100.北部侵攻-Stampede-
この世界で天陽と呼ばれる恒星の光が世界に色彩を与えていく。
夜の闇が払われ人間たちが光に守られ平穏を手に入れ目を覚ます。
「そんなことをアタシたちは赦しはしない。奪ったことも知らず、霞み、薄れて消えて混濁に沈むのはもう終わりだって教えてあげる」
ダンジョンマスターとダンジョンコアによって作られた三人の守護者に与えられた揃いの黒装束。アラミドだかなんとかゲルだかよくわからないもので作られた体によく馴染み動きを阻害しない薄く頑丈な服。ダンジョンマスター曰く「ナノがすごい」らしいそれがこの場の指揮官を任された証。悪魔侯爵令嬢・シスター……なんでシスターなのよ——ともかく、この作戦で最も重要なポジションを任せられたのはこのアタシなんだから、務めを果たすとしよう。
「フェル、先頭はアンタよ。武器を持った戦闘適齢期の男は最悪殺してもいいわ。それ以外の人間は老若男女構わず全員捕獲。生きてさえいれば片腕片足くらいなら切り落として結構。さあ——踏み潰すよ」
「ヴォォォォ————ッッ!!」
ダンジョンよりもさらに北に配置されたアタシたちの役割は単純。森の存在する北東側とは反対の北西部の開拓村の蹂躙。
空から見下ろせば平坦にも見える巨大なネクロフェルワイアムの背中には背骨を丸ごと竜骨に見立てた木製の船が載せられ、その中にダンジョンの第一階層から第五階層までのモンスターが五百匹乗り込み、フェルの咆哮に合わせて雄叫びをあげている。
最初の村を見つけたフェルが毒を使うことなく、村を囲う低い丸太で作られた木の柵を破砕し盛大な土煙を上げてあっという間に村の中央まで突き進む。
船から飛び降りたゴブリンやスケルトン、オークたちが一斉に村人を襲撃し、家屋を一つ残らず検分していく。コボルドたちは村の外から逃亡者が出ないように広がり包囲する。
イビルアイたちはアタシの指示で展開し、獲物を見逃さぬように空中を飛び交う。獲物を見つければイビルアイが騒ぎ立て、地上のモンスターが捕獲する。抵抗されることもあったが、イビルアイのデバフがあれば下位のモンスターでも只人如きに負けはしない。
「最優先に積み込むのは人間。次に食糧よ。鉄や金銀は捨て置きなさい。そんなものはダンジョンには無限にあるわ」
これから今日一日を掛けてどれだけ多くの村を襲い略奪できるか。
情報伝達の遅いこの世界ならば一日という短期間でなくとも構わないだろうに、ダンジョンマスターは一日で事を進める事を強く主張した。
アタシが偵察で見た限り、これだけの集団を相手にできるような人間の軍隊は南の領都にしか存在しない。それでさえ、情報が伝わるのにはかなりの時間が掛かるはず。そこから軍を動かすにしても数日どころかひと月要してもおかしくない。
「そんなにラグネルってのが怖いなんて、あんなのがアタシのマスターだなんてがっかりね」
悪魔に修道女の真似事を強要する悪魔的所業は評価する。対象がアタシでなければ。
けれど、女を侍らせて遊んでいるばかりのあの男に運命を託すだなんて、ダンジョンコアもおかしな真似をする。
「ま、それでも仕えた王が愚かな方がやりがいもあるってものよね。アンタたち、ここが済んだらすぐ次に向かうわよ! イビルアイは展開して周囲の索敵! モンスター共は監視以外は船から降りてここから先は走りなさい! 方舟の定員には限りがあるんだからね! アンタらは死んでもいい命、使い捨ての駒! 褒美は蘇ってから受け取れるんだから躊躇せず死になさい! 進め——!!」
「ヴォォォォォォォォォォ!!」
「ふふ。モンスターの洪水から人間たちの命を救う方舟。なんて冒涜的なのかしら」
空から見下ろし、指示を飛ばせば全てが思いのまま。はやく、もっとたくさん。時間が惜しい。この船から溢れるほどの家畜を集めなければ。
爪痕のダンジョンが存在する森は、北から東へと連なる山脈によって塞がれているのです。
ダンジョン周辺の獣たちは既にかなりの数を減らしています。アスティが聞いた話では、辺り一帯を支配していた主との戦闘に巻き込まれて数千の獣が殺し合いをしたらしいです。
さらに、つい先日丸一日かけてグレイス様が狩をしたということもあってダンジョン周辺には危険な敵は存在しないのです。
「アスティにはコボルド部隊を率いて森を行けるところまで南下して欲しい。殺せるようなら殺していいけど、時間効率を考えて殺すのに手間をかけるよりはダンジョンから遠ざけるように押し込んで欲しい。この森は全て俺たちの縄張りだということをこの森の全ての生物に叩き込んでやれ」
それが飼い主様からのご命令です。あとは……そう「なるべく森の外に追い出すように」とも言われたのでした。
「もぅ〜……殺しちゃったほうが早いと思うのです」
アステロペテスとルナボルトで大抵の獣は焼け焦げて死んでしまいますし、せっかく母さまに作って貰った特製の斧を使う機会もありません。
「コボルドさんたち、生き残りがいたらとどめをさしてあげるのですー」
「わんわんっ!」
飼い主様からアスティの速度について行けるのはコボルドしかいないと言われたので連れてきたのですが、彼らはあまり強くありません。
けれど、こうして雷撃でスタンさせた相手を噛み殺すくらいなら簡単。さすが、飼い主様と母さまを守り続けた第一世代の長が率いるコボルド部隊なのです。
「どんどんいきますよー! ルナボルト!」
大型の敵にはアステロペテス、小型や鳥の群れには網目に広がるルナボルト。飼い主様はハチドリの群れが厄介だと言っていましたが、アスティの敵ではありません。所詮鳥さんは雷撃よりも早くは動けませんからね。
「夜にはダンジョンに戻らないといけませんから、陽が沈む前までにいけるところまで行くのです」
ダンジョンを出発してからずっと雷撃で大きな音を響かせながら走り続けているけれど、この森は思ったよりも広いようで終わりが見えません。
南に下れば下るほど、出てくる敵も種類が変わって野生化したモンスターまで出てきました。
「これはマンティコアですか……いったいいつの時代からこの地を彷徨っているのか知りませんが……還帰る場所を失ってしまったのなら……せめてこんなところにいないで、死命を果たすべきなのですよ!」
アスティは殺しはしません。あなたたちモンスターの役割は人間を殺すことでしょう。さあ、森から出て行きなさい。人間を殺しなさい。
「それさえも忘れたというのなら……もう、無意味な死を迎えることになるのですよ」
母さまから頂いたハルバードを構える。
違う主に仕えた者であったとて、貴方にどれだけの孤独があったとて……この場は既に混沌の支配地なのですから。
ヒナトと呼ばれた街があった。
ほんの数日前までは確かに街と呼ばれ、多くの人々が暮らしていた。それなりの歴史、文化、交流。時に衝突し、分かり合えぬことがあっても乗り越えてひとつの街として賑わっていたその街は、今では黒の雄鹿の死と共に撒き散らされた数万の躯が瓦礫の上に撒き散らされた地獄と化している。
そんな街に向かって、よたよたと覚束ない足取りで歩く一人の娘。
何度も縫い直されたツギハギだらけの古着に、素足で土の上を歩く様はなんとも痛々しい。
「おい! そこの娘! 何処から来た! まさかこの街の生存者がまだいたのか!?」
「……」
そんな娘に声を掛けたのは長槍を背負った騎士鎧を身につけた女。
「どうした? 返事は……怪我をしているのか?」
「…………」
何も言わない娘に女騎士が近寄ってみれば、娘は口をパクパクと動かしているのに声が出ていない。自分の声が出ていないことに気がついているのだろうか? 女騎士は娘の喉に触れてみるが、傷はない。
「失礼。少し服を捲るぞ……うっ、これは……」
「……」
服の裾を少し捲れば、見えたのは腹や胸に刻まれた痛々しい縫合の跡。同じ女としてあまりにも哀れな姿に女騎士は言葉を詰まらせる。
「……」
「あ、ああ。済まない。他には、特に大きな怪我はないようだな? 肩を貸そう。もう少しだけ頑張れ、我々が拠点にしている場所がある……ひどい場所だがな」
「……」
女騎士の浮かべた苦笑に、それでも一人このまま孤独でいるよりかはマシだとばかりに娘が笑みを浮かべて、震える腕を女騎士の肩へと回す。
「私はフレイズ伯爵家の騎士だ。安心していい。辛い経験、辛い物を見たのであろう? この地にはそんなものばかりだ。しかし、ここにはヴィシャン様がおられる。ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズ。聖女ラグナリア様の名を王より授かった偉大な英雄で私の仕える伯爵家の長子様だ。ヴィシャン様はお優しいぞ。平民であっても差別をすることはない。どんな脅威からも守ってくださる強いお方だ。私もそんなヴィシャン様に……おっと、すまない、話しすぎたな。何、緊張はせずとも良いぞ。さっきも言った通り、ヴィシャン様は貴族ではあるが、怯える必要はない。私も側にいる。安心するといい」
「…………」
「うーむ。礼を言っているのだろうか?」
女騎士は娘を安心させようとヴィシャンの名を出したが、返って不味かったかと今更ながらに後悔する。子供の頃からお喋り好きなこの口は、どうにかしろと兄のルイスからよく注意されていたのだが、騎士になってからもまだ癖が直らない。
娘の表情は暗く、それでも震える唇が形を変えるのは何かを伝えようとしてくれているのだと思うのだが……女騎士はさて、どうしたものかと頭を悩ませながらも、結局あれこれと道中娘に語りかけ続けてようやく廃墟となったヒナトへと辿り着く。
「戻るのが遅かったな? ……!? そいつは、ミエレか!? 生きて、生きていたのか!?」
ヒナトのギルドマスター、バルザーク・ベルモンドが血相を変えて駆け寄ってくる。
「バ、バルザーク殿。娘が驚きます。あまりいきなり近寄られては……」
「バカ言うな! こいつは俺のギルドの仲間だぞ! 誰も戻りゃしねぇし、フレイズの野郎は誰にも会わなかったなんてほざきやがったが……そうか、そうか……生きててくれたかよミエレェ……」
「……」
「バルザーク殿……」
顔獣を皺くちゃにして縋り付くように涙を溢すバルザークの姿には、ギルドマスターとしての威厳も、壮年の男性としての風格もない。そんなただ仲間の帰還に歓喜する姿は娘に再会した父親のようにも見えて、女騎士はバルザークを咎めるべきかと戸惑ってしまう。
そんな時。
「騒がしいな、何かあったのか?」
英雄ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズが拠点の中から姿を現した。
「ミエレ?」
「……」
女騎士に寄りかかっていた娘が、その手を離してよろよろと歩き出す。
声にならない言葉を発しながら、必死に、ゆっくりと。この時を長く待ち侘びていたのだと、ようやく会えたのだと叫んでいるかのように。
「……ミエレッ!」
「……」
ヴィシャンは駆け出し、ふらつく娘を抱きしめる。ヴィシャンもまた、どれだけこの時を待ち侘びたことだろうか。
「会いたかった。会いたかったよミエレ……」
「……」
一度は探しに出た。
だが気づけば傷だらけで倒れていた。
森の付近には冒険者は一人もいなかった。
だからなのか、頭の中から心根にまで浸透していく"ミエレの死"という言葉に侵されて、諦めてしまっていた。
こうして出会えたならば、それがどれだけ許されざる罪であったのか。
諦めてしまったことをどう償えば良いのか……けれど、それよりも今は、この手の中の温もりをもう二度と手放したくないと、ヴィシャンは強く抱きしめた。
ぎゅうと抱きしめ返される感触。ぬめりとした温もり。腹を、両足の甲を、左右の手の関節をへし折られる程の、呪縛。
「ヌルヌル……」
「ごぷっ……」
「ヴィシャン様!」
「くそっ! ローパーが化けてやがった!」
娘の姿はいつの間にか、結合した五体のローパーと無数の触手へと姿を変えて標的を魔王の指示通りに貫いた。
同時、長槍と戦鎚にその身を貫き砕かれ、粒子となって消えていくことをローパーたちは何と思うこともない。




