104.破顔微笑
フレイズ伯爵領各地や近隣の寄子、さらには王国中央から届けられた積荷が領都を出入りする。
木材や医薬品は本来ならばダンジョン攻略のための野営地づくりのために集められたものだが、その殆どがフレイズ伯爵の命によりモンスター襲撃被害に遭った町や村へと送られていく。
死に体で戻ったヴィシャン・ラグナロウ・フレイズの容体はそれほど悪くないらしい。たった数日の療養のあと、領主邸にて剣を振っているのが目撃されている。
相当な重体という情報だったのは誤りだった可能性も否定できない。
番号を持たない連中はつくづく役に立たないものだ。情報のなかに結果に至るまでの過程が足りない。秘匿組織とはいえ、今回の任務の重大さを理解しているのならば、命を投げ打って取り組む姿勢が求められるというのに。
「不満そうだな? また髪の色を変えたのか?」
「似合うでしょう? 化粧も変えたのよ」
「そんな表情を浮かべていれば、化粧の違いなどわからぬだろう」
「目を養いなさいな」
領都の外。騎士団と共に演習を行なっている王都の傭兵部隊を率いる男——プリムス・ブラックとの密かな会合。
「あまり街中で殺しをするな。隠蔽するのに部下が苦労している。ギルドも相当に苛立っているぞ。何しろ東の英雄が滞在しているからな」
「冒険者なんて無秩序な連中、ダンジョンに向かう前に調教を済ませないと本気でダンジョンを攻略されたら堪らないもの。それに……ベルモンドの爺がいるのに、貴方こそ何故殺さないの?」
「あれは東部動乱の象徴だ。生きていてこそ価値があるというもの」
「二十年も前に仕立て上げられた英雄に価値? 冗談じゃないわね」
「冗談ではない。殺すことはいつでもできるが、生かして使うことは難しい。だからこそ我らが存在している」
騎士団や傭兵たちがうろつく演習地の只中で交わされる内容とはとても思えない会話が、まるで偶然出会った友人が世間話をしているかのように笑顔で交わされる。そんな二人を視界に収めても気にする者はいない。
「ところで、そっちはどうなっているの? 爺はともかく、復興なんて後回しでいいでしょう?」
「雇われ傭兵の俺にはどうにもできんよ。どうやらフレイズの息子が口を出しているようだがな」
「それよ、網の情報では瀕死だって聞いていたのに」
「魔法薬の話を持ってきたのはお前だろう? 残りでもあったのではないか?」
「……魔王がわざわざそんなことを?」
「それこそ知らんさ。そも、伯爵家の息子が死んだというのもお前から聞いた話だ。こちらが疑いたいものだよ」
周囲に二人の正体を気取られてはならない。それがわかっていて尚、テルシアの目に怒りの感情が宿るのをプリムスは感じとる。
「感情が目に出ているぞ。半人前でもあるまいに。そもそも、死んだ後にどう生き返ったのかの過程もなく、突然に魔法薬だの蘇生だのと言われて素直に信じる訳がなかろう。過程が足りない話は好かん。まあ、雇い主たちのウケは良かったようだがな」
「……っ!」
「はあ……お前はもう戻れ。軍部の動きがあればまた伝令を送る。しばらく殺しは控えろよ」
「間違いのない正確な情報を頼むわね、黒の一」
演習地に稼ぎにきた娼婦に扮したテルシアは、別れ際にプリムスと軽い抱擁を交わして耳元で男の名を呼ぶ。自らを含めた組織を率いる黒の一番目に敬意と、苛立ちを込めて。
新たな潜伏先にテルシアが戻ると、一通の手紙が置かれていた。
王の目——ヴァルメルト公爵からの許可証と、王が魔法薬に興味を示しているという内容のものだった。
詳細な効能や効果時間はいつまでか、何度使えるのかなど、得られる限りの情報を取ってこいとのご命令だ。
魔王との契約の対価についても多少触れられているが……主要なものは三つ、命と女と安全保障。他に求める品や技術があれば聞いてこいと仰せのようだ。そも、ダンジョンが生み出す富や不思議な技術、強力な魔法の武器や薬を求めているのはこちら側。今回生まれたダンジョンマスターが人間の魔王だったからこそ話が通じているに過ぎないというのに……いや、人間の魔王だからこそアルヴァリア貴族たちは、王国や貴族の言葉を過信しているのだろう。
「結局、一番手っ取り早いのは武力で脅して保護をする自作自演でその他はおまけ。実行する身にもなって欲しいものね」
手紙を蝋燭の炎につける。灰になって散っていく前に最後の有効活用に手紙についた炎で葉巻に火をつけ、寝台に仰向けになって沈む。
質の悪い寝台にも冷えて乾燥した空気にも、もう大分慣れてきた。
家族も友も仲間も国も裏切ったあの日から、平穏な夢を見られる夜など訪れない。
ドアが強く叩かれる。
「シンシア、戻ってきたなら客を取りな。今夜の客は兵隊さんだ、無礼なことをするんじゃないよ」
潜伏先——娼館——での仕事の時間だ。
プリムスに会うのに便利と選んだが、今夜の相手はアルヴァリア軍人か。
——しばらく殺しは控えろよ。
つい先ほど忠告されたばかりの言葉が脳裏に過ぎる。軍人相手は好きではない、やつらは愛撫というものを知らない体力と威勢だけのクズばかり。
「飯事縫包」
現れたのは小瓶に入ったぬめり薬。
夢も希望もない小さな宝物に笑いが漏れる。
宝物なんて偽物だ。
心は観客席へ、身体は役者へ。
照明のない舞台から降りて、舞台へ上がる。
野暮な服を脱いで、裸の女の内に薬を塗りたくる。
裸体が透けるほど生地の薄い安物のドレスを着たら、男のいる部屋に入っておままごとが始まる。
身につけたばかりのドレスは入った直後に剥ぎ取られ、ただ声を上げて鳴くぬいぐるみになる。
——夜が来て、夜が過ぎる。朝が来て、こびり付いた穢れに皮膚が攣る。
「飯事縫包」
現れたのは小瓶に入った少量の毒。
自分の腹を守るための毒を煽り、小瓶を投げ捨てる。
身体を清めたら、心を舞台に取り戻さなければならない。何度も繰り返してきた行動を、意識せずとも肉体は覚えている。
遠くで涙を流して嘔吐する観客に、戻ってこいと儀式をこなす。
テルシア・ルビー。
裏切り者の敗北者。
今日も勝者の奴隷として女は女を纏う。
頬を高くあげて三日月のように嗤うのは、いつから癖になったのか——それはテルシア自身も覚えていない。破れた顔の数など数えはしない。




