115.天視降臨
領都北門に突如現れたモンスターによる襲撃の報を受けたヴィシャンは、剣を手に取り領都の方角を見た。
この練習場は領都の外、東側に位置している。北門の方角を見ても地上に立つ人間の目では、広い領都と、その壁外に暮らす人々の家屋に遮られて北門の様子が窺えることはない。
歴史を重ねるのと同時に、外へ外へと広がっていく新たな住民たちの暮らしは、必ずしも堅牢な城壁に守られているわけではない。
「剣聖殿、我々傭兵団の指揮系統はフレイズ伯爵家の下にあります」
「生憎、俺はその指揮権を持っていないが、頼まれてくれるか?」
「そちらの騎士様がお許しくだされば」
状況を把握したプリムスの提案に、二人の男の視線がフローネレイヤに向けられる。
「うっ、こちらからも願いたいが……ヴィシャン様っ」
「すまない。レイに押し付けるのは違うよな。全て俺の命令でいい。どうせ街に被害が出るより安くは済むだろう?」
「被害を止めたならば手当は多めに貰いたいものですな」
「構わん。親の財布から盗みを働くのも子の役目だ」
「ヴィシャン様!」
フローネレイヤも正規の騎士とはいえ、本来はただの騎士団所属の連絡員。ヒナトに居座ったのはヴィシャンの護衛という建前を利用しただけ。騎士も傭兵も動かす立場にはない。
それを思い出したヴィシャンの独断専行。傭兵団の長もそれに倣ってふざけるのだから性質が悪い。
「プリムス殿、死んだふりをしている彼らには悪いが起こして北門に向かってくれ。レイ、向こうにいる騎士たちにも連絡は通っているな——よし、ならレイは騎士団に合流してくれ」
「了解。おい野郎共! さっさと起きやがれ、臨時収入が向こうから来てくれてんだ! さっさと仕事に取り掛かれ!」
ヴィシャンの指示に早速と先ほどヴィシャンに叩きのめされた傭兵たちに檄を飛ばすプリムス。
「ヴィシャン様、私の馬をお使いください」
「必要ないよ、俺は上から行く」
「はい?」
馬を譲ろうとしたフローネレイヤは、ヴィシャンの言葉に困惑して思わず声が上擦ってしまい顔を赤くした。尊敬する主は今なんと言ったか。
「"天陽聖風"」
ヴィシャンの詠唱に天剣光輝が呼応する。
喚び出されたのは長さの異なる二種類の剣が四本。ヴィシャンの背から左右に二本ずつ並んだ剣が輝きを放てば、それは光のヴェールによって作られた一対の翼となる。
「先に行く」
力を込めて地上を踏み締めることもなく、ふわりと宙に浮かんだヴィシャンの姿が宙に光の線を残して消える。
「ヴィシャン様……?」
「……こりゃあ驚いたな。しかし騎士様、ぼんやりしていて構わないんで?」
「は! わ、私も先に行く!」
あまりの光景に呆けていたフローネレイヤだったが、プリムスの言葉に慌てて馬を走らせる。
尊敬する主の変貌に戸惑いを抱いている場合ではない。騎士が主に遅れを取るなど情けのない。迷いと恥を捨てて、馬の腹を蹴る。
ヴィシャンは背中に熱を感じながら、剣で見立てた鳥のような翼という冗談のようなもので飛行していることを自分のことながら可笑しく感じていた。なんという無骨な翼だろうか。地上から見上げた者たちは自分のことをどう思うだろうか。考えれば考えるほど馬鹿らしくて清々しい。
光り輝くその薄羽は美しい輝きを放っていても、実態は鎧を着た男が四本の剣で飛んでいる。
できると思ったからやった。やったらこうなった。ただ、一刻も早く現場に駆けつけようとして願いを言葉に変えた結果こうなった。
これが本当の自分の剣か。聖女の残した借り物ではない、自分と一つになった剣。意識のままに、思うがままに操れる。
——それでいい。剣など好きな物を使えば良いのじゃ。装飾も形もどうでもいい。その場で最も効率よく殺せる剣を——
胸の奥か、それとも頭の内側か。剣を撃ち合った後に、しばらく経っても耳の奥に甲高い音が鳴っているように錯覚するような声、思想。
いつからか夢のように曖昧な時を過ごすことが増え、聴こえるようになったこれは守れなかった後悔が生み出した亡者の声か、それにしても自分によく似た声だ。
「当たり前か、全て俺の弱さのせいだ」
必要とされる場所に居ない。誰も守れない。屍になった後に現れ弔いも果たせない。
剣に逃げても振り切れるはずがない。今もふとした瞬間に思い出す顔がある。聞きたい声がある。生きていることを恥じている。
それでも、知らぬ顔と知らぬ声のために戦う者でありたい。
危険を冒してでも欲しいものがある。
人々の笑顔と平穏のために、恥を晒して死ぬまで生きる。
「なんという惨状」
北門に辿り着いたヴィシャンの目に飛び込んだ光景。城壁の外の血溜まり。どれだけの人々の命を踏み躙ったのか。
「許し難い」
ヒナト跡地に前線基地が置かれるまで耐えるつもりだった。少しでも被害を減らすためにモンスターと戦い続けるつもりだった。
魔王の妨害によって負傷し、後退した結果がまたこの光景の繰り返し。
北部の民をどれだけ陵辱すれば気が済むというのか。
「これ以上、前には進ませない。天剣光輝——星葬極光刃!!」
天上より現れた英雄が鞘に眠りし聖女の剣を抜く。抜剣と同時、かつては命を捨てて作り出した圧倒的に巨大な極光の刃が腐敗した鬼の巨人の頭から股にかけて一直線に切り裂いた。
一撃。
ヴィシャンの知らぬ所で、独眼巨人と名付けられたダンジョン深層級の鬼が血飛沫を上げて大地に沈んだ。
「掃討を開始する」
大地に降臨した天陽の翼が舞い踊る。聖女の剣を手に鬼の残党を狩るヴィシャンに付き従うように、四本の天剣の光刃が埃を払うかのようにオーガの首を、腹を割いていく。
この日、北門に現れた鬼魔の群れは結局、野営地にいた騎士団と傭兵団の増援を待つことなくヴィシャンたった一人によって殲滅された。
それでも、ヴィシャンが駆けつける前に鬼魔たちと戦っていたであろう幾人もの兵士と冒険者らしき死者と難民たちの死者を合わせた数は二百を超えた。
そしてその中で唯一、形を留めていた冒険者の遺体。その者の名だけは、今回の事件と天から降臨した天視剣聖の名誉と共に領都へと広がった。
英雄が到着するよりも僅か前。
北門の城壁の上にて。
「東部の英雄の最期、思ったよりも呆気ないものでしたね」
領都の冒険者ギルドマスター、ジャック・レイブンはサイクロプスに踏み潰された男の死に様を胸壁の隙間から覗き込み薄ら笑いを浮かべていた。
「そうね。東部動乱の首謀者の最期も、きっと呆気ないものになるわよ」
「……何をっ!?」
テルシアの言葉に振り返ろうとしたジャック・レイブンの首にいつの間にか強く巻きつけられていた鞭がその喉が音を出すのを遮った。
「あんたって馬鹿よね。私と接触しないようにしていたことをペラペラ喋るなんて。そんなの人払いを済ませてるって言ってるようなものじゃない。知らなかったの? 私が冒険者を殺してた理由——狙いはあんたよ」
「あっ……がっ……」
「知ってたかもしれないけど、私あんたみたいな口先だけの男が死ぬほど嫌いなの。ま、死ぬのはあんただけどね。恨むなら自分のその汚らしい口を恨みなさいな」
「……っ……っ!!」
最早言葉どころか息さえ吐けぬ男の口から泡になった汚らしい唾だけが溢れ、解ける筈もない鞭を解こうと指先で喉元を必死に掻いている様にテルシアは気色が悪い以外の思いはない。
ジャック・レイブンの首を絞めたまま、背中に蹴りを入れて胸壁から突き落とす。すぐさま座り込んで胸壁に背を預け、男の体よりも軽い女の全体重と必死に鞭を握り締める。
目撃者のことは考えない。恐らくは脅威となるような者はいない。見られて困るような男がついさっき潰れて死んだ。外見だって変えている。もう数秒数えてさっさと姿をくらませてしまえば問題ない。だから、じたばたと生き汚く抵抗しているだろう反動がなくなるまでじっとしているだけでいい——そのつもりだった。
「お、取り込み中にすまねーっス。ああ、あーしは通りがかりなんで気にせずどぞー」
「……!?」
なんの気配も感じなかった。
二十年、黒の手配書の一員として鍛えてきた。それも、ジャック・レイブンのような謀事だけの弱者とは違う、血の滲むような鍛錬をしてきた自負がある。それだというのに、この青髪の女の存在には全く気づいていなかった。
いつから居た? いつの間に現れた? 何処から出てきた? 何故、殺人現場に現れてヘラヘラと笑っている?
そしてこの大きさ——いや、窮屈さはなんだ。
この青髪の女が現れた途端、屋外にいるというのに、まるで小さな箱の中に折り畳まれてしまわれたような圧迫感。
緊張に、全身から汗が吹き出す。手から鞭が滑り、遠くでずさりと音がする。
「あれ? 落としちゃって良かったっスか? 取って……あーいやアレもう死んじゃってるっスねー」
「……ぁ、あなた、いったい……」
「あーしはただのおつかい中の美少女っス。あ、無理して喋んなくていいっスよ。人間にはきついっスよねー。大丈夫っス。今日は殺せないんでー安心していーっスよー。あーしはただ、昔の知り合いの亡霊さんを看取りに寄っただけっスから」
突然現れた青髪の女は、にへらと笑って胸壁に肘を置いて城壁の外で行われている殺戮を楽しそうに眺めている。殺人者の隣で。
——殺す? この青髪の女が私を殺す? 上級冒険者でさえ簡単に殺すこのテルシア・ルビーをこの小娘が?
本来ならば、舐めた口をすぐに黙らせられるはずだというのに、何故か体は震えるばかりで動けない。死体を吊り下げていた格好のまま、壁に張りついたままで膝を抱えて蹲っている。
——これではまるで、二十年前の子供と同じではないか。
「あー、鬱陶しい蠅が飛んできたっス。残念、もう終わりっスね。あ、そこの人間、ちょうどいいからこの戦いが終わった後にあーしがあの鬼のことを忘れてたら教えて貰っていいっスか? お礼にさっき見たことは黙っててあげるっス。ま、話す人間なんていないんスけどねーアハハ」
蠅とはなんだ、この青髪の女は何を言っているのか。意味が分からず、テルシアはなんとか震える体を動かして胸壁の隙間から壁の外を覗く。
そこには、まるで天陽天視が翼を生やして大地に降臨したかの如く現れた英雄と、光り輝く聖剣が鬼の群れをたった一人で打ち滅ぼしていく姿があった。特殊個体は既に倒れ、霞のようにその姿を消していく。そうして、あっという間に特殊個体の配下の群れも英雄と、意思を持ったかのように舞い踊る剣によって駆逐されてしまった。
「あー、やっぱりかー。アハハ、本当……最後だったんスねー、兄貴の言うことはやっぱり正しいっス。っんで、あーしはこれを指を咥えて見てられるんだ——って、あ。人間、さっきの話覚えてるっスか? あの光る蠅に殺されたの、どんなやつでした?」
「……鬼よ、体の半分が腐って隻眼になった鬼の巨人と、オーガの群れ」
たった今、目の前で起こったことをこの青髪の女も自分の目で見ていたというのに何を知らないふりをしているのか。疑問は言葉になる前に飲み込んだ。
「……はぁー、そっスか。鬼魔っスね。鬼魔、鬼魔……鬼魔っと。よし、覚えた。じゃー、あーしはもう帰るっスねー」
「え? あ……」
青髪の女はテルシアの答えを聞くと、深く息を吐き出して遠くを眺めたあと、ひらと手を振ったかと思うと、既にその場から居なくなっていた。
青髪の女が消えたあと、圧迫感から解放されよろめきながら立ち上がったテルシアが女の立っていた場所を見ると、城上の通路は罅が走り今にも崩れ落ちそうになっていて、実際に胸壁の一部がガラリと音を立てて崩れたのを見て、テルシアは逃げるように慌ててその場を後にした。




