兄の告白
分かっていたとは言え、はっきり告げられると衝撃は大きい。動揺するエレナの耳元でフィーアが囁いた。
「エレナ様、今は塞いでいる場合ではありません。メンデル様の話を聞かないと」
「……フィーア」
「経緯はどうであれ王太子殿下の妃はエレナ様なんですよ」
フィーアは自信を持って言う。その言葉に励まされてエレナはしっかりと頷いた。
「お兄様、確かに私よりセーラ姫の方が王太子妃に相応しいと思います。それなのにどうして私に代わったのですか?」
その理由こそがこの急な離縁話に関係しているのかもしれない。
「お前は書庫で“カーナ家の歴史”を見つけたそうだな。ならば当家がどの様な家かは知っているな?」
話が飛んだ事に戸惑いながらもエレナは「はい」と答えた。
直後、フィーアが口を開いた。
「メンデル様、申し訳ありませんが、どうか発言をお許しください」
メンデルは少し煩わしそうにしながらも頷く。
「ありがとうございます。メンデル様にお伺いしたいことがございます。先ほどエレナ様がカーナ家の歴史”を読んだとおっしゃいましたが、なぜその事をご存知なのでしょうか?」
フィーアの言葉にハッとする。そうだ。どうしてメンデルにその事を知られているのだろう。
あの時、本は持ち出さずに内容だけ書き写して元の場所に戻した。その間書庫への出入りは禁止していたから知っているのはエレナとフィーアの二人だけのはずだ。
「フィーア、お前は不自然に感じ無かったのか? 書庫に出入りさえ出来れば簡単に閲覧できる場所にカーナ家にとって最重要とも言える書物が無造作に置いて有った事に」
フィーアは一瞬驚きの表情を浮かべ、その後苦虫を噛み潰した様な顔になった。
「フィーア、どうしたの?」
「あの時エレナ様はカーナ家の系図を見つけられましたね。どうやって見つけたのか覚えていますか?」
「どうやってって……確か端から本棚を見て行って見つけたと思うのだけど」
はっきりは覚えていないけど、思ったよりは簡単に見つけた覚えが有る。大変だったのは中身を確かめる方だった。
「私もそうです。端から見て偶然[カーナ家の歴史]を見つけた……そう思っていたけれど違ったようです。あれは初めから仕組まれていた事なんですよ」
「どういう事?」
フィーアが悔しそうに言うけれどエレナには全く話が分からない。
「仕組まれていたって言ってもあの日私達が書庫に行く事を前から知ってた人はいないわ。だってその日急に決めた事なのよ?」
計画性なく、勢いで飛び出したエレナ達の行動を誰が予測出来ると言うのだろう。
「そうです。エレナ様の行動は予想出来るはずがありません。ですからあの書物は“誰かが見つける”事を願って仕掛けられたのだと思います。別に私達では無くて誰でも良かったんです」
「その通りだ。分かっていたかと思うがあの書物も系図も本物だ。だが本来は公にはしないもので書庫に並んで良いはずがないものだ」
「……誰が、書庫にしかけをしたのですか?」
エレナはメンデルとフィーアを交互に見遣りながら言う。メンデルが直ぐに問いに答えた。
「セーラだ。あの系図と書物は元は北の神殿にあったものだ」
「どうしてその様な事を?」
「私はセーラの親だがその思惑を全て把握している訳ではない。だから予想になるがセーラはカーナ家の闇を消したかったのだと思う。我が家のやり方に反発していたのだろう」
「あの大人しいセーラ姫が反発?」
「セーラは物静かだがむしろ私より強い意志を持っていると感じる時がある。表に出さないのはカーナ家と自分の置かれた現状を理解しているからだろう」
「現状とは?」
「この国でのカーナ家の役割だ。あの書物を読んだのなら知っていると思うが、我らカーナ家の人間は代々王家を隠れ蓑にしてこの国を統治して来た。当家こそがサリアの実質の王家と言える。そして現在その権力の殆どを父上が握っている。独裁政権で我々の意見は通らない状況だ」
メンデルの言葉は、カーナ家の歴史に書いて有った事を肯定するものだった。
「父上だけではなく歴代の神官長はみなそうやってこの国を導いて来た。だが近年その支配に陰りが生まれはじめた」
「かげり?」
「そうだ。我らは王家を支配する為に古くからの秘術を使用して来た」
「秘術……それは人を操る術のことですか?」
前にアレスが言っていた。カーナ神官長は人を操る術を持っていると。あの時は信じられなかったけれど、今目の前にいるメンデルは完全に否定する様子はなく少し考える様にしてから言った。
「少し違うな。あれは人を操る術ではなく、強烈な暗示をかけ精神の内から支配する術だ。その効き目は術者の力量によって違うが特にこの暗示にかかりやすい家系がある。サリアの王家と高位貴族の家系に連なるものだ」
次々と明らかになる事実に混乱してしまう。
(王家は術にかかりやすい? でもアレス様が暗示にかかってるとは思えない)
「先ほども言ったが近年、王家への暗示が力を失っている。神官長自らが術をかけても現国王を完全に支配する事は不可能だった。あまりに暗示のかかり方が弱いからだ。それ故に継続的に術をかける必要が有ると結論付け王家にカーナ家の人間を送る事に決めた。それがセーラで王太子へ嫁がせる為に準備を進めていた」
「あの、今の話だとセーラ姫は暗示の術を使えるということになりますよね?」
まさかセーラ姫がそこまでカーナ家の闇の部分に関わっているとは思わなかった。メンデルは何でも無いように頷く。
「そうだ。だがある日更なる問題が発覚した。アレス王太子には暗示が全く通じないという事実だ」
「アレス様にはカーナの術が通じない……お父様の影響も全く受けないと言う事ですよね!」
こんな時なのに思わずホッと胸を撫で下ろす。
「お前は随分と安心した顔をするのだな。我らカーナ家にとっては忌忌しき問題だと言うのに」
「忌忌しき問題?」
「そうだ。我らの計画は全て狂ってしまった。王太子が術に掛からないのであればわざわざセーラを嫁がせる必要はない。セーラはカーナ家始まって以来と言われる程に秘術の知識を習得し、その扱いにも長けている貴重な娘だ。むざむざ役立たずの王太子のところへやるやる訳にはいかない」
「お兄様、アレス様は役立たずではありません!」
思わず声を高くするエレナに、メンデルは顔をしかめて見せた。
「落ち着け。カーナ家にとって役立たずと言っているんだ。王太子の事でいちいち過剰に反応するのは止めてくれ。話が進まない」
「あ……はい。申し訳ありません」
メンデルの言う事はもっとだった。今はとにかく話を聞く事が重要なのだから。エレナが大人しくなった事を確かめるとメンデルは気を取り直した様子で話を続けた。
「問題はそれだけではなかった。王太子は我らカーナ家の秘密に気付き始めた様子だった。あからさまな態度には出さないが間違いないだろう」
メンデルの考えは当たっている。アレスはカーナ家の真の姿をエレナよりずっと前から分かっていたのだから。
けれどその事実をメンデルにわざわざ言う気にはならなかった。兄はエレナが思っていた程冷酷な人間ではないのかもしれない。この短い時間で印象は変わって来ているけれど信用出切るとはまだ言えないからだ。
「カーナ家にとってアレス王太子は厄介な存在でしかなかった。歴代の王の様に利用が出来ないだけでなくいずれ我らに反乱を企てるかもしれないから放置する事も出来ない。監視をする必要が有った。だからカーナ家は予定通り姫を嫁がせる事にした。カーナの姫を王太子妃にする事で、王太子への牽制になるし、監視もしやすくなるからだ」
「それで私を?」
「そうだ。王太子に嫁がせるのはカーナの姫であれば良いのだからな」
(……アレス様が思っていた通りだった)
一時も気が抜けないと思いながらエレナを妻に迎えたとアレスは言っていた。そしてカーナ家の思惑はその通りだった。妃のエレナが何も知らなかった事を除けば。
でも……ある事に思い至り、エレナは血の気が引くのを感じた。
「お父様はアレス様を王太子の地位から追うつもりだったのですね?」
メンデルに問いかけたけれどそれはもう確定だと分かっていた。
「だってアレス様をいつか国王にする気なら私ではなくセーラ姫を王太子妃にしたでしょう?」
邪魔な王太子に送る姫は、カーナ家にとって不要な方でいいはずだ。
アレスを王太子の地位から降ろす間、エレナはただ王太子妃でいればいい。その地位の恩恵があるだけでいい。エレナは何も出来なくても周りの人間……神官長の手先が動き目的を達成するのだから。
底知れない恐怖を感じて指先が細かく震えてしまう。
「お父様とお兄様の事をこれ程許せないと思った事は有りません。アレス様は立派な方です。多くの人に尊敬されています、それなのに……カーナ家にとって邪魔だから排除するなんて!」
カーナ家とは一体何なのだろう。影でサリアを支配する?なぜそんな事をする必要が有るのだろう。強力な秘術が有るのなら初めから自分達が王になれば良かったのに。
「アレス様の事だけでは有りません。人に暗示をかけて操るなんて、そんな相手の人生を滅茶苦茶にしてしまう事を平気で出来るのはおかしいです」
不安と動揺で感情が高ぶってしまう。つい責める様な口調になったエレナをフィーアが小声で嗜める。
「エレナ様、今は抑えてください」
「フィーア……」
フィーアの声は冷静に聞こえるけれどその瞳には苛立ちが浮かんでいた。フィーアもメンデルの話に遣り切れない怒りを感じているのだろう。
メンデルはエレナとフィーアの非難の視線に気付きながらも不快さは見せず、ただ疲れた様な深い溜息を吐いた。
「お前達の思う通りだな。私はあまりに傲慢だった。カーナの人間以外を人とも思わない言動を長い間続けて来ていた」
「……お兄様?」
まさかメンデルがこの場で自分の非を認めるとは思ってもいなかった。唖然とするエレナに、メンデルは苦しそうに言った。
「分からなかったのだ。考えた事も無かった。カーナ家にとって利用出来ないものは排除すれば良いと思っていた。たとえそれが人相手だとしても」
「後悔しているのですか? でもどうして急に?」
何年も父と過ごし、次期神官長の兄がなぜ短期間で考えを変えたのだろう。
「……大切な者を失いそうになって初めて気が付いた。私が排除して来た者達やその家族もこんな苦しさを味わったのだと。気付いた瞬間私はその罪深さに怯えた」
そう語るメンデルの瞳には確かに恐怖が浮かんでいる。今になって罪の大きさを認識して耐えられなくなったのだろうか。
でも考えを変えるには何か強烈な出来事が有るはずだ。価値観を変えるほどの何かが。
(そう言えばお兄様の様子は昨晩とあまりに違うんだった)
たった一晩で。まるで何かに生気を奪われてしまった様に。
「昨夜……何が有ったのですか?」
それこそがメンデルの変貌の原因で有り、アレスと神官長の争いの原因なのではないか。
「……昨夜セーラが襲われた。あと少し遅かったら今頃生きてはいられなかった」
「セーラ姫が?」
まさか、信じられない。カーナ屋敷の奥深く。普段から貴族女性との交流も殆どしないセーラは基本的には屋敷から出ない。サリア一の大貴族カーナ家の屋敷の守りは堅牢だ。その奥深くにいるセーラを襲える人間なんて思いつかない。
(一体誰が?)
エレナが眉間にシワを寄せて考えこんでいたその時、大きな足音が聞こえて来た。
一瞬でメンデルの表情が固くなった。立ち上がりまるで透視でもしている様に見えるはずのない、扉の向こうの人物を睨みつける。
許可も出していないのに扉が大きく開かれた。開かれた扉の先には、青みのかかった瞳に静かな怒りを宿したアレスの姿が有った。




