四つの名の持ち主
アレスを諦める宣言をして一月が過ぎた。
その間、アレスとエレナが共に出る必要の有る公式行事は無く、顔を合わせる事の無いまま時が過ぎて行った。
離れていてもアレスを忘れる事はなかなか出来なくて、その存在は頭から離れない。遠くから眺めるだけでもと、王宮に行こうか悶々と悩み、フィーアに呆れた目を向けられる事も何度も有った。
「王太子殿下を忘れる事は無理ですね、エレナ様には」
フィーアに断言され、反発しようとしたけれど、実際その通りだった。
「強制的に離して貰った方がいいのかも」
溜息交じりにそんな事を呟きながら、それでもなんとか気持ちを切り替えてそれなりに楽しく毎日を過ごす努力をした。
乗馬だけでなく刺繍や楽器、読書と今まで興味の無かった事にも取り掛かった。次に嫁ぐ時の為とは思えなかったけれど、新しい事をすると気が紛れた。乗馬以外はどれも苦手で決して上手くは出来なかったけれど。
そんな風に過ごしていた有る日の事。浮かない顔をしたフィーアがエレナの下へやって来た。
「フィーア、どうしたの?」
「ご報告が有ります」
フィーアは心配そうな顔でエレナを見つめる。どうやらエレナにとって良くない話の様だった。嫌な予感に襲われながらも恐る恐る尋ねる。
「ねえ、何が有ったの?」
「王太子殿下から命令が下りました。本日開かれる夜会にエレナ様も参加する様にと」
「今日の夜会は内内のものだと聞いていたけど」
「はい。公式の夜会では有りません。ですがレイクランドからの客人がエレナ様に挨拶したいとの事だそうです」
「レイクランドって、お母様の生まれた国ね」
「そうです。サリア北方に位置する比較的新しい国です。エレナ様のお亡くなりになった母君はレイクランド王家の姫君だったそうですね」
「そうみたい。お母様に直接聞いた事は無いのだけど……それより夜会にはアレス様もいらっしゃるんでしょう?」
「当然です。病の国王陛下に代わり賓客をお迎えするのですから」
「そう……」
それならばアレスと顔を合わす事は避けられないだろう。
会いたいと願っていたのに、実際会えるとなると不安になる。気まずい別れ方をしたから、アレスが未だに怒っていないか。時間を置いたつもりでも、一目見た途端に気持ちが揺れてしまうんではないか。自分の事なのに、どうなるか予想出来ない。フィーアも同じ心配をしている様だった。
「エレナ様は立ち直るのが早くてそれは良い事なんですけど、落ち込むのも早いですからね、無事に夜会を終えられるか不安です」
「私も……」
夜に向けて気持ちが大きく揺らいでいた。
夕方から慌しく支度を整え、仕上げにフィーアの用意してくれた扇を持って自分の部屋を出た。
王宮の大広間に行くのは久しぶりだ。楽隊が奏でる心地良い音楽に乗る様に軽やかな足取りで広間を進む。さり気なく広間の様子を窺ったけれど、マリカ姫の姿は見つけられなかった。
ほっとしながら一段上に有る自分の席に向かう。
今夜もアレスは先に席に着いていた。艶やかな黒髪。青みを帯びた瞳。均整の取れた身体に濃紺の王族の衣装を纏っている。
一月会わない内に、更に魅力的になった様に思える。不安的中で目が合っただけで鼓動が早くなるのを止められない。
(私……駄目かも)
アレスに挨拶をし自分の席に着くと、動揺を隠す為、扇を開き顔を隠した。
大掛かりな夜会では無いと言っても王太子妃のエレナの下には、機嫌伺いの挨拶に多くの人々が訪れる。母の故郷レイクランドの貴族と挨拶を交わし、その後国内貴族と短い会話を終えて漸く一息付く事が出来た。
ホッとしているとそれまで完全にエレナを無視していたアレスに、不意打ちの様に声をかけられた。
「久しぶりだな」
「え?……あ、はい」
たった一言、極普通の言葉なのに異常に緊張してしまい、上手く返事が出来なかった。アレスは気にした様子も無く続ける。
「毎日馬に乗ってるそうだな」
「……はい。一番好きな事なので」
アレスがエレナの行動を把握していた事に少し驚きながら答える。同時に戸惑いが大きくなって行く。
気まずい別れ方をしたアレスは少しも怒った様子は無く、穏やかな口調でエレナに話しかけて来る。以前より優しく接してくれている様にすら感じる。
(付きまとうのを止めたから、優しくしてくれている?)
「……アレス様も元気そうで良かったです」
それは本心だった。カーナ家との関係が良くない様なので心配だったけれど、アレスは顔色も良く以前より力に溢れて見えた。
(マリカ姫と幸せに過ごしているのね)
不意に湧き上がってしまう悲しい想いに慌てて蓋をし、アレスが幸せなら良いのだと自分に言い聞かせた。
しばらくすると、それまで挨拶に訪れていた人達とは明らかに雰囲気の違った人物が近付いて来た。
アレスと同年代と思われる男性で、生粋のサリア人特有の黒髪と黒瞳を持ち、貴族ではなく武官の衣装を身に付けている。
男性はアレスの前で立ち止り、片膝を付く。アレスがその男性をエレナに紹介してくれた。
「エレナ。新しく俺の側近となったデイルだ」
アレスの言葉が終ると、デイルは恭しく頭を下げた。
「王太子妃殿下、お目にかかれて光栄です」
デイルはアレスが新しい側近と言った通り、エレナの見覚えの無い人物だった。
(でも……どこかで会った気が……)
なぜか心に引っかかり、落ち着かない気持ちになる。
目の前に控える青年の姿をもう一度確かめた。
武官らしい黒い短髪に、意思の強そうな黒い瞳。アレスの様な華やかさは無いけれど整った顔をしている。濃灰の衣装は動きやすい作りの武官の物だ。
やはり初めて見る相手だった。
(私の気のせい?)
釈然としないながらもそう納得させようとした時、不意に思い浮かんだ。
(デイル……名前だわ!)
引っかかりの正体は、人物ではなくデイルと言う名前自体だった。
以前カーナ家で見つけた本に記載されていた四つの名前。古語で、人名には避けられるあまり良い意味では無い名を持つ人物。
デイルはその内の一つだったはずだ。
(でも、どうしてデイルがアレス様の側近に?)
四つの名前はサリア王の代替わりの時に現れ、時の王に近付き何らかの役割を果たしていた。でもアレスは王ではなく王太子だ。それなのになぜデイルが近付いているのだろう。
(いえ……それよりこのデイルが、カーナ家の歴史に出てきたデイルの様な人だったら)
カーナ神官長が派遣した人物だとしたら。
目的は分らないけれどアレスの身に何か良くない事が起こるかもしれない。
それはエレナの考えすぎなのかもしれない。デイルと言う名はただの偶然のなかもしれない。そう考えながらも不安は大きくなるばかりだった。
「どうかしたのか?」
聞こえて来た声にハッとして伏せていた視線を上げた。アレスが怪訝な顔でエレナを見つめている。前方に控えたデイルもエレナをじっと見つめていた。
黒い瞳と視線が重なると、ますます不安が深まって行く。居てもたってもいられない気持ちになりデイルに問いかけた。
「あなたはどうしてアレス様の側近になったのですか?」
デイルの顔に戸惑いが浮かぶ。アレスも同じく不審そうな表情をしたけれど、デイルに代わってエレナの疑問に答えてくれた。
「デイルは先日城で行われたの武術大会の剣技の部で優勝した、その腕を買って俺の側仕えの武官に任命した」
「アレス様が側近にすると決めたのですか?」
父、カーナ神官長の差し金ではないのだろうか?
「そうだが、なぜそんな事を聞く?」
「い、いえ……ただ気になってしまって」
アレスはエレナの態度に不審感を持っている様だった。
(このままじゃアレス様に変に思われる)
もう引き下がった方がいいと頭では分かっているのに、漠然とした不安感は治まらなくて更にデイルに問いかけていた。
「あなたはカーナ家の関係者ではないのですか?」
エレナがそう言うとデイルの瞳が僅かにだけれど動揺した様に開いた。
「おっしゃる通りです。確かに私はカーナ家分家の者です。私の家は数代前に当時のカーナ神官長の姪の姫君を当主夫人に迎えております」
「カーナ家の姫を?」
そうだとしたら、デイルの家はそれなりに地位のある家だ。
鼓動が強く激しくなる。デイルはあの本に書いて有った通り何かを企み王家に入り込んだのかもしれない。アレスの身が危ないのかもしれない。
そう思うと、冷静ではいられない。そんなエレナの心情等気付きもせずに、デイルは言った。
「ですがよくお分かりになりましたね。後継でもない私は神官長の姫君のエレナ様に御目通り出来る立場にはありませんでしたのに」
デイルは何かを探る様にエレナを見据えて言う。大きな不安に苛まれて答えられない。アレスの視線を強く感じたけれど、取り繕う事も出来なかった。
デイルが下がるとアレスが直ぐに声をかけて来た。
「少し外す。エレナお前も来るんだ」
「え……」
夜会の最中、アレスが少しの時間席を外す事は有った。臣下から重要な報告を受ける時、それから個人的な用が有る時。
けれど今までそれにエレナを伴った事は一度も無かった。
アレスがエレナを見る目は厳しい気がした。
(今の事を追及されるんだ……)
追及されても上手く話せる自信は無い。カーナ家での事を説明するとしてもアレスは信じてくれるのだろうか。
戸惑い直ぐに動こうとしないエレナにしびれを切らしたのか、アレスはエレナの目の前まで来ると問答無用で腕を掴み引き上げた。




