それは聞いているな?」
「はい、お兄様に聞きました。勿論断りました」
「ああ。お前は驚いただろうがこれは予想していた事でいずれ申し出が来るとは思っていた」
「どうしてですか?」
アレスは一度メンデルを見遣ってからエレナに視線を戻して言った。
「俺を王太子の位から降ろす為だ。神官長の意に従わない王などカーナ家にとっては不要だからな。以前から機会を窺っていたようだが俺が隙を見せない為実行できずにいたのだろう。だがそんな悠長な事を言ってはいられなくなった為、なりふり構わず行動に出て来たようだ」
「悠長な事を言ってられなくなったのはセーラ姫が襲われた事が関係しているのですよね? よく分からないのですが、それでも私を離縁する必要は無いのでは?……お父様は私を取り戻さなくても困らないはずです」
カーナ家にとって必要なのはセーラ姫だけだ。それが先ほどのメンデルとの会話で嫌と言う程分かった。
アレスを失脚させるならエレナも合わせてどこかに追いやってしまえばいいだけなのに。そう思ったけれどアレスは首を横に振って否定した。
「それが出来ない事情がカーナ家には有る」
「事情?」
アレスはエレナの金の髪にそっと手を伸ばして触れた。
「かっこお前のこの髪は母親譲りだと言っていたな。その母親はレイクランド王家出身だ」
「……はい」
ふいにアレスといつか話した事が思い浮かんだ。
『神官長はなぜ他国の王族の姫を妻に迎えたのだろうな』
あの時呟いたアレスの疑問。その謎はもう解かれているんだと予感した。きっと今その答えが分かる。
「カーナ家の家系図にお前の名が載っていないと聞いた時から考えていた。エレナはカーナ家にとってどんな存在なのだろうと」
アレスの手がエレナの髪から離れて行く。
「エレナの母親について調べた。レイクランドの王の姫として生れ育ち、恋仲だった国内の騎士に嫁ぐ予定だったところを引き離されサリアに来たそうだ」
「まさか無理矢理連れて来たのですか?」
「そうではない、婚姻は国との間で決めた事だ。ただサリアから相当な圧力をかけての婚姻だったからエレナの母親が望んでいた事じゃないだろう。……ここからは俺の想像でしかないが、神官長は姫との間に生まれたエレナの髪を見てその血筋を疑い、娘として系図に載せるのを躊躇ったのではないか?」
「そんな……」
黙ったままの兄に目を向ける。
「お兄様、そうなのですか?」
「……当時の状況から私はお前の父親は神官長で間違いないと思っている。だが父が系図に載せないと決めたのだ。逆らう理由は無かったから口出しはしなかった」
父の理不尽さにはもう悲しさしか感じない。強引に他国から娶った妻の産んだ子を認めないなんて、なんて身勝手なのだろう。
そしてそんな冷酷さに無関心だった兄。カーナ家はあまりに冷たい家だ。
「本題に戻るがカーナ家が俺からお前を遠ざけようとしたのはレイクランドが関係している」
アレスはメンデルの手前か淡々と話を続けるけれど、その瞳は心配そうにエレナを見つめている。
「レイクランドはサリアの北の国境に接する新興国家だ。まだ建国百年足らずで国土もサリアの半分程度と小さい。サリアとの国境には高い山脈が連なり大きく迂回しないと行き来が出来ない為お互い干渉せずに来ていたが近年サリアからレイクランドへ移住する貴族が増えて来た。それを良しとしなかったカーナ家はレイクランドを疎ましく思い始めたが山脈が邪魔をして武力で攻める事は叶わない。その為王女と神官長自らが婚姻しレイクランドへの発言力を高めようとしたのだろう」
「サリア王家だけではなく他国にまで干渉しようとするなんて……お父様はどうしてそこまで権力を欲しがるのでしょうか」
「レイクランドへ移住した貴族はカーナ家に反抗して地位を失った一族だ。それらが纏まりいずれカーナの敵勢力になるのを恐れたのかもしれない。そういった事情からレイクランドへの牽制の為エレナを俺共々切り捨てられない」
「でも、湖の襲撃の事が有ります。お父様は私が傷ついても良いと思ったのでしょう?」
エレナが口にした疑問にメンデルが答えた。
「レイクランドの事でお前の存在は必要だ。だが生きてカーナ家の監視の下に居さえすればいい」
「……生きていればどんな状態でも構わないって事なんですね」
父の冷酷さにいちいち傷付いていても仕方無い。そう諦めているはずだけれど、まだ全く心が乱されない程強くなれていない。言葉が直ぐに出て来ない。
「エレナ様……」
しばらくするとフィーアが気遣う様に声をかけ来た。
(今は落ち込んでる場合じゃない)
大丈夫だと伝える為にフィーアに微笑してみせてから、気を取り直して口を開いた。
「カヤがお兄様の娘とはどういう事でしょうか?」
真実を知る為、メンデルに問いかける。
「アレス王太子の予想通りカヤは私の実の娘だ」
もう今日は何度驚いているのか分からない。思ってもみなかった事の連続だ。
「ではカヤはセーラ姫の姉になるのですか?」
「母親が違うから異母姉妹になる」
「異母姉妹?……でもそれは……」
サリアは一夫一妻制。それは王家も貴族も平民も皆が守らなくてはならない決まりだったはずだ。
再婚を繰り返した結果の異母兄弟は問題ないがメンデルは一度しか結婚していない。初めて迎えた妻がセーラ姫の母親で、病弱で引き篭りがちではあるけれど今でもメンデルの妻の座にいる。セーラ姫に異母姉妹が居るはずがないのだ。
「お前の言いたい事は分かっている。だが事実でカヤは私が妻以外の女性との間に作った娘だ。カーナ家では珍しい事ではない。過去から度々その様な事が行われて来た」
メンデルの言葉に唖然とするエレナの隣でアレスが言った。
「それがカーナ家に伝わる四つの名前の正体か」
確かにカヤと言う名前は“カーナ家の歴史“に記されていた四つの名前の内の一つだ。
王の代替わりに現れ、暗躍する人物の名前。その正体は謎に包まれていたのだけれど。
「神官長の意を受け、王を廃して来た過去のカヤ。そして他の三つの名を持つ者達。その正体はカーナ本家の男が外で作った公に認められない子供達だ」
アレスの言葉にメンデルが頷いた。
「そこまで分かっているとは……全てカーナ家を守る為にいたした事です。時の王をその位から追いカーナ家の意のまま動く者を王にする事はカーナ家の権力を持ってしても簡単では無い。強い暗示の術を操り影で動く事が出来る人間が必要だった。カヤ達は初めからそういった役割を持って生まれて来た人間だ」
「そんな……」
自分の娘に対してそこまで冷酷になれる歴代の神官長達に恐怖を感じた。カーナ家にはもう嫌悪感し持てなくなっていた。
「アレス王太子に四つの名前について知らせたのはエレナだな?……いやそれだけではないな。王太子がここまで当家について知り得たのは全てお前の発する言葉からだろう」
「四つの名前の事、系図に私の名前が載ってない事をアレス様に話したのは私です。でもそれだけです」
カーナ家の真実を暴いたのはアレスだ。エレナが発する断片的な情報から考え真実に近付いていったのだろう。
「そうか……父上は王太子を事の外警戒していたがその勘は当たっていた様だな……アレス王太子、これからどうするつもりだ? 当家の秘密を知ったとしても父と正面から争えばただでは済まない事は分かっているはずだ。王太子が暴いた秘密は真実でも状況証拠だけのはずだし、国王は依然として父上の手の内にある。それに高位貴族達の大部分は父上に従うだろう」
「過去にも神官長のやり方に反抗した人間はいたはずだが証拠が無いからとその訴えは葬られて来た。俺はそうはならない。その為にこれまで準備を整えて来た」
アレスは不敵な笑みを浮かべて言い、メンデルは息を飲んだ。
(アレス様……)
やはりアレスは凄いと思う。少し前までアレスはカーナ家を酷く警戒していた。恐れていたと自ら言っていた。
それなのに今立場は完全に逆転している様に思える。カーナ家の秘密は全てばれてしまっているのにアレスには付け入る隙が無いのだから。アレスがどんな用意をしているのかは分からないけれど大丈夫だと感じる。
心強く感じていたその時、慌しい足音が聞こえて来た。足音はエレナ達のいる部屋の前で止まり、直後緊張した声が聞こえて来た。
「王太子殿下、国王陛下がお呼びです。王太子妃殿下共々至急謁見の間においでください」




