122.黒の手配書
旧ラグシュナ王都から徒歩で数日ほど南に新設されたアルヴァリア王国の砦。
本来ならばアルヴァリアの兵が詰めている筈のそこにいるのは僅か百人足らずの冒険者たち。
鴉の指示された日に砦を訪れたラグナシャハルに率いられた冒険者たちは、覚悟を決めて砦の門を開けた。
「本当に誰も居やしねぇ。しかも、武器も矢も放置されてやがる」
口にしたのは誰だったか、冒険者たちは警戒をしながらも砦の中を調べていく。結果、判明したのは情報通りにこの砦が明け渡されたという事実。
アルヴァリア王国の王の目、ヴァルメルト公爵によって東部の統治を任された伯爵家にも知らされずに行われた全軍の撤退。
「砦ひとつと我らの命、か」
ラグナシャハルの呟きに、仲間たちはもう引き返せないことを悟る。
ラグナシャハルが砦に辿り着いた頃、旧ラグシュナ王都の冒険者ギルドに砦陥落の急報が舞い込んだ。
冒険者たちは同胞の、仲間の裏切りに驚き戸惑い、何かの間違いではないかと騒ぎ出す。
それと同時に、街ではラグシュナ解放を唱えていた者たちが歓声を上げて街を練り歩いていた。
普段ならばそんなことをすれば、すぐに集まって来るはずの兵たちは現れない。
当然だ。
ラグシュナ解放を求める反乱分子たちは剣聖が国のために立ち上がることを知っていた。
力のない民のために、王国最後の英雄が仲間と共に忌まわしき侵略者の要塞を奪い取り、アルヴァリアを叩きのめすと信じていた。
旧ラグシュナ王都のアルヴァリア兵たちは、鎮圧の命令が降りて来ないことに困惑と焦燥を抱いていた。何度上層部に街の様子を伝えても相手にされず、放っておけと突き放される。
当然、軍の上層部にはヴァルメルト公爵の息が掛かっている。
これは全てがヴァルメルト公爵により計画された作戦行動の一端に過ぎない。
伯爵家さえも知らないこの衝撃的な事件は、全てが予定調和である。
ラグシュナ人の冴えない冒険者が提案し、ヴァルメルト公爵と結んだ密約。
剣聖とその仲間が、力無き民に変わり立ち上がり、奇跡のような手柄を上げる。
ラグシュナ人は剣聖ラグナシャハルの説得により、暴動を起こさぬよう手回しをされている。
ラグシュナで反乱を企てる者たちを剣聖の言葉と行動で縛り付ける。
ラグシュナの民たちは真実を知ることもなく、希望を胸に抱き、英雄の凱旋を待っている。
暴動を抑え込み、アルヴァリア軍の鎮圧作戦により多くの犠牲者を出すことの引き換えに、剣聖とその仲間たちが命を差し出したことなど露知らず、街は異様な熱気を帯びていた。
暫くして、ラグナシャハルたちが立て籠った砦に慌ててやって来た伯爵軍の兵が攻め込むこととなる。その中には徴兵された大勢のラグシュナ人も含まれている。
「あんまり動くんじゃないぞ……俺にお前を殺させるなよ」
狙撃手の願いを載せた矢が鋭い風切り音を立てて、ラグシュナ人の民兵の肩に突き刺さる。
同胞が肩から矢を生やし、膝から崩れ落ちたのを見て狙撃手が舌打ちをする。
殺してはいない。狙い通りに急所は外している。
砦奪還の為に碌な準備もなく送り込まれて来るラグシュナ人部隊との散発的な衝突。砦を奪われた領主による奪還のために戦っているという名目造りのための捨て駒部隊。
正規軍の攻勢までの繋ぎのために捨てられた命を守るために傷つける日々。
今は亡き国を裏切り、ラグシュナ人の同胞を裏切る道を選んだ冒険者たちの精神は磨耗していく。
「アスガル……俺にはもう無理だ。これ以上同胞を撃つのは限界だ」
ラグシュナの元騎士、弓の名手と呼ばれた男が夜遅くにアスガルのもとを尋ねる。
「お前がやめたところで、別のものが弓を引くだけだぞ。お前ほどの弓の腕前はいない。相手側の同胞に死者がいないのはお前の腕があってのものだ。同胞の命を奪うかも知れぬ弦を他人に委ねるか?」
「ああ、すまないがそれでも俺には無理だ。これ以上は耐えられない」
ラグナシャハルの言葉はすり減った男の耳には届かない。
「ならばお前は"耳"だ」
ラグナシャハルの手から放たれた手斧が背を向けた男の顔の横で風を斬る。
男の右耳が削がれて床に落ち、血を吸った手斧が壁へと突き刺さる。
「我らは既に契約を交わし、その名を手配書に記されている。悪いが、何があろうと引き返すことは赦さん。戦うか、今この場で死ぬかを選べ」
耳を削ぎ落とされた男は流血を抑えながら床の上で膝を付いたまま、逃れられない現実に嘔吐した。ラグナシャハルは本気で己を殺すつもりだと理解して、もう後戻りはできないのだと涙を流して嗚咽した。
数日後、ようやく伯爵騎士団と兵、冒険者ギルドによって結成された軍勢が砦の付近に陣取ったその日の夜。
裏ギルドと呼ばれ始めたラグナシャハルたちの元に、鴉に連れられて一人の少女が砦にやって来た。
「こちらが最後の欠片です。始めてください」
鴉と少女を囲む裏ギルドの男達。
ある者は指を切り落とし、ある者は眼球を抉り取り、ある者は——そうして少女の目の前で男達は体の一部を次々に切り捨てると、体から湧き出る血を砦中に塗りたくるために去っていく。
青白く、虚な目をした大人の男達がひとり、またひとりと去っていくのをミカは呆然と見守り、声にならぬ悲鳴を上げていた。
なんだこれは、何が起こっている、どうしてこの人たちはこんな死にそうな顔でたくさんの血を流しながらそれを当たり前のように振る舞っているのか。理解が追いつかず、ミカは小さなぬいぐるみを強く抱きしめて震えていた。
「さあ、ミカさん。彼らの残したものをよく見るのです。その手に取って覚えるのです。指先を握りしめて。目玉をなぞって、耳朶の硬さまでしっかりと忘れぬようにその心に刻み込むのです。全ての欠片を天から与えられた貴女の力で呼び出せるようになるまで今夜は眠ることはできません。全て終わるまで、そのぬいぐるみは汚れないように私が預かってあげましょう」
「あっ……」
力強く抱きしめていた筈のぬいぐるみは、あっさりと鴉の手によって奪われてしまった。
「心配せずとも、全て終わればお返ししますよ。それに、甘いご褒美も沢山用意してありますから」
「だから早く」と微笑む鴉の異様さに、ミカはその瞬間にこの男の言うことを聞かなければ自分がどんな目に遭うのかと思考する。
先ほどまで目の前で行われていた謎の行為。大人の男達が自分の体を刃で切り裂く姿。
「あ、あ、あ……」
ミカは慌てて床に散らばった男達の一部だったものをかき集める。
そのひとつひとつを、小さな手のひらが全て記憶するまで、何度も握りしめ、擦り、揉んで、匂いまで覚えるように鼻まで近づけて、その冷たくなっていく生臭さを少女の肉体に染み込ませる。
「才ある者を集めると言っておいて、その結果がこれか」
最後までこの場に残っていたラグナシャハルが鴉を射殺さんばかりに睨みつける。
「貴方たち全員の死を偽装するのにはこの娘の才能が最も丁度良かったのですよ。それに、ちゃんとラグシュナ人の英雄候補も見繕ってあります。貴方たちが敗北し全員処刑されたことになろうとも、今後は新たなラグシュナの英雄がアルヴァリアに認められることでしょう。この地に残された民たちはヴァルメルト公爵と新たな領主となる侯爵家、そして新たな英雄の元で統治される。王都の反アルヴァリア勢力も貴方たちが死ねば争うことを諦めることでしょう。我々は敗北した。それもとうの昔に。これからを生きる若者たちに同じ過ちを繰り返させる訳にはいきません。我らは、徹底的に敗北しなければならないのですよ」
ラグナシャハルに睨まれようと、鴉はそれに怯むことなく淡々と言葉を返す。体も小さく、少し頭が回る以外に取り柄もない華奢な男が、剣聖の覇気を面と向かって受け止める。その内心がどれだけ畏れを抱いていようと、男は決してそれを表に出すことはない。
「ラグナシャハル——王国の剣よ、この国を終わらせて下さい。才無き貴方に剣を託した叔父上もきっとそれを望まれます。その為に同胞を斬ることになろうとも、必ず成し遂げるのです」




