127.ALL IN
俺がテルシアに持ちかけた裏切りは随分と不興を買ってしまったようで、一笑に付された後に封蝋の付けられた巻物みたいなものを投げて寄越された。
紙のようだが妙にハリがあり艶やか。羊皮紙というやつだろうか。何の皮かは知らないが。
書かれているのは今回のフレイズ伯爵による行軍の意図と王国の見解。
俺が廃墟でバルザークと女騎士に宣戦布告した件にも触れられている。
それらによって生じた争いの状況を嘆き、解決する為に王国が北のダンジョンに対して停戦を求め、見返りに王国の保護と国内の犯罪者等を定期的にダンジョンに差し出すというもの。
具体案として、ダンジョンの前——と書かれているがうちのダンジョンは山なので、山の麓と捉えるべきだろう——に王国がダンジョン都市を建設するというもの。ダンジョンに潜る冒険者を管理するギルドは公爵家から現フレイズの領都のギルドマスターが派遣され、立ち入りは厳重に管理される。また、犯罪者や職を持たぬ貧民、孤児などは都市を管理する王国派の貴族とギルド暗部により世間には知られぬようにダンジョンに提供される。
また、ダンジョン保護のために精鋭を派遣し、万が一にもダンジョンを完全に攻略しようとする者が現れた場合は、王国の精鋭がダンジョンコアとダンジョンマスターを保護する。その他、ダンジョンが求める必要な物資があれば、先に上げた王国の保護に加えて、ダンジョン資源と交換する形で提供を行う。
まとめると、ざっとそんな内容が書かれていた。
「聞いてもいいか?」
「ええ、構わないわよ。でも先にひとつだけ伝えておくけれど、そこに書いてある冒険者のギルドマスターならもう死んでいるから来ないわ」
「……理由を聞いても?」
「私が殺したのよ。平気で裏切る人間は信用できないでしょう?」
「そりゃまた、そいつのことはこれっぽっちも知らないが……余程アルヴァリアを裏切るのに抵抗があるようで」
「冗談はやめて頂戴な。私は確かになんでもするとは言ったし、アルヴァリアは嫌いよ。けれど、私はもう他人に乗せられて簡単に仲間を裏切って死なせる無知な子供じゃない。無知だとしても、許されない罪だってあるんだから……」
テルシアの最後の言葉は、俺に向けたものではなかったのだろう。何処か遠くを見つめて消え入りそうな囁きは、吐息に混ざって出てきてしまっただけのように思えた。
「ま、そいつのことはどうでもいい。どうせ知らない奴だ。それより、このダンジョンの外に街を作るとして、統治するのは誰だ? 俺たちを守る精鋭ってのは?」
「統治者はまだ候補を絞っている状況ね。フレイズ伯爵が生きている間は権利を主張するでしょうけれど……後継のダンジョン攻略失敗、ヒナト放棄に始まり、多くの街で襲撃被害を防げなかった。ヴァルメルト公爵からすれば、いつでも無能の烙印を押して始末できるもの。もしそうなれば、公爵家の縁者が選ばれるかもしれないわね。それこそ、新しく王女と公女を娶って家を興す英雄とか」
「あぁ?」
王女と公爵令嬢二人と同時に婚姻を結んだ男の話ならついさっき聞いたばかりだ。
「ラグネルが統治? はっ、そんなもんあり得ないな。あんな奴にやらせてみろ、お前らの企みなんてすぐに暴かれて人身売買していたことがわかれば俺の次に殺されるのはその公爵だ」
「あのアルヴァリア貴族とあなたの間で何かあったんだろうとは知っていたけれど、アルヴァリア貴族が王国を裏切ってあなたを殺す? それなら、そもそもなんであなたはあの英雄にエリクシルなんて使ったのよ」
エリクシル。
自殺したはずのラグネルが生き返ったことをごまかすために咄嗟に吐いた嘘。
あの異常な力を自覚されることを防ぐために、生きていることをごまかすために作ったデタラメ。
ダンジョンが何故人間にとって脅威であるのか。その答えはとても単純で、初見殺しができるから。
どんな強い相手であっても、何も知らずに罠に掛ければ殺せないということはない。
だがしかし、ラグネルだけはトライアンドエラーが許されている。あれはどれだけの初見殺しを用意しようと少なくとも五万三千回は甦る。しかも、ハズレ値を引けばまたあののじゃババアが出てくる可能性まである。ダンジョン特効、アンチダンジョン。対ダンジョン用決戦兵器。
本人に自覚がないならそれに越したことはない。だからこっちは殺さないように慎重に廃墟から追い払ったのだ。
そこまで考えて、嫌な予感が過ぎる。
ラグネルは南部に竜討伐に向かったという。
竜っぽい形のフェルは見たことがあるが、本物の竜の強さを俺は知らない。
あの野郎、分不相応な相手に挑んで死んじゃいないだろうな。
「あれを生き返らせたのは個人的な理由だ。あんなもんは俺が求めた死に様じゃなかった。それだけだ」
生き返らせたのは嘘だが、それ以外は本音。
俺はラグネルに敗北したことを、俺の名を忘れていたことを今でも根に持っている。
それに加えて、そこまで欲しかった訳でもないがタダで手に入るはずだった女を奪われた。
ラグネルを殺す手段は考えてある。だが、他人を救うための自殺などという理由で死ぬことは認められない。
「ところで、そのエリクシルっていうのは実在するのよね? この目で見た男が生き返っていたのだから、疑う必要はないとは思うけれど……上はそれをとても欲しがってる。エリクシルの供給が約束されるなら、統治者を誰にするかなんていくらでもそっちの意見が通るでしょう。これはあくまで交渉よ。お互いに融通しあって落とし所を決めればいいの」
交渉内容をこちらから尋ねたのが功を奏したのか、テルシアの険が取れていってるような手応えを感じる。
問題なのは、エリクシルなんてものは実在しないこと。魔法薬の研究は続けているが、何種類かのポーションの精製に成功した程度。エリクシルなんてものがあったらミリアは死にかけちゃいない。俺に残っているほんの僅かな人間に対する同族意識はイアンのようにミリアのこともさっさと殺してやるべきだと訴えるが、魔王としては死にかけの被検体なんて貴重なものを無意味に殺せない。必要のない殺人と必要な殺人はしっかりと分けなければならない。これはコアちゃんと約束したことだから。必要なら、どれだけ自己嫌悪に陥ろうとガキでも殺すが、不必要なら使い道を探す。実際に、一部の男のガキも捕虜の世話役として数人生かしている。反乱するほどの力はないが、雑用程度の力仕事ならできるくらいのガキは労働させるのにはちょうど良い。
「今の段階でそちらにエリクシルを渡すことはできないな。欲しければ信頼を勝ち取れというものだ。魔法薬やこの世界とは異なる高水準の医薬品なら提供してやれないこともないが……」
魔法薬といっても死人を治すほどの究極の魔法薬はなくとも、怪我の治療や身体能力の向上、免疫力の向上程度のポーションなら手元にある。
なんなら、コアちゃんは必要成分を取り出せる物さえあれば俺が知っているような日本の一般市民が手に入れられるような薬は作れるし、DPを消費するならそもそもこの世界に全く存在しないものでも創れる。もちろん、そんなことをすればとんでもないDPを消費するのでその方法を取るのはあり得ないけど。
何よりこの話、既に俺にとっては意味がない。
「さっきも伝えたが……テルシア、アルヴァリアを裏切れよ。俺にはもうアルヴァリアに魔法薬を流してやるつもりなんかないぜ」
「話が違うじゃない。魔法薬の話を持ち出したのはそっちでしょう?」
「戦争をチラつかせて脅迫してきたのはそっちだろ?」
「戦争が起こったのはあなたがした事の結果が招いたことでしょう。この交渉は、あなたの不始末をアルヴァリアが肩代わりしてあげるためのものなのよ」
こちらとしてはヒナトが滅んだのも竜が暴れてるのも全く無関係だが、王国側の人間にそれを理解しろというのも無理筋だというのはもうわかってる。
「誰の不始末かはともかく、俺は俺の背負う罪も運命も誰かに肩代わりさせるつもりはハナからないんだよ。俺は魔王だ。誰が蒔いた種だろうと俺と俺の仲間に関わる全ての責任は俺以外に背負わせはしない。助けなんざ求めてないんだよ。なあ、テルシア。この戦争に俺たちが勝っちまったら、お前はどうする?」
はじめにこの戦争の話をされた時、俺は五万という馬鹿みたいな数字に怯えて負けを覚悟した。
どのみち、人間との付き合い方は考えていく必要もあった。効率よく人間を集めて、適度にダンジョンを攻略させて産出品と命をトレードする。
それを人間側から持ち掛けられたのだから、完全に悪い話ではなかった。
価値を上げ、安く負ければ安定が手に入る。
「テルシア——いや、本当の名前はミカっていったか? 俺は顔も知らない、裏で他人を操るような知らないおっさん共と契約するより、こうして自分の命を掛けてダンジョンに乗り込んできたお前の覚悟を買っている。俺の目を見て、平気で不平不満を口にするお前の方が信頼できる」
人と話す時は相手の目を見て話せ。
そんな当たり前のことができる相手の重要さ。
そも、間に他人を挟んだ交渉なんてクソ怠い。
「ミカ、これは俺とお前の契約で、ダンジョンとラグシュナの同盟にする。金も宝石も鉄も薬も欲しいだけ支援しよう。アルヴァリアから独立を勝ち取れ。支払いはアルヴァリア人の命でいい。どうだ、少しは興味が湧かないか?」
俺の目を見つめて、黙って俺の言葉を聞くテルシア——ミカの瞳が静かに震える。能力が拡張された魔王の目でなければ気づけないような微細な揺れ、戸惑い。
「……無理よ、勝てるわけがないわ」
女の中に感じる少女の諦念。
信じることと裏切ることへの恐怖。
進む道を誤ることへの不安。
「なら決まったな。この戦争に俺はダンジョンの総力を賭けて勝ちに行く。俺がアルヴァリアを退けたなら、お前は俺の女になれよ——ミカ」
「……気安くその名で呼ばないで」
「そりゃ済まなかった。お前はまだアルヴァリアの飼い犬のテルシア・ルビーだったな」
「この先も、ラグシュナの人々を守るためなら幾らでも鎖に繋がれるわ」
いつかの日に俺が縄で縛った女は、とっくに他人の鉄の鎖に繋がれていた。
ならば全部引きちぎって手に入れてやる。
寝取られは許せないが寝取りはいつだって最高に気持ちがいい。
「コアちゃん。方針決定! この戦争、勝ちに行く。攻めてくる軍隊は皆殺し、ラグネルも殺して追い返す」
「まったく、それじゃ結局これまでの話し合いはなんだったのよ……シノミヤ、約束は忘れちゃいないわね?」
「大丈夫、必要なら俺はやるよ」
「そう。なら、勝負といきましょーか!」
人間によるダンジョンの保護管理なんて必要ない。元より俺たちは殺し合うのが宿命だ。
命の保証なんて必要ない。
俺たちは安定よりも混沌を愛するダンジョンだ。
公爵閣下のご厚意なんざ破り捨てて、持ち得る全てをここで出し尽くす。
——乾坤一擲だ。




