120.停戦交渉
この約一ヶ月間、なぜフレイズ伯爵軍がやって来なかったのか。
蟲のモンスターの群れの襲撃に鬼のモンスターの襲撃。さらにはアルヴァリア王国北部から中央、南部に掛けて流れる王国の生命線とも呼べるリネリッタ川とやらに毒竜が現れたことが原因だとテルシアに聞かされる。
「おかげさまで、中央からの物資の支援が途絶え、徴兵予定の民たちはモンスターに殺されるか病に倒れ、流行病は兵や騎士にも伝染して軍の編成にとんでもない影響が出ているわ。北部奪還のために編成された軍は当初の想定を大幅に下回って三万人にも満たない。挙句、病み上がりや罹患者もいる。中央と情報のやり取りをするのにもリネリッタ川が凍りついたせいで手間がかかって交渉内容を詰めるのも困難。そのせいで軍よりもっと早くこっちに向かう予定だったのに、到着はこんなにギリギリ。私を追い詰めるのは楽しかったかしら?」
テルシアは悔しさの滲む顔でつらつらと領都近郊や中央の出来事を報告してくれるが、ちょくちょく睨まれるので少し怖くて、在庫の少ないワインの瓶を空けて酒を勧め、俺は苦笑いを堪えながら話を聞くことしかできなかった。
だって、マンティコアとかオーガの特殊個体だの群れの襲撃なんてこれっぽっちも心当たりがない。思わず後ろを振り向いてアスティに小声で「知ってる?」と聞いたら首を振られたし。
話の中で心当たりがあったのはリネリッタとかいう川に現れた竜。竜というかドラゴン型のゾンビ。これは多分フェルだろう。まさか本当に中央に辿り着くとは思わなかったが、川と聞いてピンときた。一度リスポーンしたあとにフェルがやたらと船を欲しがっていたからだ。
あいつ、コアちゃんに船は水に浮かべるものと刷り込まれていたせいで、水遊びしに行きやがったな。
「……で、そのリネリッタとかいう川が凍りついてるってのは? 今外は冬なのか?」
「そんな訳がないでしょう。竜が現れて凍らせて行ったのよ。南部で起きている竜魔のダンジョンのスタンピードにあなたもどうせ関わっているんでしょう?」
「……」
この国にあるもう一つのダンジョンって竜がいるのか。スタンピードとか全く心当たりもない。
後ろを振り返ってコアちゃんを見つめてみても白い輝きがいつもより荘厳なだけ。眩しいから光量下げて欲しい。
「申し訳ないが、南部の竜とやらは知らん。そんな遠くのダンジョンのことなんて知る方法がない。完全な初耳だ」
「どこまで信用していいのやら」
「それを言われればこちらだって、外の情報はそっちの話を鵜呑みにするしかないんだ。軍隊だって実際にはどれだけいるかわかったものじゃない」
「私に嘘をつく理由がないわ」
「欲しいものがあってその席に座っているんだろう? 交渉が終わるまでは敵だからな」
敵の軍隊に関してはもう少しすれば勝手にわかることだ。テルシアは気づいたか知らないが、道中にはイビルアイ以外にも岩に擬態したゴーレムを用意しているし、他にもダンジョンに到着する前にリスポーン時間を計算して今死んでも問題のない上層のモンスターを準備している。知能のあるモンスターが死ねば情報は手に入る。
むしろ、テルシアの話が全て本当だった場合の方が問題だ。フェルが居ると思われる川が竜に凍らされた。フェルが戻らないのはそのせいか? 氷漬けにされてはいるが死んではいない。それが一番困る。あいつはダンジョンの外で運用する前提だったのに、敵がダンジョンアタックを開始する前の削りに間に合わない。
「それにしても、随分不機嫌そうだな。元はそちらから持ちかけた戦争だろう。何があったにせよ、こちらも正式に宣戦布告はしたと思うが?」
「宣戦布告と同時に奇襲をしてくる無作法な連中はいくらでもあるけれど、宣戦布告と同時に水源に毒を撒いてくるのは人間のすることじゃないわ。あなたたちは支配が目的ではなく、ただの殺人集団なのかしら」
「そりゃ殺人集団だなぁ」
ダンジョンの仕事なんて命を奪うことしかないし……いや、そのことをちゃんとテルシアには提示した方がいいのか。
交渉内容は別として、停戦して同盟を結ぶことになるのならばこちらは人間という栄養を差し出して貰わなければならない。
それが人間には不可能だと理解しているからこそ、この話を台無しにする。もしくは、同盟を組まなければならないとしても、こちらが下になるような関係は望ましくない。より良い負け方をするためのこれまでの準備だ。
「なあ、テルシア。そちらも色々と交渉内容は詰めてきたとは思うんだが、こちらにはひとつ絶対に譲れないものがある。そしてそれは、お前やお前たちの国の人間にとっては決して受け入れられない条件だろう。それでも本気でこのダンジョンと手を組みたいか?」
だから問う。
ダンジョンと手を組むということの意味を。
富の代償を。
「……聞きましょう」
ひとつ間を置いて、テルシアが顔つきを変える。
「さっき目の前で見せた通り、俺の着ているこの服は——デザインこそはテルシアのその着ている服を見て思いついたものだが、外の世界の文明水準を遥かに超えた兵器と言ってもいいだろう。つまりは、アルヴァリア王国が欲しがっているダンジョンの産出品のひとつだ。だが、これを一着作るだけで何十人も人間を生贄にしなければならない。遠回しな言い方はしない。生贄は言葉通りにダンジョンの中で人間が死ぬという意味だ。俺たちダンジョンはその人間の死から兵器を創り出している。これを聞いて、それでもまだ混沌の力が欲しいか?」
国を守るために兵器を欲する。
力を、富を求める。
その代金は国民の命。
他国よりも優位に立つために、たかが物のために人の命を消費する。
こちらからすれば、アルヴァリア王国が何をどうしようと人が来るなら殺す。それは変わらない。
しかし、人間の国にとって最も重要な資源である人間を兵器と引き換えることに見合う価値があるのか。覚悟があるのか。
無いのならばこのまま衝突は避けられない。テルシアも殺して攻めてくる人間も全て命懸けで殺すだけ。
「ふっ、そんなの決まってるじゃない、そもそもこれから攻めてくる軍が贈呈品よ。好きに殺して貰って構わないわ。あと、私のことをアルヴァリア人扱いするのはやめて頂戴。反吐が出るわ」
俺の言葉を鼻で笑ってワイングラスの中で揺れる赤を煽る。
「ふぇ?」
それに困惑するのは、必死に虚勢を張って魔王ぶっていた——魔王だけど——俺の方である。
「え、人殺していいの?」
「ダンジョンが人を食い物にして特別な物を創り出すなんて知っているわ。隣の国が既に実行していることなのよ? そんなの私たち黒の手配書が情報を掴んでいない訳がないじゃない。そんなの全部、国王も公爵も知っていてフレイズ伯爵家に好きにやらせているのよ。それがアルヴァリア人の、ヴァルメルト公爵のやり方よ。だから私は領都で先にダンジョンマスターやダンジョンコアに手を出しそうな冒険者共を処分してきたし、万が一にあなたたちをフレイズの騎士や英雄から護るために傭兵団として、組織が動いているわ。前にも言ったわよね? 私にはあなたの奴隷になる覚悟がある。ここで人生を全て失う覚悟もあるの。それなのに……せっかく領都でフレイズに隠れて動いていたのに、あなたの引き起こした大量虐殺で連れてこられる生贄が随分減って、時間も無駄にしたわ。そうそう、南部のスタンピードのせいで英雄が王女と公女両方との婚約が成立して彼は今頃竜の相手をしているわ。だから、こちらの交渉材料のうちの生贄の人数とアルヴァリア貴族の女二人は除外されるわ。言っておくけれど、私のせいではないわ」
想定外に次ぐ想定外。
そもそもの戦争の意味が覆る。
騎士も軍も攻めてくるためではなく、取引材料だった?
それに加えて——
「は? 俺の嫁候補がラグネルに寝取られた?」
——別にもう人間の女になんて興味も無かったが、俺のものになるはずだった女が寝取られたと聞いて理性を保てるはずがない。
「寝取られるものなにも、竜の群れの中に川を凍らせるような巨竜まで出たのだから……王が慌ててあれを呼びつけるために婚姻を利用したのよ。そっちが蒔いた種でしょう?」
「違う。俺はまだ種を蒔いてない」
「否定するというのならそれでも構わないのよ? 私からしてみたらアルヴァリア人が死んでくれるのは喜ばしいことだもの」
「そういう意味じゃ……いや、そこはいい。全然良くないが置いておく」
「それがいいわね」
俺がこの世で最も嫌いなもの五本の指に入るもの。正論、水回りのトラブル、寝取られ。許すことなどできる訳がない。
しかも相手がラグネル?
あいつは俺と戦うためにここに来るはずだった。会いたかった訳ではない。
今となっては何のために始まろうとしているのか、意味もない戦争となったこの戦いで、最も懸念していたあいつが来ない。
俺を無視して、俺の女を寝取って。
頭がどうにかなりそうだ。腹が立つ、ムカつく、イライラする。ストレスで酒がただの異臭とえぐみだけのゴミのようだ。
「テルシア、俺の理性があるうちに、本当のことを話せ」
「本当のこと?」
「お前のそのアルヴァリア王国と国民に対する態度だよ。てめえ、まさかまた余計な皮を被ってんじゃないだろうな」
話し合いをしてからずっと抱いていた違和感。
アルヴァリアの使者のくせに、アルヴァリアを憎んでいるような腹に虫でも飼っているかのような態度。
「お前はいったい何処の誰だ、インポスター」
テルシア・ルビー。
こいつが本当にアルヴァリアの使者なのか、それとも……。
「私の身の上話になんて興味があるとは思わなかったわ」
「いいから話せ。全て真実を言わなければ俺は今怒りのままにお前を殺してしまいそうだ」
伯爵、公爵、王家と知らないところで他人の棲家と人生を踏み躙ろうとするゴミばかり。
これ以上他人の企みの上で踊らされるのは我慢ならない。
「総員、武器を手に取れ。こいつがまだ余計な企てをしているようなら即殺せ。さあ、テルシア・ルビー。その顔を剥がすなら自分ですることをお勧めするぜ?」
このテルシアという女、公爵とやらの企みとは別のものを抱えていることを隠しもしない。それとも、敢えて表に出しているのか、自分でも知らずに出しているのかわからないから性質が悪い。
それを知らずにこれ以上踊らされて堪るものか。




