心乱れる夜会
「エレナ」
来賓席を気にしていると、厳しい声で名前を呼ばれた。声の方に目を向けるといつもより更に険しい表情の神官長と目が合った。
「……お父様」
「里帰りをしたそうだな」
やはりは知られていた。
「はい。セーラ姫に聞いたのですか?」
「セーラとはもう随分と会っていない。お前は会ったようだが」
「はい」
「カーナ家で起こる出来事で私が知らない事はない。王太子妃となった娘が忍ぶ様に帰って来た事に気付かないはずはないだろう」
「……」
「書庫で何を見つけたのだ?」
冷たい視線を送って来る実の父親に恐怖を感じた。
「……何も見つけていません」
頼りない小さな声でそう言うと、神官長はエレナに見切りを付ける様に視線をアレスに移した。
「王太子殿下。エレナに間者の様な真似は不可能です。教育が悪く申し訳有りませんが、駆け引きも苦手としております。殿下のお役には立てないでしょう」
神官長はエレナの急な里帰りを、アレスの命令だと考えている様だった。明らかにアレスを牽制している。
「お父様! 私がカーナ家に帰ったのは自分の意思です。アレス様とは関係の無いことです」
それまでになく強い口調で訴えたからか、神官長の視線がエレナに戻る。
「ではお前は何の為に書庫に居たのだ?」
「それは……勉強の為です」
「そんな言い訳は私には通用しない」
神官長の口調は淡々としているけれど、エレナに、そしてアレスに対して強い怒りを持っていると感じた。
「お父様がどうしてそんなにお怒りなのか分かりません。私は家に戻ってはいけないのですか?」
自分の生まれ育った家なのに。
「お前は王家に嫁いだ身。今は王太子妃の地位にある。軽々しく里帰りなどするべきではない」
「お父様がお怒りなのはそれとは別の事に思います」
感じたままに言うと、神官長の目が鋭くなった。
「王太子妃となり随分と我が強くなったようだ。報告では朝から供も連れずに自由に出歩いているとか」
「それは……」
「お前には新たな護衛を付ける事にした。私の信頼する部下だから身の回りの事は全て任せえるといい」
「新たな護衛?」
「そうだ。サリアも最近では物騒になって来たからな」
神官長はいつかアレスが言っていた事と同じ事を言う。けれど、アレスの時と違い強い違和感が有った。
サリアの政治を行うアレスが言うのは分かるけれど、神官長の父がなぜサリアの情勢に詳しいのか。
(やっぱりお父様は政治に関わっているの?)
アレスの言っていた様に影でサリアを支配しているのだろうか。目の前の父親から感じるのは親しさではなく恐怖だった。
神官長が目の前から立去ると、エレナは緊張から解放されて大きく息を吐いた。
「エレナ様、大丈夫ですか?」
エレナの背後に控えていたフィーアがこっそりと耳打ちしてくる。
「大丈夫じゃないわ。いつも以上に怖かったもの」
「エレナ様の里帰りのおかげで神官長様の機嫌は最悪でしたね」
「そうだけど、どうしてあれ程怒るの?」
「分かりませんけど、見られたくないものが有ったんじゃないでしょうか? 余計な事をするなってお怒りなんですよ」
「見られたくないものって見つけた本の事?」
「そんな事、私には分かりませんよ」
フィーアとヒソヒソと声を潜め会話していると、アレスの呆れた声が割り込んで来た。
「さっきから注目されているが、気付いていないのか?」
「え?」
アレスの視線を追う様に広間を見回すと、言葉通り貴族達の視線がエレナに集まっていた。
(何で?)
慌ててフィーアとの会話を止め、姿勢を正ししっかりと前を向く。
「神官長と王太子妃の言い争いなんて滅多に見られるものじゃないからな」
アレスは艶やかな白色の酒の入ったグラスを口に運びながら言う。
「言い争いなんてしていません」
あれは一方的にエレナが責められただけだ。
「お父様はどうしてあれ程お怒りだったのでしょうか。予定外に少し帰ったくらいであんなに怒るなんて」
「俺の指示による行動だと思っているからだろう。あれはお前への怒りではなく、俺への怒りだ」
「アレス様への?」
「それからお前に見られたくないものが有った様だな」
「私に見られたくないものって何でしょうか?」
「さあな。家系図に娘の名を残さない事かあるいは……」
アレスは珍しく言葉を濁すと、グラスを煽り残りの酒を一気に飲み干した。
「アレス様?」
夜会が始まって間もないと言うのに今日のアレスは酒の進みが速い。エレナに向ける目も酒のせいか、やけに色気が有る様に見える。
「どうかしたのか?」
「い、いえ」
見惚れていたとは言えずに、視線をそらす。アレスはエレナの態度なんて気にも留めていない様で次のグラスに手を伸ばした。
その時、人々の間をすり抜ける様にして一人の女性が姿を現した。美しい栗色の巻き毛の女性は、鮮やかな緑のドレスの裾を翻し歩き、アレスの前で立ち止まった。
「アレス様。お久しぶりです」
女性は物怖じする事無く、アレスに話しかける。アレスを見る目はとても好意的だ。
小さな顔の周りを豊かな栗色の髪が覆っている。赤みのかかった茶色の瞳はとても美しい。厚みの有る唇にはエレナも見とれてしまう様な色気が有る。
(この人は……)
ある予感を持ちながらアレスへ視線を移す。その瞬間、胸に突き刺さる様な痛みが走った。アレスは椅子に座ったまま身動きをしていない。傍から見れば変わった所は無い。けれどアレスが女性に向ける視線はいつもとはまるで違うものだった。
(この人がマリカ姫)
アレスの女性を見る瞳に狂おしい程の切なさを感じた。それはほんの一瞬の事で、アレスは直ぐに平静な声音で女性に声をかけた。
「久しぶりだな、マリカ」
(やっぱり……)
噂は本当だった。
マリカ姫がやって来る事も、アレスとマリカ姫が相思相愛なのも。二人の間に漂う空気で気付いてしまう。
マリカ姫は楽しそうにアレスに話かける。アレスもエレナに対する時とは違う優しい笑顔でマリカ姫に応える。
(私、邪魔だよね)
今妻としてアレスの隣に座っているのはエレナだけれど、心は寄り添っていない。二人を引き裂く邪魔な存在でしかないんだと思うと居たたまれなくなる。辛い時間を耐えていると、不意に二人の視線がエレナに向いた。
「エレナ。ニルソン家のマリカ姫だ」
アレスがマリカを紹介して来る。
アレスがエレナに貴族の誰かを自ら紹介するなんて初めての事だったから驚いた。でもそれだけマリカ姫は特別なのだろう。
「王太子妃殿下。お目にかかれて光栄です。それから婚礼の儀に出席出来ず申し訳ございませんでした」
「いえ……婚礼の儀での事でしたらお気になさらないで下さいね」
マリカ姫はエレナにも友好的な態度だった。
堂々としていて、自分より身分が上の王太子妃を前にしても物怖じしない。動揺してまともな返事が出来ないエレナと比べるとどちらが王太子妃なのか分からない程だった。
マリカ姫はそれから直ぐに貴族達の座る席に戻って行った。女性らしい後ろ姿を見送っていると、アレスが声をかけて来た。
「マリカのニルソン家は神官長の怒りを買い謹慎していた。婚礼の儀に出られずしばらく王宮に顔を出さなかったのはその為だ」
「……そうなんですか」
ショックだった。父がアレスの想い人の家に罰を与えた事も。神官で有る父にそこまでの力が有る事実も。そして、アレスがその事でカーナ家を憎んでいる事を感じたから。
夜会の間は上の空だった。途中何度かアレスに話しかけられたけれど、いつもの様に喜ぶ事は出来なかった。
時折感じるマリカ姫の視線。父の存在。貴族達の噂話。全てが煩わしかった。
夜会の中頃、マリカ姫が一人中庭へ出て行くのが見えた。その直後アレスが立ち上がり、エレナの前を通りマリカ姫を追う様に中庭へ向かって行った。




