王女の夫
「アレス様、私、気になる事があるんです。フリード侯爵の事で」
「何か有ったのか?」
「何か有ったって程の事じゃないんですけど、夜会でアレス様が席を外された後に少し話をしたんです」
「どこでだ? 一人で席を離れたのか?」
アレスの表情が厳しくなった気がしてエレナは慌てて弁解した。
「フィーアも一緒でした。それに広間で話しただけなので周りには沢山人が居ました」
「……そうか」
アレスの表情が和らいだのを感じ、エレナは安心して続ける。
「フリード侯爵から声をかけて来たのですけど、彼は私とアレス様の仲が良いと思っていました。皆は私達の事をそれ程親しくない関係だと思っているのに」
マリカ姫との恋仲が囁かれるくらいなのだから、世間一般の認識は政略結婚の冷めた関係といった認識だろう。
それはアレスも認めて頷いた。
「そうだな」
「だから私驚きました。それでどうして私達の仲が良いと思うのかを聞いたら、お父様に聞いたからだって言うんです」
「神官長に?」
アレスの声が険しくなる。神官長の事となると自然と身構えてしまう様だと感じた。
「……お父様は湖の事件の事をフリード侯爵に話したそうなんです」
「神官長ならあの件については誰よりも詳しいだろうな」
アレスが不機嫌そうに言う。あの襲撃の黒幕は神官長なのだから当然と思っているんだろう。
「あの、それでお父様はこう言ったそうなんです。あの事件以来アレス様は私の事を心配して部屋から出したがらないって。私驚きました。お父様が王宮での私の様子を知っている事にも、それをフリード侯爵に詳しく話している事も」
滅多に会わない父親に暮らしぶりを知られている事も驚いたし、寡黙な父が他国の貴族に娘の事を細かく話す事も。今までの父の言動からは考えられなかった。だから驚いたのだけれどアレスは驚く様子も無く憮然とした態度で言った。
「別に不思議は無い。エレナに付いている護衛兵キース……あの男がこちらの動向を事細かに神官長に報告しているのだろう。俺が外出を禁じている事などとっくに知っていたはずだ」
「あ……そうでしたね、彼ならお父様に何でも言いそうです」
ライとの衝突をエレナが仲介した事も神官長に報告すると自ら言っていたくらいだ。
「でもそれをわざわざフリード侯爵に話すのはどうしてでしょう? あの人はエザリアの貴族でしかもエザリア王女の夫なのに」
「神官長とフリード侯爵の間には何か有る。賓客の接待役を高位貴族が担うのは普通の事だがカーナ家がその役を負う事は今までに無かった。だがフリード侯爵の接待役に関しては神官長自らが名乗り出て更にその後も接待役を他の家には任せない」
「そう言えばそうですよね」
カーナ家はサリアの貴族と言ってもその立場は他の貴族とはまるで違っている。基本的に他の貴族の接待などは引き受けない。王家もカーナ家には強要しないし、 通常の貴族の夫人が盛んに開く茶会も、カーナ家の当主夫人は開かない。
エレナもその事は知っていたけれどそれは神官長を勤める家だからで、まさか父親が国王と並ぶ権力の持ち主だからだなんて考えもしなかったのだけれど。
「実家にいる時、家で他国の貴族のお客様なんて見た事は有りませんでした」
国内貴族が立ち寄る事も殆どなかった。
「そうだろうな。神官長への謁見は通常神殿で行っている」
「でもフリード侯爵はかなり前からカーナの屋敷に出入りしていたんですよね。私と会わない様にしていたのは、私が王太子妃に内定していたから遠慮したんだと言っていましたけど……」
それが表向きの理由なのはさすがにエレナでも分かっている。
「セーラ姫には挨拶をしたそうです。セーラ姫だって結婚前の貴族の姫なのに。だから私に会わなかったのはただお父様が反対しただけだと思います」
「……フリード侯爵がセーラに会ったのは挨拶の時の一度だけか?」
「何度会ったか迄は聞いていませんけど、セーラ姫と私は叔母姪の関係なのに少しも似ていないと言っていました。私は明るいけどセーラ姫は静かな夜のよう人だって」
そう言ってセーラ姫の事を語った時のフリード侯爵の様子はどこかおかしかった。
「フリード侯爵はセーラ姫の事をよく覚えている様でした。上手く言えないのですけど、セーラ姫の事を聞いた時それまでと少し態度が変わった気がしました。お兄様みたいに声を大きくはしませんでしたけど。私彼の様子がなんだか気になってしまって……アレス様?」
感じたままをアレスに伝えていたのだけれど、気付けばアレスは恐い顔をして黙り込んでしまっていた。
「あ、あの……アレス様?」
何か変な事を言ってしまったのだろうか。
おろおろするエレナにアレスが鋭い目を向けて来た。
「エレナ、フリード侯爵には近付くな」
「え……アレス様?」
「もしフリード侯爵に会う機会が有っても決して近づくな。理由を付けて離れるんだ、分かったか?」
「は、はい……」
元々近付こうとは思っていないけれど、アレスの言い方が予想以上に強く焦りすら感じられ戸惑いを感じる。
(アレス様、どうしてそんな恐い顔をしているの?)
アレスはフリード侯爵の事を話してる途中でおかしくなったエレナは気付かなかったけれど話の中に何か問題が有ったのだろうか。
「アレス様、フリード侯爵の事で何か分かったんですか?」
そう問いかけるとアレスは気まずそうな表情になった。
「……私には言えないことですか?」
アレスは政の事やカーナ家との確執などをエレナには話さない。それは拒絶されていた頃からだけれど、気持ちが通じ合った今、何も語って貰えないのは寂しく感じた。
(私が上手く立ち回れないのが悪いんだけど……)
アレスとフィーア曰く、【感情が顔に出る】エレナにはアレスも話す内容を選んでしまうのだろう。
(アレス様の役に立ちたいのに)
でも自分の力不足が分かっているだけにしつこく問い質す事は出来なくて、エレナはがっかりと溜息を吐いた。その直後アレスの優しい声が降りて来た。
「エレナ。もう少しでまた遠乗りに出られる」
「……え?」
顔を上げるとアレスの優しさを浮かべた瞳と視線が重なった。
「だからそんな顔をするな」
「でも大丈夫なのですか?」
「ああ、相手が分かれば対策も取れるからな」
「はい!」
思いがけなく遠乗り解禁を言われ気分が明るくなった。
アレスの言う“対策”が何かは分からないし、カーナ家が何を考えているのかも分からない。フリード侯爵の事も気がかりだ。
(いつかアレス様に信用して何でも話して貰える様な王太子妃になろう)
それまでは自分の出来る事をしようと思う。
「アレス様……」
見つめると魅惑的な青みがかった瞳で見つめ返してくれる。
初めはアレスの周りには冷たい壁が有った。その瞳にエレナは映ってなかった。でも今はエレナを受け入れてくれているのを感じる。少しずつもっと近付いていけたらと思う。
「アレス様……大好きです」
心から告げるとアレスの瞳が切なげに細められた。
直後強い力で抱き寄せられたエレナは何もする事も出来ずにそのまま唇を塞がれた。
「アレス様……」
二度目のキスも突然でエレナは頬を赤く染めてアレスを見つめる。けれどそれ以上何かを言う事は許されず再びアレスの腕の中に囲われ、更に深く口付けられた。
「あ……んんっ!」
何度も角度を変え口付けられて、その激しさにエレナは震える手でアレスの衣にしがみつく。息が苦しい。身体から力が抜けて行く。アレスの腕は益々強くなりもうされるがままで何も出来ない。
でも頭が真白になるその一時が永遠に続けばいいと思った。




