132.一万人の侵略者
フレイズ伯爵軍がダンジョンに到着してから行ったのは安全地帯の確保と、遠征で何日も歩き続けた兵たちの体を休める拠点を作ることだった。
豪華な天幕に集められた貴族や名士たちは、それぞれに配下の指揮官級の騎士と、冒険者や傭兵の頭を揃えてダンジョン攻略のための計画を練っていた。
到着したその日のうちに全軍でダンジョンに攻め込むことは全員一致で否決された。
理由は単純に、貴族や名士たちを守りながらの進軍が可能かわからないため。
とはいえ、小規模戦力の逐次投入は逆に貴族たち、特にフレイズ伯爵から却下された。
既に領都からこの北の果てまでやってくるのにかなりの日数を要し、襲撃による被害もあった。フレイズ伯爵はある程度のまとまった戦力を投入し、低層のモンスターの排除と調査を命じる。
病人は休ませるが、多少の怪我を負った程度の民兵を含め、全隊の半分をダンジョンに攻め込ませることが決まる。
将校らは半分という規模の人数に難色を示す者もいたが、フレイズ伯爵以外の貴族や名士からも、ヒナト近郊での水害のせいで食糧に問題が発生したと言われれば受け入れるしかない。
攻略に時間がかかればかかるほど、不利になっていく。補給路はあっても、この広大な森のどこからモンスターが湧き出るのかもわからない状態では、無事に補給が届くかという心配もある。
領都を出る時には自力で歩けた者が三万近くいたというのに、今では死者も含めて自力で歩ける者は二万ほどしかいない。その半数も体のどこかを患っている。何日も腹を下している者もいれば、手足の指先が震えて動かないもの、耳や舌に異常を訴える者。何日も眠れず目の周りが黒く虚な目をした者。
そんな者たちまで連れて行けと言われれば、将校たちにはそれらを「盾にしろ」と言われているのと同義だ。ダンジョンを知る者ならば、そんな足手纏いを抱えて自分が生き残れるはずがないことは分かっている。
確かに、どんなモンスターやどんな罠が待っているかわからない未知のダンジョン、犠牲なくダンジョンの最奥まで辿り着くのは不可能だろう。
それでも、北部の騎士や兵の多くは長く戦争とは無縁に生きて来た。ここまでの行程で仲間を失い、亡骸を置き去りにしてきた。騎士たちでもその行為に対する嫌悪感は強い。徴兵された民兵たちは余計にそうだろう。長く共に過ごした友や家族と一緒に志願した者は多い。
「決定に変更はない。副団……いや、団長。選抜を進めろ。なに、何日も同じ者に中へ籠らせろとは言わん。負傷者や休養が必要なものは外の人員と入れ替えて良い。そこの差配はお前に任せる」
「御意」
ルイス・エメルの死後、フレイズ伯爵騎士団長の後を継いだ新騎士団長の男が天幕を出て行こうとする……そこに。
「俺ら冒険者は先行しても構わないか? 罠の訓練は受けているし、経験者もいる。先行部隊が階段を見つければ兵隊さんも騎士様方も無理に急がなくても済むだろう?」
声を上げたのはA級冒険者の男。領都の外からダンジョンの噂を嗅ぎつけて南部の冒険者たちと北部にやってきた腕利き。
「分かっているだろうが、発見した宝は王国の所有物となる。もちろん、素晴らしいものを見つければ、仕事が済んだ後には王より勲章付きで褒賞を賜るだろう。下手なことはするなよ」
「勿論でございます閣下。我らアルヴァリアのため、何より伯爵閣下のために必ずや素晴らしいお宝を見つけて参りましょう」
「うむ。その時には我から王に貴様らの名を伝えよう」
「ありがとうございます。それでは……行くぞ」
フレイズの冒険者ギルドのマスターは鬼魔襲撃の際に残念なことに命を落としてしまった。
故に今は外部のものではあるが、最高位の冒険者がリーダーとして振る舞っている。
フレイズ伯爵も完全に信頼をしている訳ではない。あれらの行動には当然監視をつけるとして、それでも自ら先行を買って出てくれるのならば自軍の損失を減らせるだろう。
ダンジョンの富に比べれば民兵の命など軽いものだが、ダンジョンを手に入れたあとにはここに街を築くための人手がいる。
優先順位はあれど、無駄に数を減らそうとは思っていない。
「騎士様と正規軍……冒険者も決まったようですが。我々はどう動きますか? 命令とあらば騎士様の手伝いでもこちらに残って皆様の護衛でも仰せつかりますが」
最後に残った大男。
ヴァルメルト公爵から送られて来た援軍。
フレイズ伯爵は自軍の騎士の多くからこの男の名を何度も聞かされている。
前騎士団長のエメルの妹からは、聖剣の力なしのラグナと対等以上の戦闘をしていたとも聞いた。
男の名はプリムス・ブラック。
南部の竜魔のダンジョンに何度も潜り生還し続けている者。
西のダンジョン製の兵器を恐れることもなく戦場に飛び込み、太く長大な特大のブロードソードを手に百人斬りと恐れられた暴力の化身。
ヴィシャン不在の現在、最高戦力の一人と言っても過言ではないこの男の扱いは悩ましい。
ヴァルメルト公爵の息のかかった者に大きな功績を与えるのは気が乗らない。しかし、聞いた話が全て真実なのだとしたら、自身とはこれまで縁のなかった男を護衛として身近に置きたいかと言えば違う。
「貴殿らには悪いが、騎士と同行してくれ。北部の騎士はダンジョンの知識が浅い。サポートをし、少しでもダンジョンの奥に皆が進めるように手を貸して欲しい」
「承知しました。うちの団員は全員がダンジョンを経験しています。今回のダンジョンは未知とはいえ、お役に立てることもございましょう。それでは我らは騎士団長殿の指揮下に入ります」
「うむ。期待しているぞ、プリムス・ブラック」
「お任せを」
そうしてダンジョン前の広場に到着したばかりの伯爵軍は総戦力の半数——およそ一万をその日のうちにダンジョンへと投入した。
先行するのは冒険者の集団。兵は動ける者を総動員し、騎士は半数を護衛のために地上に残して、半数が傭兵団と共にダンジョンへ。ダンジョン侵攻部隊にはフローネレイヤも名を連ねている。
長い行軍の後、休む間もなくダンジョンの闇に吸い込まれていく一万もの人間。
足を踏み入れた途端に、何処からともなく心臓に響き、高揚感を齎すような音楽が鳴り響く。ダンジョンの第一階層は暗闇と激しい光が通路ごとに切り替わり、視覚を狂わせる。
出てくるモンスターはスライムだけだが、視界の明るさが変わるのに合わせて天井や足元から突然現れ進行を妨げられる。振り払い、踏み潰すだけで呆気なく散るスライムとはいえ、数がやたらと多い。しかも、スライムの中には時折異臭を放つものが混ざっている。酒のような匂いや脂のような匂いを漂わせている個体は、その体内に実際にそれらを蓄えているのだろう。
森の外でスライムを利用した火炎の罠があったという情報は共有されている。
簡単に殺せる小さな魔性。しかし、殺せばいつそれが罠となって我が身に降りかかるかわからないストレス。繰り返される暗闇と閃光の連続に眼が疲労し脳に苛立ちが募っていく。
初見のダンジョンでなければさっさと駆け抜けてしまいたい。長居するだけ無駄、そう思う程に入り組んだ迷路を進むことで精神をすり減らされていく。
「おい! 金塊だ! 宝箱の中にとんでもなくデカい金塊が飛び出してやがる!」
そんな兵たちの心境とは正反対に、先を進む冒険者たちから歓声が上がる。
後に続く兵たちには無関係な金。見つけた褒賞は冒険者たちに与えられるのだろう。そして、実際にその富の大半を手に入れるのは貴族と王。
うんざりだ、手に入らない金塊なんかどうでもいい。とっとと先に進んでくれと願っても、前が閊えれば先には進めない。
「くそ、重すぎて持ち上がらねぇ! おい、何人か手伝いを寄越してくれ! 閣下のところまで運ばなくちゃならねぇ!」
金で雇われた冒険者たちにとって当然の言葉は、魔性に奪われた北部を奪還しようと、兵に志願した者たちの、貴族の命令によって無理矢理家族と引き離されて徴兵された者たちの神経を逆撫でする。
ダンジョンに入った誰もが自分の正義を信じ、欲望を抱き、栄誉を求めている。
混沌はいつだってそんな人間を眺めて嘲笑う。
奥へ、もっと奥へ来い。
助けたい人がいるのなら。
奪い返したい土地と歴史があるのなら。
富と名声が欲しいのなら。
力と繁栄が欲しいのなら。
ここにはその全てがある。
そしてその全てに手が届いたと油断をしたその時にこそ、ダンジョンはその隠した爪を剥き出しにする。
外道な初心者ダンジョンマスターによって作られたダンジョンは今まさに、隠されてきた本当の爪を人類に突き立てようとしていた。




