113.サイクロプス
——領都フレイズ北門。
傭兵の装備に着替え北門の城壁に潜り込み城上の胸壁の間から北を睨むのはテルシア。その視線の先には疲弊した難民の群れとそれを保護する為に集められた兵士。そして腐敗したオーガの群れ。
オーガを従えているひときわ大きな巨人とも呼べる特殊個体は縦に大人の男五人分程の体高。体の右半分は腐敗し右目も溶けた隻眼。まるで神話の時代やダンジョンの深層から現れたかのようなそれは独眼巨人とでも呼んだ方がお似合いだ。
挑む兵士たちが皆、大声を上げているのは己の体を鼓舞しているのだろう。自分たちの五倍はある鬼の巨人に挑もうとしているのだから、正気ではいられまい。
そして挑んだ果てにはただ大地を踏み締めるだけの行為に生を潰され、床に落とした塵を払うかのように雑に鬼の巨人の手に払われて硝子のように割れて飛んでいく。
こんな戦力があのダンジョンにあったであろうか。だとしても、ならば何故あれらは腐敗しているのか。腐敗と毒を撒き散らす竜の味方ではない? ヒナトの冒険者ギルドに潜入していた時のことを思い出す。蟲魔と鬼魔。いずれも昔から時たま現れるモンスターである。それにしてもこんな巨大な個体は見たこともないが……それを言うのならば他の街を襲ったというマンティコアの報告にも一体特殊個体が存在していたか。
ならば北の森でダンジョンと在来のモンスターで縄張り争いでもあったと考える方が正しいか?
頭を働かせつつもこの戦闘にどう介入すべきかを同時に考える。
このまま兵士に任せたところで被害は増える。しかし、北から降ってきた難民を始末してくれるのならそれは有りだ。疫病のことを考えれば街に入られるよりはここで死んで貰った方が後の手間が減る。
とはいえ、あのオーガの群れと特殊個体をどうにかしなければ門が破られる。介入して得られる価値とリスクは釣り合っているか。
「おう、嬢ちゃんそんなところで何ぃしてやがる。ここは危ねぇ、早く逃げろぉ」
「……!?」
背後からの声に兵にでも見つかったかと振り向いて、驚愕する。
皺だらけの老いた顔、顔の下半分を覆うマスクとも呼んでいいのかもわからない固定器具。分厚い体に太い四肢、得物は二つ。大楯と戦鎚。
バルザーク・ベルモンド。ヒナトの冒険者ギルドマスターと、そして——
「どうぞお気にならずにお嬢さん。こちらはマスターベルモンド、ヒナトの冒険者ギルドのマスターです。ああ、私はマスターレイブンと申します。領都フレイズのギルドマスターですよ」
「え、ええ……そうなの。変わった顔をしていたから少し驚いてしまったわ」
「彼は少し前に顎を負傷してしまいましてね。強めの鎮痛剤を飲ませていたのですが、いつの間にか強い酒まで飲んでいたようでして……まあ、戦力であることは間違いありません」
——酩酊したバルザーク・ベルモンドを……二十年前と同じ言葉を吐いた男を連れてきたのは、領都フレイズのギルドマスターレイブンであった。
「酒なんざ飲んじゃいねぇよ。おい、あのデカブツを叩き潰してくりゃあいいんだろう? さっさとその首根っこ掴んでる手を離しやがれ、逃げもサボりもしねぇからよ」
「戦闘から逃げるとは思っていませんよ。最近はすぐに姿を消す癖があるようだったので無理矢理連れてきただけです。意思があるなら、守ってくださいよ。この城壁が落ちたら中にいる人間にどれだけの被害がでることか。この壁は、この門は、必ず守らなければなりません」
「壁……門、守らなければ。救わなければ。これ以上、犠牲を出さないためにも……だぁうらぁっ!!」
鬼の巨人の頭よりも高い位置にある城壁から、雄叫びを上げながらバルザーク・ベルモンドが飛び降りる。重装備の大男が降ってきたことで地上に砂が舞う。
「……ちょっと、アレはなんなのよ」
「うちの最高戦力ですよ。どうにも最近、有力な冒険者が失踪してしまいましてね」
「それであんなのしかギルドは出せなかったってことかしら?」
「あれで十分でしょう。あれで勝てないなら本物の英雄を頼ればいい。彼はどうやら北で新しい傷を作りすぎたようです。二十年前の痛みの上に、三万人都市の壊滅。長年守ってきた開拓村の人々が攫われていくのを前に何もできなかった無力さ。積み重ねられた傷口が古傷を抉って、彼にはもう、ここが最期の舞台に丁度いいでしょう」
地上に降りてオーガの群れに向かって突撃していくバルザークを見下ろしながら、レイブンは哀れみを含んだ笑みを浮かべる。
「最期……? まさかこんなところで使い潰すつもりで生かしていたなんて言わないわよね」
「そのつもりはありませんでしたよ? しかし、見ての通り彼は壊れすぎてしまいました。毎日鎮痛剤を菓子のように齧り酒を呷る。最近は冒険者殺しの犯人を探すと言いながら、幻覚を追いかけていましたよ。なんでも、捜査に出る度に小さな女の子に邪魔をされるらしいですよ『この先に行かないで。行っちゃダメ。殺さないで』と追い返されるそうです。どこにいっても、必ずそのお嬢さんが邪魔をして犯人に辿り着けないんだとか……まったく、これでも私はバルザークとは長い付き合いなんですよ。友人とは思っていませんが、同胞としては死なせてやるべきだとは思いませんか?」
同胞——東部出身の冒険者でアルヴァリアの英雄。裏切り者と裏切り者に作られた精巧な作り物。
「それとも、テルシアさんはその手で彼を殺したかったですか? 二十年前——砦の門の前に立ち、破壊されるために手を加えた壁に彼を誘き寄せる為に戦場に捨てられた貴女としては……」
「それ以上無駄口を叩くのはやめなさい。黒の十一。戦場に出ることのないお前があの日のことを語るな」
「おっと、これは失礼。怒らせるつもりはなかったのですが」
バルザークが去ったからと口の軽い男だ。テルシアは昔からこの男のことが好きになれない。好きになるつもりもないが、これが本当に仲間だと思いたくは無い。
「ところで、さっきの話」
「二十年前……のことではないですよね。どれのことでしょう」
「開拓村の話よ。その情報はこっちには回ってきていないのだけど?」
「ああ、それについては私が直接バルザークから聞き出したことでして、網には伝えていませんでしたね。英雄か騎士のほうから話が回るかと思っていましたから」
「ちっ、じゃあフレイズは知ってて握りつぶしたのね」
「開拓村の人間が人質にされているからと公表したところで、民からは何故助けに行かないのかと不満が出るだけでしょうから、時期を見たのかもしれませんよ」
「そう思うならお前が情報を回すべきでしょう」
「勘弁してくださいよ。冒険者を殺し回っている貴女にギルドマスターの私が接触する訳がないでしょう。バルザークの見張りもしていたというのに。貴女は自分の計画に夢中になって人間社会というものを甘く見ています。何処にでも潜入していつの間にか居なくなる。そんな生き方をしているから、人間の思考が理解できなくなってしまうのです。彼を見てみなさい。街を守る城壁、決して通してはならない門。それを守る為に戦う姿はまさに、あの日……二十年前に英雄になり損ねた彼が夢見た自分なのですよ。彼が守っているものは何か貴女にわかりますか?」
「……」
テルシアはジャック・レイブンの問いには答えなかった。地上でオーガの群れに立ち向かい、必死に城壁を守る男の姿を重ねたくなかった。
「あれは貴女を守る為に自戒と自制を捨てた英雄の姿です。今の彼のような人物を人間社会がなんと呼ぶかご存知ですか?」
「さっきから問いかけばかり。そういう粘っこいところが嫌いなのよ」
「くく、正解は——正義の味方ですよ。ほら、彼は決して誰も門の内側には入れるつもりが無いようですよ。いったい、彼の目に映る少女に何を言われているのでしょうね」
地上に堕ちた英雄は、まさにテルシアの望み通りに疫病を持ち込むかもしれない北方の人間も魔物も見境なく、誰一人街に入れまいとその戦鎚で殺戮を繰り広げている。
二十年前と変わらず、バルザーク・ベルモンドという男はテルシアの望みを叶えている。
裏切りと裏切りが交錯し引き起こされた東部動乱。計画にちょうど良い天賦の才を持っているからと選ばれた何も知らない冒険者。
罠とも知らず、年端もいかぬ少女を大義の為に殺したと思い込んでいる哀れな男。
英雄に祭り上げられ、多くの人間を殺す役目を押し付けられ、最後に暮らした街では友人も仲間も部下も目の前で失い、テルシアの知らぬうちに壊れた男。
常に誰かを守ろうとして、殺人者に仕立て上げられた男の一生が……終わる。
「あっ」
赤いサイクロプスの重い拳に叩きつけられ、大楯が砕けた音に思わずテルシアの喉から声が漏れた。鉄と骨が砕けて、たっぷりと水の詰まった袋の破れる音がした。




