深夜の会話
いつも通りの堂々とした態度のアレスに特に変わった所は見られなかった。
(でも、アレス様は心が顔に出ないから)
じっと見つめていると視線に気付いたのか、アレスが怪訝な表情をした。
「何か有ったのか?」
「アレス様に話したい事が沢山あります」
「話?」
「はい」
嫉妬も不安も気になる事も、自分ひとりの中に抱えたままでは駄目になってしまいそうだった。
アレスに伝えたい。それにアレス自身の言葉を聞きたい。そんな気持ちで見つめていると、アレスがひそめた声で言った。
「今夜遅くなるがエレナの部屋に行く」
喜びが心の内に広がるのを感じながらエレナは小さく頷いた。
深夜。静まり返ったエレナの部屋にアレスがそっと忍んで来た。
「アレス様」
迎えたエレナにアレスは穏やかに微笑む。
「遅くなって悪かった、よく起きていられたな」
「え?」
「エレナは夜更かしが苦手だと聞いている」
「そうですけと、今夜はアレス様が来て下さると思っていましたから」
アレスは「そうか」と頷くと普段より灯りを落とした部屋を見回した。
「フィーアも下がらせたのか?」
「はい。フィーアは私と一緒にアレス様を待つと言いましたけど、昼間いつも忙しくしているのに夜更かししたら身体に悪いと思って休む様に言いました」
フィーアは頑なでなかなか下がらなかったけれど。
エレナが言い終えるとアレスはエレナの腕を取り、長椅子へ二人並んで座り込んだ。二人の間にはほんの僅かな隙間しかなくて、エレナの緊張は一気に高まる。
「話したい事が有ると言ってたな」
アレスがエレナを見下ろしながら言う。
「はい、沢山有ります、だってアレス様に会うのは一月ぶりです」
訴えたい事は山の様に溜まっている。それに寂しかった。エレナは会いたくて仕方無かったのにアレスは一度も会いに来てくれなかったのだから。つい責める様な目を向けてしまうエレナに、アレスはゆっくりと頷いた。
「エレナの言う通りだな。放ったままで悪かった」
(え……アレス様が私に謝った?)
今までにない光景にポカンと惚けていると、アレスは困った表情になる。
「そんな顔をするな」
「は、はい」
「今夜はゆっくり話を聞く。俺に聞きたい事があるのだろう?」
今のアレスの声音はとても優しい。
「アレス様、湖で襲って来た人達は誰だったんですか?」
エレナの言葉にアレスの表情に影が差す。
聞かれたくない事だったんだと感じられた。
それでもアレスは隠す事なくエレナを真っ直ぐ見つめて言った。
「決定的な証拠は無い。だが状況証拠から神官長の配下の者だと考えられる」
「お父様の……」
驚きよりもやはりと言った想いが強かった。アレスと会えない間、エレナなりに考えていた。アレスを邪魔に思う者。害を為す者は誰なのか。そうやって考えれば考える程、自分の父親の姿が脳裏に浮かんで来た。
(お父様のアレス様を見る目はとても冷たい)
あんな敵意の様なものをアレスに向ける人を他には知らなかった。
「大丈夫か?」
考え込んでいると、気遣う様なアレスの声が聞こえて来た。
「あっ、はい。大丈夫です。お父様かもしれないって覚悟はしていましたから……ごめんなさい、アレス様」
「エレナが謝る必要は無い。それよりお前は大丈夫なのか?」
「え?」
「お前は実の父親の手によって危険な目に遭わされた。あの時俺に万が一の事が有ればエレナも無事では居られなかったかもしれない」
アレスにそう言われようやく思い至った。
(お父様は私の事も切り捨て様としたんだ……)
それでもその事実で今更深く傷付く事はなかった。
「大丈夫です。お父様が私を嫌っているのは分かってましたから。それよりも私はお父様がアレス様をそこまで邪魔に思っている事が辛いです。どうしてか分かりません」
代々の神官長は代々の王を手の内で操って来た。だが俺は神官長の思い通りに動かない。そんな俺の存在自体が許せないのだろう」
「そんな……王族を操るなんて……お父様は神にでもなった気なのでしょうか」
「お前の父親だけじゃない。代々の神官長は歴代の王を操り意に染まなければ排除して来た」
「排除って、まさか……」
そうつぶやいた時、フィーアと話した事を思い出した。
『神官長に比べて王が多い』
あれはカーナ家の書庫で見つけた書物を見た時の事だった。
王の代替わりで現れる四つの名前。そして早い代替わりをする王達。
カーナ家は昔から気に入らない王を排除して来ていた。それは間違い無い事に思える。顔色を悪くするエレナに、アレスは宥める様に言う。
「エレナ大丈夫だ。俺は簡単に消されたりはしない。エレナにも手出しはさせない」
「でも……」
「俺はそんなに頼りなく見えるのか?」
アレスが不敵な笑みを浮かべて言う。その姿を見ていると、エレナの心も少しだけ軽くなった。
「アレス様は誰よりも強いです」
エレナにとってアレスは誰よりも強く賢く、魅力的な王だ。
「元気が出て来たな」
優しく労わる様に言われると心の中が甘く切なくなる。この人の隣にずっと寄り添っていたいと願う。
(アレス様、大好き……)
アレスの肩にもたれ様とした時、突然マリカ姫の姿が思い浮かんだ。ハッとして顔を強張らせるエレナの様子をアレスは敏感に察した。
「エレナ、どうした?」
「アレス様、あの……」
マリカ姫の事はとても気になるけど、口に出し辛い。アレスのマリカ姫への気持ちを知るのが恐くて今まで触れないで来た。そのせいで何時までも拘ってしまっているのだけれど。
(でもこのままじゃ駄目になってしまう)
決意をしてアレスに震える声で告げる。
「アレス様はマリカ姫の事をどう思っているのですか?」
アレスの目が驚きに見開かれる。
「エレナ?」
「アレス様、答えて下さい」
答えを聞くまでの沈黙がとても長く感じる。
アレスは珍しく言葉を捜す様に、少しの間を置いてから口を開いた。
「マリカのニルソン子爵家は俺の母の生家で、その縁でニルソン子爵は昔から公私に渡って俺の力になってくれている。マリカとも幼い頃からの付き合いだ」
「アレス様のお母様の生家? でも王妃様は侯爵家の方だったのではないのですか?」
貴族間の婚姻関係や勢力図などあまり詳しいとは言えないけれど、アレスの母親の出自はエレナでも分かっている。
アレスの母……今は亡き王妃の実家はサリアでも5本の指に入る大貴族、ハルメ侯爵家だったはずだ。
「いや、母は当時王太子だった父に見初められ王家に嫁ぐ為ハルメ家の養女となった。ニルソン家は王妃の実家としては家格が低いからだ」
「養女になって王家に嫁ぐ事が有る事は知っていますけど、ニルソン家ならばその必要は無かったのではないですか?」
貴族の夫人達はマリカ姫をアレスの恋人だと噂していたけれど、身分違いだとかそんな話は聞かなかった。
夜会の時のマリカ姫への周囲の態度も決して悪いものではなかった。それはニルソン家がそれなりの地位を得ているからだと思っていた。
「ニルソン家が力を持ったのは王妃の生家だからで、母が嫁いだ当時は一地方領主に過ぎなかった」
「そうなのですか……」
それでも今のニルソン家は、サリアでの地位を高めアレスの力になっているのだろう。アレスに敵対するカーナ家とは正反対の存在だと思うとなんだか辛くなった。
思わず俯き黙り込んだエレナにアレスが言った。
「エレナ、急にマリカの事を言い出したのはなぜだ?」
顔を上げると真っ直ぐ見つめて来るアレスと目が合った。
「噂を聞いたんです。アレス様とマリカ姫は将来を約束した間柄だったと。カーナ家が……私が二人の間に割り込んでアレス様と結婚したんだって聞いて辛くなりました」
「エレナは噂を聞いてそのまま信じたのか?」
「……アレス様のマリカ姫への態度は他の人へのものと違っていました。それを見て、噂は本当でアレス様はマリカ姫が好きなんだって感じました」
エレナが言い終えると、アレスが溜息を吐いた。その様子がいかにもうんざりしている様に感じられて、思わず怯んでしまう。
(これ以上言わない方がいいの? でも……)
悩んでいるとアレスが困った様な表情になった。




