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陽と月

 憂鬱な気持は消え、晴れやかな気持ちになっている内に貴族の挨拶は進み、気付けば目の前にマリカ姫が現れた。張りの有るブラウンの髪は豊かに背を覆っている。赤みがかったおおきな瞳。瞳の色に合わせた大人っぽいラインの深紅色のドレスは彼女の魅力を引き立てている。


 動揺するエレナの隣の席で、アレスが柔らかな笑みを浮かべる。


「マリカ。久しぶりだな」

「はい。アレス様」


 マリカ姫も微笑返す。その表情は美しく女らしくてエレナは落ち着かない気持ちになる。


(マリカ姫……今日もとても綺麗)


 アレスはエレナを好きだと言ってはくれたけれど、こんなに美しいマリカ姫を目の前にしたら気持ちが変わってしまうんじゃないか。そんな事が頭に浮かび不安になる。


 アレスは優しい目をマリカ姫に向けて問う。


「良い事が有ったのか?」


 するとマリカ姫は形の良い眉を下げて言った。


「いいえ。良くない知らせばかりですわ」

「……そうか」


 アレスがうんざりした様に溜息を吐き、マリカ姫はその様子を見て、無理は無いだろうとでも言う様に苦笑いをした。

 言葉短い会話でエレナには意味が掴めない。けれど二人は全て分かっているといった様子で当たり前の様に会話が進んで行く。


(アレス様……)


 微笑み合う二人を見ていたくなくて、視界から隠す様に扇を広げた。


 しばらくすると俯くエレナにアレスが声をかけて来た。


「エレナ。俺は少し外すがお前は広間から出るな、一人にはなるなよ」


 その言葉に顔を上げる。視界の端にマリカ姫が広間を出て行く姿が見えた。


「……アレス様はどこに行くのですか?」

「いくつか報告を受ける必要が有る……どうかしたのか?」


 エレナの顔が強張っている事に気付いたのかアレスが窺う様に見据えて来る。けれど、アレスの問いに答える事は出来なかった。


(アレス様はマリカ姫のところに行くのかもしれない)


 そう疑ってしまう。行かないで欲しいと思ってしまう。でもそんな嫉妬心をこの場で訴える事は出来ない。黙ったままのエレナをアレスはじっと見つめてた後、「直ぐに戻る」そう言い残し席を立った。



「エレナ様、大丈夫ですよ。王太子殿下は直ぐに戻って下さります」


 項垂れるエレナに近くに控えていたフィーアが耳打ちして来た。


「……そうよね」


 不安は消えないけれどアレスの言葉を信じるしかないし、いつまでも暗い顔はしていられない。この大広間には沢山の貴族が居るのだから。


 アレスとマリカ姫の事は以前から噂になっている。そんな中、エレナが不安で沈んだ顔を見せたらどんな噂が飛び交うか分からない。


「少し歩くわ。フィーア着いてきて」


 一段高い所に設えられてた王族の席から広間に降りる。元々夜会は好きではないし普段はあまりウロウロしないのだけれど、今は気分を切り替えたかった。



 アレスの言いつけ通りフィーアを伴ってゆっくりと広間を移動して華やかな雰囲気を楽しもうとしていると、強い視線を感じてエレナはその場に立ち止まった。


 王太子妃の立場から注目される事は珍しくない。

だけど、ここまではっきりとした存在感を持った視線を感じる事は滅多にない。


 気配の方に目を向けると、人波の向こうの銀髪の青年の姿が視界に入った。


(フリード侯爵!)


 今夜の主賓で有るフリード侯爵にはアレスと供に挨拶はしたけれど、今はその時の静かな態度とは違う何か訴える様な目をエレナに向けている。引き寄せられたかの様に目を逸らせないでいると、フリード侯爵は迷いなくエレナに近付いて来た。


「王太子妃殿下が宴を楽しんでいるとは珍しいですね」


 フリード侯爵は当たり前の様にエレナに話しかけて来た。静かな口調だけれど、なぜか落ち着かない気持ちになりエレナは扇で口元を隠す様に扇を広げた。


「王太子殿下はどちらにおいでですか?」


 フリード侯爵は王太子妃のエレナを前にしても何の気負いも無く堂々としている。王女を妻に迎えているからだろうか。とても一貴族とは思えない存在感を放っている。


「アレス様は少し席を外していますが、何か急ぎの御用でしょうか?」


 エレナの方が緊張感を持ちながら答える。


「急いではおりません。ただ王太子殿下が妃殿下をお一人にするとは意外でしたので」

「……そうでしょうか?」


 アレスとエレナは周りから見れば決して仲の良い夫婦とは言えないだろう。二人で行動する機会は少ないし、エレナが一人でいるからと言って不思議に思われる事は無いはずなのに。


「王太子殿下は妃殿下に対しとても過保護だと聞いております。危ない目に合われてからは妃殿下の身を案じる余り、部屋から出したがらないとか」

「え……」


(フリード侯爵は湖で襲われた事を知っているの?)


 エレナの顔色が変わった事に気付いたのか、フリード侯爵が少し気まずそうな表情を浮かべた。


「申し訳有りません。嫌な事を思い出させてしまった様ですね」

「いえ……あの……フリード侯爵はどこでその事を?」

「神官長から伺いましたが」

「お父様に?」

「はい。神官長はとても心配されておりましたよ」


 フリード侯爵は灰色の瞳でエレナをじっと見つめて言う。


「……フリード侯爵はお父様と親しいのですね」


 それでもエレナとガルダの不仲は知らないのだろうか。それとも知っているけれど、気付かないふりをしているのだろうか。


 目の前の銀の髪の青年貴族は穏やかな微笑みを浮かべているけれど、その心の内は表に表れていなくて、何を考えているのか分からない。


「私の家はその役目からサリアへ滞在する事が多く、カーナ家にはその度にお世話になっております。神官長とも親しくさせて頂いておりますよ」

「フリード侯爵は以前よりカーナ家へおいでになっていたのですよね」

「はい。当時既に王太子妃に内定していたエレナ姫へのご挨拶は叶いませんでしたが」


 フリード侯爵は本当に残念そうに眉を寄せて言う。


 確かにアレスとの結婚の話が出てからは、行動を規制される事が多くなった。でもフリード侯爵とエレナが顔を合わす機会が無かったのは、恐らくわざと会わない様にしていたのは別に理由が有るのではないか。


 ふとそんな疑いが頭に浮かんだ。だからほんの思いつきの発言だった。


「ではセーラ姫とはお会いになったのですか?」


 それなのに、それまで造った笑顔しか見せなかったフリード侯爵の表情がほんの一瞬だけど確かに揺らいだ。


「……セーラ姫にはご挨拶をさせて頂きました」


 揺らぎは直ぐに消え去った。柔和な笑みを浮かべフリード侯爵は言う。


「セーラ姫は妃殿下とは叔母姪の関係だそうですが、お二人はあまり似てはいないのですね」

「……そうですね。セーラ姫は物静かな方ですから私とは正反対です」

「ええ。妃殿下の黄金の髪と翡翠の瞳は明るい陽の光を連想させます。対してセーラ姫の漆黒の髪と瞳は静かな夜だ」


 にはここにいないセーラ姫の姿が鮮明に焼きついている。まるでそんな風な口ぶりだと思った。


(もしかしてフリード侯爵とセーラ姫は親しいの?)


 何かが心にひっかかる。フリード侯爵にもっと話を聞きたいと思い口を開こうとした時、エレナに付きしたがっていたフィーアがそっと耳打ちしてきた。


「エレナ様、これ以上は良く有りません」


 そう言われて改めて周囲に目を向けると、貴族達の視線がエレナに集まっていた。


 王太子妃のエレナがあまりに長く一人の相手と話すのは余計な注目を浴びてしまう。心残りを感じながら、エレナはフリード侯爵に断りその場を離れた。


 広間をゆっくり歩くと、相変わらず貴族達が機嫌伺いに近付いて来る。言葉をかけながらもフリード侯爵の存在が気がかりで気分転換にはならなかった。





 王族の席にアレスが戻って来た様子は無いけれど、フィーアを従え自分の席に戻る。用意された軽い酒を口に運びながら考えるのはやはりアレスの事だった。


(今頃マリカ姫と一緒に居るの?)


 アレスに好きだと言って貰えたけれど、考えみればマリカ姫の事については何も聞いていなかった。


 エレナを本当の妃にすると言ったアレスが不誠実な事をするとは思えないけれど、何も知らないままではどうしても心配になってしまう。


(早く戻って来て欲しい。フリード侯爵の事も話したいのに)



 それからもアレスはなかなか戻って来ず、エレナのグラスが何度か空になった頃、ようやくアレスは戻って来た。

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