082.裏切り者の死
部屋の外に出たはずが、気がつけば部屋の中心に立っている。
ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズはその奇妙な体験に何を思ったのか、ふむと頷いてからテルシアを床に降ろした。
「先に謝罪しておく。申し訳ない」
ラグナロウが剣の柄に手を伸ばした所までをテルシアは目で追えていた。
追えていたからこそ、それまで弱々しく酷い目に遭った女のフリをしていたのを頭は覚えているというのに、体が反応してしまった。
目にも止まらぬ剣閃。
いつの間にか鞘から抜き放たれた剣の切先が天を指していた。
「本気ではなかったとはいえ……躱されるとは思わなかったな」
すっと、剣を下に向けて真っ直ぐに立つ男。
それに苦々しさを噛み締めて作り笑顔を浮かべる女。
「ええ……こちらこそ、まさか剣を振るわれるとは思いませんでしたわ」
テルシアは冷や汗を流しながらも、未だ一度被った皮を棄てるのを躊躇っていた。
「きみは、どうやらただの捕虜ではないようだ」
ラグナロウからの問いかけに、どう答えるべきかとテルシアは思案する。
「非道い経験をしてきましたから……」
「そうか。怖い思いをさせてすまない」
「すまない」なんて言葉で済むものか、テルシアは内心で吐き捨てる。
状況は悪い。テルシアはダンジョンに潜入していることを本当の雇い主にはまだ伝えられていない。
今はまだ大人しく、ダンジョンマスターに危害を加えるつもりはないと理解してもらうための期間だった。
今回の殺しの依頼もダンジョンマスターの信頼を勝ち取る為ならば女子供であろうと軽く殺して見せるつもりであったし、話が舞い込んだ時にはこれでいくらかの段階を飛ばせると喜んだというのに。
よりにもよって現れたのは【ラグナリアの剣】ときた。
偶然が積み重なり、想定よりも早く芽吹いたこの英雄は雇い主のお気に入り。殺す訳にはいかない。
この英雄には英雄らしい役割がまだ残っているというのに、何故いまこの場所にいる?
最後にこの男を見た時にはあんな顔ではなかった。黒の雄鹿との戦いで顔に傷は負っていない。
ならば……バルザークの爺にでも囃されたか。
時代遅れの作り物の英雄が、新しい時代の英雄に余計な真似を。
「謝罪は受けましょう……その剣をしまっていただけるのならば」
「そうしたい所だが……少しきみのことが気になってきたところでもある」
「私のことが、ですか?」
「ああ。もしかして、以前何処かでお会いしたことがあるんじゃないかと思ってね」
「……気のせいでしょう。私は過去に英雄様のお姿を遠目に拝見したことはございますが」
「そうか。ならばきみはヒナトに?」
「……少し前までは」
考えの整理をするために時間が欲しい。だが、この話の流れはよろしくない。このアルヴァリア人貴族にヒナトのギルドに潜入していたことが知られるのは不味い。かといって、テルシアという今の姿と名を知られるのも許されない。
この様子を眺めているという魔王に知られるのは構わない。テルシアは決して魔王の敵ではないのだから。
……殺せない。しかし、殺さなければ計画が破綻する。雇い主はそれを許さない。ならば自死——余計にあり得ない。死ねば計画だけではなく全てが終わる。
殺すか、殺さないか。
まさか自分がアルヴァリア人を殺すことを躊躇う日がやってくるとは笑えて——笑えない。
「どうした? 何か考え事でもしているなら聞かせてくれ。悩みがあるなら助けになる。もともと、俺はきみを助けるつもりだったのだから、心配しなくていい」
ふざけたことを。
こちらが考えているのは貴様を殺すか殺さないかだ。私の生殺与奪の権利をアルヴァリア貴族に委ねるつもりなど無い!
……仕方がない。
魔王との関係を考えれば、無闇に力を使い脅威と見做されることは本意ではない。
それでも、状況の打破は必要だ。
「うっ……」
小さな呻き声をあげて、足を弛緩させながら男の言葉に安堵したかのように座り込む。
天賦——飯事縫包。
俯き、体と長い髪で手元を隠す。
そこに何処からともなく現れたのは……一枚の紙切れ。
テルシアは自分でも何かわからないそれを、まるで服の中から取り出したかのように震えながら宙へと差し出し、放った。
飯事縫包。
その力は過去に自分が見たこと、触れたことのあるものを無作為に呼び出す力。呼び出せるのはその手のひらに収まるものだけ。何が出るかは本人にもわからない。
テルシア・ルビーに天から与えられた唯一の力。
それは、弱く儚く——運命を切り開く一手。
紙を放り、後退ったテルシアを見て、怪訝な顔をしながらラグネルがその紙切れに近づき、拾い上げる。
「これは……ゴブリンメイジ及びゴブリン討伐クエストの受注書? そうか……きみは、討伐隊の生き残りだったのか」
クエストの受注書。
紙切れの内容が何かなど確かめていないテルシアには何のことかはわからないが、確かにそれならば目にしたことがある。
何故ならば、あの夜の幹部会でこの男に疑問を投げかけ、クエストの概要を作ったのはテルシア自身である。
今回のリトルトレジャーはどうやらハズレらしい。しかし、あの男の剣を躱した理屈と自分がここにいる理由は勝手にあの男が結びつけてくれることだろう。
最小限で最低限。与えられた力の弱さはよく知っている。
「はい。私はフィニャセラ様とアッシュ様たちとともにこの森にやってきて、囚われてしまったのです」
「そうか……きみ以外に生き残りは?」
「……残念ながら。皆既に死んでおります。ここに私が連れられて来たのも、英雄様に殺させるためなのでしょう」
理屈は通った。
ならばあとは殺すか死ぬか。
殺すのならばあの男に【ラグナリアの剣】を使わせる前に始末しなければならない。
しかしそれをすれば、テルシアは雇い主を裏切ることになる。
私が裏切れば——
「辛い話をさせた。済まない」
英雄は天を仰いだ。
テルシアも見たことがない不思議な、温かみのある光を放つ管が並んだ鉄の天井。
「ダンジョンマスター! どうせまだ、俺たちがいつ殺し合うのかと趣味の悪い見物をしているのだろう?」
その男の瞳には既にテルシアは映っていなかった。その男は、白い光越しに魔王を見ているのだ。
「……ああ、もう飽きてきてるけどな」
魔王から答えが返ってくる。
声の出所は不明。ただ部屋に魔王の声が響き渡る。
「ならば安心しろ、もう少しでお前の見たい物を見せてやる……だが、最後にひとつだけ聞きたいことがある」
魔王が見たい物、つまりそれはテルシアとこの男の殺し合い。それを始めるというのならば、今この隙に先手を撃つべきか……しかし、魔王の会話を妨げることは許されるのか、悩ましい。
「さっさとしろ、ひとつだけ答えてやる」
「先発隊……エルフの冒険者たちの後にも何度か冒険者が来ただろう? 騎士——俺の弟も。皆、殺したのか? 黒い鹿の襲撃から逃れてダンジョンに入った者と森の外に残った者たちがいたはずだ」
その問いに魔王が答えるまでに少しの間があった。
「黒い鹿ってのはよくわからんが、鹿は沢山いたな。冒険者と騎士は全員殺した。お前の弟ってのはもしかして金髪で銀鎧のよく喋るやつか? だったらそいつは頭に大穴あけて死んでったよ」
テルシアもまだ知らなかった事実が魔王から打ち明けられる。フレイズ家の後継の死が確定した。そうなれば、目の前の男の価値はより上がる。殺せない理由ばかりが増えていく。
——それでも、私は。
「そうか。セレナもミエレも、ロニーも……守りたかったみんなは本当にもう何処にもいないのだな」
「お前の友達の名前なんざ知らんが、お前のところに帰っていないのなら死んだんだろうよ。なぁ、ラグネル。もう質問には答えてやっただろう? さっさと済ませろ」
魔王の最後の言葉は、明らかにテルシアに向けられたものだ。
もう悩んでいる暇はない。
やってしまった後のことを考えたくはない。
私のせいで、どれだけの犠牲が出るのだろう。
ごめんなさい。
私はまた弱くて、みんなを危険に晒してしまう。
本当に……ごめんなさい。
「アハハハハッ! これは——なんという皮肉だ! ダンジョンマスター! 今度こそ本当に最後だ! 最期にきみの名前を教えてくれないか!」
「……ニノミヤ」
突然笑い出した英雄の悲しげな表情に、襲い掛かろうとしたテルシアに迷いが生まれる。
「この先のモンスターは倒してある。走れ」
「え?」
「ありがとう、ニノミヤ。俺をもう一度ラグネルと呼んでくれて————」
ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズの白刃は、持ち主の首を体から跳ね飛ばして床に転がり輝きを失った。
※記憶力の良い方には引っ掛かりのある部分があるかもしれませんが、そこは追々出てきます




