143.ミリアの篝火
ダンジョンの第二階層から第五階層へ幹部を動員した理由は単純。混沌を創り出すこと。敵を殲滅することではない。
俺の魔法は威力だけで練度不足。そもそもコアルームのある最上階から下層まで垂れ流したところでその威力だって減衰する。雑兵が死ねば良し、他の連中は負傷なりビビってくれるだけでも構わない。隙ができたところを急襲する。
流石に幹部とはいえ、一人で真正面から数千人の相手は分が悪い。ただ、ダンジョンに留まることの脅威を知らしめてくれればそれでいい。
勿論、殺せるだけ殺してくれて殲滅までいけるならそれも良し。
最低限、敵軍がフロアの出入口に設けたセーフティエリアのどちらかを破壊してくれれば御の字。そうでなくとも、隙間ができればモンスターのリスポーンが解放される。
そうなれば敵は階層の再攻略が必要になる。上層と下層、外の情報伝達は遅れるだろうし、死人の分の戦力は外から補充されるはず。
むしろ、全滅されては困る。彼らにはゆっくり時間を掛けてダンジョンを攻めて貰いたい。ダンジョンはいつだって多くの人間の死を望んでいる。
ダンジョン第十一階層、捕虜の寝室。
清潔にされたベッドに横たわって目を閉じている女——ミリア・ミリオン。
ダンジョンの捕虜第一号でローパーやゴブリンたちの母親。
思い返してみれば、この女と出会った頃の俺の精神状態は最悪だった。四つ目鹿に死を突きつけられて絶望し、ラグネルに敗北して腕を失った。まあ、腕はグレイスの所為だが……敗北と痛み、大量の葉っぱ乱用でどうにか平静を保とうとしていたが……全然できていなかった。その結果が、この女の有様だ。
やつれてはいるが、綺麗な顔をしている。
きっとミエレが世話を焼いてくれたのだろう。
この世界に来てからこんな綺麗な死体は初めて見た。美しいとさえ思える。
ダンジョンに囚われてから長く苦しんだだろうに、俺はそれを知らない。モンスターに陵辱されている様も見たくはないと目を逸らし、薬の被験体にしてからも別に直接世話をしたこともない。
まともに話をしたのも、捕虜にして薬漬けにしてからの少しの間だけ。思い入れはなかった。
それがどうだ、この女の命で救われたと知って今更に情が湧く。悪いことをしたと思う。いや、悪いことをしている自覚はあった。それでも……何か、言葉に言い表せない重みが増した。ミリアの死を聞かされた瞬間に胸が沈むような苦しさがあった。なにも特別ではなかった女が、まるで特別な誰かであったかのように。
ミリアの横たわるベッドを担ぐ。大きいので持ち上げるのには苦労したが、重さは感じない。俺の膂力が人のそれを超えているからか、ミリアがそれだけすり減ったのか。
揺らして、ミリアを落としてしまわないように、慎重に寝室を抜け、工房を通り過ぎてコアルームへ。コアちゃんが映し出すスクリーンを真剣に眺めていたテルシアがこちらを見て、何か言いたげな顔をして、結局何も言わずにスクリーンに目を戻す。コアちゃんからは何も言われない。こっちを向いているかもわからない。けれど、コアちゃんはダンジョンの領域ならどこでも好きに見られるのだから、敢えて訊ねる必要もないのだろう。
階段を下る。
背後から誰かの足音がするが無視をする。
ダンジョン第十階層。
フロアの壁全てが檻でできている。中身は全て飼育中の人間。人間たちはここから各階層のモンスターに配送され、ある程度したら入れ替えられる。母体を長期運用するためのフロアであり、現状コアルームを守るための最後の階層でもある。所謂ボスフロア、決戦場。
守護者として創られた魔王軍幹部三人娘とグレイスが暴れられるように広く造られているので、火葬するには丁度いい。
「サモン、木材。薪、枝」
適当に、大小の木材を並べて土台を作り、その上にベッドごとミリアを寝かせる。ベッドは高価なんだが、うちには棺桶なんて洒落たものはない。代わりにベッドで許して貰おう。さらに薪や小枝を並べて取り囲む。油は必要ない。魔法で創り出される炎に燃料は必要がない。木を並べているのは……並べているのは、礼、だろうか?
「旅立つ者に道を示せ——篝火」
初めてダンジョンを攻略されそうになったあの日、魔法というものを碌に知らなかった俺にミリアが見せてくれた魔法。
「仲間の元に行かせてやるのが遅くなってすまなかった」
ダンジョンで死ねばダンジョンに囚われる。だが、お前の肉体だけは弄ばずに骨も残さず灰にする。
檻の中の人間たちが皆、フロアの中心で焼かれる女の姿を見つめている。恐怖か、羨望か。
ミリアの篝火を見つめる瞳に何を抱くのか、人間ではなくなった俺にはもうわからない。
足音がひとつ、俺の横を通り過ぎて篝火に向けて駆けていく。その後ろ髪を捕まえて床に引き倒す。
「死ぬつもりか?」
「……」
背後から付けて来ていたのには気づいていた。
言葉を失った女、ミエレ。滂沱の涙を溢れさせ赤い顔を濡らした沈黙の魔法使い。
「あれはミリアのための篝火だ。お前の為のものじゃない。弁えろ」
「……!!」
だん、と強く足を踏み鳴らし立ち上がったミエレの鋭い眼光に睨まれる。
「怒っているのか、悔しいのか、悲しいのか、悪いが俺には判別がつかん」
「……!! ……!!」
パクパクと激しく口は動いているのに、喉からは一切音がしない。激しく動き回る両手の素振りが、何かを訴えていることだけを伝えてくる。足は震えながら、顔を赤くして泣いて無言で叫んでいる理由は伝わらない。
「お前はダメだ。ミリアは役目を果たした。たくさんの功績を残した。だからこれは特例だ。たかが捕虜に同じ扱いはしない。死にたいのなら諦めろ。お前が死ぬのは寿命か、何かの役目を終えた時だ」
「…………!! …………!!」
ミエレの手が、自分の胸や下腹部に触れ、首を絞めるようにして、また何かを叫びながら振り回される。
体を弄んだことで役目を果たしたとでも言いたいのだろうか。モンスターの子供を孕んだ女たちの目の前で。愛する夫と引き離されて、人の形でもない水の塊や卵を産み落とした未亡人、初潮を迎えてすぐにゴブリンに輪姦された女、骨盤がでかいからとオークに回された女もいたか。
それに比べて、ただ数度俺に犯されただけで毎日まともな飯と寝床を与えられている雑用係が、ミリアのように死にたいと。
「はっきり言おう、確かに俺はお前を抱いた。実際はどうだか知らないが、俺にとっては初めての女がお前だ。愛着がなかったかと言えば嘘になる。この世界には、俺の物が何もない。体さえも偽物で、意思さえ軟弱。お前である必要もない仕事を与えて理由を付けて生かしておいたのは俺の弱さ、執着だ。赤子が気に入りの玩具を手放して眠れないように、俺はお前を大事な何かだと思って生きていた……でも、それは過去の話だ」
「…………?」
「信じられないだろうよ、散々馬鹿にして、好き勝手に乱暴に扱われて、お前は俺に恨みしかないだろう。何を勝手なことと思うだろう。だけど、俺はお前を殺せなかった。多分、好きになっていた」
「……! ……!!」
「別に許して貰おうなんざ思っていない。非道なことをした、罪を犯した、全部事実だ。恨んでいい。これをわざわざ口にすることだって最低の行為だろう。だから伝える。全部間違いだった。俺はお前を好きではないし、お前が大事だった訳じゃない。お前は都合が良かった。お前が知らないだけで、お前が喋れない理由を調べるために薬や催眠も使った。結果は、お前の体にも精神にも異常はなかった。そして、外の情報を知っていく過程で天賦の才の反動とやらの存在を知った」
天陽天視から授けられる不思議な力。
人間を超えた力や魔法。
天から与えられる力、天陽、天視、聖女ラグナリア。北部の民を捕らえてからは得られる情報量が増大した。
俺の知らないこの世界の仕組み、能力の作用と副作用。
そして結びつく、ラグネルという存在の中に潜んでいたババア。
あれが天陽天視、聖女、ラグナリアと呼ばれる何かに関わりがあるのならば——天賦というものは聖女に関わるものではないか。
歴史から突然消えた聖女。それが、様々な能力となって人の体に潜在しているのなら。
ラグネルの他にもあんな馬鹿げた存在がいたのだとしたら。
調べない訳にはいかない。
才能を持ち、好きに調査実験ができる存在がちょうど手元にあった。
「結局、お前はただ能力の反動で声を奪われただけ。お前の中には何もなかった。そしてお前には魔法以外の才能もない。特別なものがひとつもないんだ。だから理由を付けて生かしておくのに苦労した。ゴブリンにくれてやるのも俺の気が進まなかった。そうやって、お前という穀潰しを飼い続けてきた。俺が自分を人間だと信じたかったから」
でも、違った。
俺は人間じゃなかった。
そりゃそうだ、人間はことあるごとにわざわざ自分は人間ですなんて宣言しない。
不安があった。自信がなかった。怯えていたから言葉にして繕った。
人間の俺は死んだんだ。
「ミエレ、お前には生きて貰う。だが、心配するな、これ以上お前をこのダンジョンで苦しめるようなことはしない。お前に詫びるよ、すまなかった。ごめん。申し訳なかった」
「……っ!!」
「許して貰おうなんざ思っちゃいない。謝罪は赦しを得るためにするもんじゃない。罪を認めるためにするものだ」
「……」
「俺の故郷にはな、シンデレラっていう古い物語があるんだ。そうだな……ざっくり言うと、酷い扱いを受けていた雑用係が王子様に見染められてお姫様になるって物語だよ」
「……!!」
「話は最後まで聞けよ、シンデレラ。お前をラグネルのところに帰してやる。だから今は死ぬな」
「………………?」
「ラグネルと一緒に、寿命を真っ当してダンジョンの外で死ね。そう言ってるんだよ」
赤子の玩具。愛着障害。
そろそろお前ともお別れの頃合いだ。
踊る炎に照らされた床に揺れる影が三つに見えたのは気のせいだろう。




