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太陽の陰に月は満ちる  作者: さくる
番外編
22/25

無垢な助手と、傲慢な魔導師(前編)

ことりと、繊細なクリスタルカップがソーサーに触れる音がした。

ルナリアは、窓の外に広がる王立魔法学院の庭園を眺めながら、ふう、と小さな吐息をこぼす。


「……本当に、来てしまったのね」


そこは学院最高の魔導研究者であるレグナード・クローヴィスに与えられた、特例の個人研究室だった。壁一面を埋め尽くす古書と銀色に輝く魔導具。そして、傍らには当然のように、温室から連れてこられた侍女のソフィアが控えている。


『君を一人残して講義に出るなんて、僕の精神衛生上よろしくない。ソフィアがいれば君も退屈しないし、僕も安心して講義ができるでしょ』


数日前、温室でそう断言したレグナードの顔を思い出す。学院から帰宅した彼は、ルナリアの顔を見るなりふっと表情を緩め、その細い手を掬い上げてこう言ったのだ。


『いい加減、学院にきて教壇に立てだってさ。一応僕も雇われの身だからね。で、君は学院に興味ある?』


『え……? もちろん、ありますけれど。私には魔力もありませんし、もう通える年齢でも……』


『だからさ。僕の助手として学院に通えばいいよ。面倒なことはこっちで片付けておくから』


有無を言わせぬ完璧な微笑。

それが、この奇妙な学院生活の幕開けだった。


「ルナリア様、おかわりはいかがですか?」


「ありがとう、ソフィア。でも、本当に良いのかしら。私みたいな、なにもできない者がこんな立派な場所に居座ってしまって……」


かつて「不具の月姫」と蔑まれ、離宮に押し込められていたルナリア。魔力がすべてを決めるこの学び舎において、ルナリアは最も異質な存在のはずだ。その時、重厚な扉が勢いよく開け放たれた。


「失礼します! レグナード先生、レポートの提出に伺いました!」


威勢の良い声とともに室内へ踏み込んできたのは、三人の男女だった。先頭を歩く体格の良い男子生徒二名と、その後ろで眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた、一人の女子生徒。彼女はこの学院でも指折りの秀才として知られ、魔道に対する情熱と真面目さゆえに少々融通の利かない性格をしていた。

主であるレグナードの不在に、生徒たちは足を止めた。ソファに座るルナリアの姿を認めると、女子生徒は眉間に深々としわを寄せる。


「……あの方、噂の……。魔力が全く感じられませんが、まさか本当に『月姫』様なのですか?」


女子生徒の言葉には悪意というより、理解不能な存在に対する困惑が混じっていた。完璧な「太陽姫」ソレイアを魔術師の理想として崇める彼女にとって、その対極にいるルナリアが憧れのレグナードの助手であることが、論理的にも感情的にも許せなかったのだ。


「先生も、なぜこのような非効率な真似を……。魔術の深淵を学ぶこの聖域に、基礎的な魔力操作すらできない方を置くなんて、教育環境として不適切ですわ」


女子生徒の正論に、ソフィアが毅然と一歩前に出る。


「失礼ですよ。ルナリア様は、レグナード様が正式に招いた助手です」


「助手……? 失礼ながら、術式の行使や歴史的背景を理解できない方に、何がお手伝いできるというのです」


男子生徒たちも、面白がるように同調した。彼らは女子生徒ほど真面目ではないが、魔力なき王女を「無知な置物」だと思い込んでいる。


「せっかくですから、助手様のご意見を伺いましょうか。これ、俺たちが必死にまとめた最新の魔導流体論なんです。あ、難しい言葉ばかりで眠くなっちゃいますかね?」


不躾に投げ渡された数枚の羊皮紙。ルナリアはそれを慌てて両手で受け取ると、おずおずと文字を追い始めた。三人は彼女が数行で匙を投げ、恥をかいて泣き出すのを待っている。


「……あの、ええと……」


ルナリアは申し訳なさそうに、ふにゃりと眉を下げて口を開いた。


「この、三枚目の計算式ですけれど……その、属性変換における魔力密度の減衰率が、考慮されていないかもしれません」


「……は?」


女子生徒が鼻で笑う。


「何をおっしゃるんですの。それは最新の教典にある、『エリュシオン基本公式』に忠実に則ったものですわよ。あなた様のような素人に何が分かるというのです」


「ごめんなさい、出過ぎたことを言ってしまって……。でも、ええと……その教典の解釈は少し古いのだと思います。この式で術式を展開すると、変換効率の飽和によって魔力の逆流が発生し、術者の魔力経路を内側から破壊してしまいますわ。最新の『アスタルテ修正案』を適用して、ここの変数を対数関数で補正するのが、一番合理的……だと思うのですけれど……」


ルナリアは朗らかな、けれど自信なさげな笑みを浮かべ淀みなく矛盾を論破していく。図書室の奥深くであらゆる魔導書を友としてきた彼女にとって、学生レベルのレポートの欠陥を見つけるのは、お茶に砂糖を入れるのを忘れることに気づくよりも簡単なことだった。


「何を……! 出鱈目を言わないでください! 私がどれだけ時間をかけて計算したと──」


「はい、そこまで。面白いことになってるね」


ひどく楽しそうな、聞き慣れた声が部屋に響いた。

扉の影から現れたのは、濃紫のローブを翻したレグナードだ。彼は怒る風でもなく、むしろ愛おしい玩具を見つけた子供のような表情で、詰め寄られたルナリアの肩にひょいと腕を回した。


「……先生!」


「やあ。僕の助手に論破されちゃった気分はどう? ちなみに彼女の言うことは 100%正しいよ。ね、僕が言った通り、最高の助手でしょ?」


レグナードはルナリアの髪をさりげなく撫でながら、三人の生徒に意地悪く、けれど優雅な笑みを向けた。

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