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崩れそうな決意

「あの、私が気にしているのは、デイル自身と言うより、彼の名前なんです……」


 ただでさえ理路整然と話をする事が苦手なのに、アレスとの距離が今までに無く近い為、胸が高鳴るのを止められなくて、ますます上手く話せなくなっている。


 そんなエレナの話をアレスは辛抱強く聞き、肝心はところを聞き出すべくエレナに問いかけてくる。


「なぜ名前が気になるんだ?」


「デイルは古語で名前には相応しくない意味だそうなんです。カヤが影と言う意味な様に」


「確かに、デイルは古語で身代わりという意味だが」


 アレスは少し怪訝な表情になり呟いた。


「そうなんですか? 身代わり……確かに自分が付けられたら嬉しくない名前ですね」


 あまり細かい事にこだわる方では無いけれど、一生使う大切な名前が身代わりでは悲しい。


 アレスはエレナの言葉に眉をひそめた。


「お前が古語を知っているのは意外だったが、やはり分かっていなかったのか」


「え?」


「古語でのデイルの意味を今知ったのだろう?」


 アレスはきっぱりと断言する。


「……はい」


 素直に頷くと、アレスは小さな溜息を吐いた。


「では、デイルの名が古語では人名に相応しくないと誰に聞いた?」


「あ、それは……」


 アレスの言葉で、一番肝心なカーナ家の書庫で見つけた本の話をしていなかった事に気がついた。


「以前、私がアレス様に内緒で、カーナの屋敷に帰った時の事を覚えていますか?」


「ああ。俺の言った人を操る術について調べようとしたのだったな」


「そうです。その時カーナ家の書庫で見つけた本にデイルの名前が書いて有ったんです」


「デイルの? どういう事だ?」


 アレスの表情が固くなる。


「カーナ家の歴史によく登場する四つの名前が有るんです。デイルはその内の一つです。四つの名前は国王陛下が代わる時に出て来るんですが、それを知ってからなんだか気味が悪くて……だから実際にデイルの名を持つ人がアレス様の近くに居るのを知って、不安になったんです」


 アレスはエレナの話を黙って聞いていたけれど、その表情はあまりに険しかった。視線を前方に向け何か考え込んでいる。


 アレスは気分を悪くしてしまっただろうか。


 しばらくして沈黙に耐えられなくなったエレナは、恐る恐る声をかけた。


「あの……アレス様?」


 アレスはエレナに視線を戻すと、真剣な目をして言った。


「今の話は他に誰が知っている?」


「フィーアが知っています。あの時一緒に調べたので。他は分りませんけど、カーナ家の書庫に有った本なのでセーラ姫も見ているかもしれません」


「セーラ……お前の兄の娘か」


 アレスは苛立った様に呟く。


(アレス様やっぱり機嫌が悪い……)


 夜会の最中こんな話をして、気分を害してしまったのだろう。エレナとしては逆らえない流れだったけれど、アレスは何も知らなかったのだから。


「エレナ、四つの名前と言ったな。デイルの他の名前を教えてくれ」


「はい。他は……カヤです」


 エレナの返事に、アレスはあからさまにがっかりとした顔をした。


「それはさっき聞いた。他の二つの名を聞いている」


「え、他の二つの名前?……ええと……」


 苛立ったアレスに見つめられ、激しい緊張感で頭が上手く回らない。


(な、何だった?……思い出せない)


 記憶を探っても全く何も浮かんで来ない。冷や汗が出る思いで必死に考え込んでいると、アレスの声が聞こえて来た。


「忘れたんだな?」


 ギクリとしながら顔を上げる。アレスの呆れた様な視線が痛い。


「あ、あの、なぜか忘れてしまったようで……でも直ぐに思い出します!」


「カーナ家の歴史を読み、四つの名前を知った時から嫌な気持ちになってたんじゃなかったのか?」


 冷ややかに嫌味を言われ、エレナはがっくりと項垂れた。


「すみません……」


(なんで私って忘れっぽいの?)


 落ち込んでいると、アレスが立ち上がる気配を感じた。きっとエレナに呆れて行ってしまうんだと思った。


 けれどアレスはエレナの腕を掴み、少し力を入れて引き上げて来た。ふわりと身体が浮かび、椅子から立ち上がったエレナにアレスは言った。


「行くぞ」


 その表情は呆れている様には見えるけど、決して冷たくはない。声も穏やかだし、エレナの腕は未だにアレスに捕まれたままだった。


「どこに行くのですか?」


 アレスに腕を引かれ中庭を歩きながら問いかける。アレスはチラリとエレナを振り返り、言った。


「お前の優秀な侍女のところだ」


「フィーアの?」


 今夜は何度アレスに手を引かれているのだろう。胸が高鳴るのを感じながら、アレスの背中を見つめていた。



 アレスに手を引かれ中庭を進んでいくと、広間との出入り口の近くでフィーアが佇んでいるのを見つけた。


「フィーア」


 呼びかけると、フィーアは直ぐにエレナの声に気付き駆け寄って来ようとした。けれどアレスが居るからかフィーアは動きを止め、その場で頭を下げエレナ達を待っている。


 アレスはエレナの手を引いたまま進み、フィーアの前で立ち止まると声をかけた。


「エレナは無事だ。心配させてしまった様だな」


「王太子殿下がいらっしゃるのでご無事だと分かっていましたが、エレナ様は時折突飛な行動をなさるので」


 フィーアが答えると、アレスは小さく頷いてから続けた。


「夜会が終ったらエレナの部屋に行くから、人払いをしておくんだ。だがお前は同席しろ。お前に聞きたい事が有る」


 アレスの言葉にフィーアは意外そうに瞬きをした。けれど直ぐに「かしこまりました」と頭を下げる。


 アレスは満足そうな表情を浮べるとエレナを振り返り言った。


「今の話は聞いていたな。これから夜会に戻るがきりの良い所でお前は部屋に戻れ。俺も上手く抜け出してお前の部屋に向かう」


「アレス様?」


 フィーアとの会話は聞こえていたし、アレスの言葉の意味は分かる。でも、もうずっと離れていたアレスが急に部屋に来るなんて戸惑いを隠せない。


 アレスの用は、四つの名前の事だとエレナだって分かっている。それでもアレスのエレナに対する態度と言葉が今までと違く思えて仕方無い。


 それに掴まれた手はエレナの気持ちと同じ様に熱を持っていて、アレスに本当の想いが伝わってしまいそうな気がして不安になる。


 月明かりの下のアレスはとても凛々しい。

 それに、そういった方面に疎いエレナでも感じる艶やかな男の色気が有って、鼓動が高鳴るのを止められない。


(アレス様の事は諦めたはずなのに……)


 あまりに簡単に揺らいでしまう自分の心を持て余すエレナの瞳を、アレスは覗き込むようにして言った。


「エレナ、聞いてるのか?」


 涼やかな青く美しい瞳に魅了される。


「は、はい」


 頭がクラクラするのを感じながら答えると、アレスは漸くエレナの手を離した。




 夜会の最中、貴族達が談笑するのを眺めていてもエレナの頭の中はアレスの事でいっぱいだった。


「エレナ様、決意は崩れ一夜にして王太子殿下の虜ですね」


 フィーアが声を潜めて言う。


「だって……」


 アレスはエレナにとって魅力的過ぎる。いくら頭で“諦める”と決めても心は惹かれてしまう。それはエレナにもどうしようもない。


「別に悪い事では有りませんよ。エレナ様は王太子妃なのですから」


 アレスとエレナが一緒に居る所を見た事と、アレスの部屋に行くと言った言葉でフィーアは勘違いをしている様だった。


「アレス様が部屋に来るのは“四つの名前“の事でよ。フィーアも聞いてたでしょ? 側近のデイルの事。その事も有ってアレス様と話したの。アレス様の事をまた追いかけるとかそんな事じゃないから」

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