136.偽りなき名
背後から立ち上る白煙。
恐らくは水魔法使いの魔法がグレイスの焔によって蒸発させられたもの。山の中腹から偽物の空に向かって雲が浮かぶ。
シスターから上がって来た情報から、全員が防御に秀でた能力を持っているのは把握していたが、下層には魔法を使えるモンスターはほぼいない。そこでシスターとコアちゃんが新しく手に入ったDPから見繕ってくれたのが各属性の精霊石というモンスター。本来ならコアちゃんのように各属性の色を象徴した光でピカピカ光って浮いている彼らに宝石のフリをして貰い、至近距離で攻撃をして貰う。
冒険者たちの反応速度、各属性に対する防御能力と能力の性質を確認。全員エレメンタルの至近距離での爆撃のような魔法を受けてもピンピンしていたのには驚いたが、能力が一番厄介そうなのは医師。
その他の三人の防御方法は予想した水準とそう変わりはなかった。
迷ったのはグレイスに始末させるのを剣士と魔法使いどちらにするか。魔法使いの方は生きていれば第七階層突破の鍵になるだろう。俺がバーガーの相手をしている間にそっちを食ってもらっても構わなかったが、グレイスはバーガーの能力が気に入ったらしい。
まあ、人型じゃないフェルを除けば幹部で唯一ボディアーマーを装備していなかったからいい強化だろう。色合いも黒なら合うし。グレイグールとしてどうなのかとは思うが。
グレイスにこれまで装備を与えていなかった理由は簡単。弱くなるからだ。
あいつは死人。腕が取れようと腹に穴が空こうと再生する。なんだったら肉も骨格も腕の本筋も変わる。ボディアーマーはあるだけ邪魔。
ただし、再生ができるだけで肉体の強度は人に比べれば高い程度。ラグネルやアスティ、それとバーガーくらいの腕があるならグレイスは普通にバラバラにされておしまいだった。これまでは。
隠密ができずとも硬化した体を変形させて黒紫の焔を撒き散らしながら暴れる再生能力つきのグール。しかも散々下層で暴食を繰り返したあいつの再生能力は過去最高レベルで整っている。最早、グレイスの心配は不要。
四人パーティのうち二人のダメージディーラーの片方を殺し、もう片方の水魔法は黒紫の焔には相性最悪。触れた側から蒸発するだけ。
ダメージを出せないアタッカーとタンクとヒーラー。精々頑張って欲しいものだ。
「こちらシノミヤ、オーバー」
「あら、一方的に通信を切断した親不孝者じゃない。オーバー」
「コアちゃんさぁ、仕事と私どっちが大事みたいなやつやめてくんない?」
「仕事と私どっちが好き?」
「好きなのはコアちゃん。仕事は嫌い。オーバー」
「私は仕事をバリバリこなす男が好きよ。オーバー」
「働いてるだろ、大ーバーカ」
「あっ! バカって言った! シノミヤがバカって言った!」
そりゃ言うだろ。なんならこっちはまだ仕事中だし長話する気もないのに煽りやがって。
「グレイスのことだから負けないとは思うけど、万が一やばそうならモンスターに押し付けて逃げるように伝えといて」
「どうかしらね? 随分興奮して楽しそうにポテトと殴り合っているけれど」
なんでステゴロやってんだよ。爪とか牙とか骨とか焔とか使えるもん色々あるだろ。
まさか、内なる盗賊の天賦が騒いだのか?
「ま、勝つならそれでいいよ。やばそうならって話ね。あいつらが上の階層に進んだとして、どう対応するのかも興味がない訳じゃない」
「まー、水魔法使いが生き残ってたらそうだったんだろうけど、ドリンクちゃんならもう骨ごと灰になってるわよ」
「あ、そうなの」
もしかして、さっきの白煙はグレイスが攻撃を防いだんじゃなくて、グレイスの攻撃を防ごうとして自滅したのか? うーん、ドリンクは性格の良さそうな子だったのに残念だ。
「じゃあまあ、終わったらグレイスには上に戻るようにって言っといて」
「シノミヤが一人で残ってるって聞いたらきっと怒るわよ」
「俺はプリムス以外と戦うつもりはないから、肉の心配はするなって言っといて」
「はいはい、わかったわよ」
「じゃあ、これで通信終了でいいかな?」
さっきは一方的に通信を切られたと言われてしまったので一応確認を取る。
「待って、シノミヤ。最後にひとつだけ————さっきのサメベロスは惜しかったわ。ひと笑いには届かなかったから次は笑いを取って来なさい。それがシノミヤの役目でしょ」
「おい待て、そんな前フリされて面白いことができる訳ないだろ。ハードルを上げるのやめてよ。ねえ、聞いてる? ちょ、おい、通信切ったな!?」
意外なところで回収されるサメベロスの伏線。とっておきのタイミングだと思ったのに、まだ何かやれだなんて……誰がそんなの求めてるんだよ! 無茶言うなよ! 今こっちはどシリアスやってるんだぞ!
頭に被っていたサメベロスヘッドを外して、横に三つ並ぶシャークヘッドを見つめる。
「そもそもこんなのが面白いと思って作った時点で俺はどうかしてたんだ」
サメベロスをダンジョンに収納しようと試みる。いつもなら、しゅんっと消えるはずなのに、サメベロスの虚な目は地面の上で俺を見つめ返してくる。
今じゃない、今じゃないんだ、絶対に。
この業は一生を賭けて償います。背負って生きます。いつか必ずこれで笑いを取ります。
だから今だけは、今だけはどうかダンジョンの中で眠っていてください。
サメベロスの前に跪いて祈り願う。
すると、ゆっくりとサメベロスがダンジョンへと吸い込まれていく。去り際に交錯した視線が「約束だよ……」と囁いた。
思いもよらない妨害のせいでだいぶ気分を害したものの、山の麓まで降りて森の中に身を潜めて一息つく。
環境型フロアとは言っても、空も遠景も偽物。壁があれば階段がある。
五階層から続く階段の先にある扉を開ければ、そこは世界の端で始まり。
これまでの洞穴迷宮型とは異なる開放的な大自然がお出迎え。
階段を抜けて来た集団の中、先に入って来た冒険者らしき連中はさっさと先へ進んでいく。奴らは先頭のバーガーセットに先を越されているのでお急ぎなのだろう。
それとは異なり、傭兵集団と一般兵たちは階層の入口付近に広がり安全の確保を始めた。階段周辺にセーフティエリアを設営するつもりだろう。
下の階層でも同様のことを行なっているという報告は受けている。
本来なら、ダンジョン側でセーフティエリアを設けたいと考えていたのだ。水場を置いて、モンスターの現れない休憩所。滞在ポイント稼ぎにもなるし、偶にモンスターに寝込みを襲わせたりもできるし。とはいえ、大規模襲撃に次ぐ大規模襲撃。滞在ポイントとか言ってる場合ではなくて見送ってきた。
こんな戦争、さっさと終わってくれればいいのに。そうしたらダンジョンの外に人間を住まわせて街を作って、お宝目当てにやってくる小規模な冒険者連中とモンスターズの戦いをコアちゃんねるで眺めて遊ぶダンジョン運営ものらしい生活ができるのに。
大自然。
森の鳥たちは以前全部殺したので鳥はいないが、まるで鳥の歌声のような優しい音楽が自然と調和し鳴り響く。今日もダンジョン内BGMはいい選曲だ。
敵兵たちも、見た目も空気も陰気でクソみたいな罠だらけの階層を抜けて来たからか、ゆったりと腰を下ろして休む者も出始める。
集団はゆっくりと、二桁から三桁、そして四桁へと膨らんでいく。
情報によれば敵は一万で内部に侵入、各フロアにあの拠点と同じようなセーフティエリアを確保するために人数を割いたり、宝や怪我人、死人の遺物を持ち帰るために外と出入りする奴がいる。
下層のモンスターのリスキルは少数の騎士と民兵を中心とした一般兵が担当しているらしい。
つまり、最初は後方にいた主力部隊が今は最前線に出て来ていると考えられる。
バーガーセットたちは六階層のモンスターの集団を相手に殆どダメージを負わなかった。そんな連中が少なくとも一千人以上。
こちらの狙いはプリムス・ブラックただ一人なのだが、残りの連中をどう引き剥がしたものか。
傭兵団の指揮を取る壮年の大男。背中には建造物の柱みたいな剣を背負った男。
その様子を観察するために混沌の力を目に集中させる。特別な体に適応し進化した視力で男を捉えて——目が合い、男が口角を吊り上げた。
驚き、集中を解いて身を屈める。
低木の葉の後ろに身を隠し、もう一度プリムスを探す。
すぐに見つかる。
百人近い集団を引き連れてこちらに向かってゆっくりと歩みを進めていた。
千メートル以上は離れた森に隠れていたというのに、少し力を使っただけで気づかれた。
バーガーセットたちは触れても気づかなかったというのに、観察眼、察知能力だけで当たり前に人間の範疇を超えている。
テルシアの話が本当ならば、これで天賦の才を持っていない。
シスターの魔法を容易く斬ったというのも頷ける。
格が違う。
初めてニワトリに襲われたとき、ラグネルに取り憑いた女を相手にした時に感じた、肌が粟立ち背筋からぶわりと汗が吹き出す感覚。
何度もこの身を刻まれ、臆病を患った心に刻まれた爪痕から血が滲む。
立ち上がり、草木を掻き分けて森の外へと歩き出す。
まだ遠く、小さな群れが次第にその凶暴さを膨らませていく。
ここに来て、思考も工作も作戦も意味が無いと悟る。
そういう存在との出会い。
ならば、まずは名を名乗ろう——
「——俺の名前はシノミヤ。魔王だ」




