139.魔王は救いを与えない
ダンジョン第六階層、山の麓の森の中。
最近耳に馴染んできた女の声で、聞こえるはずのない言葉が胸を高鳴らす。
大自然の壮大さを表現した音楽は、突如ど迫力でハイテンポな曲へと変わる。
コアちゃんの気分が変わったか、それとも他の連中がモンスターとエンカウントしたか。
「このダンジョンに入ってから他とは違う異様さには気づいていた。目を開けているだけで気が触れそうな空間で鳴り響く重低音。暗闇の中、ガラスを引っ掻くような耳障りな超高音。ここにきて、いるはずのない女の声まで聞こえてきた。しかも、我々を、アルヴァリア人を殺してお前の子を産むなどというふざけた言葉だ。これまでの言葉……全て偽りか?」
そりゃまあ、あんだけ大音量で叫ばれたらプリムスにも聞かれてるわな。
「さあ? 俺の配下に脅されて言ったのかもしれないぜ?」
「それにしては元気そうだ」
「……あいつが何と言おうが、お前の故郷の無事は直に見るまでわからないのは変わらないだろ」
「違いない。どの道、一度敵対してしまった以上……私の、俺の役目は失敗だ。また国を裏切ることになる。せめて、お前の期待は裏切らずに殺してやろう」
再び、プリムスが背中の剣に手を伸ばした——のを認識したのと同時にまた目の前に巨大な柱。
防ぎ、かっ飛ばされながら相手が本気になったことに安堵する。
「とりあえず二回、殺し損ねたな」
「案ずるな、死は一度で事足りる」
「俺もそう願うよ」
それで済まない奴がいる。
つーかよく考えたら一度死を偽装した分際でよく言う。
二度目はかっ飛ばされた勢いで木を薙ぎ倒す無様はしない。自由自在には飛べなくとも、飛ぶ方向を選べるくらいの能力はある。
飛ばされたなら、飛べばいい。軌道を変えて、木々を足場にした高速立体機動——からの背後への奇襲!
「素早いのは認めるが、騒がしすぎる」
「ちっ、聞こえてからで間に合うのかよっ」
向こうの一撃でこちらは体ごと飛ばされたというのに、こちらの渾身でプリムスの体は微動だにしない。完全に受け切られる。反撃が来る前に横へ、ぶつかり合った剣とは逆方向へ移動する。
「向かう先が見えているぞ」
「ぐっ!!」
押し切れない、だから逃げ場が限定された。先を読まれて迫る刺突に剣を合わせようにも、いくら特大剣が相手とはいえ素人の剣は刺突の点から大きく外れる。鋼鉄の塊が腹を抉る。
硬質な金属の叫び声、ひび割れる鎧。
魔王城と同質の素材で作られた鎧が容易く砕け散る。命一回分。砕けた破片を剥ぎ取りながら駆け出す。動きを止めて追撃されては堪らない。
「この剣の一撃を受けて鎧だけで済むとは……その見た目、よもやと思ってはいたが……聖女の剣と同じものか」
激しい衝突に、剣を覆っていた布が千切れて、その剣の本当の姿を見せる。
黒の鋼鉄。
北の山脈で最も硬い鉱物。
それをただ太く一本に固めただけの剣。
「まだうちじゃ流通させてないはずなんだが、もう出回ってんのか」
「纏っていたお前が知らないのか? これは黒耀鋼。現代では手に入らない、天陽天視が魔性から世界を守るための戦いに於いて聖女が手にした剣のひとつ。それと同じものを価値も知らぬお前が身につけているなど烏滸がましい」
荒ぶる剣聖の手にした黒耀鋼製の特大剣から必死に逃げ惑い、時にその一撃を剣か鎧の生き残りで受けては、体内の空気が破裂する勢いで口から噴き出しのたうち回る。
やたら頑丈な鉱物だと思ってはいたが、あののじゃババアも同じものを使っていたとか初耳だ。
だったらラグネルのあの白い剣はオリハルコンかミスリルか?
それはどうでもいいが、だとしたらあの剣とこの男の力なら魔王城も破壊できるってことかよ。
「ああ、まだまだやらなきゃならないことが山積みだ」
既にもう邪魔にしかならない鎧を全部引っ剥がして捨てる。現代では手に入らない貴重なものらしいがうちには腐るほどある。どうでもいい。
魔王城はもっと頑丈にしなけりゃならないし、見てくれだってどうにかしたい。
なんならラグシュナに流して反乱に使わせればいい。それだけ。
「鎧を捨てて、ようやく覚悟が決まったか?」
「もしかしたら錘を外してもっと素早くなるかもしれないぜ」
そんな訳がない。元から重さなんて感じてなかった。前回体をアップデートしてから身体能力が上がって鎧を着込むくらい、なんてことはなくなった。
「ならば避けてみよ」
「ふぐぅっ……!!」
剣で受ける。片手では受けきれないから剣を背にして左の腕も差し込んでようやく止める。
何度も、何度も、さっきまでと変わらず多少移動するだけの案山子。相手の攻撃力を測る物差しのような存在。
「結局変わらん。威勢が良かったのは最初だけ、逃げて、守って生きながらえるだけで精一杯の分際で、我らが祖国と国民をよくも嘲笑えたもの。弱い女を見てラグシュナ人を侮ったことを後悔して死ね」
また柱が飛んでくる。俺の苦手な突きだ。技量の無さを見抜かれている。底の浅さを見破られている。こうなればもう、あとはコアちゃん特製のとっておき頼り。
難しい理屈で造られた黒のボディアーマーが腹を突き破ろうとする剣の衝撃を打ち消そうと発光し、それでも足りないと手足を覆っていた分まで腹にかき集めて強度を補おうとするが、間に合わない。
皮が破れて穴が空いて鉄と脂臭さが鼻にへばり付く。
どうにか防具のお陰で背中は突き破らなかったらしい。腹の中に冷たい塊の存在を感じる。
入れ替わりに出て行った大量の熱が臭いの元だろう。
「背骨ごと突き破るつもりだったのだがな」
「ごふっ……そりゃ残念。でも、あとひと押しだ。それで俺は死ぬ。なんなら剣を引き抜かれても、横に裂かれても死ぬ。あんたの勝ちだ」
「……何故、こんな真似をした? 素直に交渉に応じていれば死ぬ必要などなかった。お前の配下も皆、巻き添えになることもなかった」
「何故ってそりゃ……お前……俺が生きるために部下を全員、どこぞのおっさんの奴隷にしろってのかよ」
「……少なくとも、死ぬよりは良い」
「そりゃ本人たちに聞いた言葉か? テメェの都合のいい思い込みじゃあねぇだろうな」
話しながら、自力で立っているのが怠くて仕方がない。もういいやとプリムスの太い特大剣の上に寝そべるように胸から上を預けて倒れ込む。
剣は……剣は、握ってるな。離しちゃいない。アスティに死んでも離すなと言われて扱かれた甲斐がある。ちゃんと守れたことは褒めてくれるだろうか。
「俺にはもう、聞けぬことだ。思い込みであったとしても、信じて進む以外に道はない」
「目を逸らすなよ……その道は本当に自分で見つけた道か? 他人に用意された道じゃあねぇのか?」
「……今更無駄な問いだ。今楽にしてや——る?」
特大剣にしがみつく。引き抜かせやしない。切らせもしない。そも、俺の体はコアちゃん特別製。それなのにただの人間であるこいつに力負けをするのは何故か。殴り合いをしていた時はそうではなかった。この剣だ。この剣だけが異常だった。この硬くて太くて重たいクソ立派なイチモツが邪魔だった。
「何が才能なしだインチキ野郎め」
「何を……」
「天からなんぞ与えられずとも、テメェの親と剣を託した奴からどれだけ恵まれたもん貰ったと思ってやがるクソ野郎」
赫い剣を持った手を前に突き出す。
あっさりと躱されるが、代価にプリムスは特大剣から手を離した。
「修繕、穴を塞げ」
特大剣を引き抜き、ボディアーマーに指示をすれば腹の穴を塞ぐ。とりあえずの止血。
コアちゃん曰く、俺の内臓なんてものは、あるかどうかあやふやなもの。DPで造られた肉体。睡眠も食事も必要としない肉体の腹の中身が人間と同じ機能を必要とするはずがない。
人間ごっこは俺の弱さだ。
「剣、没収」
特大剣がダンジョンに飲み込まれていく。
「サモン、グレートソード」
我が家の庭先で死んだ冒険者から奪った剣を喚び出して、プリムスの足元へと放る。
「何の真似だ」
「代わりの剣だ。それとも落とした剣は別の剣だったか?」
「俺は剣で腕は変わらない」
「ならやってみろ」
グレートソードを手にしたプリムスの一撃、確かにこれまでと変わりはない。得物の長さも質量も変わっているというのに速度もリズムも変わらないのはそれがプリムスにとっての最良であるということなのだろう。
「だが、砕ける」
プリムスの振るった剣は、赫剣と打ち合った途端に二つに折れて砕け散る。
最良の技、積み上げた経験の差。
そんなものだけで魔王という存在を超えられてたまるかよ。
「お前は確かにラグネルのような天賦は与えられなかったんだろうよ。けれど、聖女の剣を扱う力は確かに与えられていた。誰にだ? お前に流れるラグシュナ人の血と、お前を信じたラグシュナ人の魂だ」
「剣が折れた程度で——図に乗るなっ!!」
再びの格闘戦。殴り合い、取っ組み合い、平気で穴の空いたままの腹を殴りつけてくる殺意。だがその殺意の先にあるのはただの穴を塞ぐ黒の繊維だけ。もうそこに俺の肉はない。
「はぁ……はぁ、殴り合いじゃ俺は死なないのはもう分かっただろ。新しい剣を出してやる。次は何がいい?」
短剣、長剣、斧、槍、弓。
あらゆる武器を放り出してやる。
背後から短剣が首に目掛けて襲ってくるのは見えている。首が落ちればさすがに俺も死ぬ。避ける。刃は掠めたがそこもボディアーマーの上。
長剣で斬りかかられる。速度が違う。赫剣と打ち合わせないようにフェイントの織り交ぜられた斬撃が身体中に当たるだけ。斬撃は通らない。
剣戟の合間、槍が弾丸のような速度で目の前を通過していった。頭への攻撃だけは慎重に躱していたのが見破られたか。
こちらの表情を読んだか、距離を取っての弓での射撃。森の中だというのに的確に頭を撃ち抜く射線。辛うじて躱すが、何が剣聖だ。狙撃手で飯が食えるだろうが。
「これで終わらせる」
両手に手斧を持って突進してくるプリムス。剣で斧を持つ手を斬り落とそうとして、剣が絡め取られる。巧い。思わず見惚れた。打ち合えば壊れる。だから打ち合わずに剣を跳ね除け、もう一方の斧が頭をかち割ろうと振り下ろされる。当たれば即死の軌道。見えている。俺にできること……とにかくなんでもいいから頭への直撃だけは防ぐ。剣を弾かれた手を頭上へ——剣を絡め取った斧が返す刃で右腕に振り下ろされる。ならば左腕を、間に合った。が、振り下ろしが来ない。目線を上から前へ。プリムスがいない——居た。斧を手放し、地に落ちる寸前だった俺の剣を捕まえて突進してくる。あの剣はボディアーマーでも止められない。絶対に折れない剣。コアちゃんが造った最強の盾と矛。
全てが一瞬の出来事。
「うおぉぉぉぉぉぉっ!!」
獣のような雄叫びを上げてプリムスが剣を振り上げる。
冷静沈着な組織の人間としての被り物を捨てた男の咆哮。
野郎の叫び声に何故、血が滾る。
「死んでっ……たまるかぁぁぁ——!!」
回避不能。努力不足。経験不足。
いつも通りの玉砕覚悟。
ただ、プリムスの剣より疾く、腕を伸ばして拳を叩き込む。
——先着。
拳がプリムスの横っ面にクリーンヒット、代償は右脇腹から左肩までの裂傷、ボディアーマーの破損。腹の穴が文字通り開腹する。
人外の力を顔面に叩き込まれて地面に沈むプリムスを認めて、暗転。
「シノミヤ、シンダ?」
「ふみゅう……死んだかも」
「イキテル」
気がつけば、森の中でグレイスに膝枕をされていた。お前、コアルームに帰れって言ったよな? と口に出そうとしたが腹が痛くて声が出ない。
「クスリ、タクサンツカッタ、アト、ヌッタ」
ヌッタって何? 塗ったの? 縫ったの? どっち? 怖くなって腹をさする。明らかに俺のじゃない人間の皮が張り付いている。あと、糸はともかく針がそのままブッ刺さっているのを見て気絶しそうになった。
「シノミヤ、シヌ?」
「誰の皮かもしらん皮と一緒に死にとうない」
道具はきっとコアちゃんが送ってくれたんだろう。皮は……心当たりが一万人分ある。悍ましいにも程がある。
「プリムスは?」
「ここにいる」
「うわぁ……」
普通に真横に立ってた。
確かに顔面ぶん殴って意識なくしたところまで見ていたはずなのに。なんでもう立ってんだよ。
「何のために私に挑んで来たのか、話は聞いた」
嘘だろ? グレイスにそんな会話能力があるわけがない。驚いてグレイスの顔を見るとドヤ顔をされた。やっぱこいつ嫌いだ。
「話を聞いたのはその娘ではなく、ダンジョンコアからだ。テルシアを説得するために、ラグシュナを救うために戦いを選んだのだと」
俺のいないところで伝言ゲームが始まっている。明らかに歪んだ伝わり方をしているが、細かく説明する努力を今はしたくはない。
こっちは腹に他人の皮がへばり付いてるんだ。
「一つだけ否定しておく。魔王は救いを与えることはない」
「それは……」
「だが、金も力も混沌の群勢も好きなだけ貸してやる。地上の人間の誰をいつ殺すかを決めるのは俺の役目だ。誰が何と言おうと、それは変わらない」
コアちゃんは世界征服をしたがっている節がある。俺は別に自分の暮らすこの土地周辺が好き勝手できれば充分なのだが……コアちゃんには俺の知らない事情もあるのだろう。
だから、必要な時が来るのなら誰が相手でも殺す。けれど、それは今必要なことじゃない。
「別に今答える必要はない。この戦争がどうなるのか、その目で見て俺たちの価値を確かめればいい。コアちゃん、どうせ聞いてるんでしょ、剣を返してあげて」
ぽん、と空中に現れる黒耀鋼とかいう今更名前が判明した鉱物製の特大剣を返却する。
「ちなみに今それでぶっ刺したら本当に死ぬからやめてね」
「さっきまでとはすごい変わりようだな」
「本当の俺を知ったらびっくりするぜ」
何せもう二度とこんな危険な真似するつもりないからな。今後はずっと女の陰に隠れて過ごすつもりだから。なんにせよ。
「グレイス、俺を安全にコアちゃんのところまで送り届けて。水中は無しな。絶対出血で死ぬ」
「ワカッタ、オヨグ」
全然わかってねーだろふざけてんのか。
グレイスにお姫様のように抱っこされる。なんだか前にこんなことをしたような気がする。
「ラグナシャハル、また会おうぜ」
「この先がどうなろうとも、必ず」
「おう」
「ぐるるる」
男同士のやり取りなんざ興味のないグールが森の奥へと向かって疾る。俺はもう限界、寝る。次に目が覚めるかはグレイス次第……だから、山の方に向かうのやめてね? エレローパーそっちじゃないよね?




