103.マンイーター
その日、領都フレイズ周辺の村や街はモンスターの群れに襲撃された。領都とヒナト跡の境に現れたのは人の顔をした獅子と蠍の尾を持つ紅色の怪物マンティコア。その他にも毒を持つ大蜘蛛や鋼のように硬い大蟻に巨大蜂、石の壁を両断する蟷螂といった虫型のモンスターの群れである。
本来ならば北部でも辺境と呼ばれる北東部の山に暮らすそれらは、過去にも何度か人里に降りてくることはあったが、その度に冒険者や騎士たちによって犠牲を払いながらも討伐されてきた。
一匹や二匹なら。十を越えればただの冒険者や騎士には荷が重い。騎士団を数十名集めるか、C級以上の冒険者が相当数集まらなければ相手にならない。もしもそんな状況になれば、北部で唯一単独でその群れを排除できるエルフの魔法使いに依頼をするしかない。
そしてそのエルフは既に人間たちの間では死んだものとされている。頼れるのは北部に棲む人間しかいない。フレイズ騎士団。騎士団長を失い、副団長が暫定的に団長を務める精鋭たちは、運良く領都に集い一千人規模での訓練を行なっていた。
領都の冒険者の一部も襲撃の対処に当たるが、冒険者ギルドは精鋭をダンジョンに送り失っている。
結局、救えたのはそれなりの防壁を築いていた街だけ。いくつもの村がモンスターの襲撃により壊滅し、騎士団と冒険者は八百名近い死者を出しながら事態を収めることになった。
最も多くの被害を齎したのは他のマンティコアの三倍の体躯を持ち、全身を獅子の体毛ではなく蠍の甲殻に覆った紅黒いマンティコアの特殊個体である。たった一匹で街を一つ半壊させたこの個体が奪った命は、民間人を加えれば一千を超える。
何故このような凶悪なモンスターが突如現れ人里を襲ったのか……まるで殺すことだけが目的とでも訴えるかのように殺した人間の死体を喰らいもせずに暴れていたのか、人間たちはその理由を知ることはなかった。
本来であれば、ついに市民にも公にされたダンジョン開発のために領都に集められた騎士や軍人、噂を駆けつけて集まってきた王国各地の商人たちにより賑わっていたはずの領都は、近隣の街の復興のために集った人員と物資を消費することとなる。
ダンジョンの確保開発はアルヴァリア王国民の夢である。特に、それが己の暮らすフレイズ領が中心地となるとわかれば領民たちが期待に湧かないはずがない。
そのタイミングに起こった悲劇。逃げ延びた難民が語る惨劇。市民たちはまだ見ぬ発展の先の富を夢見ていた顔に冷や水をかけられたかのように消沈していた。
——一部のお気楽者どもはそれでも尚、自ら軍に志願しモンスターへの復讐心を謳いながらダンジョン攻略のために戦うのだと声高に叫んでいたが。
激しい喧騒。人の声だけではない。本来の用途とは別に多くの物資が忙しなく出入りする。足りなくなった物資は王国中央から支援が届いているが、落ち着くまでにどれだけかかるか。
ダンジョン攻略主力のフレイズ家の騎士団が多勢死んだのも予定外。さすがに中央も人材までは派遣しないだろう。あくまでも使い潰して構わないのは北部の人間だ。
アルヴァリア王国において、唯一他国と隣接しておらず、未だ開拓中の辺境。民族同化は進んでいるが、完全ではない。王と王の目は……ダンジョンを手に入れた後には恐らく、アルヴァリア人による本格的な統治を狙っているのだろう。
だからこそ、今は表では動かない。力を内に貯め、その時を待つ。その時、というのがフレイズ伯爵家にとってどんな未来かは想像に容易いが……はぁ、こんなことばかり考えても仕方がないわね。
癖のある赤毛と櫛で格闘しながらホテルの窓から街を見下ろすのはもうやめだ。
今日はどうにも新しい髪が言うことを聞かない。頭巾でも被って髪は隠そう。
どうせ外に出ると言っても顔を合わせるのは黒の手配書に名前も載ってすらいない小物たちと情報を交換しつつ、市場の流れを確認するだけだ。
「まったく、まさかこれもダンジョンの仕業じゃないでしょうね……」
テルシア・ルビーはダンジョンマスターから別れ際に数本頂戴した葉巻に火をつけて窓枠に肘を置いた。
計画に遅れが出ている。
ダンジョンでダンジョンマスターと話した時には前向きな答えを貰った。雇い主との連絡は組織の網を使用することも許されている。
それだけ雇い主も今回のテルシアの潜入工作を評価しているのだ。王都で雇い主側の主張がまとまればダンジョンに向かい交渉するのが役目。
しかし、今回の被害で国内の物流は混乱し、ダンジョン保護否定派の妨害も煩くなるだろう。
……ダンジョンに戻れるのはいつになるかしらね。
フルーツの香りのする白い煙を窓の外に吐き出せばふわりと解けるように消えていく。
テルシア・ルビー、天賦の才に頼ることなく自身の技で変装の技術を磨き上げた女もまた、いつも何かその姿を雑踏の中に溶け込ませていた。
「おっと、悪いな」
「お構いなく」
雑踏の中、すれ違いざまに肩をぶつけてきた男に愛想を振り撒き路地裏へ。
人目につかぬように、渡された紙をこっそりと開いてみれば、モンスターに襲われた街のひとつにヒナトのギルドマスターと深手を負ったフレイズの長子が現れ宿を取ったとのこと。他にも一人騎士を連れているようだが、それはたいしたことではない。どうせ、フレイズ伯爵が帰還しない息子と連絡を取るために送ったエメル家の娘、フローネレイヤのことだろう。女の癖に騎士として認められようと男に混ざり、フローネと呼ばれることを拒んでレイと呼ばせている変わり者。バルザークの爺と英雄に比べるにも値しない。
「女にとっての一番の武器は女であることなのに、バカな女」
街中で火を付ける訳にもいかない。読んだ紙は適当に破り、どこかの間抜けが桶でもひっくり返して作った水溜りに放り込む。あっという間に泥を吸って汚れたのを確認して再び表通りへ。
部下からの情報ではヒナト跡で何があったかまでは分からない。もしかすれば、ただヒナトから帰還しようとしてモンスターの襲撃に遭ってしまったと考えるのが妥当だが……あの爺と英雄はあの場所に拘っていたことは確認済みだ。
とうに守ることに失敗して死なせた人間の、滅んだ街の何を守るというのか。疫病の発生を防ぐために街を燃やすなどと理屈をつけて残っていたはずだが、見張らせていた部下の定期報告の殆どは辺境村のために獣やモンスターを間引きしていたという内容だったが、果たしてその目的はどうしたのやら。
いずれにしても、北部で何か異変が起きていることは間違いない。
状況が変化し、情報が不足すれば、王都からの指示もまた変更があることだろう。
まずはフレイズ伯爵家の金の使い道を調べなければならない。ここでダンジョン攻略を後回しにされて復興優先に舵を切られてはたまらない。
騎士団や軍の情報は潜入しているプリムス・ブラックと一度合流してみるしかなさそうだ。
王都にもダンジョンマスターにも適当な情報を届ける訳にはいかない。これは多くの命を賭けた重大な交渉なのだ。失敗は許されない。
モンスター襲撃の騒動の中、喧騒の止まない領都の人混みに溶け込みながら、テルシア・ルビーは歩みを進める。
まずは襲撃を逃れた組織の連中に北に新たな網を作らせる必要がある。
思い描く理想の戦争の絵図に少しばかり手を加える必要がありそうだ。
街の風景に溶け込んだ女はするりと冒険者ギルドへと入り込み、自称この街一番のパーティを率いる男が酒を飲んでいるのを一瞥して、頭巾を外す。
胸元で止めていたボタンが外れて豊満な膨らみが顕になれば、まるで突然咲いた花に男どもの視線が集まる。
「やあ、何か困ったことでも? 俺でよければ力になるぜ?」
「……本当ですか? それは助かります。こんな強そうで……ご立派な殿方に声をかけて頂けるなんて夢のようですわ」
不安気な俯き加減から、男の顔を見上げる瞬間に潤ませた瞳を細めて一雫。頬に熱の籠った微笑みを浮かべて縋るように見つめれば、頬を伝った雫は首筋をなぞり胸の谷間に甘い蜜。
男の手を取り胸元へ、押し当て伝える柔軟な不安で包み込む。女の不安に男が期待を膨らませて笑うのが見えたのならば、夢を搾り取る準備は整った。
契約の場の邪魔になる民間武装組織の処分を進めよう。




