【第4話:5億の執着と、狭い馬車での理性崩壊】
【第4話:5億の執着と、狭い馬車での理性崩壊】
国境を越え、ガルディニア帝国へと向かう超高級馬車の内部。
ふかふかの座席に腰掛けた私は、正面に座るレイヴン様をじっと見つめていた。
彼の頭上に浮かぶ数字は、相変わらず【550,000,000】という天文学的な数値を維持したまま、真っ赤に燃え盛っている。
(5億5千万……。やっぱり何度見てもおかしいわ。私、過去にどこかでこの方の命でも救ったかしら? ううん、こんなに綺麗な銀髪と紫の目をしたお方を忘れるはずがないのだけれど……)
私が首を傾げていると、レイヴン様がふい、と不機嫌そうに視線を窓の外へ逸らした。
氷のように冷徹な横顔。だけど、その耳の裏がほんのりと赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
((((((無理だ。直視できない。狭い密室にエルサと二人きりだ。なんだこの甘い香りは。それに、先ほどから馬車が揺れるたびに、彼女の豊かな胸元がドレスのレースを押し上げて、あり得ない角度で弾んでいる。私の視線を殺しにきているのか? 元婚約者の男は本当に目が腐っていたに違いない。こんな至高の宝を放置するなんて。ああ、今すぐ抱きしめたい。その柔らかい身体を私の腕の中で壊れるほど抱きしめたい。可愛い。尊い。私の語彙力がさっきから『可愛い』と『胸』しか認識していない。死ぬ))))))
「……おい、エルサ」
レイヴン様が、低くかすれた声で私の名前を呼んだ。
「はい、レイヴン様?」
「先ほどから、ドレスの胸元が大きく乱れているぞ」
「え? あ、本当ですね!」
見れば、先ほどの魔獣との戦闘の爆風のせいで、ドレスの背中の紐が緩み、胸元のレースが大きくズレていた。
私の白い肌と、深い渓谷がこれ以上ないほど露わになっている。
「実家が用意したドレス、元々サイズがパツパツで苦しかったんです。紐が緩んでちょうど動きやすく――」
「よくない」
地を這うような低い声。
次の瞬間、世界が反転した。
「ひゃっ!?」
ドサリ、とふかふかのシートに背中が押し付けられる。
気がつけば、レイヴン様の長い長身が私に覆い被さっていた。
涼やかな銀髪が私の頬にハラリと落ち、彼の纏う、冷たいのにどこか甘い大人の香水の匂いが、狭い車内に一気に充満する。
見上げる紫の瞳は、至近距離で見ると、まるで私を一口で飲み込もうとする獣のように怪しくギラついていた。
「無防備すぎる。そんな格好を、他の男たちの前でもしていたのか? ……でなければ、私は今頃その男の首を跳ねて、お前を強引に奪い去るところだった」
口調は冷徹そのものだ。だけど、私の肩を掴む彼の大きな手は、かすかに震えている。
私がふと彼の頭上を見上げると、なんと【5億5千万】だった数値が、カタカタと音を立てて【5億8千万】に跳ね上がっていた。
(わあ、怒っていらっしゃるのに、また3千万も増えました……!)
「……何を笑っている。お前は今、自分がどれほど危険な檻の中にいるか、まるで分かっていないな」
レイヴン様はフッと自嘲気味に呟くと、私の乱れた胸元のレースを、まるでお宝に触れるかのように丁寧に、しかし少し強引な手つきで整え始めた。
その際、彼の長い指先が、私の肌にふいにかすめる。
「んっ……、レイヴン様、くすぐったいです……」
「……声を出すな。これ以上、私の理性を試すな」
彼は私の耳元に唇を寄せ、熱い吐息を吹きかけるように低く囁いた。
理性を試す、とはどういう意味かしら。私がじっと見つめていると、馬車の扉がコツコツと叩かれた。
「陛下、 宰相のキースです。間もなく帝都へ到着しますが……車内から尋常ではない魔力(レイヴン様の興奮)が漏れ出しています。陛下、理性の決壊を戻してください。顔が獣になっていますよ」
御者席から聞こえる、呆れ果てた側近キースの声。
レイヴン様はチッと小さく舌打ちをすると、名残惜しそうに私の身体から離れ、何事もなかったかのように座席に座り直した。
「……フン。騒々しい男だ。エルサ、間もなく我が国だ。お前専用の、世界一豪華な魔導工房を用意してある。そこで好きなだけ私に甘やかされるといい」
氷の皇帝の仮面を被り直したレイヴン様。
だけど、頭上の【5億8千万】の炎は、激しく燃え上がったまま全く消える気配がなかった。




