家臣の諍い
恐ろしい襲撃の日から一月が過ぎた。
未だにエレナの遠乗り禁止令は解かれず、アレスと会う機会が無いまま時間だけが流れて行く。
新たにエレナの護衛に着いたアレスの側近ライとフィーアによって、セーラ姫とカヤの調査についての報告は逐一アレスにしているけれど、アレスからエレナに何か知らせが来る事は無かった。
その日は朝から激しい雨で重く立ち込めた雲が空を覆い、普段は明るい日差しの差し込むエレナの部屋も昼だというのに薄暗かった。風も強くなって来たのか、横殴りの雨が天上にまで届く窓を強く叩きガタガタと音を立てる。
「嵐になりそう」
読んでいた本から視線を上げ、エレナは窓の外に目を向け呟いた。近くに控えていたフィーアが浮かない顔で頷く。
「そうですね。この季節はあまり雨は降らないはずなんですけど」
「アレス様、大丈夫かしら?」
心配そうに眉をひそめるエレナに、フィーアが怪訝な顔で言う。
「何がですか?」
「嵐の日って良くない事が起きるみたいだから。まだ湖で襲って来た犯人も見つかってないから心配でしょう?」
そう言うとフィーアはエレナの手元の本をチラリと見て、「ああ」と頷いた。
「今日は、王家の歴史書をお読みでしたね」
エレナは頷くと歴史書の一文をそっと撫でた。
「昔はサリアでも争いが多かったみたいで王家も攻撃されてたそうだけど、この本を見るとだいたいが嵐の日なの」
「エレナ様の着眼点は面白いですね。私は大分前にその本を読みましたが、天候の事なんて印象に残りませんでしたよ」
「そうなの?」
では逆に何が印象に残っているのだろうか。分厚い革張りの本を眺めながらエレナは首を傾げた。
少しでもアレスに相応しい妃になりたいと思い、その一歩として今まで苦手だった歴史書や、政治経済学についての本を読むようになってからもう一月近くが経つけれど、どれもこれも難解な内容でエレナにとって相変わらずなじめるものではなかった。だから分かりやすい天候の記載はとても印象に残ったのだけれど。
「どちらにしてもそんなに心配なさらなくても王太子殿下なら大丈夫ですよ」
確かにアレスなら油断などしないだろうから、歴史書に出て来た王の様にあっさりと敵に捕まったりはしないとは思う。
それでも心配になるのはアレスの事何より好きで大切だからで、その気持ちは止められない。
「今夜は久しぶりにアレス様に会えるのですから、安心出来ますよ」
「……そうね」
今夜は大掛かりな夜会が開かれエレナも出席する予定だった。ようやくアレスに会えると思うと胸が高鳴る。早く会いたい。そうすればこの胸に燻る不安も消えてくれるだろうから。窓の外、重く雲が立ち込める空を眺めながらそう思った。
激しい雨と風は止む事はなくサリア王宮を打ち付けていた。
けれど大広間には眩い灯りに溢れ、楽隊の奏でる明るい音楽と人々の楽しそうな声で常と同じ様に賑わっていた。大広間の出入り口で、その様子を目にしたエレナはホッとした気持ちで微笑んだ。
(良かった、いつも通りだわ)
だんだん酷くなっていく天候と、先ほど起きた小さな諍いで堕ちていた気分が少し浮上する。常に近くに控えているフィーアも同じ思いだったようで、安心した表情を見せた。
エレナ達の背後には二人の侍女と、護衛の兵士が従っている。
問題は護衛兵の先頭に立つ二人だった。
襲撃の後アレスの命令でエレナの護衛役となったライ。それから神官長が付けた護衛兵キース。
いつかフィーアが心配していた通り、二人の仲はエレナの目から見ても悪く、何かと衝突しては周囲を困惑させていた。
と言っても衝突は殆どがキースの横暴さをライが嗜める事で起きているらしく、ライの忍耐が無ければ今頃もっと大きな争いになっているだろうとフィーアは心配そうに言っていた。
いまいち実感が湧かなかったエレナだけれど、先ほど、大広間への移動の時に見た光景は予想以上で強い衝撃を受けていた。
支度を整え広間へ向かおうとしたエレナの前で、キースはライに向かって言い放ったのだ。
「お前は必要ないから下がっていろ。エレナ姫は我らカーナ家の兵士が護衛する」
アレスの側近に対して堂々と命令するキースの態度にエレナは衝撃を受けたけれど、ライは動揺する様子はなく淡々と応えた。
「私は王太子殿下よりいかなる時も妃殿下をお守りする様にと命じられています。ここを離れるつもりは有りません」
「神官長はエレナ姫に王家の護衛は必要ないとおっしゃっている。退がれ」
「王太子殿下の命令以外、私は従いません」
二人の様子からキースがライに横柄な態度を取るのはこれが初めてではない事が窺えた。
ライはキースに攻撃的な態度は取らないけれど決して引く事も無かったから、険悪なまま結局キース率いるカーナ家の護衛兵とライがエレナの護衛に着く事になった。
ライにも直属の部下が何人か居るけれど、引き連れていくと不自然なほどの大人数になってしまう為部下は控えさせた様だった。
(こんなに酷い雰囲気だったなんて)
今はライが退いてくれているけれど、続けばどうなるかは分からない。エレナには親切で穏やかで優しいライだけれど、いつかは怒りを表わすかもしれない。
そんな不安を感じている中、キースがライに更に傲慢な態度で言い放った。
「お前はもっと下がれ。エレナ姫にそれ以上近付くな」
「王太子の側近などここには必要ない!」
憎憎し気にライを睨むキースに、エレナは高い声を上げて割り込んだ。
「やめて!」
「エレナ姫?」
「ライは他にも大切な仕事があるのに、アレス様の命令だから私の護衛に付いてくれているのよ。助けて貰っているのにそんな言い方はしないで。もっとライと協力して」
今まで女官や使用人の諍いに口を挟んだ事が無かったし、そもそもが争い事が苦手な性格だ。いくら相手が自分より身分が下の護衛兵と言っても強く叱りつける事はどうしても躊躇ってしまう。
今も言った側から言い過ぎたかと不安になってしまう。けれどもし間違った事を言っていたら、フィーアがエレナを嗜めるはずだ。チラリと横目で見遣る。フィーアがエレナを止める気配は無い。勇気付けられ、エレナはキースに再び告げた。
「キース。今後ライに対して今の様な口の利き方はやめて下さい。これは……王太子妃としての命令です」
キースは心外そうな表情をしながらも一歩下がって頷き、そして言った。
「畏まりました。ですがこの事は神官長に報告いたします」
「キース……」
エレナに強い不安を与え、キースは苛立たし気にライの後ろに下がって行った。
大広間にエレナが入ると、それに気付いた貴族達が一斉に頭を下げる。
エレナ自身はあまり意識していないけれど、王太子妃、それも神官長の娘であるエレナの地位はとても高いため皆が敬い気を使う。
その人の群れの中に、白衣の神官長の姿が有った。
(お父様……)
神官長だけはエレナに頭を下げる事は無い。鋭い眼差しで値踏みする様にエレナを見つめて来る。
幼い頃からだけど、神官長からは時々実の父親とは思えない程の冷たさを感じる。そして何を考えているのか全く窺う事が出来ない。
それでも今まではその命令に従って来ていたけれど。
震えそうになりながら神官長の前を通り過ぎる。
ホッとしたその直後、今度は美しい深紅のドレスの女性が視界に入り、エレナは思わず足を止めた。
(あれは……マリカ姫)
いつか見た時と同じ、大人の女性の魅力に溢れた美しいマリカ姫の姿が有った。
胸がざわめくのを感じながら、アレスの待つ王族の席に向かった。




