【第20話:窮屈なドレスは、お茶汲み神様のエネルギーで自動お片付けいたします。】
南国リゾートへの新婚旅行から帰還した私は、さっそく自室の鏡の前で困り果てていた。
原因は、いま身にまとっている夜会用のドレスだ。
「まあ……。どうして帝国のドレスは、こんなに背中の紐が複雑に編み込まれているのかしら」
思わず小さくため息をついてしまう。
生地がたっぷりと使われていて、とても素敵なドレス。
だけど、とにかく窮屈で、動くのには少しだけ邪魔になってしまうのだ。
南国の、あの涼しくて布地の少ないお湯浴み着が本当に恋しい。
あれなら、紐を一本引くだけでハラリと――。
「エルサ、入るぞ」
その時、聞き慣れた愛しい声とともに、コンコンと控えめなノックの音が響いた。
現れたのは、私の最愛の旦那様であり、この帝国の若き皇帝――レイヴン様だ。
銀髪を完璧に整え、紫の瞳には一切の感情を宿さない冷徹な鉄仮面。
相変わらず、氷の彫刻のように美しくて威厳に満ちている。
だけど、私の目にはすべてがお見通しだった。
レイヴン様の頭上。
そこには、限界突破して真っ赤に燃え上がり、バチバチと激しい火花を散らしている測定不能(無限大)の好感度メーターがある。
もはやメーターの形すら保っておらず、ものすごい勢いで明滅している。
……うん。今日もメーターがショートしているわね。
南国で海賊さんたちをお片付けした時の疲れが、まだ抜けていないのかしら?
皇帝陛下のお仕事は本当に大変そうだわ。
「レイヴン様、ちょうど良いところに! このドレス、紐が複雑すぎて自分じゃ手が届かないのです。少しお掃除(お片付け)を手伝っていただけませんか?」
お掃除。すなわち、この複雑に絡み合った紐の解体である。
「……っ、ふ、」
レイヴンがピクリと息を呑んだ。
完璧なポーカーフェイスのまま、彼の綺麗な耳の先が、見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
そして、彼が差し出してきた手が、生まれたての小鹿のようにガタガタと震え始めた。
まあ! やっぱり旅の興奮と疲れで、手元がこんなに震えてしまうのね。かわいそうなレイヴン様。
((((((お掃除、だと……!? 自分で、脱げない……!? つまり、俺にこの手で紐を解けと、そう言うのかエルサ! しかも南国の湯浴み着を思い出すような無防備な格好で、そんな、そんな薔薇色の肌を惜しげもなく晒して……! あああ可愛い尊い無理だ理性が死ぬ、今ここで俺の理性が風前の灯火どころか完全消滅するッ!!!))))))
脳内が大爆発を起こしているようだが、レイヴンは一言も喋らない。
鉄仮面は崩さず、ガタガタと震える手で、エルサの背中の紐にそっと触れ――。
「あ、待ってくださいレイヴン様。そんなに手が震えるほどお疲れなら、あなたを煩わせる必要はありませんわ!」
ハッと思いつき、私はポンと手を叩いた。
「実は、お茶汲み神様の余剰エネルギーが余っていたので、こんなこともあろうかと新しい魔導具を作っておいたのです!」
私が懐から取り出したのは、ちいさな歯車型の魔導具。
帝都市民の全自動お茶汲み器の動力源としてタダ働きさせている『創世の神様(の残滓)』から、ほんの少し出力を横流ししたものだ。
「起動」
私が魔導具に魔力を通した、その瞬間。
パァァァ……!
神聖な光が私の背中を包み込む。
神の権能による超高速 of 空間干渉(お掃除術式)が発動した。
シュルシュルシュルシュルッ!!
一瞬だった。
複雑怪奇に編み込まれていたドレスの紐が、全自動で、かつ一糸乱れぬ芸術的な手際で、すべて綺麗に解き放たれる。
スト、と。
肩の生地が滑り落ち、私の背中が完全に、涼しい空気に晒された。
「完璧なお片付けです! これでいつでもお着替えできますわ!」
満面の笑みで振り返った私を見て、レイヴン様は――。
「……ふ、ぐっ……!」
((((((全自動ドレス紐解き魔導具だと!? 神の権能をそんな便利家電みたいに使うな! いやそれどころではない、紐が、一瞬で、全部、解け……ッ!! 見えて、しま、う、エルサの、極上の、ああっ……!!))))))
レイヴンはついに、真っ赤な顔で口元を押さえ、その場に膝をついた。
「……ゴリッ、ボリボリボリボリッ!!!」
背後から、骨でも噛み砕いているかのような、すさまじい不穏な咀嚼音が響く。
部屋の入り口に立っていたのは、眼鏡をかけた有能すぎる我が国の宰相、キース様だった。
彼は無表情のまま、手のひらに載せた緑色の怪しい丸薬を、ものすごい勢いで口に放り込んでいる。
「あらキース様、お疲れ様です。ずいぶん物騒な音を立てて、何を召し上がっていらっしゃるの?」
「……『世界樹の根の超高濃度凝縮塊』です。通常の胃薬が一切効かなくなったため、エルフの里から国家予算並みの価格で買い付けました。良薬は口に苦しと申しますが、これ、ガチでドブの味がします。脳がバグりそうです」
キース様は、涙目のまま、さらにボリボリと世界樹の根を噛み砕いた。
眼鏡の奥の瞳は完全に死んでいる。
「まあ、国家予算並みだなんて、そんな大金どこから……?」
私が心配して尋ねると、キース様はスンと鼻を鳴らして眼鏡を押し上げた。
「ご安心くださいエルサ様。あなたが粉砕した元婚約者のプロスタニア王国から冷徹にむしり取った賠償金と、あなたに呪物を送ってきたルドル侯爵家から没収した全財産。それを私が完璧に運用して国庫に組み込みました。さらに、あなたが神様をお茶汲み係(タダ働き)にしたおかげで、帝国のインフラ維持費が国家予算レベルで浮いているのです」
キース様の口調が、一段と辛辣さを増す。
「つまり、エルサ様がもたらした莫大な利益(と引き換えに発生した私の胃痛)を相殺するため、正当な『労災経費』としてエルフの里へ国費ロンダリングさせていただきました。何の問題もありません。すべては運命の因果、および自業自得というやつです」
「あら、それは良かったですわ。とっても便利なのに。キース様もおひとついかがですか? 全自動でお着替えできますよ?」
「結構です。それ以上に、その画期的かつ規格外な魔導具のせいで、我が国の最高権力者の理性が完全にデリートされかかっています。陛下、いい加減にその鉄仮面の下から垂れている鼻血を拭ってください。これ以上私の処理案件を増やさないでいただきたい。私は明日、有給を取ります」
キース様は、ため息混じりにため息を吐いた。
「レイヴン様? 本当に体調が悪そうです。やっぱり、お部屋でお掃除の続き(マッサージ)をしましょうか?」
首を傾げる私を見て、レイヴン様はついに、限界を迎えてその場に突っ伏したのだった。




