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理の外

王婿候補という、この国で最も栄誉ある地位を投げ打ったレグナードに対し、周囲が下した折衷案は亡き母方の家門である伯爵位の継承。

学園での教職を続けつつ、彼は自由になった時間のすべて「祈り」の研究、そして眠り続ける一人の少女に捧げることに決めていた。


「爵位なんて面倒なだけだよ。職もあるし、いっそ庶民でよくない? その方が身軽だし」


そんな彼のぼやきを周囲の貴族たちが認めるはずもない。結局レグナードは『ルナリアが目覚めるまで、彼女の離宮を自らの住居とする』という、前代未聞の条件を力ずくで飲ませた。彼はまず、ルナリアが愛した温室を魔術によって壮麗な建築物へと建て替え、さらに離宮全体を幾重にも重なる高密度の結界(シールド)で包囲した。


「……うわぁ、極端すぎる。普通ここまでやります? 気持ち悪い……」


ルナリアの侍女であるソフィアは、今や「国で一番の安全地帯」と化した離宮の変貌ぶりに、ただただ引き気味だった。そんな周囲の視線などどこ吹く風で、レグナードは学園と離宮を往復するストイックな生活を開始した。

ある日、学園の研究室にシリウス、カイゼル、ヴァルディスの三人が訪れた。

研究室には、レグナードが古書を捲る渇いた音だけが響いている。シリウスから、彼もまた王婿候補を辞退したと告げられても、レグナードは興味なさげに「ふぅん」と鼻を鳴らすだけだった。カイゼルとヴァルディスは、かつてないほど刺々しい研究室の空気に、居心地悪そうにソファに身を沈めている。

シリウスが四人分のお茶を淹れ終えた頃、静寂がその重みを増した。


「さて、そろそろ答え合わせをしましょうか。レグナード……あなたはもう、ほとんどの解を得ているのでしょう?」


レグナードは煩わしそうに顔を上げた。


「それが?」


「ならば教えてください」


レグナードは本を閉じ、冷徹なまでの光を宿した瞳で三人を見据えた。


「教えて何になる。僕も、そして君たちも……誰一人として彼女に贖罪する権利などないというのに」


突き放すような言葉に三人は沈黙した。否定する言葉を誰も持っていなかった。

それでも、シリウスだけは視線を逸らさなかった。


「……それでも、私は知りたい。星術を司る家門の者として。そして、一人の観測者として」


視線が火花を散らすように交錯する。やがて、先に溜息をついて視線を逸らしたのはレグナードだった。


「彼女は……ルナリア様は、魔力が皆無だ。これは紛れもない事実であり、この世界の理において彼女が『不具』と蔑まれてきた理由でもある」


それは、この国の誰もが知る「常識」。


「でも彼女はその理の外側にいる。わかりやすく言うなら、彼女は──神の愛し子(マナ・チャイルド)だ」


「はぁ?」


「……神の、愛し子?」


カイゼルとヴァルディスの声が重なる。その傍らで、シリウスだけが「やはり」と深く頷いた。レグナードは手元の本を無造作に放り出し、白板に複雑な術式を書き殴りながら、その「非論理的な真実」を言葉にした。


「我々魔術師は、己という『器』に大気中のマナを取り込み、それを変換して事象を起こす。だけど彼女は違う。彼女に『器』は存在しない。正確には彼女の『魂』そのものが、神域と直結した純粋な門なんだ」


レグナードの指が、魂と肉体の相関図を指す。


「通常、祈りとは精神的な作用に過ぎない。でもね、彼女の『祈り』は魔力(ばいかい)を介さず、直接『理』に干渉する。彼女が誰かのために心から願えば、世界はその願いに合わせて書き換えられる。魔力という不純物を介さない分、その力は絶対的だ。だからこそ、それには残酷な制約がある」


レグナードの声が一際低くなった。


「彼女の肉体は、その強大すぎる力を通すための構造をしていない。高電圧を細い針金に流せば、どうなると思う? 針金は焼き切れる。ソレイア様の核を修復した際、彼女は自身の魂の輪郭すらも燃料として燃やし尽くした。今の彼女は、中身が空になった美しいだけの殻だ」


「そんな……じゃあ、彼女はもう、二度と……」


ヴァルディスが絶望に声を震わせる中、レグナードは不敵に、そして傲慢に笑みを浮かべた。


「だから、僕がいるんだろう? 彼女の魂をもう一度この世界に繋ぎ止める。それが傲慢な魔術師として生まれた僕の存在意義だよ」


レグナードは手元の日記を愛おしそうに撫でると、ふと、視線を窓の外の空へと向けた。昼の月が白く淡く浮かんでいる。


「……ずっと、月はそこにあったんだ」


唐突に紡がれたその言葉に、カイゼルが息を呑む。レグナードの視線は遠い過去の、あの初夏の記憶をなぞっているようだった。


「太陽の光が強すぎて、見えにくくなっていただけだ。太陽の近くでずっと見守って、夜になれば誰に気づかれずとも静かに世界を照らしてくれていた」


レグナードはデスクの上で、白くなるほど強く拳を握りしめた。


「なのに、僕たちは……」


救いようのない自嘲の笑みがその唇に刻まれる。


「近すぎたんだ。あまりに自然すぎて、彼女の祈りが……彼女の存在が、当たり前だと思い込んでいた」


研究室の空気は、物理的な重さを伴うほどの後悔に満たされていく。誰もがソレイアという光に目を奪われ、その影で静かに、けれど誰よりも強く世界を支えていた月の輝きを忘れていた。


「──もう、間違えない」


レグナードは再び、決然とした手つきでペンを執った。

太陽に隠されていた月の、その冷たくも優しい輝きを二度と失わないために。彼女が再び目覚め、今度は誰のためでもなく、彼女自身のために世界を願えるその日まで。

天才と謳われた魔術師は、神が定めた『理』すらも書き換え続ける。


「お前たちも、知ったのなら動きなよ。贖罪する権利がないというのなら、せめて彼女が戻ってくる場所を整えてよ」


追放するかのような厳しい言葉を三人に投げ、レグナードは再び数式の海へと没頭した。

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