118.決意と覚悟、そして戦慄
勝負に出る。
決意の夜が過ぎて、朝。
「シノミヤー、準備できたわよー」
「ふみゅう」
既に幹部たちが仕事に出て、一人寝室に取り残されていた俺の脳内にコアちゃんの声が響き渡る。
眠い目を擦って瞼を開けば、そこには昨晩コアちゃんに頼んでおいたものがしっかりと用意されていた。
「そうとなれば微睡んでいる場合じゃないな」
今日やると決めた。
決めたのならやらねば、後回しにして時間を無駄にするわけにはいかない。この一ヶ月の間も魔王城の内部は何も変わっていない。リビング兼書斎の机と椅子と空の檻があるだけの部屋を過ぎて、風呂場に隣接した洗面台で顔を洗う。
リビングに戻って幹部たちと揃いのバトルスーツを身につけて、その上から黒鎧を装着していく。普段は幹部の誰かに手伝って貰っているが、今日それはしない。誰の手助けもなく一人で行うから意味がある。
ちなみに、バトルスーツが既にボディアーマーでもあるというのに、何故俺だけ鎧を着させられているのかについては意味がわからないし、意味があるのか聞くのが怖い。
「あとは、こいつだけ……か」
コアちゃんに用意して貰った特注のそれをしっかりと頭に被る。
これまで、体だけは立派な装備を身につけ頭には何もつけてこなかった俺が、今回のためにコアちゃんに用意して貰ったもの——三頭のシャークヘッドを並べて中央だけ俺の顔がひょっこり出ている、名付けてサメベロスである。
この一ヶ月、サメちゃんにはこの黒光りした装備をアレやコレやに揶揄されてバカにされて来た。仕返しをしてみれば、ハンマーヘッドシャークに返り討ちにされた。
故に、俺は今日サメベロスで勝利を掴む。必ず、あの子生意気なサメをぎゃふんと言わせてみせる。
覚悟を決めて、隠し階段を下る。
今はまだ朝、シスターは無駄な祈りを、アスティはミルク搾りをしているはず。グレイスは……多分どっかほっつき歩いてるだろう。
サメちゃんは毎朝七階層の水質と水流の確認作業を終えてからコアルームに顔を出す。
コアちゃんにはサメちゃんの戻るのに合わせて合図を貰った。
完璧だ。これで俺は完璧な不意打ちでサメちゃんと遭遇し勝利する。
メスガキの誇りをへし折り、誰が本当の頂点かを見せつけるのだ。
階段の終わりが見える。
飾り気のない扉を開けば十一階層——コアルームに到着だ。
取っ手を掴む手にじわりと緊張が滲む。怯むな。これはバカになった者だ。客観的に自分を見るな。理性を捨てろ。俺は今日、捕食者だ。
「殄滅と破壊の混沌、戒めの鎖縛より解き放たれしは三頭の鮫————サメベロス、闢解」
コアルームの扉を威風堂々と開け放ち、斜に構えて左手を胸に抱き、右手を中央の顔の前に広げて添える。まさに漆黒の王にあるべく姿を曝け出す。
「カラカラカラカラ……」
瞼を閉じて修道服に身を包んだシスターが虚空に祈りを捧げる。その頭上に輝くはダンジョンコア——そしてコアに照らされた消えぬ爪痕。
部屋の片隅では牛柄ビキニがダルク用のミルクを搾り、灰色のグールはいつのまにか俺の右足に噛みついていた。
そして肝心のサメ——サメちゃん。
そのメスガキから放たれる異音。
「カラカラカラカラカラカラ……」
恐らくは第七階層のメンテナンスを終えたばかりだろう、スクール水着に張り付いた白い体操服から透ける紺。
そして、小さな輪郭と薄青の髪を覆うのはふわふわのシャークヘッド……が五つ。
中央のサメちゃん本来の頭以外の四つはゆっくりくるくると縦に回っている。
回っているのだ、頭が。
意味がわからないその光景に、俺は声を出すことさえもできなかった。
「トルネードシャーク……w」
「トルネードは縦に回らねーよ」
それ以前に言いたいこともつっこみたいことも沢山あるというのに、俺が吐き出せたのは精々がその一言だけだった。
敗北。
そのたった二文字が重く頭にのしかかる。何故だ。サメベロスの相談は昨夜誰もいないところでコアちゃんだけにしたはず。
だというのに、なぜ……まさか、俺のこの渾身の覚悟とは無関係にただボケてきたとでもいうのだろうか。
だとするならば、なんという大事故。
「俺は、俺は——大切な仲間のボケに被せちまったってことかよォ……」
悪ふざけというのに絶対的に欠かしてはならないもの。タイミング、間、テンポ。その全てを、サメちゃんが用意してくれていたその全てを俺のこのクソみたいなサメベロスがふいにしてしまったというのか。
「こんなつまらないボケで勝ち誇ろうとした結果、俺は、俺は——」
「——ごめん、ボケ被りしたw」
「謝るなっ! サメちゃんは悪くない、全部俺が悪いんだっ! こんな、くだらないネタで笑いを取れると思った俺が浅はかだったんだ! なにがサメベロスだ! 俺はクソベロスだ!」
「う、うぉw クソ舐めてそうwww」
「そこまでは言ってないわ!」
「あんたらいつまで遊んでるのよ、ちゃんとオチはあるんでしょうね?」
呆れた声の主はコアちゃん。サメちゃんコアちゃんのコアちゃんである。
「こんな大事故が起きたときに備えたオチなんて用意する力が俺にあるはずがないだろう!」
だからなんか後悔とか感傷とかそういうアレの勢いで恥を凌ごうとしているんじゃないか!
助けてよ! こんなところまで泳がす前に助けてよ! コアちゃんは俺が来る前にトルネードシャークを知っていたはずだろう!!
「サメちゃん、このバカに教えてあげなさい」
「ふっ……w シノミヤ、次はオチを考えてから、ねwww」
「ああああああ————!!」
ここから俺にはもうどうしたって巻き返す方法なんてない。
あの時落とし穴に向けて叫んだ言葉がこんなに重く突き刺さるなんて……落とし穴?
「コアちゃん、俺を落として! 今すぐに落とし穴に突き落として!」
「あんなの何度もやって面白いもんじゃないでしょ。もう撤去したわよ」
「鮮度管理が良すぎる!!」
確かにあんなの三度もやるもんじゃない。いくら冷却期間を空けたとしてもやり過ぎだ。
こうなったらもう俺にできることなんていきなり全裸になって奇声を上げながら走り回るくらいしかないぞ。
……やるか? 無駄な足掻きかもしれないがやるしかないか……ええい、悩むな。勝負に負けてオチもつけられず、これ以上何を恐れることがある? ……脱ごう。
「アィアィ」
覚悟を決めて鎧を脱ごうとした時、ポンッと空中にイビルアイが現れた。
「シスター、その無意味な祈りを止めてこのイビルアイの報告をして頂戴」
イビルアイに気づいたコアちゃんからシスターの気持ちを何も考えない冷酷な言葉の刃が飛ぶ。
「……ヒナトとその次の町との間に置いてきた個体ね。ようやくすぐ近くまで敵の群勢が姿を現したようね」
膝をついて祈りを捧げていたシスターが脚をぷるぷるさせながら立ち上がる。頬には涙が伝っている。なんと憐れな。
「シノミヤ」
「はい」
「もうすぐここに敵がやってくるわ」
「ああ」
「だからって、私がせっかく作ったサメベロスでひと笑いも取れないのは許さないわ」
「えぇ!?」
ここはなかったことにして赦される流れじゃないの!? どう考えても最優先事項はサメベロスじゃないだろう!
「何を驚いてるのよ、ヒナトより南ならまだ到着まで二、三日あるでしょう。今の問題はシノミヤがすべり続けていることよ」
すべってるって言った! 遂に言ったな! この部屋にいる誰もがそれだけは口にしないでいてくれたのについに! もういい、全部脱ぐ!
「アァアァアァアァアオホォ————!!」
「ちょっと、来るタイミング間違えたかしら」
「オホォ——あ、テルシア?」
モンスターに案内されてきたテルシアとの再会は、転生前の俺と今の俺の人生を合わせても、これ以上に無いほどに最低最悪なものだったと思う。




