138.小さな宝物
爪痕のダンジョン第十一階層、コアルーム。
ダンジョンコアによってスクリーンに映し出される各階層の様子。
第五階層以下は既に敵に攻略され、罠の殆どは無効化され、リスポーンしたモンスターもその場で即殺されるシステムが構築されている。敵軍は各フロアの階段の出入口を押さえて階層攻略に必要な物資を確保しており、攻略済みの階層の移動に必要最低限のアイテムだけを携行し、必要があれば交換する拠点化に成功している。
ダンジョンの半分が攻略されたというのに、指揮を放棄したダンジョンマスターの様子もコアルームのスクリーンはしっかりと映し出している。
「さっきの冒険者の時と言い、プリムスに対してもそうだけれど……最近あいつの印象がすごいムカつくやつに変わってきたんだけど」
冒険者相手に落ちた魚肉を貪り、みっともなく騒ぎ立てて泣いて女に縋りついたかと思えば、自分を助けた冒険者たちをあっさり裏切り笑いながらグールに喰わせた。
自分から問い質した癖に、それをテルシアが拷問で口を割ったかのようにホラを吹き、強ち嘘とも言えない人の古傷を愚弄して焚き付ける。
行動のロジックは単純なもの。黒の手配書の根底にある魔王を殺せない制約を破綻させるため。
そうだと分かっていて、聞くに堪えない酷い言葉の暴力。おかしな人間だとは思っていたが、ここまで醜い人間だとはテルシアも思っていなかった。
「ごめんねー、私がちゃんと産んであげられなかったからー」
などと感情の籠っていないダンジョンコアの言葉もまた触れづらい。
「やめてよ。そういうことを言っているんじゃないわ。それに、どう産んだかよりも、どう教育したらああなるのかの方でしょう」
「あら、気遣ってくれるの? 母親にもなったことがないくせに生意気なのねー」
「っ!」
このダンジョンコアがあってあの魔王か。親の顔を見ればなるほどよく似ている。
「ダンジョンコア、遊んでないでグレイスに帰るように伝えて。後続の冒険者と接敵する前に隠し扉に入らないなら帰り道は水中よ」
「はいはーい。グレイスー帰ってきて次の食事まで寝てなさいーハウスよ、ハウスー」
「アスティは選択肢なしで水中コースだったのにグレイスさまだけローパーさん使えるのはずるいのですぅ」
シスターの言葉で仕事に戻るダンジョンコア。そこにちょうど良く戻ってきたアスティからクレームが入る。
「グレイスはいいのよ、死人は孕まないから」
「ローパーさんはそこまで見境なしじゃないのですよぉ」
ダンジョンコアとアスティの会話の意味はよくわからない。ローパーと死人の腹に何の関係があると言うのだろうか。
「あなたたちっていつもこうなのかしら?」
「うんw いつもこうwww シスターは真面目すぎw アスティはデカすぎwww」
「もう! サメちゃん様! でかすぎは失礼なのです! 全体的に見てくれたらアスティはデブではないのです!」
「おっw ぱいww の話www」
先ほどの態度はなんだったのか、隣に座るサメの話し方は元のふざけた口調に戻っている。
そしてここにいる誰一人も魔王シノミヤの心配をしていない。
「はぁ……魔王が死んだらダンジョンも滅びるんでしょう? アルヴァリアにとってもあなたにとってもただの損じゃない。どうしてそんな風にしていられるのかわからないわ」
右手以外を拘束されたテルシアは不自由な体のうち、数少ない自由に動ける首を上に仰いで呆れて見せる。
ラグシュナとの同盟。そんなもの、テルシアは求めていない。勝手にあの男が言い出したことでしかない。
そもそもアルヴァリアは東部を除いても百万人以上の人口を誇る国だ。ラグシュナをもう二度と戦火に焼かれないために戦っている黒の手配書たちと、利害が一致する訳がない。
たとえあの男が勝とうが負けようが、それでアルヴァリア百万相手に戦争を起こすなんて馬鹿げている。
「さっきあんた言ったわよね、シノミヤがすごくムカついて見えるって」
くるりとコアが回るが、白い光る珠が回ったところで顔があるわけでもないが、見つめられているような視線を感じる。
「そりゃ、ムカつくでしょうね。シノミヤが冒険者に対してしたことって普段あなたがやっていることと同じでしょう? 人は自分と同じことをしている人間を見ると嫌悪するようにできているのよ」
「はぁ? 私があんな無様な……」
言い返そうとして、過ぎるのは体を売って男の寝込みを襲い殺した女の姿。
小汚い毛皮を纏い、体に青臭い塗料を塗りたくってダンジョンに入り込み、奴隷志願をした女の姿。
何かになりきり、何にもなれず、時が来れば脱ぎ捨て逃げ出すことを繰り返す人生。
他人を騙している姿を、幼い自分と切り分けて、これは他人だと己を騙して自死を渇望する少女を封じ込めた無様な女。
「あの子はね、人が嫌がることを率先してやるタイプなのよ」
「それは言葉の使い方が間違っているわ」
「でも事実よ。それに……利害の話をするのなら、最初からシノミヤの行動は私の利益には何も関係がないものよ」
「どういうこと?」
ダンジョンコアと魔王の利益は同一ではない?
だとすれば、魔王の提案も行動も、その結果もダンジョンコアの意思で反故にされる可能性があるのならこの状況は更に意味がないものになる。
「どうもこうも、私は地上の人間を全て殺して滅ぼしたいの。アルヴァリア人もラグシュナ人も無関係よ、全員死ねばいいと思っているわ」
「それなら、始めから交渉に興味がなかったということ? いま、あの男がしていることも無意味だと?」
「そうね。興味はないわ。けれどシノミヤは必要なことだと思っている。だから私はシノミヤを信じて付き合っているの。だってほら、あんたまだ死んでないでしょう?」
全てをひっくり返してしまうようなことを平気で言い放つダンジョンコア。
そんなことを聞かされて、例えあの男がプリムスに勝ったところで、アルヴァリアに勝利したところでダンジョンと同盟など組めるものかと拒否されることを恐れない……いや、このコアはそれでもいいと思っているのか。
何故なら、あの男とダンジョンコアは利害が一致していないから。
「ふっ。哀れな男ね。あれだけプリムスに良いように殴られ蹴られて血を吐いて。それがどうなろうと仲間は何とも思っていないなんて。余計に無様なだけじゃないの」
テルシアは拘束された左手で椅子の肘掛けを無意識に握り締めていた。
重ねられたから。あの男が自分と同じと言われて、血と泥に塗れたところで誰にも期待されていない。ただ結果だけを求められるだけの生。
「あんた本当に何も分かってないのね。ニワトリ以外とまともに一人で戦ったこともないあの子が、ただ人間より少し頑丈なだけで痛がりで怖がりで怠惰で欲深くて傲慢なだけのシノミヤが、何のために戦っているのか」
「アルヴァリアへの……ヴァルメルト公爵への意趣返しの為でしょう」
「あんたに認められたいからよ」
「……はぁ?」
「あーあ、シノミヤったらカワイソー、人生初めての告白したってのに気づかれないままあんなのの相手しに行っちゃうなんて。やっぱ、人間の女はダメね」
いったい何の話をしているのか。
確かにあの男は自分の物になれとは言ったが、そもそもそれは停戦交渉の内に含まれている。私の意思なんて関係なく、欲しいなら好きに使えばいいのだ。別にそのために強さを見せろだなんて言った覚えはない。
「ほんっとに、アタシらだけで満足しないなんて強欲な男よね」
修道服を着た悪魔がスクリーンに映し出された映像を見つめながら溜め息を零す。
画面の向こうで、魔王がプリムスに馬乗りにされて顔を殴られていた。
「飼い主様は群れのリーダーだから仕方がないのです。アスティは嫌いではないのです」
必死にプリムスの脇腹を殴り返し、足をバタつかせて引き剥がし、息を荒げて折れた歯を吐き出しながら魔王が立ち上がる。
「これで負けて帰ってきたらw かける言葉がないwww」
立ち上がった魔王がプリムスに蹴りを入れようとして逆に足を捕まえられて放り投げられるのを冷めた目で冷笑するサメ。
「あの子は今頑張ってるのよ。私からすればどうでもいいバカみたいな理由でね。さっさと諦めてくれたら私も気が楽なのに」
「万が一本当に負けそうなら全力でアタシが助けに行くわ。けど、必要はないんでしょう?」
「必要はないのです。即死の仕方は教えたので、それを避けて生きていればなんとかなるのですよ。怪我はいっぱいすると思うので心配はしてあげて欲しいのです」
「危険があれば……七階層の水全部抜くw」
ダンジョンコア、シスター、アスティ、サメ。魔王不在のこのフロアで頂点に立つ者たちが魔王の姿を見て楽しそうに笑っている。
「うちの子はね、少なくとも人間に負けるような弱い体じゃないのよ。ただ、酔っ払いの喧嘩程度の動きしか知らないど素人。魔法なしの戦闘訓練なんて三日しかやったことがないの——」
ふわり、とダンジョンコアが飛んできてほんの一瞬、光が強まりテルシアは瞼を瞑る。再び瞼を開けると、全身の拘束が解かれていた。
「何を……」と声に出すよりも先に。
「——生まれて初めて努力をしているシノミヤの姿をもっと近くでよく見てみなさい。それでも無様だと思うのなら構わない。私はシノミヤとあんたの関係には反対だから……でもそうね、ひとことだけ、あの子にあんたからのメッセージを内緒で送ってあげるわ。あんたの言う通り、ここで死ぬなら最後の言葉よ。なんて伝えたい?」
そんなことを言われても……さっきからこのモンスターたちは揃いも揃って何を言っているのかわからない。
これはヴァルメルト公爵にテルシアが持ち込んだ計画で……計画は問題を抱えながらもようやく実行した。魔王と再会し、身の上話をして、裏切りを求められただけ。
ここの何処に、あの男からの告白なんて要素があった? あの男は同盟相手をラグシュナ人に変えて、東部で反乱を起こさせアルヴァリアを荒らしたいだけ……ただそれだけのはず。
結局、あの男だってこの黒の手配書の三番目を利用したいだけで……。
——『お前は俺の女になれよ——ミカ』
あの時、テルシアではなくミカと呼ばれていた?
まさか、あの男はテルシアではなくて、『ミカ』を本気で口説いていたというの?
騙されて、罪を着せられて、自分のせいで何人もの大人が死んで、長く苦しんだ。
償いという都合のいい皮に包まって身を隠して、本当の心を隠して泣いているだけの大人になれない子供ひとりを。
『私たちのことなんて誰も守ってくれない』
『私たちにとって戦争は必要なかった』
『お父さん、お母さん……何処に行っちゃったの』
『飯事縫包……あ、お母さんが作ってくれたうさぎさん』
『うさぎさん、ごめんなさい。うさぎさんじゃなくて、お母さんとお父さんに会いたいの』
『飯事縫包……い、いや、なんで……こんなもの!! こんなの、こんなのお母さんじゃない!』
『はっはっはっ……覚えなくちゃ、覚えなくちゃ私も殺される。同じ目に遭わされる。覚えなくちゃ、言う通りにしなきゃ、これが、目、これは指、これは…………』
『お母さん、お父さん、私の戦争はいつ終わるの……』
予期せず心の檻に隠した少女の記憶が溢れ出す。偽りの仮面で隠した本当の願い。
『ミカね、おっきくなったら、お父さんとお母さんみたいになりたい!』
ただ自分を大切にしてくれる人と家庭を築く。その人がお父さんとお母さんのことも大事にしてくれる人ならもっと嬉しい。
戦争に何もかも奪われる前の些細な夢。
たったひとつの小さな宝物。
「ダンジョンコアさん」
「あら、ようやく口を開いたかと思ったらその態度は何があったのかしら?」
「私の言葉を彼に伝えてくれるんですよね?」
「ええ、構わないわよ。でも、私から伝えるのも味気ないわね。スピーカーモードで送信するから私に向かって大声で叫びなさい」
スピーカーモードとやらがいったい何のことかはわからないが構わない。
伝えるべき言葉はもう一つしか浮かんでこない。
「カウント! さーん、にーい、いーち……!」
「魔王シノミヤ! あんたの言葉が全部嘘じゃないならさっさとそいつとアルヴァリア人を全員倒して! ……そのあとは、あなたの子供を産んであげる!!」
コアルーム、そしてプリムスとシノミヤが殴り合い続ける森に突如響くテルシアの叫び声。
思わずヒューと口笛が鳴ったのは誰の冷やかしか。
「やってらんない! アスティ! お酒持ってきて」
「母さまはお口がないからお酒は飲めないのですぅ」
「浴びるほど飲みたい気分なのよ! ホラ! サメちゃんでもいいから!」
「ビールかけwww」
急に騒がしくなる幹部たち。
「アンタたち、臭くなるし汚すなら奥でやってよね。アタシは仕事中……ひゃわぁっ」
「あわわ……間違ってシスター様に母乳吹きかけちゃったのですぅ!」
「母乳なの!? ビールでもない!? めちゃくちゃビールかけられたテンションで可愛い声出したのに! なんでアタシだけいつもこうなるの!?」
赤面して長い黄銅色の髪で顔を覆い隠した乙女のことは誰も見向きもせず、魔王がイキリ勃ったことにも気づくことなく魔王軍女子会臨時開催が決定した。




