098.深淵に集う
グレイスを連れて魔王城へ帰還。帰ってきたからと出迎えにいったのに、人肉ハンバーグを作らされて汚れたので本日二度目の風呂へ。
お湯は使い放題とはいえ、ぬめりのある鉄臭い湯船にはうんざりする。特にグレイスに付いた血は乾いているのでよく擦ってやらないと落ちない。近代的な石鹸が欲しい。
「なあグレイス。こっちに住みたいのか?」
「シノミヤ、イッタ」
「そうなんだけどさ」
バスタブの中で向かい合ってグレイスの体を隅々までごしごししながらどこまで本気なのか聞いてみたが、どうやら本当に移住したいらしい。
「俺としてはもっと立派な魔王城になったらって考えてたんだよな。今のここ狭いし。豆腐だし。それにコアちゃんが一人なのは心配だ」
「トウフ? ソレモニク? コアモヨベバイイ」
「豆腐は四角いってこと。肉じゃない。魔王城の防衛環境はまだ足りないからコアちゃんには安全なところにいて欲しいんだよ」
俺は身体能力が人外だから外の城壁を飛び越えられるが、それはつまり俺と同じくらいの身体能力があれば壁は越えられる。
偽ラグネルなら壁ごとぶった斬るかもしれない。
何より、プライベート感がなくなるのがちょっと悔しい。実際にはコアちゃんは魔王城を覗こうと思えばいつでも覗ける立場だが、覗けるかどうかと、目の前で何かを致すのはだいぶ違う。
見られるのはいい。でも知らないところで見て欲しい。
「マエハ、ミンナイッショ。イマ、チガウ」
「そうだね。前はモンスターたちも一緒だったよな。ゴブリンとコボルドとスライムにクソみたいな洗面器や泉」
「シノミヤ、ヒトリ、ナリタガル?」
「……」
どうだろうか。
なんだかんだで魔王城にはミエレやテルシアがいたし、アスティも来た。一人で居たことは殆どない。
「……もしかしたらグレイスの言う通りだったかもしれないな」
鹿の問題が片付いて、ダンジョンを改造していって余裕が生まれて隙ができた。覚えても居ない過去がするりとその隙間に入り込んで考え込むうちに、とっくに失くしたと思った理性を取り戻した気になっていた。
「ほら、グレイス。後ろを向いて」
「ウシロムク、カメナイ」
「噛まんでいい」
温かい湯の中でグレイスに触れていると、普段は体温のない冷たい体が熱を持って生きているかのようだ。
肌触りは人間そのもの。体温が低くて、灰色をしている。それ以外は絶世の美女。試しに魔が刺して双丘に手を回してみれば張りと柔らかさが同居した膨らみに指が沈む。
「シノミヤタチ、シテルヤツ、シタイ?」
「してるやつって?」
「コレ」
とぷん、と水面が跳ねてグレイスの背中が俺の胸にくっついた。俺の上にグレイスが乗っている。
「悪いがお前じゃ勃たないよ」
「ナニガタツ?」
「ナニも」
不思議でもなんでも無いことに、グレイス相手に情欲というものを抱くことはない。興味本位でさっきのように触れてみても反応しない。
「グレイス、大嫌いだよ」
「ワタシ、モ、シノミヤダイキライ」
「ありがとう」
それが聞けてホッとした。
お前はずっと俺を嫌いでいてくれよ、モンスター娘たちには悪いが……立場や肩書きだけで何でも許されるってのはどうにも気持ちが悪い。
気持ちが悪くても気持ちよくなるために利用はするけれど、嫌われたいことだってある。
「さ、そろそろあがるか。しかし寝床をどうするかな」
「がじがじ」
お湯から上がってすぐ唾液つけるのやめーや。
文句を言いながらグレイスの体を拭いて服を着せる。
「がるるぅ」
「あー待て待て動き回るな。まだ髪を拭いてないだろ」
先に俺も服を着てからと思ってたのに……仕方ないから裸のままグレイスをあいかけてリビングへ向かって、探検中のグレイスを捕まえて頭をぐりぐり強目に拭いてやる。
「シノミヤ、アレ、ナンデコロサナイ?」
リビングの牢屋の中のミエレに気づいたグレイスが問う。
「人質って言ってな。ああして人間を捕まえておくと人間が助けにくるんだよ。そしたら、ダンジョンに人間たちが来て、グレイスの食べ物になる」
「…………ヒト、タクサンツカマエル」
「つまみ食いしないで出来るのか?」
「タクサンツカマエテ、スコシノコス」
「たくさん捕まえられるならそれでもいいけどな。ちゃんとダンジョンまで食べずに連れてこられるなら次の侵攻にはグレイスも行くか?」
「シンコウ?」
「あとでまとめて教えてやる。シスターとサメちゃんの紹介もまだだったしな。さっき会ったのが初めてだろ?」
「サカナハ、ミタ、シスター? シラナイ」
そういやシスターは召喚後すぐに仕事を頼んだからな。
でももう真夜中と言ってもいい時間だし、戻ってきても良さそうなものだけど。
戻ってこないといえばフェルだ。こいつも死んでからとっくに二十四時間——この世界の時間や日付の数え方は知らないから全部俺に合わせた地球の数え方——以上経っても復活しない。なんならもう四十時間くらい経ってるかもしれない。
憂慮していたことではあるが、もしかしたらモンスターは個体によってリスポーンするまでの時間が違うのかもしれない。
ダンジョン産とユニークモンスターの違いか、それとも単純にスペックが高いと長くなるのか。このあたりは気にしておかないとな。人魚たちが明日の夕方に生き返ってくれるといいが。
「グレイス、俺は寝る前にやることがあるから先にベッドに行ってろ」
「がう」
グレイスを寝室に案内してベッドに寝かしておく。まあ、あいつはモンスターだから多分寝る必要はないんだろうけど。頑張った労いくらいはしてやろう。
「おい、ミエレ。晩飯だ」
「……」
アスティのミルクと残り少ない小麦粉、野菜に鶏肉を使ったシチューに、こちらもまた残りわずかなパンをひとつ取り出して牢の中に入れる。
ミエレはそれを見つめながら、縛られた体でじっと動かずにいた。どうやらアスティが磔台に真面目に結びすぎたらしい。
仕方がないので檻の中に入って縄を解いてやる。両手の縄を解いてやったあと、足の縄も解き、テルシアに使っていた手錠に変えてやろうと、何処にしまったかと床の上を探す。
「…………!!」
背後から首に縄をかけられた。ただ交錯させた縄を反対に力一杯に締め付けるだけ。とても簡単で静かな殺人方法。
「残念だけど、人間はちょっと卒業したんだ」
「……っ」
首に掛かった縄を手の力だけで引きちぎる。
粗相をした女の頬を張る。勢いで檻に体を叩きつけられても女は肺から息を吹き出すだけで声を上げない。
「さっきのことで怒らせたなら悪かったよ。だがいいね。ちょっとは反抗心があるってわかった方が今後扱うのも楽しくなってくる。ほら、食えよ」
「……っ!! …………!!」
雑にシチューを染み込ませたパンをミエレの口の中に無理矢理ねじ込む。手で口元を押さえつけて飲み込む以外の選択肢を無くす。窒息したくないならさっさと飲み込め。こんなことで死ぬくらいならとっくに死んでた筈だろう。生き足掻いて、屈服するしかないのだと再認識しろ。
「……………………」
「随分息が荒いが、口の奥の特訓をしていてよかったな。何が身を助けるかわからないもんだ。はっ、睨むなよ。生きる手伝いをしてやったんだから。さて、飯を食い終わったら寝ろよ。溢れたものもしっかり拾って食っておけ、明日確認するからな」
手足に手錠を掛けて牢屋を閉める。
今夜はこれくらいでいいだろう。ようやく、こちらの隙に乗ってきたことで、あの女がまだ戦う意欲があるのだと再認識できた。
これから捕虜は増える。薬に頼らない方法で何処まで壊れず生きられるか、今後も検証していくことにしよう。
洗面台で両手を綺麗に洗い寝室へ。
部屋はそこそこの広さはあるが置いてあるのはシングルサイズのベッドがひとつだけ。
今はそこでグレイスが布団を被って丸まっている。
「グレイス、入るぞ」
「ぐぅ」
「……寝てんのか」
元々グレイスに手を出すつもりはなく、ただ眠るつもりだったが、まさかこいつが俺の近くで当たり前に眠るとは。相当に疲れたのか——それとも、今日はやけに口数が多かったのは何か心境の変化でもあったのか。
……どっちでもいいな。グールの考えてることなんて理解しようとしても仕方がない。
「おやすみ。グレイス」
布団に潜り込んでみると、布団の暖かい温もりとグレイスの低めの体温のギャップが心地いいのだが、狭い。狭いので仕方なくグレイスを抱き枕にして寝る。背中越しに腕を回したら手を取られて咥えられた。グールも寝ぼけるのか。
そんなことを思いながら意識が泥濘に沈むように遠く——
「——なっんで! このアタシが必死に働いて帰って来たらベッドがないのよこのバカぁ!!」
——何か変な声が聞こえたけど、寝よう。
「寝るんじゃないわよっ!」
ガンッとベッドを蹴られて渋々瞼を開けると、想像通りに怒り狂った悪魔侯爵令嬢のシスターがいた。
「おい、シスターが乱暴なパターンはそれはそれでありだぞ」
「知ったこっちゃないわよ!!」
解釈とは時に異なる場合でも正解を引き当てることはあるのだ。
とはいえ、このまま放っておいてグレイスが起きてブチ切れるのも困るし、シスターの話くらいは聞いてやろう。で、何、どしたん?




