5.翡翠毒サソリ
それから少し経った頃。
村の広場にやってきた行商人が、荷馬車から積み荷を下ろしていたときのことだ。
何か珍しい植物の葉や種でも紛れ込んでいないかと、大人の目を盗んでこっそり荷物の隙間を覗き込んでいた私は、木箱の陰でなにやらキラリと光るものを見つけた。
そこにいたのは、半透明な翡翠色の身体を持った、見たこともないような綺麗な虫だった。
尾の先に小さな針を持っている。
「お母さん、見て。すごくきれいな虫がいるよ」
私がそれをちょこんと指先に乗せて持ち上げると、母に見せた。
「あら、本当。きれいなガラス細工みたいねぇ……って、リゼット! ちょっと待ちなさい、それサソリよ! 毒があるんじゃないの!?」
母の悲鳴を聞きつけ、荷物を運んでいた商人が顔を真っ青にして飛びのいた。
「うわぁぁ! 翡翠毒サソリだぁぁ!」
「なんでこんな南国の猛毒サソリが積み荷に紛れ込んでるんだ……!? おいお嬢ちゃん、落ち着けよ……! そっと元の場所に戻せ……! それ以上刺激するな! 刺されたら半日で腕が腐り落ちるんだぞ!!」
「もう刺されちゃった」
私がそっと袖をまくり、手首に残った小さな赤い点を見せると、その場の時が止まった。
サソリは私の指先にちょこんと座り、満足そうにハサミを揺らしている。
「「「……っ!!」」」
静寂の後、母は「いやぁぁー! リゼットォォ!」と金切声を上げてその場に崩れ落ち、近くにいた父は「オルガを! すぐにオルガを呼んでくれぇぇ!!」と真っ青な顔で叫びながら右往左往し始めた。
商人も「俺のせいじゃない……、俺のせいじゃないぞ!」と頭を抱えて泡を吹いている。
「大丈夫。刺された瞬間は少し冷たかったけど、いまはちょっとピリピリするくらいだもん」
誰も私の言葉は聞いていなかった。
大パニックに陥る広場へ、急報を聞いて駆けつけてきたオルガが飛び込んできた。
泡を吹く商人、崩れ落ちた母、真っ青な顔でうろたえまくる父という惨状を目にしたオルガは、思わず目を見張った。
「なんだいこの大騒ぎは! 一体だれが刺されたんだ!?」
父と母が悲痛な面持ちで私を指差し、オルガは息を飲んだ。
素早い手つきで腰の革手袋をはめると、私の指先でハサミを揺らすサソリを慎重につまみ上げ、近くの空き瓶へ押し込んで栓をした。
そして大慌てで私のもとへしゃがみ込み、ガシッと私の両腕を掴む。
状況を把握したオルガは、私の手首の傷口と、ケロリとした私の顔を何度も往復して見比べた。
(……この子ども、この前も『火眠りの実』を平然と食べて平気な顔をしていた……
火眠りの実。
あれも、子どもが口にして無事で済むようなものではなかった。
そして今度は、翡翠毒サソリだ。
刺されたというのに、目の前のリゼットには、苦しむ様子がまるでない)
オルガは、しばらく何も言えなかった。
やがて、私の顔をじっと見つめる。
「……あんた」
「なに?」
「前にも、毒のある実を食べたね」
「うん」
「それで、何ともなかった」
「うん」
「……今度はサソリに刺された。それも猛毒だ」
「うん」
オルガは、ゆっくりと目を閉じた。
「……なるほどねぇ」
「何?」
「いや……」
オルガは額を押さえた。
「どうやら、あんたには普通の薬師の常識が通じないらしい」
「そうなの?」
「そうなんだよ」
オルガは大きく息を吐いた。
「だからこそ、余計なことをするんじゃないよ」
「でも、綺麗だったから」
「綺麗でも毒は毒だ!」
「でも、もう大丈夫なのに」
「それでもだ!」
オルガは頭を抱えた。
「毒が効かなかったからって、毒を触っていい理由にはならないんだよ!」
「……はい」
さすがにすごい剣幕で怒られたので、私は素直に頷いた。
けれど、瓶の中で翡翠色のサソリが動くたび、つい目で追ってしまう。本当に、宝石みたいだ。
「こんなに小さくて綺麗なのに、腕を腐らせるほどの力があるなんて……。やっぱり毒って、すごいなぁ。瓶の中で飼っちゃだめ?」
そう呟いた私の言葉に、商人は引きつった悲鳴をあげ、父と母は脱力したようにへたり込み、オルガは「この子は一体……」と頭を抱えて天を仰ぐのだった。
私は瓶の中の翡翠色のサソリを眺めながら、自分の手首に残った小さな赤い点を見た。
火眠りの実を食べたときも。
今、サソリに刺されたときも。
私の体には、何も起こらなかった。
私はそっと自分の手を握った。
なんともありがたい加護だ。
これなら、前世では遠くからしか観察できなかった植物も、もっと近くで調べられる。毒を持った生き物に襲われても大丈夫だ。
そう思った瞬間、胸の奥が、じわりと熱くなった。
異世界には、まだ見たことのない植物がある。
そして私は、それを誰よりも近くで観察できる。
――素晴らしい。




