王太子の質問
エレナは、アレスの命令通り機嫌伺いに来る貴族の波が途切れたところで席を立ち大広間を後にした。
居室に戻ると、フィーアは直ぐに人払いをして、アレスを迎える準備を整え始めた。
夜会で身に付けていた衣装から部屋着に着替えたエレナは、椅子に腰掛けフィーアが入れてくれたお茶を飲みながら溜息を吐いた。
「アレス様は上手く抜け出せるかしら。フィーアに四つの名前の事を詳しく聞くつもりでしょうけれど、私がちゃんと覚えていれば無理をしなくて済んだのよね」
自分がしっかりしていればフィーアにまで事情徴収をする必要は無く、アレスに余計な手間をかけさせずに済んだ。それに、アレスに見直してもらえたかもしれない。
(でも……アレス様に見直しても貰う必要はないんだわ)
諦めると決めたのだ。今更未練がましい事を考えては駄目だ。
(でも……アレス様は素敵過ぎる)
顔を見てしまうとその凛々しさに見とれてしまい、エレナの決心などゆらいでしまう。
今夜、アレスに何度も腕を捕まれた。アレスが触れた左腕をそっと上げてみる。見た目は何も変わりないけど、感触はしっかり残っている。
(アレス様……)
ぼんやりとしているとフィーアの声が聞こえて来た。
「エレナ様はあれこれ考えるより、素直になさってるのが一番かと思いますよ」
「フィーア……」
幼い頃から側に居てくれるだけ有って、フィーアはエレナの気持ちを的確に察してくれる。
いくら口で否定しても、心の内を見ぬかれてしまっている。
フィーアは、エレナの髪を梳かしながら穏やかな声で言った。
「エレナ様は、王太子殿下の幸せを願って身を引かれたのですよね。王太子殿下はマリカ姫と居るのが幸せだと考えて」
「それもあるのだけど……でもフィーアには言ってなかったけどそれだけじゃないわ。私自身が耐えられなくて逃げ出したの」
「分かってますよ。誰だって自分の好きな人が他の人に恋をしているのを見たら苦しいです。それは当たり前の感情ですよ」
「フィーアは何でも分かってるのね」
「頭で分かってるだけですけどね。私はまだ恋をした事が無いから、本当のところを分かってないと思います」
「そうよね……ずっと私についていてくれたから」
フィーアは幼い頃から今までエレナ付きの侍女として側にいてくれたから、遊んでいる暇なんてなかったはずだ。
当然男性と付き合う事も。申し訳無い気持ちになっていると髪を梳かし終えたフィーアがエレナを励ますように言った。
「私の事はお気になさらず。それより今夜は、王太子殿下に素直な気持ちを伝えてみたらどうですか? エレナ様の長所は素直で正直なところなんですからね」
「そうね……考えてみる」
本当の気持ちをアレスに言う。そんな事出来るのだろうか。そしてそれをアレスは聞いてくれるのだろうか。自分がすっきりとする為にアレスに不快感は与えたくない。
決心がつかないまま迷っていると、アレスがエレナの部屋の扉を開き姿を現した。
アレスは大広間から直接来た様だった。夜会の時のままの濃紺の王族の衣装だ。
アレスはエレナの部屋の一番広い椅子に座るとゆったりとした様子で背もたれに身体を預けた。
「アレス様、どうぞ」
エレナが温かいお茶を差し出すと、アレスは受け取り口に運んだ。
それからエレナの背後に控えているフィーアに視線を向けて言った。
「エレナからカーナ家の歴史に出て来る四つの名前についてだいたいの事を聞いた。お前にはその詳細を聞きたい。記憶はしているな?」
アレスの言葉にフィーアは“はい”と頷き、すらすらと言葉を紡ぐ。
「四つの名前は、“カヤ”“デイル”“メーガン”“ユリエル”です。その中でもカヤとデイルが目立った活躍をしておりカーナ神官長との関わりが深いようです。ですが皆カーナ家でそれなりの地位を得ているのに詳しい出自については触れられていないのです。不自然に感じましたがそれ以上調べる方法が見当たりませんでした。ただ……」
「ただ、なんだ?」
珍しく言葉を濁したフィーアをアレスが促す。
「カーナ神官長の孫姫のセーラ様の下に“カヤ”と言う名の侍女がいます。今、エレナ様の命令で彼女について秘密裏に調べているところです」
フィーアの報告にアレスは僅かに目を開き、それからエレナに目を向けた。
「アレス様、どうかしましたか?」
首を傾げるエレナに、アレスはゆっくりとした口調で言った。
「セーラの侍女のカヤについて、今現在分かっている事は? 不審な点はないか?」
「え……」
アレスに問われ、ぎくりと身体が固まった。
フィーアに調査を頼んだものの、経過を聞いていなかったのだ。つまり、アレスの質問にも答えられない訳で……。
アレスの顔色が驚きから落胆に変わった気がした。
「カヤの事を調べる様に命じた後、放置していたのか?」
「い、いえ、まさか……」
慌てて否定するけれど、アレスの完全に呆れた目は全てを悟っている様だった。
「中庭でもセーラの侍女の事について何も言わなかったな。隠してたんではなく“忘れていた”んだろう」
断言されて何も言えなくなる。今夜のアレスはエレナの思考を完全に把握しているようだ。
「……すみません」
項垂れていると、アレスは苦笑いの様な表情になった。
「まあいい。カヤを調べる様に命令したのは、お前にしては上出来だからな」
「え……」
(もしかして今……アレス様に褒められた?)
信じられない思いでアレスを見つめていると、アレスは少し困った様な顔になり、エレナから目を逸らしてしまった。
それからフィーアに目を向け、いつもの隙の無い目をして告げた。
「フィーア。カヤについて報告しろ」
「はい。カヤはセーラ様の最も古くから仕えている侍女ですが、その出自は現在確認が取れておりません」
「なぜだ?カーナ家の姫の侍女の出自が不確かな訳がない」
アレスが怪訝な顔をする。フィーアはその反応を予想していた様で、直ぐに答えを口にした。
「王太子殿下のおっしゃる通り、カーナ公爵家の姫君の侍女になる事が出来る人間は限られています。有る程度の家柄の出で身元が確かな事。殆どが下級貴族の娘になりますがその上で神官長様の許しが必要になります。ですからカーナ家の侍女の身元は本来なら簡単に分るはず。それなのにカヤだけは違っていました」
「……カヤをセーラ付きの侍女にしたのは誰だ?」
「エレナ様の兄君のメンデル様です。勿論その後神官長様の許可も降りています」
フィーアの言葉にアレスは険しい顔をして黙り込んだ。
「その様な経緯からか、カヤは特にメンデル様に対して忠誠心が強いようです」
「……」
「それからこれは最近分った事なのですが、カヤはカーナ家の屋敷の北に位置する神殿に足しげく通っているようです」
「えっ? 北の神殿に?」
それまで大人しく二人の会話を聞いていたエレナは、思いがけず出て来た“北の神殿“と言う名称に反応し高い声を上げた。
アレスが不審そうな目をエレナに向ける。
「北の神殿が気になるのか?」
「はい……」
話の腰を折ってしまった事を気まずく思いながら、エレナは小さく頷いた。
「カーナ家の人間なら神殿など珍しくないだろう?」
アレスが言う通り、代々神官長を勤める家柄の出で有るエレナは普通の貴族の姫より神殿を見慣れている。
でも“北の神殿”に限って言えば例外だった。




